鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。
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英国ロイヤル・バレエ「Secret Things / Everyone Keeps Me」
今最も注目されている振付家のひとり、パム・タノヴィッツによる「Secret Things / Everyone Keeps Me」が、2023年2月4日〜16日、ロイヤル・オペラハウス内の小劇場、リンバリー劇場で行われた。出演したのは、ロイヤル・バレエの若手ダンサーたち。新作『Secret Things』と、2019年初演でキャストを新たにした『Everyone Keeps Me』の間に、昨年11月に初演された『Dispatch Duet』の映像版の上映を挟み、ニューヨークを拠点とするタノヴィッツがこれまでにロイヤル・バレエに振付けた全3作品を一挙に堪能できる貴重な機会となった。全体で正味1時間ほどだったが、ふだんコール・ド・バレエとして踊る若手がそれぞれ強烈な個性を発揮し、バレエの新しい可能性を感じさせるたいへん充実した内容。チケットは全日程完売で、初日の2月4日は、ケヴィン・オヘア監督や各紙の批評家はもちろん、モニカ・メイソン前芸術監督や、3月に『ウルフ・ワークス』に主演するアレッサンドラ・フェリなどの姿も客席にあり、関心の高さを伺わせた。
英国ロイヤル・バレエ『Secret Things』ハナ・グレネル、ジャコモ・ロヴェロ ©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
世界初演となった『Secret Things』は、ニューヨークを拠点に活動する英国人作曲家アンナ・クラインによる弦楽四重奏曲「Breathing Statues」に振付けられた小作品。ファースト・アーティストのハナ・グレネルが客席から歩いて登場し、観客と、舞台脇にいる弦楽奏者たちをじっと見つめて舞台に向かう。彼女のオープニング・ソロは、アティテュード・ドゥヴァンでぎこちなくホップしたり、手のひらを観客側に向けるようにして描くアームスの鋭角なラインを突然ダランとさせたりと、音楽のタイトルと呼応するように、どこか生きた彫像のような印象も。その姿は、自分の身体の中にすでにあるバレエという言語を少しずつ〈発掘〉していくような、新鮮でスリリングな驚きに満ちている。
英国ロイヤル・バレエ『Secret Things』ハナ・グレネル、ジャコモ・ロヴェロ ©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に触発されたクラインの音楽と同様、振付の中にはいくつも、プティパやバランシン、ロビンズなど、バレエ史を彩る巨匠たちによるアイコニックな振りやポーズが登場し、そうかと思うと次の瞬間により抽象的な別の何かへと溶解していく。「ただオマージュを捧げているわけではありません。もちろんそういった要素もありますが、それだけではなく、そこには脱構築や、ポストモダン的な新たな枠組みがあります。それは、私自身がバレエダンサーではないからこそもたらされた視点だと思っています」と語るタノヴィッツの振付は、馴染みがあるようでいてどこまでも斬新だ。
英国ロイヤル・バレエ『Secret Things』©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
英国ロイヤル・バレエ『Secret Things』©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
金色のスパンコールがあしらわれたレオタードにシースルーのイエローのチュニック、ターコイズに塗られたポアントシューズなど、ヴィクトリア・バートレットによるカラフルでプレイフルな衣裳にそれぞれ身を包んだ8人のダンサーたちの表情は、他のタノヴィッツの作品と同様に無機質。余計な装飾の一切ない、純粋なステップだけが、それを踊る身体の持ち主のそれぞれの個性を暴いていく。無表情で淡々と踊る彼らが、万華鏡のように繋がり、弾け、変化し、ダンサーたちの身体の中に染み込んでいる〈伝統〉とこれまで誰も見たことのない〈革新〉が交錯するさまは、まるでバレエという伝統芸術の裏にある秘密を覗き見しているよう。気鋭の若手ダンサー、リアム・ボズウェルが口笛とともに退場するラストも秀逸だった。
英国ロイヤル・バレエ『Secret Things』リアム・ボズウェル©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
昨年の「ダイヤモンド・セレブレーション」で世界初演された『Dispatch Duet』は、キャストは同じウィリアム・ブレイスウェルとアンナ・ローズ・オサリヴァンだったが、アンソラ・シンディカ=ドラモンドが手がけた映像版は、舞台版とはまた趣が異なった。リンバリー劇場のホワイエ、舞台袖、クラッシュルームに至る階段など、ロイヤル・オペラハウス内の数ヵ所で撮影された映像が巧みにつなぎ合わされ、次々と場面転換しながらひとつの踊りを展開していく。舞台裏から、エレベーターに乗って退場するラストが、痺れるほどクールだった。
英国ロイヤル・バレエ『Everyone Keeps Me』©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
英国ロイヤル・バレエ『Everyone Keeps Me』©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
英国ロイヤル・バレエ『Everyone Keeps Me』中尾太亮©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
英国ロイヤル・バレエ『Everyone Keeps Me』アメリア・タウンゼンド、チョン・ジュンヒョク©2023 ROH. Photograph by Alice Pennefather
マース・カニングハムの生誕100周年を記念してタノヴィッツがロイヤル・バレエに初めて振付けた『Everyone Keeps Me』は、今回キャストを一新。ロビンズの『ダンシズ・アット・ア・ギャザリング』を彷彿とさせるカラフルな衣裳や、9人のダンサーが連なるように移動するイメージ、ダンサーたちの淡々とした表情、音楽に〈乗る〉のではなく、音楽に時に反発しながら同時発生的に踊る手法や、ニジンスキーの『牧神の午後』を彷彿とさせるポーズなど、いま見ると今回初演された『Secret Things』と共通する要素も多いが、それでいてまったく違った印象の作品に仕上がっている。こちらの作品でも、顔の表情にドラマはないのに、身体の純粋な動きだけで、中尾太亮、アメリア・タウンゼンド、チョン・ジュンヒョクら若手ダンサーの身体の内から生まれる物語を浮き彫りにしていくさまから目が離せない。公開リハーサルでは、演劇性を大切にするロイヤル・バレエのダンサーたちに、あえて「ただ、身体を動かすだけでいい。いま身体でしていることを説明しようとするのではなくて」と指示するタノヴィッツの言葉が印象的だったが、そんなユニークな要求に堂々と応えてみせたコール・ド・バレエのダンサーたちの健闘ぶりに、最大限の賛辞を贈りたい。
★次回更新は2023年3月30日(木)の予定です