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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第42回〉「パキータ」に見る、フランスとスペインのフクザツな関係

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

今年も早いことながら年の瀬になりました。12月のバレエといえば、さまざまなバレエ団がこぞって上演するのが《くるみ割り人形》ですが、近年のパリ・オペラ座は、12月だから《くるみ》が決まってプログラムに入る、というわけではありません。そもそもオペラ座バレエは、同時期に稼働できるホームの劇場を2つ所有しています。そのため、毎年12月が近づくと、パレ・ガルニエではコンテンポラリー・ダンスなど20世紀の作品の上演が比較的に多く、もういっぽうのオペラ・バスティーユでは古典大作の上演を行う、というパターンが多いようです(バスティーユのほうが座席数も多く、現代的な造りで劇場も広いので、ホリデーシーズンの重要な客層であるファミリー向けの作品を上演しやすい、ということも、事情の一つかもしれません)。

さて、今年の年末古典作品としてオペラ座が上演するのは、《パキータ》です。そこで今回は、19世紀のパリ・オペラ座で初演され、(一応)なんとかギリギリ生き残った《パキータ》について、作品とその周辺に見いだせるフランスとスペインの複雑な関係を中心にご紹介します。

作品について

《パキータ》の初演は1846年4月1日、19世紀のど真ん中で、《ジゼル》の初演の5年後です。初演時のタイトルロールは初代ジゼル役のカルロッタ・グリジが、相手役のリュシアン・デルヴィリは初代アルブレヒトのリュシアン・プティパ(マリウス・プティパのお兄さん)が務めました。スペインを舞台に展開するこの作品は、実に19世紀のオペラ座バレエらしい一作……なのですが、日本では第3幕のグラン・パ・クラシックがガラ公演などで踊られるのみ、ということが多いだけに、作品の全体像はいまいちよく分からない、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。

《パキータ》の物語が展開するのは、19世紀初頭のスペイン北部の町、サラゴサです。リュシアンはこの地の総督、ドン・ロペスの妹のドニャ・セラフィーナと政略結婚することになっており、大変浮かない顔。そこへ首領のイニゴに率いられたロマの一群がやってきます。ロマたちの中には、ひときわ美しい娘のパキータがいました。実はこのパキータ、元からロマの仲間だったわけではなく、本人もなんとなく自分が誰かにさらわれた記憶を持っているのですが、かといって身元もはっきりしません。ロマの面々とは異なる顔立ちのパキータにリュシアンは惹かれますが、彼女を自分のものにしたいイニゴと小競り合いになります。その様子を見たドン・ロペスは、イニゴを使ってリュシアンを殺す計画を立てます。

パキータを口実にリュシアンを誘き出したイニゴは、彼に薬の入った酒を飲ませようとしますが、すでに暗殺計画のことを聞いていたパキータは、食事の乗った皿をわざと落とし、その隙にイニゴとリュシアンのグラスをすり替えます。薬の効果で眠り込んだイニゴをよそに、辛くも暗殺の手から逃れるリュシアンとパキータ。

サラゴサのフランス軍司令官邸に戻った二人は、彼らの身に起こったことを明らかにし、リュシアンはパキータに求婚します。明らかな身分の違いから、パキータはリュシアンに惹かれつつ彼の求めを拒絶。が、そのときパキータは、リュシアンの暗殺をイニゴに命じていた男、ドン・ロペスの姿に気付きます。企みを見破った彼女は、なおも自らの幸せを退けようとしますが、その時彼女の目に入ったのは、常に身につけていたメダイヨンに描かれた肖像画と全く同一の、リュシアンの亡き叔父の肖像画でした。実はパキータは、両親とともに殺されてしまったと思われていたリュシアンのいとこだったのです。リュシアンの父の将軍はパキータを家族として迎え入れ、華やかな舞踏会と喜びのうちに幕が下りるのでした。

フランスとスペイン

さて、フランスの歴史において、スペインは隣国なだけあり、なかなか深い繋がりを持っています。バレエの歴史に欠かせない人物のルイ14世は、母親(アンヌ・ドートリッシュ)も妻(マリ=テレーズ・ドートリッシュ)もスペイン・ハプスブルク家の出身。そのため、1701年から1713年にかけては、ルイ14世の孫、アンジュー公フィリップのスペイン王即位をめぐる「スペイン継承戦争」が勃発します。

ナポレオン・ボナパルトの第1帝政期には、スペイン独立戦争(1808〜1814年)で両国は大いに揉めますが、その後のスペイン王家の継承をめぐるカルリスタ戦争(1833〜1876年)などの影響で、フランスにはスペインからの亡命貴族が多く出入りするようになりました。そして、ナポレオンの甥であるルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)の妃となったのは、スペイン貴族家出身のウージェニー・ド・モンティジョです。

1839年、作家であり政治家でもあったヴィクトル・ユゴーは、スペインについて次のように書いています。

「したがって(中略)我々はスペインをないがしろにすることはできない。 病めるスペインは我々の重荷となり、健康で力強いスペインは我々を支えてくれる。 我々はスペインを引きずったり、寄りかかったりする。 私たちの手足のひとつであり、切断することはできないのだ」。

そして、この「近い異国のスペイン」が大きな魅力の一つになったのが、ロマンティック・バレエの世界でした。

ロマンティック・バレエとスペイン

ロマンティック・バレエ、というワードが出てくると、真っ先に頭に浮かぶのは《ラ・シルフィード》や《ジゼル》、《ドナウ川の娘》などの、妖精・亡霊系列の真っ白バレエではないでしょうか。いっぽうで、「ロマンティック・バレエ」には《海賊》や《ラ・ペリ》のように、ヨーロッパから見た異国(それも「オリエンタル」「エスニック」な)を舞台とする作品も多くカテゴライズされています。《ラシル》や《ジゼル》と《海賊》では、かなり雰囲気も傾向も違うのに、なぜ……?と思われる方もいらっしゃるかも知れません。

2つの異なる系統のバレエ作品が「ロマンティック・バレエ」と括られるのは、1830〜60年台のバレエ作品のベースにある「ここではないどこかへの憧れ」に起因しています。妖精・亡霊系のバレエは、現実の世界(今ここ)ではない空想の世界に対する憧れからの産物であり、異国系のバレエは、観客の大多数が暮らす場所であるパリ・都市・都会(今ここ)ではない別の地域・地方・田舎への憧れに発しています。

ただし、この異国は全く未知の世界ではダメで、ロマンティック・バレエに登場する「異国」は、フランスと国境をじかに接しているけれど文化的には異なる国だったり、インドなどのヨーロッパの植民地のように、なんとなーくうっすら知っているけれど観客の生活圏ではない場所、であることがポイントです。

その点で、19世紀半ばのパリに暮らすフランス人にとって、スペインは絵に描いたような「ここではないどこか」だったのかもしれません。サラゴサはスペイン独立戦争時、ナポレオン率いるフランス軍に2度包囲されながらも、住民たちによる必死の抵抗と激戦ののちに占領を免れた土地、という背景も、当時のフランス人の観客たちには知られた過去だったでしょう。そのため、ドン・ロペスがリュシアンに対して向ける憎しみも、それでもなおリュシアン=フランス人将校を正義の側に置く物語も、よりリアルに迫ってくるものがあったのではないでしょうか。

単純そうに見えて、実は19世紀半ばのフランスとスペインを取り巻く状況を描く作品、それが《パキータ》なのかもしれません。

参考資料

平林正司、2000年。『十九世紀フランス・バレエの台本 パリ・オペラ座』東京、慶應義塾大学出版会。

Pellistrandi, Benoît. 2021. « France-Espagne, pour une histoire compareé », Siècles [En ligne], 51 | 2021, mis en ligne le 17 janvier 2022, consulté le 15 novembre 2024. URL : http://journals.openedition.org/siecles/8280 ; DOI : https://doi.org/10.4000/siecles.8280

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この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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