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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第43回〉労働者としてのダンサーたち。オペラ座の報酬の歴史をたどる!

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

新年あけましておめでとうございます。新しい年の始まりには、毎年恒例となったウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでのバレエをテレビで楽しまれたり、公演に行かれたりした方もいらっしゃるのではないでしょうか。

オペラ座の年末年始は、12月頭から始まる古典大作&コンテンポラリー・ダンス公演が12月31日まで続き、1月1日は全館休業、2日からいきなり日常が戻る、というパターンが普通です。しかし、今回の年末公演シリーズの幕開けは波乱続きでした。12月5日に予定されていた《パキータ》の初日公演は開演時間を過ぎても始まらず、最終的には中止となりました。この事態に関して劇場側から発表された文章に対し、ダンサー側は彼らの意図をSNSで発信。その後、6日と8日に予定されていた公演も、所属ダンサーの95%がストライキの実施に票を投じたことでキャンセルになりました。同時期にパレ・ガルニエで上演されていた《プレイ》に関しても、企業向けガラだった初日の7日こそ公演が行われたものの、9日の公演は《パキータ》同様に中止、という事態に。ダンサーたちのストライキの根本にあったのは、ウォームアップやメイク、ヘアセット、衣裳の着用など、公演の実施に必要な準備時間に対し、充分な報酬が支払われていないことでした。

パリ以外の地域からTGV(フランスの新幹線)に乗って公演を見ようとしていたバレエファンもいたようで、こうした観客の嘆き&憤りには同情しかありません。いっぽうで、ダンサーたちがこのように、自らの仕事を取り巻く状況に対して声を上げられる、というのは、ストライキに対するフランスと日本の違いもさることながら、オペラ座のダンサーたちが労働者としての立場を確立しているから、とも言えるでしょう。歴史的にも、オペラ座のアーティストはかなり早い時代から、報酬やその他手当についての取り決めをなされてきました。それらの規則は、具体的にはアーティストの活動の何に対してどのような内容の報酬を支払うと定めていたのでしょうか? 新年早々、前置きが長くなりましたが、今回は、オペラ座のダンサーが得る報酬について、史料を元にご紹介します。

報酬に関しては18世紀初頭から

オペラ座の舞台に出演するアーティストに関する規則は、1713年に発表された「スペクタクルの内規に関する規則」にすでに見つけることが出来ます。ルイ14世の治世の最後の時期に、当時のオペラ座のグダグダな財政難を重くみた王によって制定されたこの規則集では(詳細は本連載の第3回を参照)、劇場に雇用されるアーティストの人数や報酬や年金の支払い方などが明記されました。

それによると、オペラ座に所属する全アーティスト(ダンスだけでなく、オペラに出演する歌手やオーケストラ団員も含む)に対しては登録リストが作成されており、このリストにおいて「現行の規則で指定された順序にしたがって、各々に支払われなければならない報酬の割り当てが記載される」(第10条)とのこと。報酬は毎月末日にその月の出演料の合計額が支払われ(第11条)、場合によっては「その能力と奉仕によって最も値する者に」ボーナスがあることも明記されています(第12条)。15年の連続勤務を経ると、病気などで出演できない場合の年金があったり(第13条)、公演が中止になった場合には、出演者には基本報酬の半額が支払われたりすることにもなっていました(第15条)。

ただし、この1713年の規則集には、個々のアーティストの詳細な報酬額は具体的に記載されていません。第10条において「現行の規則で指定された」とあるように、オペラ座では1713年以前にそれぞれのアーティストの立場に応じた報酬額が決められていたので、その額が登録リストに記載されたのでしょう。また、現代のオペラ座ダンサーたちのストライキで問題となった、アーティストの仕事のどこからどこまでを報酬の対象とするか、という点についても、1713年の規則集には書かれていません。規則集で明文化されているのは、オペラ座のアーティストとしてやるべきこと、もしくはやってはいけないことで、やるべきことのために必要なものごと(稽古や公演準備など)も含めて報酬の範囲内と捉えられていた、と考える方が良さそうです。

報酬に関する諸規則は、18世紀のあいだに次第に事項が増え、詳細になっていきます。例えば、フランス革命中の1792年の規則集では、アーティストや各部門の長(メートル・ド・ダンスなど)の待遇、その待遇に関する補足事項、年金、各種報酬の支払いがそれぞれ1つずつ別個の章を形成しており、さらにその後に、各アーティストや部門長の義務や報酬額、義務に違反した場合の罰金額などが、アーティストの役割別に事細かに述べられています。現代の一般的な企業の約款に比べると大雑把に思えるところがあるとはいえ、こうした規則が、ある程度は18世紀のうちに整えられていった、というところが、国との関連が深いオペラ座らしい点、といえます。

19世紀には階級ごとの詳細も明確に

19世紀になると、アーティストに関わる規則の詳細は、基本的にはアーティストの労働契約書の中に書かれたり、個別の規則集として独立した書類になったりすることが多くなっていきます。以前にも、19世紀半ばの大スターダンサー、カルロッタ・グリジの契約書を取り上げましたが(本連載の第23回第24回を参照)、この契約書でも、グリジとオペラ座のディレクションとの間で、仕事や働き方に関する取り決めがなされていました。グリジのようなソリスト以上のダンサーだけでなく、群舞のダンサーの契約書や規則集にも、ダンサーの階級ごとの人数から報酬額、最低勤務年数、昇級の条件、公演やリハーサル時にやってはダメなことと、それに対する処分などが明記されています。

一例として、群舞のダンサーに関する1860年の規則集を見てみましょう。当時の群舞ダンサー、つまり「バレエ部門Service du ballet」(ソリスト級は「ダンス部門」に所属)の、最上位階級はコリフェです。女性ダンサーの場合、コリフェの人数は16名で、そのうちの8名が上級ダンサーで年間1000フランの報酬(1フランは大ざっぱに現代の1000円程度)、残りの8名が下級ダンサーで年間900フラン、とされていました。上級コリフェの8名は、3年間この階級で勤務すると、新たに5年の契約を結ぶことができ、その場合には、1年間の増額が1000フランを超えない範囲で、最高で1500フランまでの報酬の増額が認められていました。他方、男性コリフェは4名と少なく年間の報酬は1200フラン、最高報酬額は1800フランと定められていました。

この1860年の場合にも、オペラ座の群舞ダンサーは、階級に応じた報酬に加えて、通常以上の仕事や拘束時間が発生した場合には、メートル・ド・バレエの提案を通して臨時のボーナスをもらえることになっていたり、ダンサーの昇級は年功序列によらず、各々の能力に応じて行われたりしました。ただし、職務に対して不誠実であったり反抗したり、規律違反などをしたりすると、オペラ座の一般規則に基づく処罰を受けるほか、公演に対する妨害行為(決められた時間よりも前に舞台裏に行ったり、大声で話したり、舞台装置の移動を妨げたりするなど)、舞台上での悪質な振る舞い、生活上の非行行為があった場合には、楽屋での戒告や一定期間の楽屋使用禁止、あるいは給与の剥奪を伴う出演停止処分(この場合、公演では当該のダンサーよりも低いランクのダンサーが代役となることになっていました)、最悪の場合は解雇となることが決まっていました。遅刻、そして公演中の途中退席は罰金の対象で、状況により1日もしくは3日分、あるいは10日分の給与相当を支払わなければいけませんでした。この厳しさは、18世紀から変わらないオペラ座のあり方です。

冒頭で触れた《パキータ》の公演は12月12日に再開しましたが(というか、実質的にこの日が初日になったわけですが)、2023年ごろから問題提起されていたという今回のストライキの問題点は、どのように解決の方向へ向かうのでしょうか。この原稿を書いている時点(12月13日)では、まだ結論が出ていないようです。オペラ座に限らず、すべてのダンサーが霞を食って生きているわけではないのですから、その仕事や仕事に関わるものごとに対して相応の報酬が支払われるよう、劇場側との建設的な話し合いが行われることを願ってやみません。

参考資料

Archives Nationales. AJ/13/194, Contrat d’engagement de Mlle Carlotta Grisi, 1840.

Archives Nationales. AJ/13/479, Règlement pour le service du corps des ballets et du conservatoire de danse de l’Opéra, 1860.

Giroud, Vincent et Serre, Solveig (dir.). 2019. La Réglementation de l’Opéra de Paris 1669-2019, Édition des principaux textes normatifs. Paris, École des Chartes.

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1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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