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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第21回〉オペラ座のVIP客!「アボネ」とは何者か

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

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21世紀の現代、公演を鑑賞するという際に、私たちはチケットを購入するのが一般的です。バレエに限らず、オペラ、コンサート、演劇、歌舞伎、ミュージカル、ライブビューイングやシネマ公演に至るまで、たいていの場合は座席指定のチケットを買い、会場内にアクセスする、という流れがありますね。人気の公演やごひいきのダンサーさんが出演される公演などの場合、事前に時計の時刻をバッチリ合わせ、発売開始時刻の10分前からパソコンに向かって待機、とか、3秒前から専用回線の電話番号にコール……などの強者もいらっしゃるかもしれません。

では、ネットや携帯がなかった過去の観客たちは、どのようにして観劇に至っていたのでしょうか? これは時期や場所(劇場)にもよるのですが、我らがパリ・オペラ座の場合、比較的早期からチケット販売による観劇システムが確立していました。今回は、17世紀から19世紀にかけてのオペラ座観劇事情と、観客たちの中でもいろいろな意味で重要な存在の「アボネAbonné(e)」についてご紹介します。

公演を見よう! でもどうやって?

パリ・オペラ座の創設は1669年。17世紀後半のこの当時から、基本的にオペラ座は、チケット販売によって収益を得ています。したがって、オペラ座で観劇したい!となった場合、観客が公演のために劇場内に入るには2つの方法がありました。

ひとつは、劇場の入り口で必要な額のお金を払い、公演の開演時間になったら会場内に入る、というもの。これはとてもシンプルな方法ですね。観客がたくさん来たときなどは、客さばきが大変そうですが、昔の観劇は非常にのんびりしたものでした。オペラの公演で、すでに序曲の演奏が始まっているのに、会場内はざわざわとやかましい、なんてことはよくあったそうです。

オペラ座で観劇をするためのもうひとつの方法は、公演当日の朝に1席、あるいは複数の座席を1枚のチケットで予約購入することです。こちらは、どちらかというと現代の観劇システムに近いですね。予約は劇場の外にある窓口、ビューロー・ド・ロカシオンBureau de locationで受け付けていました。貴族たちが観劇する際には、この窓口へ家の召使などをお使いにやって、必要な手続きをさせていたそうです。

なお、現代のフランス語で「チケットの予約」というと、「レゼルヴァシオンréservation」という語を使うことが多いですが、言葉のこの用法、どうやら比較的新しいもののようなのです(といっても、20世紀半ば以降の用法のようなので、100年ほどの歴史があるのですが)。では、それ以前はどのように言っていたのか?というと、それが前述のBureau de locationに含まれる「ロカシオンlocation」という語。フランス語に通じていらっしゃる方はご存じのとおり、locationをする人のことを、「ロカテールlocataire」と言います。そして、18〜19世紀のオペラ座においては、このロカテールになることが、次に紹介する「アボネabonné」になることと、大きな関連をもっていました。

オペラ座の上顧客、アボネ

では、「アボネ」とはいったい何者なのでしょうか。フランス語学習者にはおなじみの仏和辞典、『ロベール仏和大辞典』で見てみると、名詞としてのabonné(e)には、まず「(新聞、雑誌の)予約購読者、(劇場などの切符の)定期予約者」という説明がなされています。つまり、いわゆる定期会員の観客が「アボネ」です。

パリ・オペラ座において、このアボネの制度が現れたのは、1707年のことでした。フランスの音楽史研究者、アニエス・テリエールの著書『Le billet d’Opéra』によると、当初は、一定の期間にわたって1座席、もしくはボックス席1つの「ロカテール」になることを、「アボネ」と呼んでいたそうです。つまり、ロカテールの中でも継続的、かつ特定の座席のロカテールがアボネと呼ばれる、ということですね。

制度が始まってから1918年に至るまで、アボネが予約できるのは、週のうち公演がある曜日のどれか1日(月、水、金、土の中から選択)か、アボネだけに開かれていた、公演日程の最初の3日間かのどちらかでした。また、オペラ座のアボネにはいつからなっても良く、基本的には1年を超えない範囲で契約がなされていました。ただし、契約を更新する際には、すでに契約をしているアボネが優先されたので、実質的には、契約をしている限り、マイシートやマイボックス席を手に入れたようなものです。

18世紀初頭のオペラ座が、このようなアボネ制度を取り入れたのにはわけがあります。本連載の第3回でご紹介したように、この当時のオペラ座は、赤字に次ぐ赤字で財政悪化の一途をたどっていました。そこで、観客に長期間にわたる予約をさせることで、オペラ座側はより安定した財源を確保し、アボネ側は「オペラ座の中に自分の席を持つ」という、ちょっとした特別感を得ることができたのでした(もちろん、長期予約をできる財力があることの誇示にもなります)。

アボネの特権いろいろ

アボネが都度のチケット購入客、あるいは一般のロカテールより特別であるのは、「ほぼマイシート契約」をオペラ座と結んでいたから、というだけに留まりません。そもそも彼らのアボネとしての契約は、「公証人notaire」の面前で、席やボックスの「賃貸借契約bail」にサインをすることで成立するものでした。

この「公証人」とは、フランスに生きる人々の財産に関わるさまざまな局面で行われる、諸契約の立ち合い人です。アシュトン版《ラ・フィーユ・マル・ガルデ》の最終場面で、リーズとアランの結婚が進められようとするとき、羽根ペンと結婚契約書を持ってくる人物たちがいますが、あれがまさに公証人の役割のひとつ。その立ち合いのもとでの賃貸借契約ですから、単なる定期的なチケット事前予約購入とはレベルが違います。

また、契約によってボックス席を占有することができたアボネは、そのボックス席を自分の思うように使うことができました。お友達や招待客などと一緒に観劇するのも自由ですし、ボックス奥の小さなサロンスペースに家具を持ちこんだり、入口を鍵で閉めたりすることも自由。家具の持ち込みはちょっと自由すぎる気がしますが、こうなるともう、ボックス席はプライベートな空間扱いです。

さらに特別な契約をすれば、ボックス席の開口部にブラインドやカーテンを取り付け、内側が見えないように隠すこともできました。それでは舞台が見えなくなってしまうのですが、アボネたちは観劇のためだけでなく、人に会うために劇場にやってくることもあるので(というかそのほうが多かった)、舞台が見えなかろうが気にしない、という人もいました。

劇場内のボックス席の数は限られているので、どこが誰のボックス席か、は上流階級のあいだでは知られた情報です。そのため、19世紀のフランス文学には、ボックス席を舞台とする恋愛の攻防戦が多く登場します。ノイマイヤー振付の《椿姫》でも、冒頭部分に、ボックス席でのやりとりと思われる場面がありますね。

しかしブラックな側面も…

さて、このアボネの中でもとくに男性の顧客が、オペラ座の歴史においてブラックな側面をもつようになるのが、19世紀の半ばの1831年以降のことです。この年、オペラ座の総裁に着任したルイ=デジレ・ヴェロンは、アボネを含む上客層の男性観客が、舞台裏にあるダンサーためのウォーミングアップスペース(フォワイエ・ド・ラ・ダンス)に立ち入ることを可能にしました。オペラ座のフォワイエ・ド・ラ・ダンス自体は18世紀後半から劇場に存在しており、ウォームアップのほか、特に女性のダンサーが時の権力者などを迎えることにも使われていましたが、ヴェロンはフォワイエに行ける観客の層をアボネ、政府関係者、金融関係者、政治家、さらにはジャーナリストなどにも広げたのです。

その結果、オペラ座のフォワイエで女性ダンサーに会うことは、当時の男性上流階級において一種の「流行」となり、また残念ながら、そうした男性たちによる愛人探し、性的搾取が行われるようになりました。この習慣は、20世紀の半ばにバックステージ区域内への観客の立ち入りが禁止されるまで続き、実際に、女性のダンサーが身なりの良い男性客と談笑する写真も多く残っています。

ダンサーの社会的地位が今よりもさらに低く、また女性の権利や立場が考慮されなかった時代において、バレエ自体もまた、美しく華やかな歴史的側面だけをもつわけではありません。そのことを、現代の私たちも少なからず知っておく必要があるのではないでしょうか。

★次回は2023年4月5日(水)更新予定です

参考資料

Auclair, Mathias et Ghristi, Christophe (dir.) 2013. Le Ballet de l’Opéra, Trois siècles de suprématie depuis Louis XIV. Paris, Albin Michel.

Giroud, Vincent et Serre, Solveig (dir.) 2019. La Réglementation de l’Opéra de Paris 1669-2019 Édition des principaux textes normatifs. Paris, École des Chartes.

Terrier, Agnès. 2000. Le Billet d’Opéra petit guide. Paris, Edition Flammarion / Opéra national de Paris.

鹿島茂、2020。『職業別 パリ風俗』東京、白水社。

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この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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