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【レポート】ウィリアム・フォーサイスが思想・芸術部門を受賞!第39回(2024)京都賞

青木かれん Karen AOKI

©Ballet Channel

2024年11月10日(日)、京都国際会館にて第39回京都賞授賞式が執り行われました。
この賞は、稲盛財団が科学や技術、思想・芸術の分野に大きく貢献した人に贈る日本発の国際賞。本年度は先端技術部門を理論物理学者のジョン・ペンドリー、基礎科学部門を地質学者のポール・F・ホフマン、思想・芸術部門をウィリアム・フォーサイスが受賞しました。
授賞式に続いて行われた記者会見の内容と、翌11日(月)に行われた受賞記念講演会、12日(火)に行われたフォーサイスの個別会見のレポートをお届けします。

【11/10】記者会見

式典後、ジョン・ペンドリー、ポール・F・ホフマン、ウィリアム・フォーサイスの合同記者会見が開催。それぞれが受賞の喜びを述べるとともに、披露されたオーケストラ演奏や奉祝能、子どもたちの合唱に感銘を受けたと語りました。

写真左から、ジョン・ペンドリー、ポール・F・ホフマン、ウィリアム・フォーサイス。「閉会時に演奏されたワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は好きな音楽の一つ。30年間にわたり大きなオペラハウスで仕事をするなかで、リハーサル後にさまざまなフィナーレを聴いたことを思い出しました(フォーサイス)」 ©Ballet Channel

ウィリアム・フォーサイス 1949年アメリカ ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。1967年ジャクソンビル大学でクラシック・バレエを学び始め、1969年ジョフリー・バレエ・スクールの奨学金を受ける。1973年シュツットガルト・バレエ入団。1976年振付家としての最初の作品『Urlicht』を創作し、シュツットガルト・バレエの常任振付家に就任。1984~2004年フランクフルト・バレエ芸術監督。2005~2015年ザ・フォーサイス・カンパニー芸術監督。舞踊の技法と美学を根底から刷新し、身体表現の新たな地平を開いた振付家として贈賞 ©Ballet Channel

続いて記者たちによる質疑応答が行われました。フォーサイスのおもな回答は以下の通り。

記者1 今回の思想・芸術部門受賞について、どのような点が評価されたと考えていますか?
フォーサイス 私は正しいやり方をわかっていなかったから、自分自身で方法を作るしかなかった。それが評価されたのだと思います。私が興味を持っているのは、プロセスです。結果よりもそこに至るまでのプロセスが大切だと感じています。
これまでクラシック・バレエの伝統に疑問を投げかけてきました。つまり、クラシック・バレエのポジションとは芸術においてどのくらい必要なものなのか? その伝統を変えたとしても、バレエは成り立つものなのか? それを考え続けてきました。
そのように考える中で出てきたのが「カウンターポイント(対位法)」*。このカウンターポイントこそ、私がもっとも興味を持っていることです。
*フォーサイスの振付で多用される法則のひとつ。
そのほかにも、私は多くのデジタル教材を作ってきました。カウンターポイントに焦点を当てたもの*もあります。さらに子どもたちや若い振付家に対して、自分の知識を言葉で説明する取り組みを世界じゅうで行っています。
*『Improvisation Technologies. A Tool for the Analytical Dance Eye』(1994,1999)
記者2 京都賞は、稲盛和夫氏の「科学や文明の発展と人類の精神的深化のバランスをとりながら、未来の進歩に貢献したい」という願いから設立されました。その理念や精神性についてどう考えていますか。
フォーサイス 私はできることすべてに挑戦して、私が望む世界を再現したいと思っています。そのなかで、人々がどのような希望を持ち、どのような世界を思い描いているのかをつねに考えています。私だけでなくスタジオで一緒に仕事をしている人たちみんなが、自分たちのやっていることを通じて、どうすれば世界に貢献できるかを考えているんです。
京都賞をいただくことはすばらしい喜びです。精神性は社会に必要なもので、精神的深化はさまざまな方法で達成できると思っています。私たちはみな、まったく異なるアプローチで仕事をしていますが、人々に感動を与えるという点において違いはないと考えています。誰しも、同じ人間の原則に基づいて仕事をしているのでしょう。
記者3 振付を作るなかで壁にぶつかったとき、どのようにして乗り越えてきましたか?
フォーサイス バレエの振付の世界では、教育機関などによる包括的なプログラムの提供はほとんどありません。振付を学ぶ場所がないので、振付家は自分たちで学ぶ必要があります。だからこそ、生涯にわたってこの状況を克服する取り組みを続けていかなくてはならないのです。
記者4 インスピレーションに欠かせない習慣やルーティーンがあれば、教えてください。
フォーサイス 私は抽象的なことを考えるのが苦手なので、新しい作品を振付ける時は、まず具体的な人をイメージして、その人のスキルに基づいた動きを考えます。6・7年ほど考える時間を作り、頭のなかで何千回もシミュレーションします。構造を変えたり、キャストを変えたりと試行錯誤を繰り返すのです。最終的にスタジオに入る段階になると、バレエに関するたくさんの意思決定をおこないます。これが私の仕事のやり方です。もちろんとても時間のかかる大変な作業ですが、同時に楽しんでもいます。
今年10月にパリ・オペラ座で上演した『リアレー』*では、パ・ド・ドゥをトリオに再構築しました。このように完成したと思っていたことでも、違うと思ったら方向転換をします。ある時点で意思決定はしますが、柔軟な考え方で仕事をしています。
*『リアレー』は2011年にシルヴィ・ギエムとニコラ・ル・リッシュによって初演。

会場内のロビーに展示されたウィリアム・フォーサイスのブース ©Ballet Channel

【11/11】 記念講演会

11月11日には各受賞者による講演会が開催。ウィリアム・フォーサイスは「ときに、わたしは花々にキスをする」と題し、これまでの歩みを振り返りながら語りました。

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「はじめてダンスをしたのは、5歳の時。憧れのフレッド・アステアになりきって、ジンジャー・ロジャースをパートナーに想像しながら、部屋でパフォーマンスをしました。振付をはじめたのは13歳。それから高校のミュージカルの振付をしたり、アンサンブルとして歌ったり、楽器を演奏したり、ダンスパーティーのデザインを引き受けたりとめまぐるしく活動していたのを覚えています。家に帰ると、キッチンでまたフレッド・アステアになりきって踊っていました。この頃のパートナーは、収納棚の扉やあらゆるキッチン用品たち。しかも、ものすごいスピードで奇妙なパ・ド・ドゥを踊り続けていたんです。これはエネルギーあふれるティーンエイジャーにしかできないと思います」。

「踊りも歌もできたので、ある時ふと、ブロードウェイに行きたいと思いました。当時はまだ、ダンスをきちんと学んではいなかったのですが、公開オーディションを受けに電車でニューヨークへ行きました。私はそのオーディションで衝撃を受けました。振付師の見せたデモンストレーションが、はじめて見るかっこいい動きだったからです。思わず『すごいですね!』と感嘆の声をあげると、一緒にオーディションを受けているダンサーたちがいっせいに笑い始めました。彼らは私が皮肉を言っていると思ったのです。それでも真剣に『その技を教えてください』とお願いすると、振付師はあきれながらこう答えました。『君ね、これはピルエットだよ』と。すぐに素人同然の私はオーディションからつまみ出されました。
そして向かった先はディスコクラブ。人の波をかき分けてやっとの思いでお立ち台に立ち、わずかな時間だけ踊ることができました。とても緊張しましたが、この経験がやがて人の前に立って何かをすることに繋がった気がしています」。

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「ダンスのほかにもうひとつ、情熱を注いだのは、花の香りをかぐこと。ときに花々に話しかけ、キスをしました。母の影響でフラワーアレンジメントをはじめ、10代の後半には造園家になりたいという夢を持ち、日本へ生け花留学をしたいと思っていたこともあります。留学が叶わなかったので、家で練習をするようになり、やがてクリスマスツリーの飾り付け担当になりました。これは美的感覚を自由に表現できる、またとないチャンスでした。木の下にもぐりこみ、完成形をイメージしてどのような順序で飾り付けていくかを考える。こうした個人的な創作で戦略を練った経験が、いまの振付家としての戦略に結び付いたと思います」。

続いて、振付家という存在を意識したきっかけについて語りました。

「私のダンスの師匠である、クリスタ・ロング先生がある日こう言いました。『あなたはダンサーというよりも、むしろ振付家よ』と。その後、18歳で先生からはじめて振付作品を依頼され、これが観客や批評家に評価されました」。

「バレエとは持続不可能なもの。同時的に動きが統一されることはなく、構成要素をすべて記述できる物体とは異なります。それぞれ違う角度で動く四肢、回転、加速、ベクトル、遠心力といった要素の総体がバレエです。バレエダンサーの仕事は、振付家が提示する混沌を利用すること。そこがいいと思っています」。

講演会の後半には、影響を受けた振付家ジョージ・バランシンにも触れ、約1時間にわたる講演会を終えました。

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【11/12】 ウィリアム・フォーサイス囲み会見

最終日の11月12日には受賞者一人ずつの個別会見が行われ、集まった記者たちの質問に答えました。フォーサイスの会見の主な内容は以下の通り。

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記者1 キャリアの中で自分のスタイルが確立したと思う作品はありますか。
フォーサイス 私はまだ自分のスタイルをきちんと確立したとは思っていません。スタイルとは思考の成果で、私はまだ思考のプロセスの中にあると考えています。
思考のアプローチには共通するものがあるので、類似の作品が生まれてくることもあります。さらに、ダンサーがどういった踊りをするのかによって作品に新たな効果が生まれます。観客のみなさんは、その踊りを観て「フォーサイスのスタイルだ」と認識しているのではないでしょうか。
記者2 京都賞を受賞して、今後の展望をどのように思い描いていますか。
フォーサイス こうして京都賞をいただいたことでとても大きな力を与えてもらったと感じています。いただいたものを最善の形で仲間たちや同僚の助けとなるように使いたいと考えています。
私は、リーダーではなくサーヴァント(仕える人)でありたい。ほかの人の役に立ち、奉仕することで、私自身も楽しむことができると考えています。
記者3 はじめてバレエを意識した作品がディズニーの『ファンタジア』だと聞きました。そういった作品を観て、どんなところに興味を持ちましたか。
フォーサイス 私が子どもだった1950年代は、カートゥーン文化が発展しはじめ、ミッキーマウスやドナルドダックといったキャラクターが人気を博していた時期。映像を観てとくに興味を持ったのが、どのキャラクターにも振付がついていて、その動きに効果音や音楽がついていることでした。たとえばジャンプしているときに、「ボーン」という効果音つきで、ばねのように勢いよく四肢が伸縮する、人間ではありえないような身体の動きが描かれていました。毎日、作品を通して斬新かつ不思議な動きを見ることができ、学びになったと思っています。
記者4 さまざまなダンスに出会ったなかで、なぜバレエを選んだのでしょうか。
フォーサイス 私にとっては後から言語が与えられたようなもの。何のダンスなのかわからないまま踊って、後になってそれがバレエという枠組みにはまったと感じています。バレエに出会うことで「ああ、これだったんだ」と納得しました。
私は幼いころから、そこらじゅうにダンスがあふれているような環境にいました。それは、あらゆるところに降り注ぐ雨に似ています。雨は溝に流れ、やがて川となります。私の場合は、さまざまなダンスを踊るなかで、「踊りたい」という気持ちがバレエという大きな川になりました。クラシック・バレエのような形式的な構造や工芸的な性質、具体性がとても好きで、そういったところに惹かれたのだと思います。

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記者4 ダンサーや音楽、舞台の環境などさまざまな条件が絡み合う中で、予期せぬアクシデントが起きると、思い描いていた作品にならないことがあると思います。その場合はどう対処するのでしょうか。
フォーサイス 私は戦略家であり、すべてのことは計画されています。アクシデントを予期していないということはありません。戦略としてきちんと考え抜かれたものを観客に届けているので、パフォーマンスで起こるアクシデントは計画のもとにコントロールされています。
私の振付家としての役割は、ダンサーにテーマを与え、敬意を払った丁寧なやり方で彼らが抱えるジレンマに対して、問いを投げかけ続けること。ダンサーは高い身体能力や表現力を持ち、とてつもなく長い時間をレッスンに捧げています。ですが、生のパフォーマンスに失敗はつきもの。ダンサーは誰しもがそれを理解し、自分のコンディションや舞台の環境などと戦いながら踊っています。彼らは踊りを通して観客と対話するために舞台に立っているのですから。失敗をすると、同情やとても残酷な反応が無意識のうちに出てきます。そのなかでも観客がワクワクしてくれるようなものを届けるのが私の役目です。
記者5 これまで日本のカンパニーとの仕事を通して感じた、日本のダンサーの印象を教えてください。
フォーサイス 日本のダンサーは日本の文化がベースになっていると思います。日本の伝統的な工芸はどのくらい長い歴史があるのでしょうか。おそらく何千年という時間をかけて作り上げられたと思います。私の思う優れたダンサーとは、アーティストというよりは工芸に秀でた人で、彼らはダンスを通して素晴らしい作品を作り上げています。日本のダンサーたちは工芸の感覚を作品に表していて、これまでとは違うスタイルでした。そしてどの作品にも心がこもっていると感じます。
記者3 振付や創作活動を続けていく中で、どんな瞬間に喜びを感じますか。
フォーサイス 私の喜びとは、ほかの人の幸せ。ダンサーたちが作品を通して自分を発見し、変わって、成長していくのが私にとって大きな喜びとなります。自分自身の幸せを求めるのではなく、自分の力を周りの人の幸せのために使いたいと考えています。
かつては私もダンサーだったので、ダンサーたちがいかに踊りたいと思っているか、踊ることに対してどれだけの愛情を持っているかを充分に理解できます。だからこそ、彼らの踊りに対する愛情を観客に伝えなければなりません。そしてダンサーが変わらなければ、観客の気持ちを変えることはできません。ダンサーが自身の経験を身体で表現し、振付家がそれを尊重してベストな形で観客に繋いでいく。これが私のテーマだと思っています。ダンサーと観客をハッピーにするのが、私にとっての喜びです。
記者1 ご自身を戦略家とおっしゃいましたが、振付をはじめた当初から意識していましたか。
フォーサイス 私も最初はビギナーでした。はじめは何かに従っていたのが、徐々にリーダーとして指揮をとれるようになったと思います。リーダーに求められるのは、寛容な利他の心だと思っています。見返りを求めずに、仲間にとってベストな環境を作る人。これが私の考えるリーダー像です。
私のモットーとして、つねに人とコミュニケーションを取るときは自分の子どもに接するように意識しています。なぜなら、人は誰しも誰かの子どもですから。親の立場に立つと、自分の子どもをほかの人に尊重してほしいし、職場でもきちんと理解してもらいたいと思うものです。それと同じ感覚で、どんなふうにご両親がみなさんを扱ってほしいか、尊重して理解してほしいかといった気持ちを想像しながら、出会う人々に接しています。おそらく、全員が誰かの子どもであるという点で、私たちはみんな繋がっていると思います。他者を尊重する気持ちをもって対応すれば、いろいろな世界や社会に出ていきやすいのではないでしょうか。

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会見の最後に、フォーサイスが記者に向けてメッセージを伝えました。

「ここにいるみなさんは記者として、意味のある質問をしてくださいました。そういった質問をもらえることを嬉しく思いますし、この時間が私の人生をより豊かにしてくれていると感じています。私がここにいるのは、多く人の人生に意味を与えるという仕事をするため。記者のみなさんが取り組んでいる仕事も、私と同じように誰かの人生に意味を与えていると思います」。

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