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【新連載第2回】英国バレエ通信 イングリッシュ・ナショナル・バレエ「シンデレラ」イン・ザ・ラウンド

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「シンデレラ」イン・ザ・ラウンド

2013年のタマラ・ロホの芸術監督就任以来、英国ロイヤル・バレエとは一線を画す“攻め”の姿勢が垣間見えるプログラミングで、独自の路線を切り開いてきたイングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)。2018/19シーズンの最後を飾ったのが、日本でも人気の高い英国人振付家クリストファー・ウィールドンによる『シンデレラ』だ。2012年にオランダ国立バレエ団で初演された作品で、ロンドン公演でも大評判になった話題作だが、今回ここにひとひねり加えて、バレエをあまり観たことがない人でも楽しめるよう作品のエンターテイメント性をさらに高めたのが、ENBらしいところ。ロホはウィールドンに、夏のコンサート「プロムス」で知られるロイヤル・アルバート・ホールの円形舞台で上演できるよう、新演出を依頼したのだ。

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

例年『白鳥の湖』、『ロミオとジュリエット』などの全幕バレエ作品を円形舞台で上演してきたENBだが、今回のイン・ザ・ラウンドはこれまでとは規模が違う。臨時契約ダンサー含む総勢130人が出演、370点以上の衣裳が使用され、バレエ団史上最大のプロダクションとなった。

ウィールドン版『シンデレラ』は、日本でもおなじみのアシュトン版とは似ても似つかない作品で、魔法使いも、カボチャの馬車も、ガラスの靴も登場しない。ペロー原作のおとぎ話的な要素は皆無で、むしろグリム兄弟のバージョンに基づいた、かなりダークな物語に仕上がっている。

魔法使いの代わりにシンデレラを変身させるのは、死んだ母親の魂が宿った大きな木。そして、黒子のような四人の“運命”がシンデレラの人生を導いていく。どこかスピリチュアルな要素が強く、同時に一人ひとりのキャラクターの人間性が生き生きと描かれた、現代的な成長物語としての『シンデレラ』となっている。

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

アシュトン版で男性によって演じられる“アグリー・シスターズ”においては、見た目ではなく内面の醜さに焦点が置かれ、そのうちのひとりのクレメンティーンにいたっては、本当はシンデレラをいじめたくないのに、姉に強いられて仕方なく加担しているといったリアルな設定。また、往々にして『シンデレラ』の王子はただハンサムなだけのキャラクターの希薄な役になりがちだが、シンデレラの成長と並行して、やんちゃな王子を幼少期から描くことで内面を掘り下げている。親の言いつけ通りに政略結婚しなければならない自分の人生に疑問を感じる王子は、舞踏会の前に乞食に扮した姿でシンデレラと出会い、心優しくも自分自身を持った彼女にひとりの人間として惹かれ、恋に落ちるのだ(この設定は、ロッシーニのオペラ版『シンデレラ』にヒントを得ている)。

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

そして、この作品の魅力はなんといっても、魔法使いが不在であっても十分に魔法の力を感じさせる、スペクタクル性の高い舞台美術にある。2015年にオランダ国立バレエ団のロンドン公演で同作を鑑賞した時には、ジュリアン・クラウチによるぐんぐんと成長していく“木”と、人形遣いバジル・ツイストによる馬車のダイナミックさに圧倒されたが、どちらもプロセニアムアーチの舞台を前提にしたものだったから、それを円形舞台にどう対応させるのかとても興味があった。魔法の木は舞台上のスクリーンと舞台の床に映像として映し出され、馬車は隠せる部分がないぶん小規模になっていたものの、広い円形舞台いっぱいにシンデレラを乗せた馬車が勢いよく駆けるさま、そしてシンデレラの期待と希望を象徴するかのように、ショールが風をはらんで大きく膨らむさまは、客席から感嘆のため息が漏れ聞こえるほど夢あふれる場面だった。

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

そして舞踏会のシーンも圧巻だ。360度どこから見ても美しく見えるよう、コール・ド・バレエの人数を大幅に増やし、円形舞台に合わせてフォーメーションを変更してあった。1階席から見ると、まるで自分も舞踏会にいるような臨場感で、また別上の階から見ると、まるで華やかな織物のようなフォーメーションの美しさが堪能できるようになっている。

Alina Cojocaru “Cinderella” in the round ©️Laurent Liotardo

初日のキャストはとても豪華で、シンデレラ役のアリーナ・コジョカルに、王子役はイサック・エルナンデスという組み合わせ。儚げでありながら芯が強く、舞踏会では皆の視線を一身に浴びる華やかさを表現できるコジョカル以上にシンデレラ役にふさわしいダンサーはいないだろう。流れるようなネオ・クラシカルの動きが、あたかもコジョカルのために作られたかのように自然にフィットし、歌うようにして感情の襞を物語ってくれる。少年っぽいところのあるエルナンデスも天真爛漫な王子役にぴったりで、特に友人ベンジャミン役のジェフリー・シリオとの掛け合いは双方200%くらいの力を出し切っているかのような振り切れた踊りで見応えがあった。

Alina Cojocaru & Isaac Hernandez “Cinderella” in the round ©️Laurent Liotardo

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

また、意地悪な継母ホーテンシアを踊ったタマラ・ロホも、酔っ払い演技でコミカルな一面を見せ、いつもより幅広い客層の観客たちをどっと沸かせた(そして、どんなに酔っ払ってドタバタ踊っても、恐ろしいまでに完璧なポアント・コントロールは健在だった)。

Tamara Rojo “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

シンデレラが変身する際に現れる四季の妖精たちも、プリンシパルの加瀬栞をはじめとする、現在のENBの層の厚さを見せつける魅力的なキャスティング。その中でも圧倒的に目立っていたのが、秋のソリストを踊ったシェール・ワグマンだ。しなやかで躍動感溢れる踊りは、そこにだけスポットライトがあてられたように輝いていて、閃光のように鋭くダイナミックなジャンプが今も目に焼き付いて離れない。ちなみにワグマンは、先日7月19日にロシアの名門マリインスキー・バレエ団の『ラ・シルフィード』にジェイムズ役で客演し、初めての全幕作品主演を果たしたとのこと。まだ19歳、しかも所属バレエ団ではコール・ド・バレエという階級でありながら、驚くべき快挙である。残念ながらワグマンは今季でENBを去るとのことで、もう少し長くこの大型新人の成長を見守っていたかった、と思ったロンドンのバレエ・ファンは、きっと私だけではないだろう。

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

それにしても、これだけの大型プロダクションを見ると、ENBがバレエ団としてここ数年でどれだけ成長したかを改めて実感することができた。以前インタビューした際に、「芸術監督になってまずはじめに取り組んだのは指導陣を充実させることだった」と語ってくれたタマラ・ロホだが、彼女の努力は確実に身を結んで、ダンサーの質がコール・ド・バレエに至るまで格段に上がったのがよくわかる。コジョカルというスターに頼ることなく、ダンサーが一丸となって物語を紡ごうとしている気概のようなものも伝わってきて、とても清々しい公演だった。

English National Ballet “Cinderella” in the round ©️Ian Gavan

Column
2018/19シーズンを最後に、イングリッシュ・ナショナル・バレエは1976年より本拠地としていたサウス・ケンジントンにあるマルコワ・ハウスを去り、西ロンドンのロンドン・シティ・アイランドに移転する。マルコワ・ハウス内のメイン・スタジオは、かのヌレエフが1977年に『ロミオとジュリエット』を振付け、アクラム・カーンが話題作『ジゼル』を振り付けた、ENBの歴史を象徴する場所。シャンデリアが印象的で、ロンドンで一番美しいスタジオなのではと常々思っていたが、設備はどうしても古く、かといって歴史ある建物を今のバレエ団のニーズに合わせて改装するにはあまりにも制限が多すぎたようだ。移転前の約4倍となるスペースには、これまで別の場所にあった付属学校とバレエ団が一つ屋根の下に集まり、7つのリハーサル・スタジオのほか、プールやジム、一般もアクセスできるカフェやイベントスペースなども併設されるとのこと。昔からENBはファンや一般向けのイベントが充実しており、私もマルコワ・ハウスのスタジオとコロシアム劇場でのバレエクラスや、バレエ・ライター向けのワークショップに何度となく参加してきたが、施設が充実することによって、こうしたイベントもますますパワーアップするのではないかと期待している。

マルコワ・ハウス内のメイン・スタジオを飾る印象的なシャンデリア ©Ian Gavan

マルコワ・ハウス内のメイン・スタジオ ©Ian Gavan

 

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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