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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第15回〉19世紀前半、女性ダンサーの妊娠と出産

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのために、マニアックすぎる連載を始めます。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

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19世紀のフランスにおいて、ブルジョワ階級に属さない女性は、一定の年齢になると働き始めるのが普通でした。とはいえ、女性の職業選択肢は極めて限られていた時期ですので、自立してそれなりの生活を送っていくことはそう簡単ではありません。ましてや、貧しさから抜け出して、上流階級に食い込むのは夢のまた夢。

オペラ座のダンサーは、そうした中でも珍しく、女性が何とか収入を得て暮らしていける職の一つでしたが、妊娠や出産をした場合は、キャリアの中断を余儀なくされます。現代では、日本でも新国立劇場バレエ団の中田実里さんのように舞台復帰されるケースが少しずつ増えてきましたが、19世紀のパリ・オペラ座の場合はどのようだったのでしょうか?今回は、1821年に作成されたオペラ座バレエの規則集に書かれた、女性ダンサーの妊娠・出産に関わる記述についてご紹介します。

19世紀前半、女性ダンサーが妊娠・出産で仕事を中断したら

オペラ座がル・ペルティエ通りの劇場を新しい本拠地とした1821年、劇場では、ダンス部門を対象とした新しい規則集が作成されました。この規則集は、全11章、111の項目から構成されています。史料の状態からすると、劇場の運営全体に関する規則集のうち、ダンス部門に関する箇所のみを抜粋し冊子にしたもののようで、歌唱部門のみの規則集、オーケストラ部門のみの規則集の冊子も同じように作成されました。そのため、ダンス部門の各規則には、第133項から第244項の番号が振られています。そして、その中でも特に注目したいのが、以下の第203項です。

「未婚、あるいは夫と離別した女性は、妊娠による中断期間に、給与を半額に減じられる」

この時期のバレエでは、現代に上演されている作品のようにガンガン回転したり、高く足を上げたりはしなかったようですが、妊娠中の体で元気に踊れる女性はまずいないでしょう。そうした女性ダンサーで、かつ「未婚」か「夫と離別した」場合、オペラ座は給与の年額の半分を支払う、という規則を作っていたようです。

しかし、収入が充分ではなく、さらにひとり親、という立場に女性ダンサーが置かれると、生活は容易ではないことが簡単に想像できます。同時期の労働階級の賃金を踏まえると、オペラ座のダンサーたちはまだ恵まれていたほうなのですが、劇場に年間を通して雇用されていたダンサーでコール・ド・バレエ所属の場合、1830年代初頭の給与一覧を見ても、一年の給与は500フランが最低額。これは、お世辞にも裕福とは言えないカツカツの状況です。また、19世紀前半は今のように医療の発達した時代ではないですから、妊娠・出産によって命を落とす危険性も、現代よりはるかに高いと考えられます。

では、この時期に女性ダンサーがひとり親で子どもを育てることになった場合、どのような困難が予想されるでしょうか? 1821年の規則集には、残念ながら女性ダンサーの妊娠・出産・産後の職場復帰などキャリア形成に関する記述が第203項以外になく、婚姻関係にある女性ダンサーの妊娠に関わる給与の扱いについてすら、はっきりしません[1]しかし、比較のための材料を与えてくれるものがあります。それは、1820年代のパリで、ひとり親で妊娠・出産を体験する女性が登場する、文学作品内の描写です。

[1]婚姻関係にある、つまり夫のいる女性ダンサーの場合はどうだったのか? そのことが記載された資料は、残念ながら見当たりません。給与なしで産休を取ったのか? 引退を余儀なくされたのか? あるいは配偶者がいるならそのお金で暮らしなさい、ということなのか……いまのところ、真相は不明です。

ユゴーの『レ・ミゼラブル』に見るファンティーヌの場合

19世紀半ばから後半にかけて活躍した文豪、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』は、ナポレオンがフランスの帝位から完全に去った1815年から、7月王政の時期、《ラ・シルフィード》の初演が行われた翌年の1833年までを、物語展開の主な時期とした作品です。姉の子どもたちのためにパンを盗み、罪人となったジャン・ヴァルジャンを主人公とするこの長編小説は、ミュージカルでもおなじみですよね。この『レ・ミゼラブル』の前半部分に登場する女性、ファンティーヌは、1815年から1820年代初頭にかけての時期に、かなり過酷なひとり親妊娠・出産の状況に置かれた女性、という設定です。『レ・ミゼラブル』にはオペラ座のダンサーは出てきませんし、ダンサーとファンティーヌの職業であるお針子や女工とでは社会的立場が異なりますが、少なくとも、1821年のオペラ座ダンス部門の規則書で触れられている女性ひとり親、という状況は共通しています。

フランス北部のモントルイユ=シュル=メールという町で生まれたファンティーヌは、15歳の時に首都パリにやってきてお針子として働くなか、うだつの上がらないボンクラ学生、トロミエスの恋人となります。トロミエスはある時、何の予告もなしに彼の故郷、トゥールーズに帰ってしまい音信不通となりますが、ファンティーヌはその時すでに妊娠していました。そのため、彼女は正式な婚姻関係を結ばないまま、子どもを持つことになります。

妊娠から出産にかけての時期のファンティーヌがどのように過ごしていたのか、仕事はどうなったのか、ユゴーの小説には詳しい説明がありません。しかし、さすがに産前・産後の期間は働けなかったでしょうし、彼女はトロミエスとの関係にはまっていたころに、仕事を「軽蔑するようになって、仕事口をなおざりにした」ようなので、出産する前には、すでに収入が不安定か、貯蓄がない状況だったことが考えられます。それでも彼女は、身の回りのものを売り、負債を払って何とか80フランを手元に残しますが、この額ではパリでふた月はもたない、というところ。

そのため、生まれた娘のコゼットが3歳になるころ、ファンティーヌは仕事を見つけるために故郷に向かい、その途中、パリ北西のモンフェルメイユで飲食店兼旅籠を営んでいたテナルディエ夫妻と偶然出逢います。夫妻にコゼットと同じ年頃の子どもたちがいることを知ったファンティーヌは、夫妻に子供を預けて、自らはモントルイユ=シュル=メールでの仕事でお金を作ることを決意。それが彼女の第2の悲劇の始まりでした。

待ち続けているわ、あの人の帰りを・・・

故郷で働き始めたファンティーヌは、父親不在で生まれた子どもがいることを、周囲に隠します。しかし仕事先の工場を経営していたマドレーヌ氏(じつはジャン・ヴァルジャン)の方針で、仕事場は風俗の乱れに厳しい状態でした。そもそもファンティーヌが「過ちを犯した」と言うように、父親と正式な婚姻関係にない女性は、当時としては歓迎できないものだったでしょう。子どもがいることを知られ、工場を解雇されたファンティーヌは、まともな仕事にありつけずにひたすら堕ちていき、コゼットと再会できないまま死んでしまいます。

ファンティーヌの悲劇的な結末を踏まえると、オペラ座が妊娠・出産によって仕事を中断していた「未婚、あるいは夫と離別した女性」ダンサーに、半額でも給与を支払っていたことは、劇場がひとり親女性ダンサーの立場をかなり考慮していた、とも考えられます(この記述だけで判断することは不可能ですが)。そもそも、1821年のこの妊娠中の女性ダンサーに関する規則は、19世紀に作成された他のオペラ座の規則集と比べても非常に珍しいもので、他の時期の規則集では、類似の記述は出てきません。

その状況から200年が経った現代でもなお、働く女性が妊娠・出産を経た後に仕事に復帰するには、さまざまな障壁があります。安定しない雇用状況に置かれたダンサーの場合は、なおさらでしょう(大学の非常勤講師も同様なので、私も他人事とは全く思えません)。女性でも男性でも、それぞれの働く人の希望と選択が、お互いに融通しあいながら叶う世界になって欲しい、と強く思う今日このごろです。

★次回は2022年10月5日(水)更新予定です

参考資料

Archives Nationales. AJ/13/190, Académie Royale de Musique Personnel des artistes, employés et préposés de l’Académie Roy.le de Musique pendant l’année théâtrale 1833-1834.

Archives Nationales. AJ/13/1186, Règlement Danse. 1821.

Giroud, Vincent et Serre, Solveig (dir.) 2019. La Réglementation de l’Opéra de Paris 1669-2019 Édition des principaux textes normatifs. Paris, École des Chartes.

鹿島茂、2009。『新版 馬車が買いたい!』東京、白水社。

鹿島茂、2020。『職業別 パリ風俗』(新装版)東京、白水社。

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1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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