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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第17回〉はい、ここテストに出ます!バレエファンのための「悪魔のロベール」入門

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのために、マニアックすぎる連載を始めます。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

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日本では「怪談」「お化け」「幽霊」というと夏のものですが、ここ数年の酷暑を考えると、ひんやりと肌寒くなってくる秋のほうが、幽霊たちにも優しい季節かもしれません。折しも11月の頭には、キリスト教では死者の日(もしくは万霊節)が、また10月の末にはハロウィンがありますよね(もっとも後者は、日本では仮装イベント色が濃厚ですが……)。

さて、そんなお化けや幽霊たちは、バレエやオペラの物語にもしばしば登場します。《ジゼル》のウィリたちはその典型で、ふわふわと舞台空間を移動する真っ白な衣裳のダンサーたちは、まさに亡霊そのもの。《ラ・シルフィード》の風の妖精たちも、とても似たタイプの人外生物です。こうした幻想的な亡霊たちの世界は、いつごろからバレエの世界に登場するようになったのでしょうか? 今回は、ロマンティック・バレエと「バレエ・ブラン」に大きな影響を与えたオペラ、《悪魔のロベール》についてご紹介します。

19世紀パリ・オペラ座の大ヒット作

「バレエチャンネル」読者のみなさまの中には、《悪魔のロベール》どころか、そもそもオペラには馴染みがない……という方も多いと思います。でも大丈夫! じつはこの作品、残念ながら現在では決してオペラの定番作品とは言い難く、オペラ好きでも、実演を観たことがある方のほうが少ないはずです(私自身も、2012年にイギリスのロイヤル・オペラハウスで上演された、ロラン・ペリー演出版のDVDでしか観たことがないです……)。

つまり、近年ではごくたまに上演されるくらいになってしまった《悪魔のロベール》なのですが、19世紀のパリ・オペラ座では、1831年に行われた初演以来、とにかく舞台にかかる大ヒット作でした。19世紀のあいだにオペラ座で最後の上演が行われたのは1893年のことで、それまでの上演回数はなんと約760回。しかも、ほとんど毎年に1度は上演される、オペラ座の超定番レパートリーだったのです。

創作者たちとあらすじについて

まずはこのオペラの創作者についての情報と、作品のあらすじを確認しておきましょう。《悪魔のロベール》の作曲家は、ドイツのベルリン近郊出身のジャコモ・マイヤーベーア(1791-1864)。裕福な銀行家の父と、自宅でサロンを開いていた教養ある母のもとに生まれた彼は、子供の頃からしっかりした音楽教育を受け、パリやロンドン、イタリアのいくつかの都市で初期のキャリアを積みました。1823年、マイヤーベーアはオペラ座からフランスの舞台に対する興味を尋ねられ、パリの劇場に向けた仕事の計画を始めます。そのうちの一つとして、1827年から戯曲家のウジェーヌ・スクリーブ(1791-1861)、ジェルマン・ドラヴィーニュ(1790-1868)とともに取り組んだのが、《悪魔のロベール》でした。

1825年に描かれたジャコモ・マイヤーベーア(1791-1864)

スクリーブは今日まで特にオペラの台本作家として名を残しており、19世紀にオペラ座で初演された、数々のヒット作を手がけました。今日でもその名は、パレ・ガルニエの北西側が面する通りに残っています。彼は通例、台本執筆を共同作業で行っており、《悪魔のロベール》では、青年期からの友人で同じく劇作家のドラヴィーニュとコラボレーションしたのでした。彼らがマイヤーベーアと組むのは、この時が初めてです。

物語は一から創作されたものではなく、中世から伝わる悪魔と人間の子を主人公にした伝説を下敷きにしています。オペラの舞台は1300年ごろのイタリア・シチリア島の中心都市パレルモ。この地を訪れていたノルマンディー公爵のロベールは、その父親が悪魔だ、と言われ故郷を追われた過去があります。彼はシチリアの王女イザベルと相思相愛ですが、二人の恋はなかなか成就しません。というのも、ロベールの友人として彼に付き添っているベルトラン(その正体はロベールの父親であり、悪魔)が、あの手この手で邪魔をしてくるためです。それもそのはず、じつはベルトランには、ロベールを悪魔にする、という企みがあったのでした。父親なのにそれでいいのでしょうか……。ロベールの乳兄妹アリスは、ベルトランの危険性を知らせる亡き母の手紙をなんとかロベールに渡そうとしますが、それもすんなりいきません。

ロベールの完全悪魔化を真夜中までに実行したいベルトランは、イザベルと結ばれたいロベールに、魔法の力を持つ聖ロザリーの糸杉の小枝を修道院から取ってこい、と誘います。月の光が辺りを照らす夜、荒れ果てた修道院では、姦淫の罪を犯して死んだ修道女たちがベルトランの力で墓の中から蘇り、魔法の小枝を手にとるようロベールを誘惑。

まんまとベルトランの思惑にハマったロベールは、シチリアの宮廷に現れてイザベルを連れ去ろうとしますが、彼女はロベールを恐れて同行を拒否し、二人の愛を思い出させます。いっぽう、息子をなんとか悪魔にしたいベルトランはロベールに自分の正体を明かし、親子の情に訴えかけて悪魔の契約への署名を迫ります。どうするロベール!

そこにアリスが到着、「父親の言葉に耳を傾けるな」というロベールの母の遺言状を見せると、真夜中の鐘が鳴り響き、ベルトランは炎に包まれ、ロベールはなんとか助かるのでした。

さて、このようなあらすじの《悪魔のロベール》ですが、一体どこがバレエと関わるの? と疑問を持たれたなら、それはまったく普通のことです。とくに注目したいのは、作品の第3幕である荒れ果てた修道院に登場する、死んだ修道女たちが墓から蘇り、ロベールを誘惑する場面です。

月夜の修道院で亡霊は踊る

それではここで、初演時のプロダクションのためにデザインされた、当時のオペラ座舞台部デザイン担当のピエール・シセリ(1782-1868)による第3幕の舞台画を見てみましょう。外からの光が暗い廊下を照らす修道院のセット内、画面の左にはロベールが少し上を見上げて立っています。その周りには、頭から真っ白な布を被った人たち(これが墓から蘇った修道女たち、という設定ですね)がわんさか。斜めになった墓石の上に寝たままの者もいれば、ちょうど床の穴から出てくるところの者、列になっていたり、庭でウロウロしたりしている様子の者もいます。

ピエール・シセリによる第3幕第2場の舞台デザイン画

「月の光のみが届く薄暗い場所で、真っ白の衣裳に身を包んだ人たちが、そこここにぼんやりと現れる」と聞くと、これとよく似た場面をバレエでもご覧になっている方が多いはずですね。《ラ・シルフィード》の第2幕、《ジゼル》の第2幕、《ラ・バヤデール》の「影の王国」、《白鳥の湖》の第1幕第2場(もしくは第2幕)……真っ白なチュチュを身に纏ったダンサーが、暗い舞台にひとり、またひとり、と現れる、いわゆる「バレエ・ブラン」の典型的な場面ですが、その元祖は、じつは《悪魔のロベール》の第3幕にあったのでした。

この第3幕で修道女たちの役を演じたのはバレエダンサーたちであり、1831年の初演時には、もちろんパリ・オペラ座バレエのダンサーたちが踊っています。修道院長役のエレーヌを踊ったのは、《ラ・シルフィード》で大ブレイクする前のマリー・タリオーニでした(ちなみに初演時のロベール役は、《ラ・シルフィード》の台本を書いたアドルフ・ヌリが演じています)。

フランスの画家、エドガー・ドガによる『悪魔のロベール』のバレエ・シーン (1876年)ヴィクトリア&アルバート博物館所蔵

オペラなのにバレエ?

現代のオペラ上演では、たくさんのダンサーが登場してバレエを踊る、といった演出は稀なほうです。というのも、オペラの定番レパートリーとして頻繁に上演されるような作品には、元々バレエのシーンが入っていなかったり、あったとしてもその場面がカットされてしまったりすることが良くあるためです。

しかし、じつはフランスのオペラ、中でも19世紀にパリ・オペラ座で上演されていたオペラには、バレエシーンが欠かせませんでした。そのため、当時のオペラ座バレエのダンサーたちは、独立したバレエ作品で踊るだけでなくオペラ上演にも出演していましたし、むしろその機会のほうが多かったのです。また、スターダンサーのオペラ座デビューも、バレエ単独の上演より、オペラのバレエシーン内で行われることがありました。

こうした19世紀のフランス・オペラは「グランド・オペラ」と呼ばれるのですが、その上演時間の途方もない長さ(当時は夜7時ごろ開演、12時ごろ終演)や、上演のための莫大な経費、人材集めの難しさなどが相まって、現代ではなかなか上演されにくいのが現状です。また、上演の際も演出の方針でバレエシーンをコンテンポラリーダンスにしたり、少人数のダンサーたちに踊らせたりするなど、さまざまな工夫がなされます。ちょっとおどろおどろしい《悪魔のロベール》の修道院のシーン、ロマンティック・バレエのアイコン的な場面に影響を与えたインパクトがどのくらいのものだったのか、初演時の舞台を見てみたいですよね。

★次回は2022年12月5日(月)更新予定です

参考資料

BnF. IFN-53117744, Décorations de théâtre, Robert le diable, 3e acte [Image fixe] : [estampe] / composé par Cicéri ; lith. par Eug. Cicéri, Ph. Benoist et Bayot. Paris, Bulla, 1831. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b531177449

澤田肇、佐藤朋之、黒木朋興、安川智子、岡田安樹浩共編 2019。『《悪魔のロベール》とパリ・オペラ座−19世紀グランド・オペラ研究』東京、SUP上智大学出版。

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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