文/海野 敏(舞踊評論家)
第50回 フォール~倒れ込む動き~
■名前のない動き
この連載も、読者の皆様のお蔭をもちまして、50回目の区切りを迎えることができました。お読みいただいている皆様に、改めて感謝申し上げます。
さて、これまでクラシック・バレエのさまざまなテクニックを、バレエ界で使われている専門用語を使って紹介してまいりました。クラシック・バレエは数百年の歴史を経て、無数のポーズ(姿勢)とムーヴメント(動作)を整理して名称を与え、機能的な動作体系ができあがっています(注1) 。それにもかかわらず、鑑賞していて印象深い動きなのに、専門的な名前が付けられていないものは少なくありません。
今回紹介する「男性に支えられて、女性が倒れ込んでゆく動き」 も、私が調べた限り専門用語が見つかりませんでした。そこで、以前から私は「フォール」または「フォーリング」と呼んでいます(注2) 。
パ・ド・ドゥのアダージオで、この動きはたいへん印象に残ります。なぜなら、バレエは基本的にバランスを常に保ちながら踊るダンスだからです。フォールでは、そのバランスを大きく崩します。第48 ・49 回に紹介した「パンシェ」もあえてバランスを崩す動きですが、フォールの崩し方はもっと徹底しています。女性がパートナーの男性に全体重を預けて倒れるので、ある種の「破調の美」が生じるのです。
倒れる方向はおもに2パターンで、背中向きのフォール と横向きのフォール があります。背中向きの場合は背中を大きく反らすことが多く、横向きの場合は全身をほぼ真っ直ぐにして倒れ込みます。男性のサポートは、両手の場合と片手の場合があります。それでは、今回も古典作品から具体的な場面を紹介しましょう。
■『白鳥の湖』のフォール
『白鳥の湖』 第2幕、オデットと王子が踊るパ・ド・ドゥのアダージオでは、序盤に、オデットは王子に腰を支えられながら背中向きに倒れます。このときオデットは、伸ばした両腕の手先が床に着きそうなぐらい背中を大きく反らして、アーチを作ります。揃えて伸ばした両脚の床からの仰角は30~45度ぐらいになります。この背中向きのフォールは、すぐにもう一度繰り返されます。
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新国立劇場バレエ団 『白鳥の湖』第2幕より。小野絢子 演じるオデットと、奥村康祐 演じるジークフリート王子のアダージオです。映像の冒頭から背中向きのフォールを見ることができます。パートナーを信じて身体を預けていくところから再びオン・バランスに戻ってくるまで、流れるようにコントロールされた見事な動きをご覧ください。
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また、このアダージオではフィニッシュ・ポーズの直前に、オデットが今度は横向きのフォールで、やはり仰角30~45度ぐらいまで倒れます。王子に全身を預け切ったオデットの姿には、王子への愛と信頼や、自分の身の上に対する悲しみが表出しています。この後、オデットがアラベスク・パンシェになるのが定番のフィニッシュ・ポーズですが(第48回 )、オデットが身体を真っ直ぐにして大きく傾いたままの状態をフィニッシュ・ポーズにする場合もあります。
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パリ・オペラ座バレエ 『白鳥の湖』より第2幕のアダージオ。オデットをドロテ・ジルベール 、ジークフリート王子をギヨーム・ディオップ が演じています。横向きのフォールは2分16秒から。
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英国ロイヤル・バレエが上演しているアンソニー・ダウエル版の『白鳥の湖』では、第3幕のオディール(黒鳥)と王子のアダージオにも、背中向きのフォールが登場します。中盤、オデットが宮殿の窓の外に姿を現す直前に、オディールが王子に腰を支えられながら倒れる振付が入っており、オデットとの対比で、オディールのふてぶてしさが強調されるように感じます。
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英国ロイヤル・バレエ 『白鳥の湖』より、第3幕。ゼナイダ・ヤノウスキー 演じるオディールと、ニーアマイア・キッシュ 演じるジークフリート王子のグラン・パ・ド・ドゥです。王子の腕へと大胆に倒れ込み、背中を大きくしなわせるフォールは3分50秒から。
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■古典 作品中の背中向きフォール
「ディアナとアクティオンのパ・ド・ドゥ」 は『エスメラルダ』の中の踊りですが、全幕で上演されるよりも、ガラ公演などでパ・ド・ドゥのみ踊られることが多い演目です。アダージオの中盤、ディアナは、両脚を伸ばしたポーズで背中向きに倒れて、大きく反ります。弓を手に持ったまま倒れる演出もあります。ただし、このフォールは横向き(クロワゼ)の場合もあります。
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ローザンヌ国際バレエコンクールの50周年を記念して開催された「スター・ガラ」の映像です。『ディアナとアクティオン』 のパ・ド・ドゥを踊っているのは、マルガリータ・フェルナンデス とアントニオ・カサリーニョ 。この映像ではスピード感あふれる横向きのフォールを2分34秒から見ることができます。
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『ライモンダ』 第1幕後半「夢の場」では、主人公ライモンダが夢の中で、婚約者ジャン・ド・ブリエンヌと踊ります。そのアダージオの前半にフォールが出現します。このフォールにも、振付によって背中向きと横向き(クロワゼ)があります。背中向きの場合は大きく反ります。横向きの場合は、女性が両手首を交差させて胸に当てるポーズで倒れることがあります。
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マリインスキー・バレエ 『ライモンダ』第1幕「夢の場」より。ヴィクトリア・テリョーシキナ 演じるライモンダとザンダー・パリッシュ 演じるジャン・ド・ブリエンヌのアダージオです。こちらの映像ではサムネイルにある手首を交差させたフォールのほかに、13秒から背中向きのロマンティックなフォールも見ることができます。
■古典作品中の横向きフォール
『ジゼル』 第1幕前半には、ジゼルが大勢の女性の友人たちと一緒に踊り、途中からジゼルに誘われたアルブレヒトも加わって踊る、明るく楽しそうな場面があります。この踊りの中盤、ジゼルがアルブレヒトに真っ直ぐ上へリフトされて、下ろされた後、軽く横向きに倒れ、すぐに反対側へも倒れる振付が出現します。1回目は仰角60~70度ぐらい、2回目はもっと浅い角度で、テンポよく右、左(または左、右)に傾く振付で、すぐ後に同じ旋律でもう1度繰り返すこともあります(注3) 。少し傾きながら、主役のふたりが幸せそうに見つめ合う演技を是非見逃さないで下さい。
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パリ・オペラ座バレエ 『ジゼル』より第1幕。ジゼルをアマンディーヌ・アルビッソン 、アルブレヒトをステファン・ビュリオン が演じています。こちらの映像では、片方のみに倒れる振付を冒頭から見ることができます。
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『コッペリア』 第1幕、「麦の穂のパ・ド・ドゥ」では、『ジゼル』第1幕と同じく、スワニルダが女性の友人たちの踊りに囲まれながら恋人のフランツと一緒に踊ります。いろいろなバージョンがありますが、パ・ド・ドゥの終盤に、スワニルダがフランツに腰を支えられて横向きに倒れ、一瞬ポーズして麦の穂を振る振付が多いと思います。
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スターダンサーズ・バレエ団 『コッペリア』の紹介映像より。渡辺恭子 演じるスワニルダと池田武志 演じるフランツの「麦の穂のパ・ド・ドゥ」です。一連の振付は4分17秒から。ダンサーたちの表情豊かな演技と共にお楽しみください。
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『ドン・キホーテ』 第3幕「キトリとバジルのグラン・パ・ド・ドゥ」のアダージオにも、横向きのフォールが入ることが多いです。中盤、演奏のテンポがゆっくりになってから、キトリがバジルに支えられてプロムナード(第46回 )で1周し、さらにサポート付きピルエット(第42回 )で連続回転した後、そのままバジルに腰を支えられて横向きに大きく倒れます。倒れる角度はダンサーによりますが、仰角25度ぐらいまで思い切り倒れるのを見たことがあります(注4) 。
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ウクライナ国立バレエ 『ドン・キホーテ』の全幕映像より。オリガ・ゴリッツァ 演じるキトリとニキータ・スハルコフ 演じるバジルのパ・ド・ドゥです。一連のシークエンスは、1時間33分59秒から見ることができます。
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(注1) ただし、クラシック・バレエの専門用語は世界共通ではなく、教えるメソッドや国の違いによって、細かい相違がたくさん存在しています。
(注2) 「傾いて寄りかかり、倒れ込む」 を英語でそれらしく翻訳すると、“to lean over and fall down”で、 実際にバレエ団等のリハーサル現場ではこの動きを「リーン」 と言っているケースも多いようですが、 筆者は日本人にとってよりわかりやすいように 「フォール」 としました。 もしもこの動きのバレエ用語をご存知の読者がいらっしゃったら、 是非編集部までお知らせ下さい。
(注3) この横向きのフォールは定番の振付だと思いますが、主人公が左右から見つめ合っても、ほとんど傾かない場合もあります。また、今回ロシア系のバレエ団で、この見つめ合う振付が入らない映像も見つけました。
(注4) ここは片手を上げたポーズでの横向きフォールが多いのですが、両手を上げたポーズで背中向きにフォールし、キトリが身体を反らせる振付もあります。
(発行日:2023年9月25日)
次回は…
第51回も専門用語のない動きです。女性が男性へ向かって跳び込み、男性が受け止める動きで、「ダイヴ・アンド・キャッチ」 と名付けて紹介します。発行予定日は2023年10月25日です。
【鑑賞のためのバレエ・テクニック大研究!-総目次】
http://bibliognost.net/umino/ballet_tech_contents.html
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