吉田都、ダーシー・バッセル、熊川哲也など、バレエダンサーたちの姿や内面を描き続けた画家、ロバート・ハインデル。
ダンサーたちの動きの躍動感やスピード感、踊ることに人生を賭ける者の精神性を鮮烈に描いたハインデルの原画約60点を展示する展覧会「MODERN REALIZM ロバート・ハインデル展」が、2022年7月10日(日)まで、東京・代官山のヒルサイドフォーラムで開催中です。
この展覧会がオープンした6月28日、バレエダンサーの上野水香さん(東京バレエ団プリンシパル)と、本展主催の出川博一さん(株式会社アートオブセッション)、そして美術を面白く紹介してくれる元よしもと芸人のアートテラー・とに〜さんに、展示作品を案内していただきました。
バレリーナならではの視点でハインデル作品について語る水香さん。
各作品の鑑賞ポイントをわかりやすく解説してくれる出川さんやとに〜さん。
3人がナビゲートする「ロバート・ハインデル展」の見どころ案内、本記事トップの動画でぜひお楽しみください!
★動画の中でピックアップしている作品の詳細は下記記事でご確認ください
写真左から:出川博一さん、上野水香さん、アートテラー・とに〜さん
動画撮影:Award of Life
動画編集:古川真理絵(バレエチャンネル編集部)
写真撮影・文:阿部さや子(バレエチャンネル編集長)
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作品名:Hidden Thoughts
Hidden Thoughts 1986年 油彩 キャンバス 106×76㎝ © Copyright 2017 Heindel Family LLC. All Rights Reserved
- 出川 これが日本に最初に上陸したハインデル作品。1988年の「青山バレエフェスティバル」のポスターとプログラムの表紙に使われました。
- 上野 私、その時の「青山バレエフェスティバル」に子役で出ていたんです! ですからこの作品は強く印象に残っています。描かれているダンサーはレッグウォーマーをしているので、ウォーミングアップ中ではないでしょうか。ただ立っているだけなのに、彼女の踊りに対する思いや、一歩出すことに対するこだわりまで見えてくる気がします。
- 出川 ハインデルはダンサーを通して人間の「命」を描きたかったのだと私は思う。中でもこの作品は、人間のもつ精神性をよく描き取っています。よく見ると、この女性ダンサーの顔の右側に、顔の残像が残っているんですよ。そして背景にはあえて色を塗らず、カンヴァスの地そのものを自分の表現として使っています。
- とに〜 そのおかげなのかはわかりませんが、この絵には即興的な印象がありますね。「動き」を感じます。
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作品名:Red-headed Dancer
Red-headed Dancer 1998年 油彩 キャンバス 112×112㎝
- 出川 これは女性ダンサーの顔に赤いスポットライトが当たった瞬間を描いているんです。こんなふうに真っ赤に塗りつぶして描くところがハインデルの感性。
- 上野 私、最近『ドン・キホーテ』のキトリを踊らせていただいたのですが、それがもう踊りっぱなしで、暑いし汗だくだし、首から上が真っ赤!という感覚だったんです。だからこれはまさに1幕のキトリを踊っている時の私、という感じがします(笑)。
- とに〜 なるほど! それは踊らない人には思い付けない発想ですね。
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作品名:Dancer in Rehearsal RD-5
Dancer in Rehearsal RD-5 1998年 油彩 ボード 114×91㎝
- 出川 これは元牧阿佐美バレヱ団の佐々木想美さんというダンサーを描いた作品。見てください。ハインデルは、ポーズを決める前の瞬間を切り取っているでしょう? そういうところが、ダンサーにとってはたまらないのだと思う。
- とに〜 普通の人は“シャッターチャンス”、つまり決めポーズを狙って描きそうですよね。
- 出川 ハインデルは、決めポーズにはあまり興味がなかったんです。それは写真で表現できるものだから。それよりも彼は、人間だからこそなせる技、そういう瞬間を切り取ろうとしていました。
- とに〜 上野さんは、やはりこんなふうにハインデルに描いてほしかったと思いますか?
- 上野 それはすごく思います。どの絵を見ても、ダンサーたち一人ひとりの思いや裏側を感じ取って、それを表現していると感じるので。私自身の裏側もぜひ見てほしかった。私の動きからハインデルさんがどんなことを感じるのかを知りたかったです。
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作品名:1-2-3(アン ドゥ トワ)
1-2-3(アン ドゥ トワ) 1981年 油彩 キャンバス 67×94㎝
- 出川 斜め上からダンサーを描いている。これもハインデルの感性ですよね。そして床。濃淡のある青で塗られた部分、パステルでもやもやと塗られた部分、カンヴァス地をそのまま生かした部分。真っ直ぐに引かれた線と、カラフルな矢印。この床からも、クラシック・バレエの規律やダンサーたちの心の迷いなど、さまざまなものが読み取れます。
- 上野 ダンサーが稽古に向き合う気持ちがこの背中には表れていて、それをハインデルさんは感じ取って描いているのだという印象を受けます。そしてこのダンサーが、これから次の動きに向かっていこうとしている気持ち。そういうものまで伝わってくる気がします。
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作品名:The Wall
The Wall 1987年 油彩 キャンバス 75×161㎝
- 上野 ここに描かれている5人のダンサーはそれぞれ個性が違うけれど、下に引かれた赤のラインで繋がっている。すごく面白い作品ですね。
- とに〜 この5人の中で、水香さんの個性にいちばん近そうなのはどの人ですか?
- 上野 真ん中の人でしょうか……。ポジションはちょっと適当だけど(笑)、何かを語りかけたいという気持ちが伝わってくる。そういうところが私に似ているかも。
- 出川 ハインデルは、5人が本当にこんなふうに1本のバーにつかまっているのを見て描いたわけではないんですよ。バラバラにいたダンサーたちを、こうしてひとつに集約して描いたの。そこが面白いところ。
- 上野 壁に小さく描かれている貼り紙もかわいい。
- とに〜 何て書いてあるんですか?
- 上野 フランス語で「松ヤニは使用禁止」って書いてあります(笑)。
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作品名: Darkness & Light
Darkness & Light 2003年 油彩 キャンバス 87×71㎝
- 出川 これは2003年の作品。前年に高円宮紀仁親王殿下が薨去されて、その追悼展を開催した時にハインデルが描いたものです。バレエダンサーの指先に、かすかに光が当たっている。これは天国に昇る殿下、バレエをこよなく愛した殿下を、このバレエダンサーになぞらえて描いているのだと思います。悲しみに先に光があるーータイトルの「Darkness & Light」とはそういうことでしょう。
- 上野 バレエダンサーは常に緊張感や研ぎ澄まされたものが要求されるもの。その暗闇を引き裂く強さみたいなものがこの絵にはすごくよく出ていて、心惹かれますね。そして手の先に光が当たっているのも素敵。希望が見えます。
- とに〜 そして、だからこそ顔はあえて描いていないという。
- 上野 そうですね。身体がこれだけ表現してくれている。
- 出川 これも、命への思いや慈しみを感じさせてくれる作品のひとつですね。
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作品名:Saddam Revisited
Saddam Revisited 1991年 油彩 キャンバス 156×178㎝
- 出川 これはハインデルが英国のランバート・バレエのリハーサルに招かれて描いた作品なのだけど、描いている最中にイラクのクウェート侵攻が起こったんです。そのニュースをラジオで聞いたハインデルは、絵の真ん中に、一気に黒い線を描きました。この女性ダンサーも、最初はもっと生き生きしていたのに、もはや筋肉の力が失われていますよね。そして背景には泣き喚くダンサーたちも描かれている。ハインデルは感受性がとても強くて、何か事件が起こると敏感に反応して作品を変えていきました。この絵は、今回の展覧会でとくに見ていただきたい作品のひとつです。ロシアのウクライナ侵攻により尊い命が毎日無造作に失われ、世界には数えきれないほどの難民がいる。そういう時代にこそ、ハインデルが描いた命への慈しみというものを感じてほしい。
- 上野 ハインデルの絵は、床が本当に印象的だなと感じます。この絵もそう。戦争や失われていく命に対する悲しみと、魂を削って踊るダンサーたちの思いが、この床の上で錯綜しているように私には見えます。迫力がありますよね。
- とに〜 「ロバート・ハインデル展」と聞くと、美しいダンサーたちの絵が描かれているとイメージをしがちだけれど、そうじゃない。こうして実際の作品を見てみると、ハインデルは「人間」を描いた人なのだなとあらためて思います。ダンサーの動きを通して、人間そのものを描いている。
- 出川 そう。命の尊さを描いているんです。
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作品名:Moving on
Moving on 2004年 油彩 ボード 94× 97㎝
- 出川 最後にこの作品を。これは晩年の作品です。彼は病気のため2003年以降はほとんどバレエのリハーサルを見にいくことはできなくなりました。でも、1980年から25年間バレエダンサーを見て描き続けてきた、その記憶の中の人間を描いたのがこの作品なんです。
- とに〜 この絵を見ると、ハインデルはアイルランドの画家フランシス・ベーコンの影響を受けているように思います。ベーコンは暴力性と哲学性という相反する要素を兼ね備えた画家であり、人間の本質を描こうとした人。ハインデルもまた、ダンサーの綺麗な動きを描きたかった以上に、人間の本質を突き詰めて描きたかったのでしょうね。
- 出川 だから、ハインデルにはこういう絵をもっともっと描いてほしかった。
- 上野 この絵を見て私がすごく印象的に感じるのは、この女性の指先。手首のライン、1本1本の指、そして爪の先まで綺麗に描かれていて、他の部分はほぼ全身ぶれているような描かれ方なのに、対照的ですよね。そしてパ・ド・ドゥは「二人で踊る」というより「二人でひとつ」に見えた時、お客様は感動するのだと思うんです。この絵はまさにそういう感じ。ハインデルが感動したパ・ド・ドゥのイメージが描かれているのではないでしょうか。
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鑑賞を終えて…
撮影終了後、水香さん、出川さん、とに〜さん、それぞれに「最も印象に残った作品」を選んでいただきました!
上野水香さんが選んだ【この一枚】
「Darkness & Light」
Darkness & Light 2003年 油彩 キャンバス 87×71㎝
アーティストって、誰もが不安だったり、自分の理想に手が届かない葛藤だったりを抱えています。ずっと暗闇の中にいるような思いについ囚われてしまうけれど、そんな時でも、天井から一筋の光が差してくる。「希望を忘れないで」って。そういうものを、この絵から感じました。
出川博一さんが選んだ【この一枚】
「Miyako in White」
Miyako in White 2005年 油彩 ボード 76×79㎝
ハインデルは2005年7月3日に亡くなったのですが、これは半年前の1月頃に描いた作品。じつはその年、彼と「ハインデルが描いた吉田都」という展覧会をしたいねと話していたんです。だけど彼は既に肺気腫が進行していて、都さんを描きにロンドンまで行くことはできなかった。それならばと私たちが葉山の海岸で都さんを撮影し、彼はその写真を見てこの絵を描きました。白いチュチュが、まるで白鳥の羽毛のように見えます。
アートテラー・とに〜さんが選んだ【この一枚】
「Scottish Shadow S9」
Scottish Shadow S9 1990年 油彩 キャンバス 91×109㎝
今回展示されている絵の中で、おそらく唯一「ダンサーそのもの」が描かれていない作品。影のように描かれている動きも、あまりダンスっぽくない。とても謎めいています。そして床や地面そのものを俯瞰して描いている絵というのも美術的にはとてもめずらしい。とくにハインデルはダンサーの肉体を通して精神を描こうとした人なのに……謎めいているにも程があります。でも、そこがおもしろいと思うんですよ。どんなに見ても答えが出ないからこそ想像が膨らむし、ずっと見ていられる。そんな一枚だと思います。
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展覧会情報
MODERN REALISM ロバート・ハインデル展 日本デビュー30周年記念
◎会期
2022年6月28日(火)~ 7月10日(日)
11:00~19:00(最終入場 18:30)会期中無休
◎場所
代官山 ヒルサイドフォーラム
東京都渋谷区猿楽町18-8 ヒルサイドテラスF 棟
◎入場料
大人・大学生 500 円、高校生以下無料
◎お問合せ
株式会社アートオブセッション
TEL03-5489-3686
東京都渋谷区猿楽町29-10 ヒルサイドテラスC 棟 25号室
◎詳細は公式WEBサイトをご覧ください