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【レポート】Noism Company Niigata 20周年記念公演「Amomentof」記者発表

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取材・文:加藤智子(フリーライター)

2004年にりゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館に誕生したNoismが、設立 20 周年を迎え、2024年6月・7月に本拠地の新潟と埼玉でNoism Company Niigata20周年記念公演を実施する。上演されるのは、芸術総監督・金森穣によるNoism0+Noism1+Noism2総出演の新作『Amomentof』、Noism0+Noism1出演の新作『セレネ、あるいは黄昏の歌』のダブルビル。4月19日に実施された記者発表では、金森と、国際活動部門芸術監督の井関佐和子、地域活動部門芸術監督・山田勇気に加え、Noism1、Noism2のメンバーが勢揃い。りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館の会場以外にも各地から約20社の媒体がオンラインで参加した。日本初の公共劇場専属舞踊団として設立されて以来20年。彼らの新たな一歩となる公演、その上演作品に込められた金森らの思いが語られた。

『Amomentof』リハーサル風景より photo: Ryu Endo

まずはNoism Company Niigata国際活動部門芸術監督の井関佐和子が、公演の企画の意図、経緯について説明した。

「20年、こうして毎年観客のみなさまが足を運んでくださることは、金森が2004年に言った “劇場文化100年構想”における一番重要なポイントでした。お客さまがこの劇場に足を運んでくださらなければ、私たちには到底、到達し得ない場所。あらためて感謝したいですし、これからますます飛躍するために、精進していきたい。

今回、演出振付家の金森に作品を依頼するにあたり、いろいろと考えました。わかりやすいテーマ、届けやすい物語、また20年のオムニバス的な作品など、いろいろ考えました。が、ここは通過点に過ぎないので、20年間、穣さんが創り続けた蓄積ではなく、その蓄積の次の一歩を私自身も見てみたいですし、みなさんにぜひ見ていただきたいと思いました。

毎年お客さまが来てくださり、次は何を作るのか、またそれに対してみなさまがどう反応するだろうか、ということは本当に興味があります。それは、これからNoismが飛躍していくためにすごく重要なことだと思い、穣さんには、いま現時点で創りたいものを創ってくださいと言いました。作品は仕上がりつつありますが、20周年記念に相応しい形になったと思います。

メンバーの中には、Noismができた時はまだ赤ちゃんだった人もたくさんいると思いますが、このタイミングにここに居合わせて、次の歴史の1ページを作っていってくれることを願っています。20年間応援してくださったみなさまにとっては、きっとご期待に応える作品になっているので、ぜひ劇場に足を運んでください」

続いては芸術総監督の金森穣。自身が演出振付を手がける今回の上演作品について述べた。

「好きなように作ってくれということが、佐和子からもらったテーマです。芸術家は、何もテーマのないところからものなんて作れない。自分が生きている中で、心で感じる葛藤をただ舞台に上げる、音楽を聴いてただ感動したから作品化するといったことほど、つまらないことはない。そこには必ず対象がある。この20年を考えた時、舞踊家として私の創作の対象として最初からずっといたのは、この佐和子である。佐和子の身体の中に入っているであろうNoismの歴史、あるいはそれまでの蓄積。マーラーの音楽(〈愛が私に語りかけるもの〉)を聴き、その音楽から私が感じる、舞踊とは何かというものを、井関佐和子という一人の舞踊家を通して表現したい。それが、『Amomentof』のコンセプトです。

もう一つの『セレネ、あるいは黄昏の歌』に関して。科学技術の進歩は、私自身も恩恵を受けていますし、誰一人としてそれを否定して生活することができないほどです。ただしその技術、利便性に脅かされているもの、失われていくもの、忘れられているものを想起させ、忘れてはならないものに向き合うきっかけを与えることも、芸術の一つの力だと考えています。『セレネ、あるいは黄昏の歌』では、私たちが忘れていること、人間とは何かということを軸に、集団として表現したい。20年の歩みの中で様々に模索、実験、蓄積してきた身体性が、総動員されています。春夏秋冬のシーズンごとに異なる身体性で創作していますが、まさに20年、あるいは私自身のそれまでの経験全てを総動員しなければ生み出せない舞台芸術になっているので、必然的に、20周年に表現するに相応しいものになるのかなと思います」

金森穣芸術総監督

また研修生カンパニーであるNoism2を率いる山田勇気地域活動部門芸術監督は、2021年の『春の祭典』以来3年ぶりとなるNoism2の本公演出演に、強い意欲を見せた。

「Noism2は、Noismの下部組織、研修生カンパニーとして2009年に発足、主に地域活動、地域の学校公演やイベントなどに参加しています。基本的に新潟市、新潟県から出ることはないのですが、今回はNoism0、Noism1と一緒に『Amomentof』に出演します。いつもはNoism1のアンダースタディとして練習していますが、今回は表舞台に立ちます。Noism Company全体の層の厚さ、空間的な広がり、奥行きのようなものが表現できたら嬉しいです。

この20周年記念公演を一つのお祭りとしてここで終わらせるのではなく、次の5年、10年、20年に向けて、いまいるメンバー、これからプロになりたいという人、未来を目指す舞踊家を鼓舞し、そういう人たちの希望となるような公演になればと思います」

山田勇気地域活動部門芸術監督

その後は質疑応答に。現地の会見会場およびオンラインで参加した記者から次々と質問が寄せられた。

金森さんに伺います。20周年を迎え、率直にどんな思いでいらっしゃいますか。
金森 (この場は20周年記念公演の記者会見なので、また個別に答えたいとしつつも、一言でと促され)「Amomentof」、“一瞬”ですね。
公演まで、創作は今後どのように進めていくのでしょうか。
金森 ラフスケッチはできていますが、さらに練って、試行錯誤します。あとは、舞踊家の身体に入れないといけない。演出はそこにあるものをただ活かす行為ではなく、そこにある空間、もの、気配を変容させること。実演する彼ら自身がまだ無自覚な、潜在的な能力や才能、輝きみたいなものを引き出すために振付がある。時間もすごくかかりますし、当然エネルギーも。我々のこの環境がなければ、そこまでは辿り着けません。もし私がゲストとして外に出かけ短時間で作品を作ったとしても、その実演のされ方は私の作品ではない。その違いを認識していただき、足を運んでいただければと思います。
設立当初からの唯一のメンバー、井関さんにとってこの20年は一瞬でしたか。
井関 一瞬といえば一瞬ですね。20年前、25歳だった自分は、何か昨日のことのように感じます。当初は自分がこの年齢まで踊っていると思っていませんでしたし、この道を歩くということを20年間で私は定めたので、それを一瞬といえば一瞬ですが、長く、いろんな道のりがありました。

『Amomentof』のコンセプトについてですが、井関さんを主人公とし、20年前からいらっしゃる井関さんと、在籍してから1年に満たないNoism2の方をどう絡めていくのでしょう。作品についてもう少し、伺いたく思います。
金森 知りたいなら観に来てください、という感じなのですが、本当に来たばかりの子たちと一緒にやりますので、当然、演出と呼ばれることが介入していきます。
一つだけお伝えするとすれば、20年前からNoismの活動を追ってこられた方にとっては、涙が止まらないような作品になるかもしれない。極めて具体的にNoismの20年を想起させるような演出をしますので。とはいえ、20年前から観ている人にしか届かない作品を作るのでは意味がない。初めての方が観ても、井関佐和子という一人の舞踊家の背後に、どれだけの時とエネルギーと思想が蓄積され、それらがどう舞台芸術として昇華するか目の当たりにした時、当然、感動していただける作品を作りたい。
若手の研修生メンバーたちは、金森さんの目にはどのように見えていますか。
金森 本当に、みなさんとそんなに変わらないくらいですよね。(Noismに加入して)まだ一年も経っていないのですから。これから彼、彼女たちが、いま思っているような自分ではない自分に出会う機会、そのきっかけとなるような活動を、Noismとして提供できたらいいなと思いますし、私にとっては、いま現在の彼らがどうであるということはさほど問題ではないんです。彼らの明日、彼らの未来を、彼ら自身が信じるのと同様に、あるいはそれ以上に信じて、エネルギーを注いでいます。私の中には、明日の彼らしかいない。
舞台でみなさんがご覧になる頃には、引き出されていて欲しいですよね。それだけの時間をかけているので。舞台芸術を観る時、Noismを観る時にみなさんにイメージしてもらいたいのは、「この人たちは、どれだけの時間をかけてきたのか」ということ。舞台を通して、それを感じていただけるようにしなければ、Noismとしての存在意義はないのかなと思います。

Noism0+Noism1+Noism2総出演の新作『Amomentof』のリハーサル photo: Ryu Endo

あらためて、金森さんにとって舞踊とは何か、現時点でどのようにお考えか、教えてください。
金森 生まれたばかりの赤子を見れば、そこに舞踊がある。それだけ根源的な芸術である舞踊こそが、人間とは何かということを表現するのに最も相応しい。それが私の舞踊観で、人間とは何かという問いは、どれだけ時代が変わり、社会が変容し、技術が発展したとしても、問われ続けていくことですね。
そういう舞台芸術を、新潟市という一地方自治体が文化政策として掲げることの価値、意義を、もっと新潟のみなさんに考えていただきたいし、そのうえで、そうでなければやめればいいし、価値を見出すのなら続ければいい、と思うのです。
いずれにしても私は、演出家として舞踊家として、生涯、この命尽きるまで舞踊と向き合っていくので、私自身がその当事者として言語化し、みなさんを説得することも大切なこと。「何であいつはここで生きているんだろう」という価値を見出してもらえる活動ができなければ、私の芸術家としての存在意義はないと考えているので、質問にお答えするなら、「私を見てください」。それが舞踊です。

『Amomentof』リハーサルより 井関佐和子、金森穣 photo: Ryu Endo

これまでにも数多くの作品の記者会見をされたと思います。20年でその雰囲気は変わりましたか。
金森 先のような質問をなさる方がいらっしゃることが、20年の変化ではないでしょうか。初期の頃はそういう質問は当然出なかったですし、時間をかければ、その道のりを追ってきてくださった方、いま新たに参加された方と、いろんな視点が加わる。確実に時間の蓄積による多様性みたいなものが生まれている。20年前、私はたぶんここで一人で喋っていたと思いますが、いま、カンパニーの中にもこうした多様性があります。それが大きな変化ではないでしょうか。
メンバーの方に伺います。いま、この節目に立ち合われているということに対しての率直な思いと、公演への意気込みをお聞かせください。
三好綾音 Noism1の三好です。20年前の私は5歳とか6歳とかで、バレエで「1番ポジション」を習っていた頃だと思います。20年続けてこられた穣さん、佐和子さんもそうですが、入れ替わり立ち替わりで関わった、顔が思い浮かぶ人も思い浮かばない人もたくさんいますし、お客様もたくさんいます。プレッシャーに感じることもありますが、『Amomentof』で、この一瞬にどれだけ同じような愛情を注げるか、だと思います。
小さい頃は海外で働いている先輩方、友人に憧れた時期もありました。けれどいま、この日本の劇場で自分が働けていることが誇りになっている。海外に憧れるよりもっともっと素敵な夢を、20年かけて作ってくださった。公演ではその思いを全部乗せ、いいものにしたい。それだけです。

三好綾音(Noism1)

金森さん、それぞれのタイミングから応援し、公演を観ているファンの方たちに対しての言葉、思いがあれば、聞かせてください。
金森 本当に感謝しかないですね。感謝という言葉では足りないくらいです。我々は、舞踊とは何か、人間とは何かというものを体現するために日々精進していますが、それは誰かに見ていただかなければ表現として成立しない。私たちは自己満足のためにやっているわけではないのです。ただ、私たちはその方たちのためにやっているわけではない。このあわいを失すると、芸術家として死んでしまう。ものすごい感謝を感じつつ、背を向ける。だから、背中で愛を感じてほしい。
今後、こういう組織にしていきたいというイメージはありますか。
金森 (芸術総監督としての思いについては個別のインタビューで、と再度断りを入れつつも)いま私が思っている未来は、この二つの作品にすべて込めている。それが、いま、演出家として言えることです。
舞踊家としての井関さんの、どのようなところに、創作の源泉を感じていますか。
金森 一舞踊家として様々な要素があるのですが、何もよりその生き様、献身する姿です。これだけ舞踊芸術を信じ、献身する舞踊家を見ていて、触発されない演出振付家はいないでしょう。

『セレネ、あるいは黄昏の歌』リハーサルより 井関佐和子 photo: Ryu Endo

『セレネ、あるいは黄昏の歌』について伺います。昨年春に発表された『セレネ、あるいはマレビトの歌』との関係性(*)を教えてください。
金森 ともにセレネと呼ばれる役が出てきます。イメージ的に『マレビトの歌』の方は黒が基調の世界観でしたが、今回の『黄昏の歌』は白。反転したような世界になります。いま、監督(井関)からウィスパーがありましたが、共通しているのは儀式性、です。いずれも野外で上演することを念頭に発想しています。本当に何もないところで、緑の芝生、自然に囲まれた、星空が見える環境での作品です。

*『セレネ、あるいはマレビトの歌』は、2023年5月に富山県黒部市の前沢ガーデン野外ステージで上演。また20周年記念公演に先んじて、2024年5月18日、19日にも同じく黒部市「黒部シアター2024春」にて上演された

『セレネ、あるいは黄昏の歌』のためにヴィヴァルディの四季を選んだ、その意図を教えてください。
金森 セレネというのは月の女神ですが、ここ数年、月という存在にすごく惹かれ続けています。創作にあたり、まず四季の巡りということをテーマに掲げたので、それにまつわる音楽をリサーチし、当たり前のように最初にヒットしたのがヴィヴァルディでした。ただ、ヴィヴァルディを聴いた時、これは作品化できないと感じた。またいろんな音楽をリサーチし、マックス・リヒター編曲版の〈四季〉に出会い、これはいけると感じたということです。(編曲版でない)ヴィヴァルディの〈四季〉がなぜダメだったか?──それがわかったら苦労しないのですが、すごく本質的な問いで、なぜこの音楽には舞台空間が見えて、こちらの音楽には見えないか。それは私自身にもわからないんです。なぜ我々はものを創造し、生み出すことができるのか。この能力は果たして何なのか、どこから来ているのか──答えられる人間はどこにもいない。それと同じです。

(上写真3枚とも)2024年5月に富山県黒部市で上演された『セレネ、あるいは黄昏の歌』 写真提供:黒部舞台芸術鑑賞会実行委員会

今回、金森さんご自身の中で、“節目感”はありますか。それとも節目という言葉は相応しくないでしょうか。
金森 そうですね。裏を返せば、毎日が節目。私はそういう人です。あくまでも、(芸術総監督としてではなく)芸術家・金森穣としての発言です。
井関さんの身体に蓄積された20年、というお話がありました。そうしたアプローチは、以前『夏の名残のバラ』(2019年初演)の時にもあったと思います。出演は井関さんと山田さんのお二人でしたが、今回は大勢のメンバーが出られる。蓄積されたものを作品化するアプローチの仕方、あるいは考え方のそもそもの違いがあれば、教えてください。
金森 鋭いですね。たぶん、私の魂の同じ箇所から出てきているので、過去の作品の中で類似するものがあるとすれば『夏の名残のバラ』だと考えていたところです。ご承知のように今回は全員が出演し、より広く、大きな形で顕現する。そこに輪をかけて、マーラーの素晴らしいあの音楽を舞踊化している。単純に井関佐和子という人を表現するためにマーラーの楽曲をもってきたわけではない。今回はマーラーが先にあり、その感動を表現するために、井関佐和子を軸にしたこの方法が相応しい、という発想です。
マーラーのあの崇高な音楽を聴いた時、愛や献身や喜びや苦悩、生きるとは何かっていうことが迫ってきますね。私自身も心震える感動をしたわけです。それを舞台上に顕現させる方法論として、井関佐和子という一人の舞踊家が蓄積してきたもの、その過去とイメージ、そういうものを舞台化することで、マーラーの音楽が私なりに表現できる。そう感じた、ということです。

公演情報

Noism Company Niigata 20周年記念公演
Amomentof

【新潟公演】
2024 年
6月28日(金)19:00
6月29日(土)17:00
6月30日(日)15:00

会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈劇場〉

【埼玉公演】
2024 年
7月26日(金)19:00
7月27日(土)17:00
7月28日(日)15:00

会場:彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉

【詳細・問合せ】
Noism Company Niigata 公演ページ

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