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英国バレエ通信〈第39回〉英国ロイヤル・バレエ「シンデレラ」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国ロイヤル・バレエ「シンデレラ」

現在英国の主要バレエ団は、それぞれ異なる版の『シンデレラ』をレパートリーとしている。ロイヤル・バレエのフレデリック・アシュトン版、バーミンガム・ロイヤル・バレエ(BRB)のデヴィッド・ビントレー版、イングリッシュ・ナショナル・バレエのクリストファー・ウィールドン版、スコティッシュ・バレエのクリストファー・ハンプソン版、そしてノーザン・バレエのデヴィッド・ニクソン版である。

その中でも、1948年に初演された英国初の全幕バレエであるアシュトン版は、今なお英国内外で高い人気を誇る作品だ。ビントレーも、ウィールドンも、アシュトン版を観て育ち、ダンサーとして出演もしている(※1)。ではなぜ、元祖・英国バレエというべきアシュトン版『シンデレラ』があるにも関わらず、多くの振付家が自らの版を作る必要性を感じたのか。それは、アシュトン版の『シンデレラ』が、さまざまなレベルで対極の要素を含み、時代に左右されない優れた振付と、改善されるべき問題点の両方を孕んだアンビバレントな作品だからである。
※1 ビントレーは義姉役、ウィールドンは宝石商の役で出演している

以前ビントレー元BRB芸術監督にインタビューした際、こうした問題点の筆頭にあげていたのが、主役を食ってしまうほど強烈な〈アグリーシスターズ〉の存在だった。

アシュトン版の1948年の初演時に義姉役を踊ったのは、他でもないアシュトン本人と、バレエ団のスターであり、俳優としても活躍したロバート・ヘルプマン。当初は義姉役に女性ダンサーを想定していたものの、そのうちのひとりが他の作品に出演することになり、アシュトンはこの役を異性装の男性に踊らせることを決めた(※2)
※2 のちに女性ダンサーもこの役を踊り、モニカ・メイソン前芸術監督もアンダースタディとしてキャスティングされた

『シンデレラ』のアグリーシスターズを演じるロバート・ヘルプマン(左)とフレデリック・アシュトン(右) ©Donald Southern/ROH 1948

初演時の舞台で観客の心を掴んだのは、シンデレラ役を踊った映画『赤い靴』のスター、モイラ・シアラーでも、ハンサムな王子役のマイケル・サムズでも、意地悪な長姉役のヘルプマンでもなく、シャイで忘れっぽい次姉役で観客の共感を誘ったアシュトン自身だった。舞踊評論家のエドウィン・デンビーが「アシュトンの舞台での予期せぬ勝利は、天才にしか起こり得ない一種のアクシデントだった」と評した通り、英国伝統のパントマイムに登場するデイム(※3)さながらのドラッグクイーン姿で共感と笑いを誘えるのは、人間観察に優れ、少年時代に「アンナ・パヴロヴァのように踊りたい」と夢見たアシュトン本人のキャラクターあってこそのものだった。時代性も大きく関わる、アシュトン独自のユーモアを現代のダンサーが再現し、現代の観客を笑わせるのは至難の業。だからこそ、ビントレー版も、ウィールドン版も、この点を克服するため、義姉の役を女性ダンサーに踊らせ、外見の醜さではなく内面の醜さに焦点を置いた、よりリアルな女性同士のいじめを表現したのだった。
※3 英国伝統のパントマイムで、男性コメディアンによって演じられる中年女性の役

今回、ロイヤルバレエが12年ぶりにこのアシュトン版『シンデレラ』をリニューアルするにあたって、ケヴィン・オヘア芸術監督は、その背景を以下のように語っている。

「アグリーシスターズのユーモアは、フレッド卿(アシュトン)とボビー(ロバート)・ヘルプマンのキャラクターと強く結びついており、とくにバレエファンの間で、多くの期待を伴うものとなっています。でも、私たちはそれをいったんすべて忘れて、どのようにして現代の観客に訴えるキャラクターを作るかを考えるべきだと思います。『シンデレラ』の物語は、主人公に共感できる、リアルな物語です。でも、こうしたグロテスクなキャラクターがいることで、観客をシンデレラ当人の物語から引き離してしまいます。フレッド卿の振付を尊重しながら、現代にあった作品にしなければならない、と考えました」

演出を担当したのは、初演時に王子役を踊ったマイケル・サムズの未亡人であるウェンディ・エリス・サムズ。今回の演出意図を「意地悪で押し付けがましいアグリーシスターズを、もう一度、観ていて思わず笑ってしまうような“funny”なキャラクターにしたかった」と語っている。

こうした意図が実現したかどうかに関して、個人的な感想を言うと、ふたりの義姉は依然として、アシュトンとヘルプマンの亡霊に取り憑かれているように見えてしまった。義姉役に、アクリ瑠嘉ジェームス・ヘイといった若手男性ダンサーや、演技派の女性プリンシパル・キャラクター・アーティストを起用したことは新鮮で、とくにアクリは所作の可愛らしさや健気な表情に同情や笑いを誘う部分もあったものの、スキンヘッド部分をわざと大きく見せたヘアウィッグや、舞踏会のドレスの下に見える白いタンクトップ、身体の線の全く見えないピンクのフリルに埋もれているようなドレス、といった衣裳のせいもあってか、リニューアルの意図に反してパントマイム色を完全に払拭することはできていなかった。見た目のグロテスクさで観客の注目を引くことは、現代の観客にとっては“funny”というよりもむしろ、後ろめたさの伴う〈失笑〉になってしまう危険が大きい。そして、たとえ大仰なつけ鼻はなくなったとしても、彼らのキャラクターの強烈さが、シンデレラと王子の存在を霞め、表面的な〈バレエ・キャラクター〉にしてしまう問題は引き続き顕在していた。

英国ロイヤル・バレエ『シンデレラ』アクリ瑠嘉、ギャリー・エイヴィス © Foteini Christofilopoulou

今回の上演では、衣裳・美術の大々的なリニューアルにも注目が集まった。アレクサンダー・バーンによる衣裳は、前述の義姉たちのドレスのほかにも、四季の精などのチュチュの丈がアシュトン独自の素早いフットワークを必ずしも美しくみせていない点が残念だったが、現代的な色味が目に鮮やか。先日ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台版『となりのトトロ』でオリビエ賞を受賞したトム・パイによる舞台美術もまた、プロセニアムアーチに投影された四季折々のプロジェクションマッピングをはじめ、マジカルなおとぎ話の世界をダイナミックに視覚化。ラストシーンでの、〈ハッピー・エバー・アフター〉を象徴する星空へと続く階段は、ダンスシーンの少ない第3幕の新たなハイライトとなっていた。

英国ロイヤル・バレエ『シンデレラ』 © Foteini Christofilopoulou

いっぽうでエリス・サムズは、アシュトンによる振付をどこまでも忠実に、正確に維持することに注力した。アシュトンの振付は一見派手な要素は少ないかもしれないが、より鋭敏でスピーディーなフットワーク、より流動的でダイナミックな上体の使い方とエポールマン、素早い方向転換などが完璧に音楽と調和して初めて、アシュトンの狙った効果が発揮され、踊りに命が宿る。初日の3月27日は、この作品の初演から75周年を祝う華やかなガラで、予想通りの磐石のキャストだったが、なかでも魔法としか思えないほど軽やかな足捌きで魅せたシンデレラ役のマリアネラ・ヌニェスと、オフバランスの回転など難易度の高い振付の秋の精を踊った崔由姫が、そうしたアシュトンの振付の魅力を余すことなく伝えていた(逆に、別日に見た四季の精の中には、そつなく振付をこなしながらもそうしたクオリティを伝えきれていないダンサーもおり、アシュトンの複雑な振付を生き生きと踊ることの難しさをあらためて実感した)。仙女役の金子扶生は、優雅で研ぎ澄まされたラインで魅せ、道化役の中尾太亮も、バネのように弾力のある跳躍を軽快に決めて魅了。ただ、道化役も四季の精も、今回のリニューアルで、オヘア監督のいう〈現代の観客に訴えるキャラクター〉に進化するのかと期待していたが、そこは以前通りの〈バレエ・キャラクター〉のままで、物語における説得力が欠けていた点はやや残念だった。

英国ロイヤル・バレエ『シンデレラ』崔由姫 © Foteini Christofilopoulou

今回のリニューアルでは、アシュトンの振付を尊重しつつ『シンデレラ』を現代の観客に訴える物語にアップデートすることの難しさがあらためて示され、たとえばリアム・スカーレットだったらこの作品をどう再解釈しただろうかと考えずにはいられなかった。とはいえ、この作品がロイヤル・バレエにとって大切な財産であることはこれからも変わらないだろうし、その鮮度を保つためには、アシュトンの振付を、彼が意図した通りに正確に踊ることの大切さを次世代のダンサーに伝えていくことがまずます重要になってくるだろう。舞台美術や衣裳を現代的に一新しても、この作品に命が宿るかどうかは、最終的にそこにかかっているからだ。

★次回更新は2023年6月30日(金)の予定です

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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