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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第48回〉エドガー・ドガが描き続けた、オペラ座バレエの舞台裏

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのための、マニアックすぎる連載をお届けします。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

気候が良くなり出かけやすくなる5・6月。フランスでもこの季節は、爽やかな初夏の風が吹き、公園には色とりどりの花が見られる時期です。フットワークが軽くなると、バレエ公演だけでなく、ちょっとしたお出かけも楽しくなりますね。パリに留学していた時代、ザ・出不精の私が一番活発に外を出歩いていたのも、この時期でした。よく足を伸ばしたのは、ルーヴル美術館やオルセー美術館などの、大きな展覧会が催される美術館。夏のバカンスを前に観光客が落ち着いている時期でもあり、意外とゆったり過ごすことができたのを思い出します。

さて、オペラ座バレエにゆかりのある画家の中で、ぶっちぎりの知名度と縁の深さを誇るのが、19世紀後半のフランスで活躍した画家、エドガー・ドガです。マネやモネなど、印象派を代表する画家たちと並んで人気が高く、作品のファンという方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、ドガとオペラ座バレエとの関わりについて、彼の代表作とともにご紹介します。

バレエ画家の生涯

エドガー・ドガは1834年にパリで生まれ、同じくパリで1917年に生涯を閉じました。銀行家の父親のもと、ドガは文化的に洗練されたブルジョワ家庭で育ちます。学業も順調で、高校はパリの名門高校の一つであるルイ=ル=グラン校に。彼はここで、絵画への道を拓いてくれたレオン・コニエ(1794–1880)や、後にオペラ作品の台本作家として知られるようになるリュドヴィク・アレヴィ(1834–1908)らと親しくなりました。

エドガー・ドガ Edgar Degas(1834-1917)

当初、ドガは父親の希望を満たすために、パリ大学の法学部に進学しますが、次第にフランス国立図書館の版画部門やルーヴル美術館に頻繁に通うようになり、様々な作品を模写するようになりました。ドガが学業を放置していることを許さなかった父親とは関係が断絶してしまいますが、未来の巨匠は1855年に、フランス屈指の名門美術学校である国立美術学校に入学します。

同時期に活躍した印象派の画家たちが、自然の多い田舎や郊外での活動に向かったのに対し、ドガは都会の生活風景を多く描きました。1870年以降は目の病気を患ったこともあり、彼は明るい屋外での制作活動を避けるようになります。その代わりに、ドガの関心は都市の室内空間へ向かいました。

そんなドガにとって、オペラ座の舞台裏は格好の題材でした。舞台上で展開される華やかな世界はもちろんですが、室内という限られた空間での人間模様に興味を持ったドガにとって、舞台裏やリハーサル室でのダンサーたちの様子は、表舞台での「ダンサー」としての表情とは異なる、人間らしい一面を見せるものでした。ドガは親しくしていたオーケストラ奏者なども描いていますが、彼がオペラ座バレエに寄せた情熱は、同時代の画家中でも特に際立っています。

代表作たち

こうしたダンサーの普段の姿は、誰もが見られたわけではなく、オペラ座の上流顧客である「アボネ」などの限られた観客層しか、容易にはアクセスできません。ドガはそのアクセス権を得ていた一人でした。

彼はパレ・ガルニエ時代のオペラ座バレエも描いていますが、それ以前にオペラ座が本拠地としていた、ペルティエ通りの劇場での様子を描いた作品も多く残っています。とくに親しまれているのが、オルセー美術館が所蔵する「ダンスの稽古」(1873〜76年)です。絵の中でダンサーたちを指導しているのは、《ジゼル》の振付家として知られるジュール・ペロー。また、同じくオルセー美術館が所蔵する「ペルティエ通りのオペラ座のフォワイエ・ド・ラ・ダンス」(1872年)でも、当時のオペラ座バレエでメートル・ド・バレエを勤めていたルイ・メラントの指導のもとで、ダンサーたちが稽古をする様子が描かれています。

エドガー・ドガ「ダンスの稽古」

バレエやオペラ作品の一場面を描いた作品もあります。ロマンティック・バレエが生まれるきっかけとなった、《悪魔のロベール》第3幕のバレエシーンを描いた作品はとくに有名(1876年)。舞台リハーサルや、公演中のワンシーンを切り取ったような作品も多く、これらの作品から、ドガがいかに頻繁にオペラ座に出入りしていたかがよくわかります。オペラ座に関するこうしたドガの作品を集め、2019年にはオルセー美術館で特別展覧会が開催されています。

エドガー・ドガが描いた「悪魔のロベール」のバレエシーン

「14歳の小さな踊り子」

彫像作品の「14歳の小さな踊り子」(1878〜81年)は、ドガの作品の中でもおそらく最も広く知られている作品の一つです。腕を後ろに回し、斜め前方を見上げるような視線で、右足を前に出したポーズをとっているこの作品、木綿のチュチュとコルセットを身につけ、今にもため息をついてこちらを見てきそうな顔立ちは、明らかに子どものもの。モデルとなったのは、当時、実際にオペラ座バレエ学校に在籍していた生徒のマリー・ヴァン=ゴーテム(1865–?)です。

エドガー・ドガ「14歳の小さな踊り子」

マリー・ヴァン=ゴーテムはベルギーからの貧しい移民一家の娘で、彼女には同じくバレエ学校に通っていた姉アントワネットと、妹のルイーズ=ジョゼフィーヌ(別名シャルロット)がいました。妹はオペラ座バレエで長年踊った後にバレエの教師になったため、3姉妹の中では、最も才能と運があったといえます。一方のマリーは、1880年初演のバレエ《ラ・コリガーヌ》でオペラ座デビューするものの、バレエ団の稽古を欠席することが多くなり、最終的には解雇されました。

解雇の具体的な理由は不明ですが、当時のオペラ座バレエの最下級クラスのダンサーは、一日あたり10〜12時間のハードワークが当たり前。また、怪我などをしてもケアしてもらえる環境にはありませんでした。マリーがもともとルーズな性格の持ち主だった、ということも考えられますが、体力面や健康面にも何らかの理由があったのかもしれません。解雇の前には、マリーと姉アントワネットが、当時の若い女性には到底似つかわしくない居酒屋に出入りしているという新聞記事も出ていました。オペラ座解雇後のマリーがどうなったのかは、現在でもよくわかっていません。一方、アントワネットはマリーの解雇前に、居酒屋の客からお金を盗んだ罪で逮捕されています。

19世紀のオペラ座バレエで踊っていた大半のダンサーたちが、恵まれない社会階層の出身であることは、以前の連載でもご紹介しました。報酬額は安く、生活は厳しく、パトロンとなる男性の庇護を求めざるを得ないほど、生きていくのに必要なお金を得るために誰もが必死な状況。マリーも1870年代半ばから姉アントワネットとともに、ドガの絵画モデルをたびたびしていたと考えられています。これはおそらく母親の仲介だったと考えられており、貧しい生活を少しでも切り抜けるためのお小遣い稼ぎとして始めた仕事だったのでしょう。そんなマリーの姿は、「14歳の小さな踊り子」だけでなく、上述の「ダンスの稽古」にも描かれているそう。2003年には、パトリス・バールによる振付のバレエ作品にもなり、オペラ座で初演されました。

ドガが描くオペラ座バレエのダンサーたちの中には、華やかな笑顔も見られますが、どちらかといえば無表情だったり、少しやつれ気味だったりします。しかしそれは、ドガの目がとらえた、ダンサーたちのそのままの姿だったのでしょう。バレエに、オペラ座に関心を寄せ続けたドガのおかげで、私たちは19世紀のオペラ座バレエの舞台裏を現在でも知ることができるのです。

参考資料

Laurens, Camille. 2017. La petite danseuse de quatorze ans. Paris, Edition Gallimard.

Musée d’Orsay / RMN -Grand Palais. 2019. Degas à l’Opéra. Paris, Réunion des musées nationaux – Grand Palais.

永井玉藻、2023。『バレエ伴奏者の歴史 19世紀パリ・オペラ座と現代、舞台裏で働く人々』東京、音楽之友社。

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バレエにおいて、ダンスと音楽という別々の芸術形態をつなぐために極めて重要な役割を果たしている存在、それがバレエ伴奏者。その職業が成立しはじめた19世紀パリ・オペラ座のバレエ伴奏者たちの活動や役割を明らかにしながら、華やかな舞台の“影の立役者”の歴史をたどります。

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1984年生まれ。パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。専門は西洋音楽史、舞踊史。現在、音楽と舞踊動作の関係をテーマとした研究を行うほか、慶應義塾大学、白百合女子大学他で非常勤講師を勤めている。

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