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英国バレエ通信〈第30回〉〜イングリッシュ・ナショナル・バレエ「ザ・フォーサイス・イブニング」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

イングリッシュ・ナショナル・バレエ「ザ・フォーサイス・イブニング」

バレエは、楽しい。そんなシンプルな喜びを思い起こさせてくれたのが、イングリッシュ・ナショナル・バレエ(ENB)によるウィリアム・フォーサイス作品のダブル・ビル“The Forsythe Evening”だ。ロンドンでは、ロイヤル・バレエもちょうど同時期に見応えのあるコンテンポラリーバレエのトリプルビルを上演していたのだが、ふだんバレエをまったく観ない知人・友人たちにまで観て損はないと思わず勧めてしまったのは、前者の方だった。

今回上演されたのは、ロンドン出身のシンガーソングライター/音楽プロデューサー、ジェイムス・ブレイクのアルバム「The Colour in Anything」に振付けられ、2016年にパリ・オペラ座バレエで初演されたBlake Works Iと、2018年にENBの男性ダンサーために作られた「Playlist (Track 1, 2)」を女性ダンサーも交えてさらにパワーアップさせた「Playlist (EP)」の2作品。どちらの作品も、「バレエのステップというアルファベットを、馴染みのある順序から切り離して斬新な並べ方をする」(フォーサイス談、公演プログラムより引用)ことでバレエに新たな光をあてている。さまざまな実験的な試みを行い、複雑で革新的なスタイルを生み出してきたフォーサイスだが、72歳になった今の彼は、クラブでダンスに興じるようなカジュアルさで、バレエのステップが可能にするコミュニケーションをとことん楽しむことに焦点を置いているようだ。ポップミュージックやR&Bといった音楽を身体の内側から奏でるようにプレイフルに踊るENBのダンサーのエネルギーが客席にまで入り込み、ダンサーも観客も一体となってグルーヴに揺れる——バレエ公演ではなかなかできない、稀有な舞台鑑賞体験となった。

「Blake Works I」では、タンデュやポール・ド・ブラなど、要素の一つひとつはクラシック・バレエの基本中の基本であるのに、そのラインをギリギリのところまで拡張し、疾走感あふれる素早い動きや方向転換、巧みなカウントの取り方やフォーメーションで繋げていくと、たちまちそれがスタイリッシュな踊りとして生き生きと輝き始める。最後の曲の「f.o.r.e.v.e.r.」では、お馴染みのポール・ド・ブラの基本の動きだけで、バレエの様式美そのものを讃える一編の詩のような余韻を残した。

Julia Conway, Rhys Antoni Yeomans & Ivana Bueno in Blake Works I for The Forsythe Evening ©︎Laurent Liotardo

Emma Hawes & English National Ballet dancers in Blake Works I for The Forsythe Evening ©︎Laurent Liotardo

また「Playlist (EP)」の方は、今のENBらしさとダンサーたちのエネルギーがダイレクトに伝わってくるショーケース的な作品で、ぜひ日本のバレエファンの方々にも観てほしいと思った作品。とくに男性ダンサーのみが登場する「Impossible」では、一人ひとりがダンスオフのようにこれでもかと超絶技巧を見せつけていく。にも関わらず、コンペティションというよりは皆で全体を盛り上げていこうというあたたかな雰囲気に満ちているのがENBらしい。

バリー・ホワイトやナタリー・コールといったクラシックバレエとはあまり縁のなさそうな音楽に合わせて、今ここにある踊れる身体を讃えるかのような祝祭のムードに包まれた舞台は、コロナや戦争で心が晴れない日常とは対照的な、眩しいまでの清々しさ。上演中ところどころで掛け声が上がり、ダンサーと観客(ロイヤルオペラハウスの観客層よりもずっと若い)が一体となって一種のトランス状態に入り、サドラーズ・ウェルズ劇場内のエネルギーがどんどん膨張していくような錯覚を覚えた。

2022年3月31日〜4月10日のロンドン公演中3公演を鑑賞した中で、毎回出演するダンサーが1人残らず200%の踊りを見せてくれたのだが、特に光っていたダンサーをあげるとすれば、真っ先にあげたいのが、まだコール・ド・バレエでありながら最近活躍著しい鈴木絵美里だ。「Blake Works I」でのイサック・エルナンデスと見せた、メランコリックでありながら透明感あふれるデュエット(「The Colour In Anything」)と、「Playlist (EP)」でのそこだけスポットライトが当たったかのような華やかな存在感、音楽を歌うように全身で奏でる切れ味の良い踊りに思わず引きこまれた。

Emily Suzuki & Isaac Hernández in Blake Works I for The Forsythe Evening  ©︎Laurent Liotardo

「フォーサイスは、私が踊る理由」と言い切り、フォーサイスの熱狂的なファンを自称するプレシャス・アダムスは、まるで何か見えない力が身体の内部からアダムズを踊らせているかのよう。溢れ出る情熱と恍惚とした表情、ダイナミックな踊りからいっときも目を離せない。加瀬栞は、ステップとステップの間の〈間〉の取り方が絶妙。永遠にバランスを保てそうなアラベスクやピルエットなど、圧倒的な安定感が叶える、音楽にぴたりと嵌まり込むような踊りが痛快だった。先日の「ライモンダ」でプリンシパルに昇進したばかりのエマ・ヒューズは、長身を活かしたしなやかでダイナミックな踊りが舞台に映え、遊び心あふれるチャーミングな一面も見せてくれた。スペイン国立ダンスカンパニーから移籍したばかりの大谷遥陽も、パワフルな踊りで見せる男性陣の中に紅一点で登場して力強いエネルギーで圧倒、今後の活躍が楽しみになった。

English National Ballet in Playlist (EP) by William Forsythe ©︎Laurent Liotardo

Precious Adams & James Streeter in Playlist (EP) for The Forsythe Evening ©︎Laurent Liotardo

Shiori Kase & Joseph Caley in Playlist (EP) for The Forsythe Evening ©︎Laurent Liotardo

男性陣は、出演者全員に賞を贈りたいくらい、一人ひとりが持てる力の限界に挑むようなダイナミックな踊りを見せてくれた。そんな彼らが一体となってユニゾンで踊る時の迫力は凄まじいものがある。音楽性に優れた精緻で切れ味の鋭い踊りが魅力のジェフリー・シリオ、先日プリンシパルに昇進しカリスマ性が出てきたアイトール・アリエタ、打ち上げ花火のような華やかな跳躍で魅せたリース・アントーニ・ヨーマン、まるで加速しているようなピルエットで客席を沸かせたエリック・ウルハウスをはじめ、技術的に多くを要求されるアスレチックな踊りにも関わらず、全員で全員をさらなる高みに引き上げて、大きなエネルギーのうねりのようなものを生み出していくさまが圧巻だった。

English National Ballet dancers in Playlist (EP) for The Forsythe Evening ©︎Laurent Liotardo

English National Ballet dancers in Playlist (EP) for The Forsythe Evening ©︎Laurent Liotardo

English National Ballet’s Rhys Antoni Yeomans in Blake Works I by William Forsythe ©︎ Laurent Liotardo

ひとつ残念なのは、今回のメンバーでこのプログラムを見るのが最後ということ。シリオはこの公演のあと、古巣のボストン・バレエに戻ることが決まっており(この数年、この類い稀なダンサーを見ることができたロンドンの観客は幸運だった)、イサック・エルナンデスも、パートナーであるタマラ・ロホとともにサンフランシスコ・バレエに移籍することになっている。

ロホ就任以前のENBは、ロンドン第二のバレエ団という印象から抜け出せていなかったが、あれから約10年経った今のENBは、ロイヤル・バレエとはまったく異なる個性を持った、エネルギッシュなパフォーマンス集団へと変化を遂げた。約30分強の2作品に連続で出演していたダンサーも多く、そのスタミナとパワーにも驚かされる。先日亡くなった英国で最も有名な舞踊評論家、クレメント・クリスプはその昔「ロイヤル・バレエはフォーサイス作品をやるべきではない」と一刀両断したことがあったが、逆に今の英国でENBほど、フォーサイス作品が似合う個性とエネルギーを持ちあわせたカンパニーはないだろう。ダンサーの技術向上を含め、フォーサイス作品を踊りこなすことができるカンパニーに育て上げたロホの10年間の成果を一番に実感することができた、稀に見る傑作プログラムだった。

★次回更新は2022年5月30日(月)の予定です

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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