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【インタビュー】妊娠・出産、そして舞台復帰。“お母さんバレリーナ”中田実里(新国立劇場バレエ団)〜元の自分ではなく、今の自分の100%を目指したい

阿部さや子 Sayako ABE

2022年3月に行われた、新国立劇場バレエ団の2022/2023シーズンラインナップ発表会。その後に行われた吉田都舞踊芸術監督を囲む記者懇談会で、ダンサーの労働環境や待遇について質疑応答が交わされるひとコマがあった。
記者からの「産休・育休などの制度は?」との質問に、吉田監督は嬉しそうにこう答えた。
「お母さんバレリーナが舞台に戻ってくるんですよ」。
その“お母さんバレリーナ”が、新国立劇場バレエ団ファースト・アーティストの中田実里さんだ。

海外のバレエ団では、妊娠・出産を経て復帰するダンサーは少なくない。
日本のバレエ団でも、子どもを産み育てながら第一線で踊り続けているダンサーはもちろんいる。けれどもその数が多いとは決して言えず、むしろ妊娠をきっかけにバレエ団を去るダンサーや、第一線からは退くダンサーのほうが多いだろう。
さらに言えば、「踊り続けたかったから子どもは諦めた」と話すダンサーにも、これまで幾人も出会ってきた。

そのような現状において、中田さんのケースは大切な一歩であり、日本のバレエ環境を考える上で重要な視点を与えてくれる。
2022年5月『シンデレラ』公演で舞台復帰を果たした中田さんに話を聞いた。

中田実里(なかだ・みさと)
6歳より江川ひろみバレエアートスタジオにてバレエを始める。12歳で牧阿佐美バレヱ団AMスチューデント合格。筑波大学入学を機に池亀典保に師事。同年よりロシア国立ワガノワ・バレエ学校へ留学。同大学卒業と同時に新国立劇場バレエ団に入団。現在ファースト・アーティスト。

***

妊娠・出産を決断するまで

ご出産、そして舞台復帰おめでとうございます!
中田 ありがとうございます!
じつは前回中田さんにインタビューさせていただいた時、取材終了後に「いま妊娠中で、これからしばらく舞台をお休みするんです」とお話ししてくださいました。いまこうして無事出産し、みごと舞台復帰した中田さんに再びお話を聞けるのが本当に嬉しいのですが、まずは率直に、久しぶりに舞台に立ってどう感じましたか?
中田 もう、言葉には言い表せない気持ちになりました。お客様の前に立つという意味では5月の『シンデレラ』が復帰公演になったのですが、舞台そのものに産後初めて立ったのは、その前の2月に上演予定だった「吉田都セレクション」の舞台稽古の時でした。機材が並び、照明が入った舞台を袖幕の中から見た瞬間……「この場所にまた戻ってくることができたんだ」って、胸がいっぱいになってしまいました。そして涙を目にためたまま、ステージに出て行ったのを覚えています。公演は残念ながら開幕直前にコロナの影響で中止になってしまいましたけれど、あの舞台稽古の時の感慨と、その後の『シンデレラ』でついにお客様の前で踊れた時の嬉しさは、忘れられません。

舞台復帰となった2022年5月『シンデレラ』でマズルカを踊る中田さん 撮影:瀬戸秀美

産前はいつまで舞台に立ち、いつから産休に入ったのですか?
中田 子どもが生まれたのは2021年7月だったのですが、レッスンに関しては、出産日の3日前までバレエ団でクラスを受けていました(笑)。もちろんピルエットやジャンプはできないので、バー・レッスンと軽い筋トレを少し、くらいでしたけれど。舞台のほうは、2021年2月の『眠れる森の美女』まで。いわゆる立ち役での出演でした。私たちのお給料は公演にキャスティングされることで発生する仕組みなので、踊れなくても立ち役で出演させていただけたのはとてもありがたかったです。
さらに時間を遡りますが、中田さんはもともと子どもを産みたいという思いを持っていたのでしょうか?
中田 はい、それはずっと持っていました。自分自身が子どもだった頃から「子どものいない人生」は考えたことがなかったし、むしろバレエダンサーを職業に選んだ時に迷ったのもそこなんです。バレエダンサーが現役で踊れる年齢と、女性が子どもを産める年齢って、ほぼ重なっていますよね。ヨーロッパのカンパニーのように制度が整っていれば違う考え方ができたかもしれませんが、少なくとも私がこの劇場に入った時点では、「妊娠・出産をしたら、もうここに戻ってくることはできなくなる」と思っていましたし、実際のところそれが現実でもありました。だからずっと葛藤していたんです。「踊りたい。でも子どもがほしい。でもやっぱり踊りたい……」って。
長年にわたる葛藤を乗り越えての決断、それを後押ししてくれたものは?
中田 じつは2020年の6月に上演予定だった『不思議の国のアリス』をひとつの区切りにして、それが終わったらバレエよりも「子を持つこと」のほうに気持ちを切り替えようと考えていました。それが大原前監督の任期最後の演目でもありましたし、私は「料理女」という大切な役をいただいてもいたので、そこで自分の思うように踊りきって、区切りをつけようと。結局その公演はコロナのために流れてしまいましたし、吉田都芸術監督が就任されてからバレエ団がより充実してきてもいたので、また少し気持ちの整理がつかなくなった部分はあったのですが、でも子どもは授かりもの。これはもうタイミングに任せようと考えるようになりました。年齢的に高齢出産と言われる段階に入ってきたことも大きかったです。
妊娠をバレエ団や吉田監督に伝えた時にはどのような反応がありましたか?
中田 吉田監督は「おめでとうございます」と言ってくださいました。ただ、私自身の中にはまだ「これで踊れなくなるのかもしれない」という葛藤があったので、それも監督にお伝えしたんです。「もしこれでバレエ団に戻れなくなったら、すごく悲しいです」と。確かに妊娠・出産は女性ダンサーの身体に大きなリスクがあるかもしれないけれど、ダンサーであれば誰でも、復帰まで1年かかるような大怪我や故障をするリスクを抱えています。そういう怪我と出産の何が違うのでしょうか?と。吉田監督は英国ロイヤルバレエ時代に女性ダンサーたちが産休・育休を経て復帰するケースをたくさん見ていらっしゃるので、「そうよね……」と理解を示してくださいました。

私のいちばんの希望は、出産のために数ヵ月バレエ団に所属したまま休ませてほしい、ということでした。これについては、本当に何度もバレエ団サイドと話し合いました。最終的には、やはりお休みの間はバレエ団に名前を登録しておいて、次のシーズンから復帰する契約を結ぶというかたちになりましたが、ありがたかったのは、バレエ団側が私の主張をシャットアウトせず、真摯にヒアリングしてくれたことです。産休・育休のような制度が未だ整備されていないのは今後の重要な課題ではないかと思いますけれど、それでもバレエ団が私のケースにきちんと向き合い、最良の道を一緒に探してくれたことに、心から感謝しています。

そうした迷いや葛藤の日々を経て、ついに念願の赤ちゃんを腕に抱いた時は、どんなふうに感じましたか?
中田 「生まれてきてくれてありがとう」「お母さんにしてくれてありがとう」と思ったとか、感動して涙が出たとか、そういう体験談をよく聞きますよね。でも私の場合はそんな感じではなく、「ああ、生まれた」と(笑)。分娩にまる1日以上かかり、陣痛もずいぶん長かったからでしょうか。わりと冷静に「おお〜、お猿さんみたい」って思いました(笑)。感動とか感謝の気持ちはむしろ日が経つほどに込み上げてきていて、今は毎日のように「生まれてきてくれてありがとう」と思います。

2018年『不思議の国のアリス』のバレエ団初演で料理女を演じた中田さん。パワフルで振り切った演技が好評を博した
Alice’s Adventures in Wonderland© by Christopher Wheeldon
撮影:鹿摩隆司

舞台に復帰! 変化した身体と向き合いながら

先ほど「最後にレッスンをしてから3日後に出産した」というお話がありましたが、産後はいつ頃からレッスンを再開したのですか?
中田 当初の自分の意思としては、3ヵ月後の10月からバレエ団に復帰したいと考えていました。なので、まずは9月頃から自宅で自主練習を開始。バレエ団に戻った時、みんなに「子どもを産む前と全然変わらないじゃないですか!」って言われたいなと思っていたんです(笑)。でも、ちょうどその頃にまたコロナの感染者がまたぐんぐん増えてきてしまったのと、自分のワクチン接種のタイミングなども鑑みた結果、結局バレエ団への復帰は11月からになりました。
出産を経験した女性ダンサーに取材をすると、みなさん多かれ少なかれ、産後の身体の変化に戸惑い、苦労したとおっしゃいます。中田さんの場合はどうでしたか?
中田 やはり大変でしたね。身体がかなり変わってしまったので。まず柔軟性がなくなり、全身がすごく硬くなりました。そして身体は硬いのに、コアの筋力は逆に緩くなってしまった。例えばピルエットを回るにしても芯がまとまらず、身体がすごく外側に振られている感じがするんです。あるいは脚を高く上げていてグラッとした時、以前なら「おっとっと!」と自力で体勢を立て直せていたのに、脚をいちど下さなくてはいけないくらいバランスを崩してしまう。そのくらい、身体の中心で支える力が弱くなってしまいました。

柔軟性に関しては、例えば第1ポジションにターンアウトして立つことは難なくできるんですよ。でも脚を前後左右に開いたり、グラン・バットマンしたりすると、骨と骨がぶつかり合うような、あるいは脚がちぎれるような痛みが走る。背中を反りたくても、天井を見上げるのが精一杯。その硬さはもう、子どもの時にバレエを習い始めたばかりの頃以上で……これまでの人生でここまで身体が硬かったことはないな、というレベルでした。

それほど変化するんですね……。
中田 地元の先輩方から「出産したら身体が柔らかくなるし、骨格の歪みとかも見直すいい機会になるよ」と聞いていたのもあって、これはまったくの想定外でした。今は出産から10ヵ月ほど経ったところですけれど(編集部注:取材は5月中旬)、妊娠前の柔軟性が100だとしたら、まだその100%のところまでは戻っていない状態です。
そのように身体が変わってしまったことに、焦ったり不安になったりはしませんでしたか?
中田 最初のほうは、「まあ仕方がないのかな」という気持ちのほうが強かったです。例えば夏休み明けのレッスンでも身体が硬かったり筋肉痛になったりしていたし、1〜2週間もすればだんだん元に戻ってくるんじゃないかな?と。ところが、1ヵ月経っても2ヵ月経っても柔軟性が戻ってこない。第1ポジションには難なく立てても、そこから深くグラン・プリエしようとすると、これまで感じたことのない痛みが走る。ピラティスとかジャイロキネシスのオンライン指導なども受けつつ毎日1〜2時間かけてストレッチしたりもしていたのですが、なかなか改善しないし子どもは泣くし……しだいに「どうしよう? 秋には復帰して12月の舞台に立ちたいとか言っていたけれど、ちょっと厳しいのかもしれないな」と思うようになりました。
今年3月に行われた新国立劇場2022/2023シーズンラインアップ説明会後の記者懇談会で、吉田監督が「お母さんバレリーナが戻ってくる」と中田さんのことに触れ、「私としては、ダンサーが子どもを産んでもちゃんと戻ってこられるようにしたい」と話していました。しかし同時に「ダンサーが妊娠・出産を経てもキャリアを続けるかどうかは本人のやる気次第。子ども産んで戻ってきて、ちゃんと子育てもしながら舞台の穴を開けずにできるかどうか。そしてもちろんダンサーとしてのレベルを保てているかにもよります」ともおっしゃったのを聞いて、ハッとしました。つまり私たちのような一般企業の社員であれば、子育て中で100%フルに仕事ができない同僚を周りがカバーすることもできるけれど、ダンサーはそうはいかないのだと。産後であろうと赤ちゃんがいようと容赦なく、自分自身がレベルを保てなければ舞台には立てない。そういう厳しさがあるのだと。
中田 確かにその厳しさはあると思います。しかもダンサーである以上、どこまでも上を目指して自分を磨き続けるのは当たり前で、出産後はそこにプラスして、柔軟性とか筋力とか失ったものを取り戻す努力も必要になってくる。それで私も最初のうちは本当に必死でしたけれど、10ヵ月ほど経った今は、少し違う考えが生まれてきています。当初、私は「元どおりの自分」に戻ることを第一の目標にしていました。でも、もしかしたら、今の自分の100%を目指してもいいんじゃないかな?と。以前の自分軸ではなく、今の自分軸で踊りを磨き、表現を追求する。もちろんその結果は吉田監督やお客様に判断していただくことですけれど、最近はそんな気持ちでバレエと向き合っています。
いい言葉ですね。「以前の自分」を目指すのではなく、「今の自分」で100%を追求するのだと。
中田 出産によって身体が変わったことは大変でしたけれど、ポジティブに変化したこともあります。それは、心に少し余裕ができたこと。以前はただ「バレエだけをがんばらなきゃ!」と、ともすると視野がギューッと狭くなりがちだったと思うんですね。でも今は、「子どもを育てて、家族も守って、その上で私はダンサーとして輝きたい」と、自分の人生を柔らかく捉えられるようになった気がします。そしてありがたいことに、私はバレエ団初の「出産して復帰したバレリーナ」にしていただきました。だから今後は、同じように子どもを望むダンサーが出てきた時、私のケースがひとつの道筋になるように、これからもしっかり仕事をしていかなくてはとも思っています。
子育てや家庭の仕事とダンサーの仕事。両立のために工夫していることはありますか?
中田 私の場合はもう、夫や家族の協力体制のおかげです。とくに夫とは出産前からよく話し合って、「子どもの親は私とあなた。私が中心に子育てしてあなたがそれを手伝う、ではなくて、同等の立場で子育てしてほしい」と約束していたんですね。実際彼は子どもの世話を最優先に考えてくれますし、彼の両親も私たちに100%協力してくれています。私は夜や土日祝日に本番ということが多いので、こうした周りのサポートなしに復帰は難しかったと思います。
中田さんのように子どもを望むダンサーが、出産もキャリアも諦めずに済むためには、今後どのような制度やサポートが整っていくといいなと思いますか?
中田 いろいろありますけれど、まずは何よりも雇用が保障されること、産休・育休制度が整うことが第一の希望です。子どもを持つのも、踊りたいだけ踊り続けるのも、個々人の選択。つらいのは、選択肢がないことだと思うんですね。ここで踊り続けたければ子どもは諦めるしかない。子どもがほしければキャリアを犠牲にするしかない――そうではなくて、子どもを産みたければ産めるし、復帰したければちゃんと戻る場所がある。その保障があれば、例えば私の場合だったらもう少し若いうちに妊娠・出産ができたかもしれないし、身体的な負担も楽だったかもしれない……と思います。また、私たちは舞台に出演することに対して給料が支払われるという契約で、雇用保険等もないので、出産や育児のために休んでいる間は完全に収入がゼロになってしまいます。これも私たちダンサーにとっては大きな問題です。
あとは、出産後の身体のケアやトレーニングを指導してもらえるようなスタッフさんが劇場にいらっしゃると、復帰はずいぶんスムーズになるだろうと思います。
最後にひとつ。この6月の『不思議の国のアリス』では、再び「料理女」の役を任されましたね! 妊娠される前に「これで区切りをつけよう」と思っていたほど、中田さんにとって大切な役ですね。
中田 そうですね。また演じることができて、本当に嬉しいです。料理女は包丁をぶんぶん振り回してひたすらクレイジーなのですが、時々キュートでお茶目な表情も見せるキャラクター。前回と同じように踊るのではなく、お母さんになった新しい自分で、パッション全開で演じたいと思います!

2022年6月公演『不思議の国のアリス』で再び料理女を演じた中田さん。舞台セットの小窓から顔を出し、エンジンをふかすかのように包丁を研ぐ登場シーン……そこから一気にエネルギー爆発! 賑やかなだけではないメリハリの効いた演技、第3幕の芝居の細かさと愛らしさ。そしてカーテンコール、拍手喝采に沸く客席を仰ぎ見た中田さんの充実の表情が心に残る
Alice’s Adventures in Wonderland© by Christopher Wheeldon
撮影:長谷川清徳

公演情報

新国立劇場バレエ団『不思議の国のアリス』群馬公演

日時

2022年6月18日(土)14:00/19日(日)14:00

会場

高崎芸術劇場 大劇場(群馬県)

詳細 高崎芸術劇場WEBサイト

 

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