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オランダ・ハーグを拠点に活動する“世界で最も成功したコンテンポラリーダンス・カンパニー”、ネザーランド・ダンス・シアター(NDT) が、2024年6月30日(日)〜7月13日(土)に来日 します。
才能ある気鋭の振付家と世界中から集まった選りすぐりのダンサーたちの共同制作によって、年間約10の新作を発表しているNDT。日本でも大きな人気を誇り、前回(2019年)13年ぶりに来日した際には、 神奈川公演では異例の立ち見が出るほどの盛況をみせました。
NDTというダンス・カンパニーはなぜ、これほどまでに「成功」したのか。
日本ツアー開幕に先駆けて、バレエチャンネルの連載「鑑賞者のためのバレエ・テクニック大研究!」でもおなじみの舞踊評論家、海野敏さんの特別寄稿をお届けします。
※この寄稿は、「NDT Japan Tour 2024/ネザーランド・ダンス・シアター プレミアム・ジャパン・ツアー2024」 の公演パンフレットより特別掲載しています
ネザーランド・ダンス・シアターはなぜ成功したのか
海野 敏(東洋大学教授・舞踊評論家)
■オランダの劇場舞踊史
21世紀のコンテンポラリーダンス界で、ネザーランド・ダンス・シアター(以下「NDT」)がその前衛に立っている事実について、2002年、オランダのある舞踊評論家は「オランダのような小さな国が、今や国際的ダンスカルチャーの最先端にいるというのは奇跡にほかならない」と述べている。
少しだけ歴史を紐解こう。欧州において劇場舞踊の中心は長らくバレエであった。しかしオランダでは18世紀までバレエより演劇が重視され、宮廷でもバレエはほとんど上演されていない。19世紀のロマンティック・バレエの時代には、アムステルダムで『ラ・シルフィード』や『ジゼル』の改訂版が上演されているが、独自のバレエ文化は育たなかった。19世紀末から20世紀初頭には、ロイ・フラー、イサドラ・ダンカン、アンナ・パヴロワなどのスターダンサーが訪蘭しているが、オランダが新しい舞踊の発信地になった形跡はない。
オランダに本格的な劇場舞踊の文化が定着したのは、第2次世界大戦の終結後である。それゆえに前述の舞踊評論家は、NDTが世界の舞踊の最前線にいることを「奇跡」と表現したのだ。
では、なぜNDTはそれほど成功できたのだろうか。筆者はその秘密を、バレエと非バレエの対立と止揚 にあったのではないかと考えている。ダンスの弁証法である。ここでバレエとは、ターンアウトした脚の基本ポジションを有する技法に基づいた、近代西欧で発達したアーティスティックなダンスのことだ。
以下ではこのような視点から、NDTの輝かしい歴史を、(1)1959年創立の経緯、(2) 1959~74年、(3) 1975~99年、(4) 2000年以降に分けて解説する。
■バレエと非バレエのダイナミズム
1920~30年代、オランダの劇場舞踊は、東の国境を接するドイツ舞踊の影響下にあった。具体的には、ルドルフ・フォン・ラバンとマリー・ヴィグマンが発展させたドイツのモダンダンスである。第2次世界大戦が始まると、1940年、オランダはドイツ軍の占領下に入る。以後5年間、激しい抵抗運動はあったものの、英仏米露の芸術が禁止され、ユダヤ人アーティストは排除されていた。
1945年に第2次世界大戦が終結すると、戦時中の反動で、オランダからドイツ由来のモダンダンスは姿を消す。代わりに急速に広まったのがクラシック・バレエである。いくつものバレエ団が並立する中、1954年、オランダ政府から最初に補助金を受けることになったのは、ソニア・ガスケルが率いるネザーランド・バレエ だった。ガスケルはリトアニア生まれのロシア系ユダヤ人で、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュスでも踊ったダンサーである。指導者としての彼女は、ロシア・バレエのスタイルを好み、クラシックの厳格な技法を重視した。
このガスケルの指導体制に反旗を翻したのが、1958年にネザーランド・バレエのバレエ・マスターとなったベンジャミン・ハルカヴィ である。ハルカヴィはニューヨーク生まれで、アメリカの新しいダンスの動向に対する感度が良く、ロシア志向のガスケルとは相容れなかった。
1959年、ハルカヴィと18人のダンサーはネザーランド・バレエを脱退してNDTを結成 する。同団ダンサーの過半数の脱退だった。NDTは、オランダからの新しいダンスの発信を目標とした。かくしてNDTの活動は設立当初から、バレエの技法を身につけたダンサーによる前衛的な舞踊の創造 に特徴づけられることとなったのである。
いっぽう1961年、ガスケルが率いるネザーランド・バレエはアムステルダム・バレエと合併し、オランダ国立バレエ となった。オランダの劇場舞踊は、現在でもハーグのNDTとアムステルダムのオランダ国立バレエによって支えられている。
■ファン・マーネンとテトリー
1959~74年、NDTの芸術的な支柱となったのはハンス・ファン・マーネン である。ファン・マーネンはオランダに生まれ、ガスケルに師事し、一時ローラン・プティの舞踊団で踊った後、NDTの創設メンバーの一人となった。
1960年、ファン・マーネンはハルカヴィとともにNDTの共同芸術監督となり、1971年に退団するまで同団のために多数の作品を振付けている。彼の作品はバレエの技法を使いつつ、アメリカのモダンダンスの動きを取り入れ、物語的な構造は避けた作品が多い。使用する音楽は古典から現代音楽まで幅広く、例えばストラヴィンスキーで《3楽章の交響曲》(1963)、ヒンデミットで《5つのスケッチ》(1966)、ベートーヴェンで《大フーガ》(1971)を作っている。NDTの国際的な評価を最初に高めたのは、ファン・マーネンの功績と言ってよい。
また、この時代はグレン・テトリー の影響も大きい。テトリーはアメリカに生まれ、ハンヤ・ホルム、マーサ・グレアム、アントニー・チューダーに師事し、1964年、NDTにダンサー兼振付家として参加した。1969年にハルカヴィがNDTを退団すると、ファン・マーネンとともに共同芸術監督になる。彼女の作品はファン・マーネン以上にアメリカのモダンダンスの流れを踏まえた振付であり、シェーンベルクの音楽を用いた代表作《月に憑かれたピエロ》(1962)を初め、NDTのレパートリー拡充に貢献している。
■キリアンの時代
1975~99年はイリ・キリアン が芸術監督として活躍した時代である。キリアンはチェコに生まれ、ジョン・クランコに師事し、シュツットガルト・バレエのソリストを務めた後、1975年から四半世紀のあいだNDTの芸術監督を務めた。
キリアンはバレエの動きにモダンダンスの弾力と粘着力のある動きを独自のやり方で融合することで、振付の語彙を大きく拡張した。シェーンベルクの楽曲による《浄められた夜》(1975)、母国チェコの作曲家ヤナーチェクの楽曲による《シンフォニエッタ》(1978)、オーストラリア先住民のアボリジニの文化に取材した《スタンピング・グラウンド》(1983)、モーツァルトの楽曲で性の悦びを美しく描いた《小さな死》(1991)など、NDTで数々の傑作をものにしている。
また、キリアンの指導体制も効果を発揮した。彼は若いダンサーと振付家の育成に力を入れ、主力のカンパニーをNDT1とし、若手ダンサーのためのNDT2と、高齢ダンサーのためのNDT3を作ることで、カンパニー全体の持続的な発展を保証する仕組みを整えた。その後の組織再編で体制が変わったものの、NDT1とNDT2の2カンパニー制は今も継続している。
■キリアン後も衰えぬ存在感
21世紀に入っても、世界のコンテンポラリーダンスをリードするNDTの地位は揺らいでいない。毎年、平均10もの新作を上演し続ける生産性の高さ、発信力の強さは驚嘆に値する。その原動力となっているのは、創立以来の①伝統的なバレエ技法の重視 、②革新的な振付家の協力 、③ダンサーと振付家の国際性 であろう。
NDTでは、どんなに前衛的な作品を踊るダンサーでも、バレエの基本的な技術を身につけていることが求められる。なぜならば、ターンアウトした脚のポジションを出発点とするバレエの技法は、身体を全方位に素早く移動、跳躍、回転させる技法として、きわめて洗練されているからである。バレエは、身体の効率的な運用技法として合理的で汎用性が高い。
次に振付家について。まずキリアン時代にすでに、モーリス・ベジャール、マッツ・エック、ウィリアム・フォーサイス、オハッド・ナハリン、ウヴェ・ショルツなど、時代を代表する錚々たる振付家がNDTに作品を提供し、素晴らしいレパートリー群が出来上がっていた。また、ナチョ・ドゥアト、ポール・ライトフット、ソル・レオンなど、キリアン自身が育てた振付家たちの活躍も始まっている。Noism Company Niigataを率いる金森穣も、若き日にNDTで学び、振付作品を残している。
さらに世界的に評価されている振付家たち、クリスタル・パイト、ガブリエラ・カリーソ、マルコ・ゲッケ、ホフェッシュ・シェクター、アレクサンダー・エクマンなど、個々に触れる紙幅はないが、こぞってNDTのために創作をしている。それだけ魅力的なカンパニーなのだ。
最後に国際性について。NDTは創立当初から国際性の豊かなカンパニーだった。ここまでに挙げた委嘱振付家だけみても、アメリカ、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、オランダ、カナダ、スウェーデン、スペイン、チェコ、ドイツ、フランス(五十音順)と出身国は多様だ。また現在NDTに所属する29人のダンサーたちの生誕地は、欧州・北米を除いても、オーストラリア、韓国、台湾、日本、ブラジル、ボリビア、南アフリカと地球を覆っている。
成功が成功を呼び、NDTは世界中から優れたダンサーと振付家を吸い寄せる場となっている。NDTの快進撃は、まだまだ止まらないだろう。
公演情報
【日程・会場】
●群馬公演
2024年6月30日(日)16時
高崎芸術劇場 大劇場(群馬県高崎市)
●神奈川公演
2024年7月5日(金)19時
2024年7月6日(土)14時
神奈川県民ホール 大ホール(神奈川県横浜市)
★18歳以下無料招待受付中
詳細・申込はこちら
●愛知公演
2024年7月12日(金)19時
2024年7月13日(土)14時
愛知県芸術劇場 大ホール(愛知県名古屋市)
★劇場と子ども7万人プロジェクト(小・中・高校生招待) 対象公演
*12日のみ残僅
詳細・申込はこちら
【上演プログラム】
※各公演3作品を組み合わせて上演
・Jakie ジャキー by Sharon Eyal & Gai Behar シャロン・エイアール & ガイ・ベハール
・One Flat Thing, reproduced ワン フラット シング, リプロデュースト by William Forsythe ウィリアム・フォーサイス
・Solo Echo ソロ・エコー by Crystal Pite クリスタル・パイト
・La Ruta ラ・ルータ by Gabriela Carrizo ガブリエラ・カリーソ(Peeping Tom ピーピング・トム)
・I love you, ghosts アイラブユー, ゴースト by Marco Goecke マルコ・ゲッケ
企画制作・招聘:愛知県芸術劇場、Dance Base Yokohama
協力:オランダ王国大使館
【詳細】
公演特設サイト
【主催・制作・問合せ】
●群馬公演
主催・問合せ:高崎芸術劇場[公益財団法人 高崎財団] チケットセンター
TEL 027-321-3900(10:00~18:00)
https://www.takasaki-foundation.or.jp/theatre/index.php
●神奈川公演
主催:Dance Base Yokohama [一般財団法人セガサミー文化芸術財団]/神奈川県民ホール [公益財団法人神奈川芸術文化財団]
制作・問合せ:Dance Base Yokohama
contact@dancebase.yokohama
https://dancebase.yokohama/
https://www.kanagawa-kenminhall.com/
●愛知公演
主催・制作・問合せ:愛知県芸術劇場
TEL 052-211-7552
contact@aaf.or.jp
https://www-stage.aac.pref.aichi.jp