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英国バレエ通信〈第33回〉バーミンガム・ロイヤル・バレエ「ドン・キホーテ」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ「ドン・キホーテ」

年間を通してどんよりした曇り空が多いロンドンだが、7月に入ってからそれを忘れさせてくれるような夏空が続いている。週末は住宅街にバーベキューの匂いが立ち込め、短い夏を目一杯楽しまねばというどこか刹那的なムードに包まれるロンドンの夏。コロナ対策関連の規制が一切なくなった開放感のなか、21時近くまで明るい夜に、カルロス・アコスタの言葉通り燦々と輝く“夏の太陽”のような『ドン・キホーテ』ほど相応しい演目はないだろう。

16歳の時にローザンヌ国際バレエコンクールでバジル役のバリエーションを踊って以来、世界各地であらゆる版を踊ってきたアコスタにとって、『ドン・キホーテ』は人一倍思い入れのある作品。そんな彼が振付改訂と演出を手がけたこの作品を上演することは、デヴィッド・ビントレー前芸術監督から引き継いだバーミンガム・ロイヤル・バレエ(BRB)に自らの刻印を押すようなものである。2020年から延期となっていたこの待望のプロダクションは、2022年2月にバーミンガムでようやく初演されたのち、7月の雲ひとつない夏空に祝福されるようにして、ロンドン公演が実現した。

ちなみに今回BRBが上演したアコスタ版『ドン・キホーテ』は、2013年にロンドンのロイヤル・バレエで初演され、日本公演でも上演されたバージョンとは美術、衣裳、オーケストレーションなど、さまざまな点で異なる別作品。ロイヤル・バレエ版で使用されていた動く家などの大掛かりな装置はなく、ツアーカンパニーであるBRBのために小さな劇場にも収まるよう全体的にコンパクトな舞台に仕上がっており、代わりに風車の羽がモンスターの腕のように変化するプロジェクションマッピングや、クラシック・バレエ作品では珍しいホルターネックの衣裳などが鮮烈な印象を放つ。また、アムール(キューピッド)役を男性ダンサーが、そしてサンチョ・パンサ役を日によって女性ダンサー、男性ダンサーが交代で踊るといったバレエにおけるジェンダー規範にとらわれない配役も新鮮だった。

Momoko Hirata as Kitri and Mathias Dingman as Basilio, with Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

ロイヤル・バレエ版と共通しているのは、人間味あふれるリアルなパフォーマンスにこだわるアコスタならではのアプローチ。踊りと踊りの間には、登場人物たちが自然体で歩き回って、威勢のいい掛け声をあげたり、テーブルの上で踊ったり。ジプシーの野営地の場面では、ジプシーのギター弾きに扮したミュージシャンが舞台に上がって演奏する。

Momoko Hirata as Kitri, with Yu Kurihara as Mercedes, Alexander Yap as Espada and Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

Emma Price and Javier Rojas as the Gypsy Couple, with Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

初日にキトリ役を踊ったプリンシパルの平田桃子は、1、3幕でのくるくると変わる表情が魅力的。明るくてちょっぴり喧嘩っ早い街娘らしい演技と生き生きした踊りで、これまで見たことのない、遊び心あふれるフレッシュな一面を見せてくれた。2幕の「夢の場」では、ドルシネア姫役のクリスタルのように研ぎ澄まされた精緻かつ優美な踊りで平田の持ち味を存分に発揮。3幕のグラン・パ・ド・ドゥはさすがのひと言で、コーダでのグラン・フェッテ・アン・トゥールナンでは前半にダブルを入れ、後半は回転しながら顔をつける方向を転換していく難技を安定感たっぷりに決めて看板プリンシパルとしての貫禄を示した。

Momoko Hirata as Kitri with Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

The Garden of the Dryads: Momoko Hirata, with Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

Momoko Hirata as Kitri and Mathias Dingman as Basilio, with Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

ビントレー芸術監督時代には、上品な表現の中にパーソナリティを際立たせる“ロイヤル”らしいスタイルの印象が強かったBRBダンサーたち。彼らが、クラシックにおけるスクエアなラインをさらに拡張した開放的なラインを外連味(けれんみ)たっぷりに見せる姿は、なかなか新鮮なものだった。そんな中でひとり、気持ち良いほど突き抜けてダイナミックな踊りを披露しひときわ目を引いたのが、初日にメルセデス役とドリアードの女王役を踊った栗原ゆうだ。荒削りな部分はあったものの、それをカバーしてあまりあるエネルギーと、ある意味ナタリア・オシポワのような大胆さを持ちあわせたスケールの大きな踊りから目が離せず、急遽彼女がキトリ役を踊る9日夜公演も見に行くことにした。

Matador Scene featuring Yu Kurihara as Mercedes with Artists of Birmingham Royal Ballet; photo: Emma Kauldhar

栗原は表情の作り方も自然で現代的。ジュテ・アントルラセの人一倍高く跳ね上がる後ろ脚など、ジャンプ全般がダイナミックでとにかく見栄えがする。キトリ役を踊った9日は1幕のリフトではヒヤリとする場面もあったが、カスタネットのソロではそれを気にさせないエネルギーが炸裂。2幕のドルシネア姫役のソロでも、ピケターンのマネージュ(2周!)がスピード感に溢れていて目を見張った。これだけ出ずっぱりで踊り続けても、3幕のグラン・パ・ド・ドゥまでスタミナと集中力を持続。コーダのグラン・フェッテ・アン・トゥールナンで見せた強靭な意志とコントロールにも驚嘆した。昨年アーティストからソリストに2階級飛び級で昇進したばかりの栗原だが、今回のロンドン公演に主演する数日前には、ファースト・ソリストへの昇進が発表された。今最も勢いのある若手ダンサーのひとりであることは間違いないだろう。

初日に主演したマチアス・ディングマンは、悪戯っぽい微笑みがどこまでもチャーミングで、見る者を笑顔にしてくれるバジル役にぴったりのダンサー。テクニックも安定しており、ソロでも3幕の片手リフトでもしっかり魅せてくれた。初日にエスパーダ役、9日にバジル役を踊ったカリスマ性のあるブランドン・ローレンスは、ジャンプの一番高い所でスパッと決まる、長い四肢を見せつけるかのような美しい造形が見事。栗原とのバランスも良く、今後このペアでの踊りに注目していきたいと思わせてくれた。

Matador Scene featuring Brandon Lawrence as Espada Photo with Artists of Birmingham Royal Ballet; photo: Emma Kauldhar

この版で最も特徴的な点のひとつと言えるのが、ロイヤル・バレエをはじめ多くの版で女性ダンサーが踊るアムール役を男性ダンサーが踊る点。そもそも神話に登場するアムール(キューピッド)は男性だが、『パゴダの王子』の道化役や、『真夏の夜の夢』のパック役といったトリックスター的な役を十八番とする個性派プリンシパルのツーチャオ・チョウのために作られたような役である。笑みを浮かべながら驚異的なスピードのソ・ド・バスク・ドゥーブルで舞台を横切る様は、文字通り夢を見ているのではないかと思わせるような現実離れした光景だった。

Miki Mizutani as Kitri’s Friend, with Artists of Birmingham Royal Ballet in Don Quixote; photo: Johan Persson

初日には、先日プリンシパル昇進が発表されたばかりの水谷実喜ヤオチェン・シャンがキトリの友人役で双子のように息の合った伸びやかで溌剌とした踊りをみせ、舞台を盛り上げた。ほかにもバレエ団の層の厚さを見せつける見応えのある踊りが目白押しで、スピーディーな展開が上演時間の長さを感じさせない。コール・ド・バレエからソリスト、プリンシパルに至るまで、ダンサー一人ひとりに自然体の演技と卓越した技巧が求められるこの作品は、今後アコスタ芸術監督率いるBRBの看板作品として繰り返し上演され、それとともにバレエ団もパワーアップしていくことだろう。意外性に満ちた新たな一面を見せてくれた新生BRBの今後にますます注目していきたい。

★次回更新は2022年9月30日(金)の予定です

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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