バレエを楽しむ バレエとつながる

  • 知る

【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第32回〉スターダンサーのかたわらにスター教師あり!伝説の指導者“マダム・ドミニク”

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

パリ・オペラ座バレエファンのみなさまには待ちに待った、2024年2月がやって参りました! 2020年以来、4年ぶりの来日公演となる今回の来日ツアー、新たに誕生したエトワールたちはもちろん、伸び盛りの若手のダンサー、熟練のスターたちに注目したり、2つの公演演目をすみずみまで堪能したり……などと考えていたら、公演日がいくつあっても足りないですね。私も大ッ変!楽しみ!に!しております!

さて、パリ・オペラ座バレエの歴史を紐解いていると、数々のスターダンサーが連なるそのかたわらに、これまた「スター教師」と呼ぶべき、名バレエ教師の存在があります。どんなスターダンサーにも教師は必要、とよく言われるように、ダンサーを教え導く教師もまた、バレエの歴史における重要な登場人物です。では、19世紀のオペラ座バレエのダンサーたちには、どのような先生がいたのでしょうか? 今回は、19世紀後半のオペラ座バレエで、多くの女性スターダンサーを育て上げた伝説の名教師、「マダム・ドミニク」について、資料をもとにご紹介します。

ダンサー時代

こんにちの多くのバレエ教師が、プロフェッショナル・ダンサーとしてのキャリアを経験しているように、マダム・ドミニクも、最初はダンサーとして、それもオペラ座バレエの中堅ダンサーとして活躍しました。生まれは1820年10月14日、パリの出身で、のちに書かれた新聞記事によると、オペラ座バレエには1836年に、コリフェとして入団したとのこと。ダンサー時代は本名の「キャロリーヌ・ラシア」か、あるいは「マドモワゼル・キャロリーヌ」などと呼ばれることが多かったようです。後年、彼女の名として定着する「マダム・ドミニク」は、じつは彼女の愛称なのでした(この点については後述します)。

ダンサーとしてのキャロリーヌ・ラシアが活躍したのは、ロマンティック・バレエが花開いた、1830年代から40年代にかけての時期です。彼女の同僚としてこの頃のオペラ座バレエに所属していた著名ダンサーは、ジョゼフ・マジリエ(初代ジェームズ)、リュシアン・プティパ(初代アルブレヒト)、レオポルト・アディス(本連載の第12回参照)、カルロッタ・グリジ(初代ジゼル)、アデル・デュミラットル(初代ミルタ)などの、そうそうたる顔ぶれ。つまりラシアは、オペラ座バレエの、そしてバレエの黄金時代の一つを、まさにその現場で体験していたダンサーだったのです。

当時、オペラ座バレエの団員は、ソリスト以上の役柄を踊るスジェ以上の階級が「ダンスのアーティスト」、コール・ド・バレエとして踊るコリフェ以下は「バレエのアーティスト」として、2つの大きなカテゴリーに分かれて在籍していました。ラシアは入団後、仕事に熱心に取り組んだようで、コリフェからスジェに昇進し、「ダンスのアーティスト」として登録されるに至ります。彼女は主にマイムやキャラクターダンスで注目されていたようで、とくに評価が高かったのは、オペラ《ポルティチの物言えぬ娘》の主役で、マイムの技術がとりわけ重要となるフェネッラ役とのこと。現在、フランス国立図書館のデジタルアーカイブ「ガリカGallica」や、ニューヨーク公立図書館のデジタルコレクションでは、アルチュール・サン=レオンの代表作の一つである《大理石の娘》(1847年初演)で、カスタネットを持って踊るラシアのリトグラフを閲覧できます。

「マダム・ドミニク」の誕生

さて、キャロリーヌ・ラシアが、その本名とはまったく無関係に思える「マダム・ドミニク」と呼ばれるようになったのは、なぜなのでしょうか?

この名前がラシアの愛称として定着したのには、彼女の結婚が関係しています。ラシアは1849年より前に、オペラ座の同僚と結婚しました。相手はオーケストラの第2ヴァイオリン奏者のドミニク・ヴネトッザ(1813-1895)。このヴネトッザ、周囲からは「ムッシュー・ドミニク」と呼ばれていたそうです。そこでラシアも、いつのころからか「マダム・ドミニク」と呼ばれるようになった、というのが、「マダム・ドミニク」誕生の経緯でした。

現代風にいうと、職場結婚をしたラシアとヴネトッザ。同じ劇場内で働いているのですから、顔を合わせる機会も自然と多かったのでしょう。ただし、この二人の場合は、単にオペラ座で働いていた者どうし、という以上の接点があります。じつはこのカップル(個人的には、この点が研究上の超・萌えポイントなのですが)、なんと、オペラ座のバレエダンサーとレッスン伴奏者の組み合わせ夫婦でもあるのです!

本連載の第19回でもご紹介したとおり、昔のバレエ・レッスンの伴奏はピアノではなく、ヴァイオリンに代表される弦楽器で行われていました。これは19世紀後半になっても同様で、オペラ座では、劇場付属のオーケストラに所属するヴァイオリン奏者やヴィオラ奏者のうち、審査を通った者が、公演のリハーサルなどで伴奏者としても仕事をしていました。そのうちの一人がヴネトッザで、《ジゼル》初演時のリハーサルなどを担当した可能性が高い伴奏者なのです。19世紀のオペラ座の舞台裏が垣間見える結婚ですよね。

スターを育てる名教師

バレエ史に名を残す19世紀のスターダンサーたちは、パリだけでなくヨーロッパ各国やアメリカなどでも活躍したダンサーが多くいます(そもそもフランス出身ではない場合が多い、という事情もありますが)。いっぽう、ラシアはダンサーとしてのキャリアをずっとパリで過ごしました。そして、彼女のバレエ教師としてのキャリアもパリで始まります。

当初、ラシア改めマダム・ドミニクは、バレエ学校の校舎があったリシェ通りに近いパッサージュ・ソウルニエール(現パリ9区のソウルニエール通り)に、個人のバレエ教室を持っており、バレエ学校の生徒たちがプライベート・レッスンに通っていたようです。その後、ダンサー引退後にオペラ座のバレエ教師になったマリー・タリオーニが、そのポストを離れたのに伴い、タリオーニの後任として、バレエ学校の最上級クラスである「完成クラス」の教師に、マダム・ドミニクが任命されました。レッスン伴奏の担当は、夫のヴネトッザだったとか。毎朝9時から正午まで、オペラ座の舞台にデビューする素質があると認められた生徒のクラス・レッスンを行うのが、マダム・ドミニクの役割でした。

ところで、19世紀のオペラ座バレエに関する文献を読んでいると、マダム・ドミニクの名が頻繁に目に入ります。それもそのはず、彼女がオペラ座で指導に関わったダンサーたちは、19世紀後半のオペラ座を彩ったスターダンサーばかり。その例をあげてみると……

  • エマ・リヴリー。マリー・タリオーニの愛弟子としても知られ、タリオーニの唯一の振付作品である《蝶々》を踊っています。
  • アデル・グランツォフ(グランツォーワ)。《コッペリア》の初演でスワニルダ役を務める予定でした(が、病気のために断念)。
  • ジュゼッピーナ・ボザッキ。グランツォフに代わり、《コッペリア》の初演でスワニルダを踊りました。

残念ながら、マダム・ドミニクの指導が具体的にどのようなものだったのか、詳細ははっきりしていません。しかし、彼女の教え子たちのリストに続々と連なるスターたちの名を見ると、とくに女性ダンサーの教育におけるマダム・ドミニクの指導力は、相当のものだったと考えられるでしょう。

その後、マダム・ドミニクは1875年3月までオペラ座のバレエ教師の職を務め、夫のヴネトッザと同時に退職しています。10年後の1885年に彼女が没したときには、パリのさまざまな新聞がマダム・ドミニクの仕事ぶりを回顧し、その死を悼みました。オペラ座のダンサーやバレエ学校の生徒たちからは「ママ・ドミニク」と愛された彼女、きっと厳しくも愛情豊かな先生だったのではないでしょうか。

★次回は2024年3月5日(火)更新予定です

参考資料

F-Po : NUMP-20374. Vert-Vert 7 juin 1885. « Nouvelle »

F-Po : NUMP-2106 < 1868-1929 >. Le Gaulois 6 juin 1885 Bloc-Notes Parisien « Maman Dominique »

F-Po : IFN-10541387. Lacauchie, Alexandre, M.lle Caroline Lassia, dans La fille de marbre, Académie royale de Musique. Imprimeur-Librairie Martinet, 1847.

F-Po : IFN-8421724. Lacauchie, Alexandre, M.elle Caroline Lassia dans Paquita, Académie royale de musique. Imprimeur-Librairie Martinet, 1846.

Archives de Paris, V3E/N 1314. Fichiers de l’état civil reconstitué, Acte de Naissances : Lassiat, Marie-Caroline.

永井玉藻、2023。『バレエ伴奏者の歴史 19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』東京、音楽之友社。

【NEWS 】永井玉藻さんの新著が好評発売中!

「バレエ伴奏者の歴史〜19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々」

バレエにおいて、ダンスと音楽という別々の芸術形態をつなぐために極めて重要な役割を果たしている存在、それがバレエ伴奏者。その職業が成立しはじめた19世紀パリ・オペラ座のバレエ伴奏者たちの活動や役割を明らかにしながら、華やかな舞台の“影の立役者”の歴史をたどります。

●永井玉藻 著
●四六判・並製・224頁
●定価2,420円(本体2,200円+税10%)
●音楽之友社
●詳しい内容はこちら
●Amazonでの予約・購入はこちら

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

もっとみる

類似記事

NEWS

NEWS

最新記事一覧へ