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英国バレエ通信〈第25回〉〜英国ロイヤル・バレエ「ロミオとジュリエット」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国ロイヤル・バレエ「ロミオとジュリエット」

10月5日、18ヵ月ぶりに英国ロイヤル・バレエが全幕バレエを上演した。2021/22シーズンの開幕を飾ったのは、カンパニーの代表作であるマクミラン振付『ロミオとジュリエット』。〈バブル〉システムも、コール・ド・バレエやオーケストラの人数縮小ももはや過去のものとなり、まるで〈もと通り〉となったことを歓迎するかのように、指揮のコーエン・ケッセルスが登場しただけで、熱気に満ちた満席の客席から万雷の拍手が沸き起こった。

初日キャストは、ジュリエット役がフランチェスカ・ヘイワード、ロミオ役が先シーズン末にプリンシパルに昇進したばかりのセザール・コラレス。このふたりほど、新時代に向かうロイヤル・バレエを象徴するのに相応しい、勢いのあるペアはいないだろう。これまで初日は大抵ベテランプリンシパルが務めることが多かったが、今回の新鮮な配役はそんなロイヤル・バレエの新章の幕開けを告げるケヴィン・オヘア芸術監督からのメッセージなのかもしれない。

ちなみに、ヘイワードとコラレスは2019年にこの『ロミオとジュリエット』で初共演している(筆者にとって最も忘れ難い舞台のひとつ)。情熱の迸り、という表現があれほど似合う舞台はないのではと思うほど熱い演技で、その後まもなくふたりがオフステージでもパートナーとなったと聞いた。あの初共演から約2年半、世界はまるで変わってしまったが、群衆の熱気の中でひときわ輝くふたりのパッションそのもののような踊りは少しも色褪せておらず、〈かつて〉の世界に対する強烈な懐かしさのような感覚を覚えるとともに、世の中に左右されない絶対不可侵の初恋の尊さのようなものがただただ眩しく映った。

英国ロイヤル・バレエ『ロミオとジュリエット』フランチェスカ・ヘイワード(ジュリエット)、セザール・コラレス(ロミオ)©Foteini Christofilopoulou

ヘイワードは、日本でも公開されたマイケル・ナン監督による映画「ロミオとジュリエット」でも主役を踊っているが、舞台上の自然な存在感がとにかく際立っている。今やロイヤル・バレエきってのドラマティックバレリーナとなった彼女は、ジュリエットを〈演じて〉いるのではなく、まさにジュリエットそのものとして舞台に〈存在〉しているのだ。乳母と戯れる無邪気な子どものような天真爛漫さ、パリスを紹介されて恥じらう時の初々しさ、ロミオの顔に手を回した時のとろけるような笑顔、ロミオとの別れの朝の絶望感、どれひとつとっても過剰なところがなく、それでいてジュリエットの感情の揺れ動きが手にとるように伝わってくる。ステップが少しばかり滑らかにいかなくても、それがたった今ジュリエット自身が経験していることのように違和感なく見えてしまうことすらあった。

いっぽうコラレスは、以前イングリッシュ・ナショナルバレエ時代に踊っていたマキューシオ役(ヌレエフ版)があまりにも強烈だったので、以前はロミオ役のイメージがあまり持てなかったのだが、ヘイワードの横に並ぶと、英国紙の批評家たちが使用した〈恋する子犬のような〉という表現がまさにぴったり。加速しているのではと目を疑うほど勢いある回転や滞空時間が長く完璧な造形を空中に刻みつけるような跳躍も、技を誇示するというよりは、その抑えきれない衝動や情熱ゆえと納得できてしまう。ジュリエットやマキューシオとの戯れるようなやりとりも、恋に浮かれたロミオそのものだった。

この日は助演陣もプリンシパルが数多く出演し、今のロイヤル・バレエのベストキャストと言っていいほど豪華。映画版と同じだったのはティボルト役のマシュー・ボール、マキューシオ役のマルセリーノ・サンべ、ベンヴォーリオ役のジェームズ・ヘイ。さらに今回は、今シーズンからプリンシパルに昇進したマヤラ・マグリ、育休後復帰初舞台となったファースト・ソリストのオリヴィア・カウリーもハーロット(娼婦)役で出演し、コケティッシュな踊りで魅了した。演技派若手ダンサーのロマニー・パイダクによるコミカルな乳母や、ベテランのベネット・ガートサイドの慈悲深いローレンス神父、威厳あふれる「騎士たちの踊り」で圧倒するギャリー・エイヴィスのキャピュレット卿なども、ロイヤルらしい絶妙なパフォーマンスで物語を盛り上げる。

ちなみにボールとサンべは、別日にロミオ役にもキャスティングされているが、個人的にはこのふたりのティボルトとマキューシオはこれ以上ないはまり役だと思う。とくにボールの血気盛んなティボルトが、弾けるような踊りでカリスマに満ちたサンべのマキューシオ、そしてロミオと決闘するシーンは迫力満点。このシーンは、ダンサーによっては、剣を決められた通りに打ち合わせているだけに見えてしまうことも時々あるが、この日は本気でやり合っているようにしか見えず、何度もヒヤヒヤする場面があった。

また、映画版でヘイワードを相手にロミオ役を演じたウィリアム・ブレイスウェルは、ジュリエット役デビューとなる金子扶生とともに10月9日のマチネに出演し、オペラハウスでのタイトルロールデビューを果たした。この日は、マキューシオ役にアクリ瑠嘉、ティボルト役に平野亮一と日本人ダンサーが多数出演しており、日本のテレビ局のカメラも入っていたようだった。ブレイスウェルはラファエル前派の絵画に登場しそうなどこか物憂げでロマンティックな容姿と、親しみやすい雰囲気がロミオ役にぴったり。技巧こそコラレスには敵わないかもしれないが、品のある端正な踊りと、気負わないナチュラルな佇まいで魅了する。時折上半身に硬さが見られる場面もあったが、今後踊り込むにつれて彼の十八番になるに違いないと思わせる瑞々しい煌めきがあった。いっぽう金子のジュリエットは、長い四肢を空間いっぱいに使って丁寧に描かれたラインがどの瞬間も美しく、1幕のこぼれんばかりの笑みが無垢なジュリエットの愛らしさを強調。ヘイワードとコラレスの初めから終わりまでフルスロットルの情熱的な踊りに比べると、ブレイスウェルと金子の絵になるふたりの踊りは、ひと目惚れからじわじわと愛が高まってゆくような印象があった。金子は、長く印象に残るお手本のような美しいポーズと、舞台のどこにいても自然と目を惹く華やかな存在感が魅力だが、今後この役を極めていく中でさらに自由に、大胆に身体を解放し、より人間味あふれるジュリエットを見せてくれるのではないだろうか。またこの日は、アクリ瑠嘉もマキューシオ役のユーモラスでありながら切れ味鋭い踊りで観客を魅了。病気で降板したジョセフ・シセンズに替わって急遽出演したカルヴィン・リチャードソンによるベンヴォーリオ、そしてロミオとの3人の踊りがぴたりと揃うさまも爽快だった。

英国ロイヤル・バレエ『ロミオとジュリエット』金子扶生(ジュリエット)、ウィリアム・ブレイスウェル(ロミオ)©Foteini Christofilopoulou

金子扶生とウィリアム・ブレイスウェルによる『ロミオとジュリエット』バルコニーシーンのリハーサル映像

両日とも、フレッシュなキャストによってまるで生まれ変わったかのような印象を放った『ロミオとジュリエット』。この後も、スティーヴン・マクレイの手術後初の舞台復帰公演、マヤラ・マグリカルヴィン・リチャードソンの主演デビューなど、今季の『ロミオとジュリエット』は見逃せないキャストが目白押し。初演から半世紀以上経った今なおこの作品が新鮮な魅力を失わないのは、キャストの数だけ違う物語が見えてくるからにほかならないだろう。

今回ひとつだけ残念だったのは、私の座っていた1階のストールサークル席で、満席にも関わらず同じ列でマスクを着用していた人がたった2、3割程度しかいなかったこと。夏の規制緩和前に比べるとマスク非着用者が格段に増えており、着用を呼びかけるアナウンスが流れていたにも関わらず、客席の熱気のせいかそれがかき消されてしまっていた。ロンドンの街中を歩くと、もはやパンデミックは過去のものだったのではないかと錯覚するくらいコロナ以前の活気が戻ってきており、屋外ではマスクを着用しない人も多い。入場時にワクチン接種証明などの提出が求められない現在、安心して観劇を楽しむためにも、またバレエ団が公演を継続できるようにするためにも、劇場内で一人ひとりが最低限のエチケットを守ることは必須かと思うが、その意識にはだいぶ温度差があるようだった。

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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