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【現地レポート】50年目の“ノイマイヤーとハンブルク・バレエ”を訪ねて〜〈ハンブルク・バレエ週間〉特別寄稿/長野由紀(舞踊評論家)

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第48回ハンブルク・バレエ週間「ジュビリー・ガラ」カーテンコールより。観客の喝采に応えるジョン・ノイマイヤー ©Kiran West

2023年の夏。私たちバレエファンが英国ロイヤル・バレエ日本公演に熱狂していたまさにその頃、ドイツ・ハンブルクでも、熱く、そして感動的な舞台が上演されていました。

現代バレエを切り拓いた振付家、ジョン・ノイマイヤーが1973年にハンブルク・バレエの芸術監督に就任してちょうど50年。その記念シーズンを締めくくる〈第48回ハンブルク・バレエ週間〉が、611日〜79日の4週間にわたり、ハンブルク歌劇場で開催されました。

第48回ハンブルク・バレエ週間「ジュビリー・ガラ」フィナーレのようす ©Kiran West

この特別な公演を観るためにドイツへと飛んだのは、舞踊評論家の長野由紀さん。鑑賞した4つの舞台のことや、現地で体感したことなどについての特別寄稿を、美しい写真と共にお楽しみください。

長野由紀さんが現地で観た公演のパンフレット等

文/長野由紀(舞踊評論家)

人というのは、同時に複数の場所にいることはできない。こればかりは、ほんとうにどうしようもない。というわけで、いまだ続いている英国ロイヤル・バレエの来日公演の、とりわけサラ・ラムとスティーヴン・マックレーの『ロミオとジュリエット』に後ろ髪を引かれるようにしながら羽田を発ったのが6月27日の夜。向かった先はハンブルクである。長らく芸術監督としてバレエ団を率いてきたジョン・ノイマイヤーが、もうすぐ退任する。来シーズンにもう1年留任することが発表されてはいるものの、やはり半世紀というのはインパクトのある数字であり、大きな節目。それに、本当に最後の年なんてチケットが取れるかどうか分からないではないか……というわけで、コロナ禍以来久しぶりに「バレエを観るためだけ」に海外に旅をした。4泊の予定のうち、手にしていたのは3公演分のチケットである。

ハンブルク歌劇場 ©️Yuki Nagano

『ニジンスキー』

到着し、まず観たのは『ニジンスキー』(6月28日)。ノイマイヤーが不世出の舞踊家ヴァスラフ・ニジンスキーに並々ならぬ関心を抱いてきたことは広く知られているとおりだが、本作はまさにその探究心と愛の結晶とも呼ぶべき傑作である。ダンサーとして演じた『薔薇の精』『ペトルーシュカ』など数々の名作、家族の記憶、ストラヴィンスキーの原曲を用いずして描き出す驚くべき『春の祭典』と時代を包む第一次世界大戦の脅威、作品の最初と最後に描かれる生涯最後の人前でのパフォーマンス『神との結婚』、そしてそれを見下ろすディアギレフの冷厳な幻……断片を思い浮かべるだけで胸が熱くなってくるほどだが、今回の私の最大の関心は、妻ロモラを初めて演じるアレッサンドラ・フェリだった(厳密には、前日が初役)。新たなチャレンジを止めない彼女の姿勢への驚嘆が半分、そしてこの年齢でという不安が半分というのが登場を待ちながらの正直な気持ちだったが、むしろ今だからこそ、踊り手の心身を抉るようなこの役を演じきれたというべきなのだろう。迫真の演技だった。

『ニジンスキー』写真前列左:アレッサンドラ・フェリ(ロモラ)、右:アレクサンドル・トルーシュ(ニジンスキー) ©Kiran West

二つの場面がとりわけ印象深い。
まず、第一幕の「船上のパ・ド・ドゥ」。アメリカ公演への途上、一等船客用のデッキで憧れのスターであるニジンスキー(アレクサンドル・トルーシュ)に思いがけず出会って舞い上がるロモラの、まさに頬を赤らめ飛び上がらんばかりの喜びようは、いまだ無垢なままの富豪のお嬢さんの趣き。ところがその背後に、牧神(カレン・アザチャン)があの象徴的な歩き方で忍び寄り彼女の腕に艶かしく舌を這わせると、みるみる欲望が頭をもたげてくる。その一瞬の変化は潔いほどで、これまでに観てきた他のダンサーたち(多くはないけれど)と比べてもひときわ鮮やかだった。音楽の面でも、第一幕を通してニジンスキーのロシア時代〜バレエ・リュス時代の世界観を構築する「シェエラザード」のメロディアスな魅力が、この場面で頂点に達する。

『ニジンスキー』写真左から:アレクサンドル・トルーシュ、アレッサンドラ・フェリ、カレン・アザチャン ©️Kiran West

二つ目は第二幕終盤近くの、「橇(そり)のパ・ド・ドゥ」。ロモラと結婚したことでニジンスキーはディアギレフの怒りを買ってバレエ団を解雇され、困窮と衰弱に陥っていく。錯乱したニジンスキーを無理やり橇に乗せとぼとぼと引いていくロモラの姿は、絶望を絵に描いたようだ。こんなはずではなかったのに。人生はチャールストンみたいに陽気なもののはずだったのに。業を煮やしたフェリ=ロモラはなんと、一度完全に袖に姿を消してしまう。彼女の独自の解釈なのだろう。それでもやはり見捨てられないと戻ってくると、愛憎のないまぜとなった感情の深さが際立ち、そこにニジンスキー自身の怯えが共鳴してーーというよりも、不協和音が増幅してーー耐え難いほどの辛さだった。

『ニジンスキー』アレッサンドラ・フェリ、アレクサンドル・トルーシュ ©️Kiran West

「ジュビリー・ガラ」

翌29日は「ジュビリー・ガラ」と銘打たれた、ジョン・ノイマイヤー財団のためのチャリティ公演。ノイマイヤーと縁の深いバレリーナたちのビデオ・メッセージが冒頭に紹介され、とりわけマリシア・ハイデが、ジョン・クランコの急逝後途方に暮れていた彼女のためにノイマイヤーが『椿姫』を作ろうと決めるまでのエピソードをしみじみと、ユーモアも交えて語ったのが心に染みた。

「ジュビリー・ガラ」よりフィナーレ ©️Kiran West

4時間に及ぶ公演の前半では、ノイマイヤーの芸術監督としての半世紀を振り返る特別編集映像(ハンブルク・バレエ初来日時の広島での献花の様子も含まれていたのが感慨深い)、彼の師であり20世紀前半のアメリカのモダン・ダンス界の重鎮だったシビル・シアラーのいくつかの作品の復刻(アレイズ・マルティネスによるソロ『O Lost』がとりわけ印象的)や貴重なビデオ・クリップの紹介も含む多彩な内容だったが、第一部最後の『作品100』は、まさしくそのハイライトと呼ぶにふさわしいものだった。一曲目の「旧友」はケヴィン・ヘイゲンとイヴァン・リスカ、二曲目の「明日に架ける橋」はアレクサンドル・リアブコとイヴァン・ウルバンと歴代のスター・ダンサーが一堂に会して、バレエ団の歴史を一気に駆け抜ける。しかもそれを同窓会的な和やかさだけに終わらせない格別の芸術性を、リアブコのキレのある動きが放っていた。

「ジュビリー・ガラ」より『作品100』写真左から、イヴァン・ウルバン、イヴァン・リスカ、ケヴィン・ヘイゲン、アレクサンドル・リアブコ ©️Kiran West

歴史と伝統を伝える前半から一転、後半はハンブルク・バレエ学校の生徒たちによる『ヨンダリング』抜粋、エドウィン・レヴァツォフ振付『レクイエム』と彼に対する第一回ジョン・ノイマイヤー振付賞の授賞式など、ノイマイヤーの徹底した未来志向の表明ともいうべき内容が中心だった。ゲストとしては前述「船上のパ・ド・ドゥ」をトルーシュ、アザチャンとともに三日続けて踊ったフェリの他にパリ・オペラ座のアマンディーヌ・アルビッソンとオドリック・べザールが『椿姫』第一幕のパ・ド・ドゥを披露、また『マタイ受難曲』抜粋の歌唱はクラウス・フロリアン・フォークトが務め、ノイマイヤーへのハンブルク州立歌劇場の名誉メンバー任命式が舞台上で行われるなど、本拠地の歌劇場ならではの趣向に彩られていた。

『椿姫』第1幕よりパ・ド・ドゥ アマンディーヌ・アルビッソン、オドリック・べザール ©️Kiran West

第1回ジョン・ノイマイヤー振付賞授賞式のようす。受賞したエドウィン・レヴァツォフ(写真右から2番目)と祝福するノイマイヤー(写真左から2番目)©️Kiran West

『マーラー交響曲第3番』

本拠地ならではということでは、翌30日の『マーラー交響曲第3番』でも様々に感じ入るところがあった。じつは予定していた中でこの公演だけは前売りも早々に完売、唯一チケットを入手できないまま来てしまったのだが、ボックス・オフィスに日参しても、「この日は“本当に本当の”ソールド・アウトだから、可能性は低いかも。でもがんばってね」と指をクロスして励まされるばかり……当日の午後になってネットで戻り券を見つけたときは、パソコンを操作する手が震えてしまった。マーラーだからなのか、ノイマイヤーのこの作品だからなのか、ともかくその根強い人気に驚かされた。

『マーラー交響曲第3番』 ©️Kiran West

舞台の出来栄えそのものとしては、6月上旬からバレエ・ターゲとして連日のように続く公演の疲れが最終楽章のアンサンブルなどに滲んでいるようにも見えたのだが、観客がそれをジャッジするような雰囲気は皆無で、それぞれにリラックスしつつ集中し、舞台と客席が結びついていることには、さらに感銘を受けた。
私たちがハンブルク・バレエの来日公演で知るジョン・ノイマイヤーはもちろん世界的な巨匠振付家であるけれど、その日々の営みとはまずは地元の観客のための創作活動であり、彼は半世紀をかけて自身の世界観を深く理解してくれる観客層を育ててきたのだ、と。今回の短い滞在で何よりも貴重だったのは、そのことを身をもって知ることができたことに尽きる。

『マーラー交響曲第3番』 ©️Kiran West

『マーラー交響曲第3番』 ©️Kiran West

『ガラスの動物園』

翌7月1日、最後の公演があっという間にやってきた。『ガラスの動物園』は、テネシー・ウィリアムズの同名の戯曲に基づき、アリーナ・コジョカルのために2019年に作られた2幕のバレエである。今回の日程の中では(ガラは別として)唯一未見であり、ハンブルク行きの背中を最後に押してくれたのも、じつはこの作品だった。

『ガラスの動物園』 ©️Kiran West

ところは大恐慌下のアメリカはセントルイス。片足の悪い娘ローラは、支配的な母親アマンダ(パトリシア・フリツァ)、生活のために靴工場での単純な仕事に甘んじている弟トム(フェリックス・パケ)とともに、貧しくひっそりと暮らしている。美男だったと言う父親は行方をくらまして久しい。

ローラはあまりに内向的なため仕事にも就けず家にいるが、その彼女の唯一の慰めがガラス細工の動物たちである。タイトルの由来ともなったローラのささやかなコレクションは、本作では開演前から舞台の幕前に置かれ、その不規則な輝きが、すでにして声なき悲しみを伝えたがっているかのよう。近寄って見つめていると、客席やロビーを行き交う観客たちのさんざめきすら、すっと意識から遠のいていくようにさえ感じられるーー。

『ガラスの動物園』開演前、幕前に置かれていたガラス細工の動物たち ©️Yuki Nagano

ローラの将来を案じたアマンダは、トムに職場の同僚を家に連れてくるように命じる。そしてやってきたジム(クリストファー・エヴァンス)こそは、高校時代にローラが遠くからそっと憧れていたバスケット・ボール部のスターだった。ジムはそつのない会話で彼女の心をほぐしていくが、美しさに引き寄せられるようにキスをした直後に罪悪感に襲われる。彼には婚約者がいたのだ。

ノイマイヤーはこの戯曲を“家族のドラマ”であるといい、否応なしに一つ屋根下に暮らすガラスのように脆く弱く、そして同時に美しい三人のやり場のない鬱屈とその交錯を、魔法のような手つきと、あたかも彼自身が登場人物たちと一つになって涙を流しているかのような繊細さで綴ってゆく。社交界の花だった娘時代と先の見えない現実のギャップに苦しむアマンダ。芸術家肌ゆえに悪い仲間との付き合いにもはまってゆき、父親のように家を出たいと身悶えするトム。そこに割って入る、どうしようもなく軽薄で、それゆえにチャーミングな(のがよけいに腹立たしい)ジム。

『ガラスの動物園』写真左から:フェリックス・パケ(トム)、エドウィン・レヴァツォフ(テネシー)、パトリシア・フリツァ(アマンダ)、アリーナ・コジョカル(ローラ) ©️Kiran West

適役としかいいようのないこれらの人物たちに囲まれて、コジョカルのローラは筆舌に尽くしがたい素晴らしさだった。片足にはポワント、不自由な方の足には固い靴を履いての動きが、いかにもぎこちない彼女と外界との関係を突きつける。そして現実を離れて夢の世界に遊ぶ間だけ、両足がポワントとなり、ローラは軽やかに浮遊することができるのである。主人公の変身、というのは『ジゼル』以降のロマンティック・バレエ〜ロシア古典バレエ、およびその後に作られたおとぎ話の作品の世界観の根幹をなす要素だが、この変身はそれとは異なる、いわば「他者には見えない、自分の心の中だけでの変身」である。それがどれほど理不尽に満ちた現実の中での救いとなるか。そしてその美しさがつかのものであることを知っているからこそ、ストレートに悲惨な場面よりも切なさが募る。このようなヒロインを演じて、彼女の右に出る人が果たしているのか。とっさにはとても思いうかばないけれど、2016年のハンブルク・バレエの来日公演で、同じくノイマイヤーが彼女のために振付けた『リリオム』(2011年初演)を観た方なら共感していただけるのではないかと思う。そのローラがどれほど痛々しく、しかし究極のところで尊厳をそこなうことのない一種の聖性をそなえた存在だったかを。

『ガラスの動物園』アリーナ・コジョカル ©️Kiran West

原作者のテネシー・ウィリアムズが登場し自分の描いた物語の周囲をさまざまな感情を滲ませて巡るのが、『人魚姫』(2007年初演)におけるアンデルセンを思い起こさせるーー演じるのはエドウィン・レヴァツォフ、冒頭に高い舞台装置の上に姿を現したとき、あの印象的なブロンドではなく栗色の巻毛で別人かと思ったが、じつはこの役は家族を捨てた父と二重写しでもあり、息子トムと同じ髪型なのであった。そして、ガラスの動物たちの中でもローラの一番のお気に入りであるユニコーンが、ときおり生き物の姿を取って彼女と踊る(ダヴィド・ロドリゲス)。原作はそれほど長くない戯曲だが(ハンブルクに着いてから再読しようと思っていたのに、行きの機中で読み終えてしまった)、2幕仕立てで2時間超というじっくりとした語り口になったのは、いかにもノイマイヤーらしいこうした趣向のために必要なものでもあったのだろう。

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