文/海野 敏(舞踊評論家)
第52回 トス・アンド・キャッチ
■軽く投げ上げる動き
今回は、男性が女性の身体を軽く放り上げ、すぐに受け止める動きです。該当する専門用語はなさそうなので、「トス・アンド・キャッチ」(toss and catch)と名付けました。前回のダイヴ・アンド・キャッチほどの派手さはありませんが、やはりスリルを感じさせるテクニックです。
団体スポーツとして人気にのある「チアリーディング」には、数人で1人を高く放り上げる「トス」という技があります。その代表である「バスケット・トス」は、投げ上げられた人(トップ・パーソン)が床から4~5メートルの高さにまで達し、チアリーディングの見せ場となっています。
いっぽう、今回紹介するバレエの「トス」は、それほど女性を高く投げ上げることはしません(注1)。それどころか、放り上げると言うより一瞬手を離すだけと言ったほうがよい場合も少なくありません。それでも、ただリフトするのではなく、男性が持ち上げた女性の身体から両手を離す瞬間があると、見ていてハッとさせられて、鑑賞時のスリルは倍増します。
トスされるときの女性のポーズはさまざまです。例えば、身体を真っ直ぐ垂直にしたり、アラベスクなどバレエらしいポーズにしたり、いろいろなパターンがあります。では、古典全幕作品のパ・ド・ドゥから具体例を紹介しましょう。
■ハイ・リフトでのトス・アンド・キャッチ
『ドン・キホーテ』第1幕の後半、いったん広場を離れたキトリとバジルが戻って来て踊るパ・ド・ドゥでは、小さなトス・アンド・キャッチがしばしば披露されます。第39回「跳躍を見せるリフト(2)」で紹介済みの場面ですが、アダージオ中盤、グラン・パ・ド・シャのような動作をするキトリをバジルが高く3回リフトしながら広場を周回するとき、ハイ・リフト(第35回)の頂点でバジルはキトリの腰から両手を一瞬離すことがあります。男性の両手が女性の腰から離れれば離れるほどスリルが増す場面です。
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- 香港バレエ『ドン・キホーテ』第1幕より、街の人々に囲まれて踊るパ・ド・ドゥです。グラン・パ・ド・シャのような動きをするキトリを高々とリフトするバジル、その手が一瞬パッと離れるようすを27分55秒から見ることができます。
『ドン・キホーテ』第3幕、クライマックスのグラン・パ・ド・ドゥでも、リフトと小さなトス・アンド・キャッチの組み合わせが見られます。アダージオ中盤の音楽が盛り上がるところで、男性が女性を頭上高く持ち上げるアラベスク・リフト(第34回)から、シンバルの「ジャーン」という音と同時に女性を一気に下ろしてフィッシュ・ダイヴ(第37回)へつなげるのですが、女性を下ろす直前に小さく上へトスをすることが多いです。ただ下ろすよりも小さなトスを入れるほうが演技しやすいという技術上の理由もありそうですが、トスを入れることで華やかさが加わります。
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- 『ドン・キホーテ』第3幕のグラン・パ・ド・ドゥの映像です。キトリをタチアナ・メルニク、バジルをダニール・シムキンが演じています。一連のシークエンスは、5分55秒から。こちらの映像では、男性がトスをしているのがはっきりと分かります。
『エスメラルダ』第2幕に登場する「ディアナとアクティオンのパ・ド・ドゥ」は、ガラ公演などでパ・ド・ドゥのみ踊られる機会の多い演目で、第49回「サポート付きパンシェ(2)」と第50回「フォール~倒れ込む動き」で例に挙げました。そのコーダに、小さなトス・アンド・キャッチが入ることがあります。コーダ終盤、ディアナによるグラン・フェッテ連続回転(第1・2回)の後、アクティオンは左右に移動しながらディアナの腰を支えて頭上高くリフトし、ディアナは空中で両脚を前後に勢いよく開きます。このリフトの頂点で、アクティオンがディアナの腰から両手を一瞬離す場合があります。
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- ヨランダ・コレアとヨエル・カレーニョによる「ディアナとアクティオンのパ・ド・ドゥ」の映像です。9分23秒から、グラン・フェッテに続いてトス・アンド・キャッチを見ることができます。
■『眠れる森の美女』のトス・アンド・キャッチ
『眠れる森の美女』第3幕のグラン・パ・ド・ドゥでは、アダージオの最後に小さなトスが入ります。第43回「サポート付き回転(2)」で紹介しましたが、このアダージオのフィニッシュは、舞台中央でオーロラ姫が王子にサポートされてピルエット・アン・ドゥオール連続回転をし、最後にフィッシュ・ダイヴのポーズを決めるという流れが定番です。
この流れを詳しく説明すると、ピルエット連続回転の後、女性は第5ポジションでプリエ(両膝を曲げる動き)をして垂直上へジャンプします。この時、男性は女性の両腰に手を添えてジャンプをサポートし、頂点で小さくトスをして両手を一瞬放し、すぐに両腕で(または片腕で)女性の下半身をしっかり抱きかかえます。そしてそのまま女性の身体を横倒しして、フィッシュ・ダイヴのポーズを作ります。
見逃されがちなトス・アンド・キャッチですが、オーロラ姫が一瞬ふわりと天上へ舞い上がるような動きがはさまり、彼女の頭が脚より低くなるフィッシュ・ダイヴのポーズを印象づけるアクセントになっていると思います。
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- イングリッシュ・ナショナル・バレエの『眠れる森の美女』の紹介映像です。タマラ・ロホがオーロラ姫を、ワディム・ムンタギロフが王子を演じています。一連のシークエンスは2分30秒から。
■20世紀作品のトス・アンド・キャッチ
グレアム・マーフィーがオーストラリア・バレエのために制作した『くるみ割り人形』(1992年初演)は、年老いた元バレリーナを主人公にしたユニークな作品です。第1幕後半、若い頃の主人公とくるみ割りの王子との最初のパ・ド・ドゥ中盤には、男性が女性を「お姫様抱っこ」したポーズからトスして、キャッチした瞬間に女性が手足を伸ばしてアラベスクのポーズになるシークエンスがあります。さらにその後、仰向けで水平に身体を伸ばした女性を男性が両腕で支えてからトスし、くるっと1回転させてキャッチするシークエンスもあります。このパ・ド・ドゥに限らず、マーフィー版『くるみ割り人形』は、ダイナミックで迫力のある動きをたっぷり楽しむことができる振付です。
ジョン・クランコがシュツットガルト・バレエのために制作した『ロミオとジュリエット』(1962年初演)も、勢いのある大胆な動きがパ・ド・ドゥに詰め込まれています。第1幕最後の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」中盤では、ロミオがジュリエットを追いかけるように走り、ジュリエットがグラン・ジュテをした瞬間に身体を抱き上げ、そのままトスして1回転させてキャッチし、さらにフィッシュ・ダイヴのポーズへ至るシークエンスが2回繰り返されます。2人のパッションがほとばしるような激しい動きの連続です(注2)。
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- ベルリン国立バレエによるジョン・クランコ版『ロミオとジュリエット』の紹介映像です。こちらはリハーサルの様子を撮影したもので、21秒から一連のシークエンスを見ることができます。
(注1)今回紹介するパ・ド・ドゥの「トス」ではありませんが、『ドン・キホーテ』第1幕では、バルセロナの街の男性たちがサンチョ・パンサをからかって、彼を空中高く胴上げするという定番の演出があります。大きな布の上を使ってトスする演出が多いですが、チアリーディングのバスケット・トスと同じく、徒手で投げ上げて受け止める演出もあります。
(注2)ジョン・クランコの同僚であり友人でもあったケネス・マクミランは、振付手法に関してクランコから多くの影響を受けています。マクミラン振付の『ロミオとジュリエット』や『マノン』にも「トス・アンド・キャッチ」が登場しますが、マクミラン作品のパ・ド・ドゥのテクニックについては、次々回(第54回)にまとめて詳しく解説する予定です。
(発行日:2023年11月25日)
次回は…
第53回も引き続き、専門用語はないけれどパワフルで目立つ動きです。男性が女性の身体を振り回す動きで、「スウィング」と名付けました。発行予定日は2023年12月25日です。
- 【鑑賞のためのバレエ・テクニック大研究!-総目次】
- http://bibliognost.net/umino/ballet_tech_contents.html
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