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英国バレエ通信〈第36回〉英国ロイヤル・バレエ「くるみ割り人形」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国ロイヤル・バレエ「くるみ割り人形」

3年ぶりにフルスケールの『くるみ割り人形』がロイヤル・オペラハウスに戻ってきた、2022/23年のクリスマスシーズン。ソーシャル・ディスタンシング対策に則った改訂振付版を4日間だけ上演した2020年、クリスマスホリデー中に公演中止になってしまった2021年、と英国ロイヤル・バレエにとっても苦難続きの2年間だったが、そんなコロナに翻弄された時代が夢だったのではないかと思うほどに、活気と華やぎに満ちたシーズンとなった。子役の少ない1幕のパーティーシーンも、ウィル・タケット振付のバレエ団ダンサーによるネズミと兵隊の対決シーンも、小規模編成のオーケストラも、今や過去のものとなったようだ。

とはいえ、英国ロイヤル・バレエが上演するピーター・ライト版『くるみ割り人形』(1984年初演)は、これまでも時代に合わせて少しずつ手を加えられてきた作品なので、今回も3年前と全く同じというわけではない。2020年の改訂振付版でのフリッツが宙吊りになる代わりにフリーズする演出は今回もそのままになっていたし、2021年には、ギャリー・エイヴィスによる改訂でそれまで男性3人、女性1人の構成で踊られていたアラビアの踊りがパ・ド・ドゥにアップデートされている。

人差し指を立てるなどのステレオタイプ的な表現がしばしば問題視されていた中国の踊りは、2016年に90歳になったピーター・ライト卿自らが大幅に改訂し、今や3幕のハイライトのひとつとなっている。アクリ瑠嘉マルセリーノ・サンべのふたりによって初演されたこの改訂版の踊りは、サンべがリハーサル中にたまたました動きにインスパイアされたという連続の開脚後転など男性ダンサーならではのアクロバティックな動きが見どころ。今季は五十嵐大地マルコ・マシャーリ中尾太亮、チョン・ジュンヒョクなど若手注目ダンサーがエネルギッシュな踊りで観客を沸かせてくれた(日によっては上記の技を連続ではやらないペアもあった)。

例年11月から1月半ばまでのロングランで、若手ダンサーたちがさまざまな役で活躍する『くるみ割り人形』。なかでも今季注目を集めたのが、昨年ちょうどこちらの記事で取り上げたソリストの佐々木万璃子とソリストのジョセフ・シセンズによる主演デビューだろう。金平糖の精と王子役でそれぞれ別の日に華々しいデビューを果たしたふたりだったが、怪我をしたダンサーの代役で急遽共演することになり、私も千秋楽直前の1月12日の公演に駆け込んできた。

12月23日に主演デビューし、今季思いがけず4回も金平糖の精を踊ることになった佐々木は、アームスの動きが際立って優雅。アダージオでは、パからパへの移行が流れるように滑らかで、かつ一つひとつ美しいポーズを印象付けた。しなる弓のように上体が引き上がり、ピンと張った弦のように美しく180度に開脚したアラベスク・パンシェなど、現代的なラインのなかにも研ぎ澄まされた詩情が漂う。ソロでは、丁寧かつ正確、アクセントの効いたポアントワークに、上体はあくまで上品で優雅というロイヤルらしい理想的な金平糖の精を披露。プリンシパルでも時折ぎこちないことがある連続ガルグイヤードも、佐々木のそれは軽やかで高さがあり、かつて吉田都が見せたような上品なステップに。この日は今季最後の『くるみ割り人形』主演ということもあってか、コーダでのフェッテにも中盤でダブルを入れるなど、チャレンジングな姿勢を見せた佐々木。彼女の主演作品をもっと見たい、と思わせてくれる確かな華と品格があった。

今季この作品で初めてクラシックな王子役を踊ったシセンズは、「まるで王子養成学校に通ったよう」とインタビューで語っていたが、その立ち方や振る舞いは前回の『See Us!!』で演じたラディカルな若者役と同一人物とは思えない変身ぶり。ごまかしの効かないクラシックのステップを音楽性豊かに踊る中でも、たとえばトゥール・アン・レールなどの跳躍からのしなやかな着地、それが美しい5番ポジションにピタリとおさまる清々しさ、対空時間の長いアッサンブレからふわりと降りるさまなどがノーブルな王子としての気品を醸し出す。代役同士とは思えない、お互いへの思いやりが伝わってくるふたりのパートナーシップもプロフェッショナルなものだった。1年前にあの記事を書いたときには、ふたりの共演がこのような形で実現するとはまったく想像していなかったが、うれしい驚きと幸福感に満ちたフレッシュなパ・ド・ドゥとなった。

ちなみに日本でも2月にシネマで上映される金子扶生ウィリアム・ブレイスウェル主演日(2022年12月8日収録)にも、シセンズはハンス・ペーター/くるみ割り人形役で出演している。今季クララ役で大活躍した前田紗江も完璧なバランスと愛らしい演技で魅せており、バレエファン必見のパフォーマンスだ。

英国ロイヤル・バレエによる2022/23シーズン『くるみ割り人形』の紹介動画

追記

個人的な話になるが、今季は初めてオペラハウスで息子に『くるみ割り人形』を見せることができた(上記とは別日の、子どもの多いマチネ公演)。生まれた時から5歳になったら一緒に見に行く日を楽しみにしていたのだが、息子は今、バレエよりも恐竜やスーパーヒーローに興味のあるやんちゃ坊主。それでも小さい頃から『くるみ割り人形』の絵本の読み聞かせをし、オペラハウスの子どもイベントに年に数回連れてきていたかいもあってか、オペラハウスでの『くるみ割り人形』には「行きたい!」と乗り気に。ずっと大人しく座っているのは無理なのではと気が気でない私の横で、息子は初めて入ったオペラハウスの客席に大興奮。大きくなるクリスマスツリーや動くフクロウの時計、ドロッセルマイヤーの手品など、踊りそのものというよりは美術や演出のほうに目を奪われたようだった。ただ、舞台からくるみ割り人形の姿が見えなくなると本気で心配になったらしく、途中で(くるみ割り人形)「いた!!!」と思わず日本語で声が出てしまい、私は冷や汗ものだったが・・・。

休憩時間には「どうやってドロッセルマイヤーおじさん浮いてたの」「どうやって絵の中のくるみ割り人形動いてたの」「スクリーンの絵はどうやって消えたの」などと質問攻めに。じっとするのが苦手な5歳児をも魅了するロイヤルの美術の凄さを改めて思い知った。2幕は花のワルツあたりからソワソワし始めたが、どうにか終演までもってくれて、ひと安心。その夜息子が寝てから、リクエストされてこっそり買っておいたくるみ割り人形を息子の枕元に置いておいたのだが、翌朝起きてそれを見つけた息子の興奮した声が、私にとって何よりのクリスマスプレゼントになった。

★次回更新は2023年2月28日(火)の予定です

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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