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英国バレエ通信〈第41回〉イングリッシュ・ナショナル・バレエ「Our Voices」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「Our Voices」

2023年8月にアーロン・S・ワトキンが新芸術監督に就任し、新時代を迎えたイングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)が、9月22日にワトキンによる初のプログラム「Our Voices」をサドラーズ・ウェルズ劇場で上演した。タイトルの通り、ワトキンが考える〈今のENBらしい表現〉を届けるためのトリプルビルは、世界初演の新作2作品を含むフレッシュな内容となった。

幕開けを飾ったのは、バランシンの『テーマとヴァリエーション』。複雑で素早いステップの連続を精緻に踊りこなしつつ、踊る喜びにあふれたENBのダンサーたちの輝きに目が眩む。クラシック・バレエの高度な技術を要する踊りでありながら、ソリストの大谷遥陽鈴木絵美里プレシャス・アダムスらは、音楽と一体となった時の解放感と、熱狂的なエネルギーを感じさせ、観客を圧倒。いっぽうプリンシパル・カップルを踊ったエマ・ホーズアイトー・アリエッタのふたりは、パ・ド・ドゥで息のあった踊りを見せたが、初日の緊張もあってか、彼らの持ち味である伸びやかなダイナミックさが存分に発揮されていないようだった。

エマ・ホーズ、アイトー・アリエッタ『テーマとヴァリエーション』©Laurent Liotardo

イングリッシュ・ナショナル・バレエ『テーマとヴァリエーション』©Laurent Liotardo

今回最も注目された作品はおそらく、アンドレア・ミラー振付の新作Les Noces, Ascent to Daysだろう。20世紀の傑作と言われるブロニスラヴァ・ニジンスカ振付『Les Noces(結婚)』初演から100周年を記念して、ENBをロンドン第二のバレエ団から唯一無二のカンパニーへと進化させたタマラ・ロホ前芸術監督が2年前にコミッションした作品である。舞台上の36人の歌手が、ストラヴィンスキーの名曲を英語で歌い上げる中、15人のダンサーが力強い舞台を見せた。バットシェバ舞踊団に参加し、現在自らのカンパニー「GALLIM」を率いるミラーにとって、物語のあるバレエ作品を振付けるのは今回が初めて。プログラムには、物語は『結婚』よりもむしろ、同じストラヴィンスキー作曲によるニジンスキー振付『春の祭典』の続編だという解説があり、生贄の儀式が行われた直後のコミュニティを舞台に、生贄に選ばれた娘(亡霊として登場)の家族を中心に物語が展開する。今年3月に亡くなった現代アーティスト、フィリダ・バーロウによる階段のような彫刻も存在感たっぷりで、プロットに関わる重要な役割を果たし、そこでの娘の運命を憂う母親役のアリス・ベリーニの踊りが深い余韻を残した。また、息子役の仲秋連太郎は、アクラム・カーン振付『クリーチャー』のタイトルロールなどで新境地を開拓し今最も注目される若手のひとりだが、怒りという剥き出しの感情を新たな身体言語に昇華してぶつけてくる、これまでにない一面に目が釘付けになった。

ブレアナ・フォード(生贄)、仲秋連太郎(息子)、アンドレア・ミラー振付『結婚』©Laurent Liotardo

ブレアナ・フォード(生贄)、アンドレア・ミラー振付『結婚』©Laurent Liotardo

ブレアナ・フォード(生贄)、ジェームズ・ストリーター(父)、仲秋連太郎(息子)、アリス・ベリーニ(母)、アンドレア・ミラー振付『結婚』©Laurent Liotardo

フランチェスカ・ヴェリク(生贄)、ヘンリー・ドウデン(神父)、アンドレア・ミラー振付『結婚』©Laurent Liotardo

個人的には、『結婚』の歌詞を聴きながら『春の祭典』的な物語が展開するのに最初はやや困惑してしまったのだが、形式的な結婚がコミュニティ存続のための生贄的な集団儀式であることを考えても、ストラヴィンスキーのふたつの音楽に繋がりがあるのは確かだ。ただ、ENBはピナ・バウシュ版、そしてまさに政略婚をテーマにしたマッツ・エック版『春の祭典』をレパートリーとするカンパニーであり、キャストが一部共通していたこともあって、どこか既視感があったのも事実。プログラムを読み込まなければストーリーが不明確だったこともあり、むしろこの枠組みから一旦離れたところで、もっと自由に、彫刻と新たな身体表現で遊ぶダンサーたちのさらに解放された姿を探求する、という手法もあったのかもしれない。

クラシックの卓越した技術でカンパニーの底力を見せた『テーマとヴァリエーション』、ロホがコミッションしダンサーが感情を解放させた『Les Noces, Ascent to Days』と続いて、ワトソンらしいセレクトとなったのがデヴィッド・ドウソン振付の新作Four Last Songs。英国出身の振付家ドウソンは、ワトキンがENB以前に17年間芸術監督を務めていたドレスデン国立歌劇場バレエのアソシエイト・コレオグラファーとして同団のために多くの作品を創作している。

高橋絵里奈、ロレンツォ・トロセーロ、ギャレス・ホー、デヴィッド・ドウソン振付『Four Last Songs』©Laurent Liotardo

イングリッシュ・ナショナル・バレエ、デヴィッド・ドウソン振付『Four Last Songs』©Laurent Liotardo

今回の作品は、ソプラノ歌手マデリン・ピエラードが歌うシュトラウスの音楽に、飛翔する鳥の翼のようにV字に広げたアームスや頻出するリフトなど、ドウソンのシグネチャーと言われる抒情的な振付が凝縮されている。まるでフィギュアスケートのように滑らかに、リフトされた女性ダンサーが風を切るように舞台を横切り、旋回する。ほぼ裸のように見える竹島由美子デザインのヌードカラーのレオタードと相まって、あらゆるしがらみから解き放たれたかのような自由さが清々しい。ワトキンと共にドレスデンから移籍したリード・プリンシパルのイ・サンウンは、180cm以上あるというすらりとした長身にドウソンの振付がよく映え、今後のENBでの活躍が楽しみな存在である。

ネオ・クラシックに対極的なコンテンポラリーの新作2作品をバランスよく揃え、ENBのダンサーたちが幅広いジャンルのダンスに適応できる柔軟性を備えていることを存分に見せつけた今回のプログラム。ロホが示した、クオリティの高い芸術と、独自のレパートリーを提供するという方向性をさらに強化し、モダンで洗練された、無二のカンパニーへとさらなる進化に向かうENBの新章が始まった。休憩中、ワトキンが忙しなく挨拶に回るストール席には、タマラ・ロホ前芸術監督の姿も。自信と解放感に満ちたENBダンサーたちの姿に、彼女は何を思ったのだろうか。

★次回更新は2023年10月30日(月)の予定です

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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