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ステージ交差点〜ようこそ、多彩なる舞台の世界へ〈第11回〉「出会い」

高橋 彩子

ダンス、バレエ、オペラ、演劇、文楽、歌舞伎、ミュージカル……〈舞台芸術〉のあらゆるジャンルを縦横無尽に鑑賞し、独自の切り口で世界を見わたす舞踊・演劇ライターの高橋彩子さん。

「いろんなジャンルを横断的に観ると、舞台はもっとおもしろい!」ーー毎回ひとつのキーワード(テーマ)をピックアップして、それぞれの舞台芸術の特徴やおもしろさ、共通するところや異なるところに光を当てていただきます。

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出会い

出会いの4月が到来。これまで知らなかった人やものとめぐり合い、世界が広がるのは楽しいものだ。舞台においてもしばしば、登場人物たちの出会いがきっかけとなって大きな展開を迎える。美しく、豊かで、時に悲劇や惨事をも招く出会いのドラマを見ていこう。

恋人たちの運命の出会い〜演劇&バレエ&ミュージカル『ロミオとジュリエット』、歌舞伎『与話情浮名横櫛』、文楽『生写朝顔話』〜

出会いといえば、やはり真っ先に思い浮かぶのは恋人たちのドラマだろう。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』で最初に相手をみつけるのは、ロミオ。舞踏会でジュリエットの姿を見たロミオは、「燃えるたいまつに輝き方を教える輝き」「エチオピア人の耳に輝く高価な宝石」「カラスの群れの中の真っ白い鳩」と比喩の限りを尽くす入れ込みよう。実際にジュリエットの手を取り、ロミオを巡礼者、ジュリエットを聖者に見立てて交わされる詩的な会話はじつにロマンティックなのだが、ジュリエットの乳母が呼びに来たことで会話は終わり、ロミオは相手が宿敵キャピュレット家の令嬢だと知るのだった。

バレエではこうした言葉の魅力は無い代わり、身体が恋の誕生を雄弁に表現する。ケネス・マクミラン振付版では、マンドリンを弾き始めるジュリエットに、ロミオは他を寄せつけぬ踊りでその存在をアピール。マキューシオがロミオをジュリエットから引き離し、ジュリエットは婚約者パリスにうながされて踊り始めるものの、パリスがエスコートしようとする横からロミオが再び現れて彼女を奪い、何度も抱き上げて踊る。その動きは、二人の恋の熱の急上昇とリンクするかのよう。

また、やはりシェイクスピアを原作とするジェラール・プレスギュルヴィック作詞・作曲のミュージカル『ロミオとジュリエット』では、ともに「運命の相手にいつか出会える」と信じるロミオとジュリエットが舞踏会で出会い、互いへの愛を歌い上げる。

演劇版もバレエ版も近々上演される大きな公演はないが、このミュージカル版は、この作品を日本初演した宝塚歌劇団の星組が4月に『ロミオとジュリエット』 として上演し、さらに5月にはTBS/ホリプロ/東宝/ABCテレビ/梅田芸術劇場の主催により『ロミオ&ジュリエット』として上演される。ともに小池修一郎の潤色・演出(星組公演は小池版を踏襲して稲葉太地が演出)だ。

さて、歌舞伎『与話情浮名横櫛』の「見初め(見染め)」の場面も、恋の始まりを端的に表すもの。出会いの場所は木更津の浜辺。江戸の大店の若旦那、与三郎は土地の親分赤間源左衛門の妾お富と潮干狩りですれ違う。お富の美しさに目を奪われ、その姿をどこまでも見送る与三郎は、羽織がずり落ちてしまっても気づかない。この「羽織落とし」は歌舞伎の同種の場面でよく用いられる趣向で、恋に落ちて我を忘れた男の可愛さと無防備さが凝縮されていると言えるだろう。

この『与話情浮名横櫛』に通じるところが多いのが、文楽の『生写朝顔話』。こちらの舞台は宇治川の蛍狩りだ。

〈あらすじ〉
武士で儒学を志す宮城阿曾次郎は茶屋で和歌を一首詠み、短冊に書くが、風で飛ばされてしまう。その短冊の落ちた先が、家老の娘・深雪の船の中。陸地の阿曾次郎と水上の深雪は見つめ合う。「思はず見合はす顔と顔、互ひに見とれる目の中に、通ふ心をいは橋の、渡してほしき思ひなり」。深雪が差し出した扇に阿曾次郎が朝顔の歌を書く。

こうして恋仲となった二人だが、阿曾次郎は伯父の命令で出発しなければならない。さらに、深雪に縁談話が持ち上がる。実はその縁談の相手こそ、伯父の駒沢家に養子に入って駒沢次郎左衛門と改名した阿曾次郎だったのだが、そうとは知らず深雪は出奔。

ある日、阿曾次郎は泊まった宿の座敷の衝立に自身が朝顔の歌を書いた扇が貼られているのを見て、宿の主人を介して扇の持ち主を呼ぶ。果たして現れたのは、悲嘆のあまり泣き潰し、朝顔と名を変えて盲人の芸人となった深雪。しかし同じ宿に敵・岩代多喜太の目があり名乗ることができないため、深雪は再会に気づかない。阿曾次郎が立ち去ったあとそのことを知った深雪は、大井川を渡った阿曾次郎たちを追いかけようとするが、大雨により渡ることができず、川に身を投げる……。

『ロミオとジュリエット』ばりに苦難とすれ違いの連続。それでも最後はハッピーエンドとなる点が、ロミジュリとは違うところだ。この『生写朝顔話』の出会いや宿屋ほかでの出来事、そしてドラマティックな大井川の段までを、国立劇場の5月文楽公演で見ることができる。

『生写朝顔話』(2017年9月 国立劇場)提供:国立劇場

出会ってはいけなかった二人!?〜演劇『ピサロ』、バレエ『カルメン』、歌舞伎『桜姫東文章』〜

前項で紹介した恋人たちは、たとえ悲恋に終わっても出会ったことに後悔はないだろう。しかし、惹かれ合いながらも出会うべきではなかった人たちもいる。

スペインの将軍ピサロと、彼が滅ぼしたインカ帝国の王アタウアルパは、間違いなくこちらだろう。大ヒットして映画にもなった戯曲『アマデウス』の作者として知られるピーター・シェーファーが1964年に書いた戯曲『ピサロ』には、スペインとインカという異文化を背負う二人が対面し、対立し、やがて悲劇を迎えるまでが描かれる。

〈あらすじ〉
 スペイン将軍ピサロは、167人の兵を率いてインカ帝国に向かう。迎えるインカのアタウアルパが従える兵は2400万人。しかしインカには、インカ帝国以前に土地を去った白い神が帰ってきて祝福をするという言い伝えがあったことから、アタウアルパはピサロらを攻撃せず、ピサロは易々とアタウアルパを生け捕りにする。差別される貧しい環境からのし上がって将軍となるも自身の状況に満足していないピサロと、絶対的な王でありながら今や囚われの身のアタウアルパ。対照的な二人は次第に心を通わせ始めるが……。

王と会うべく進軍するピサロの葛藤や心の闇、そして運命の対面から悲しい結末までを、歴史劇の形をとりつつ心理劇のように克明に描写するシェーファーの筆は見事。神とは、信仰とは、あるいは信念とは何かについても考えさせられる。本作は5月、ウィル・タケット演出により上演される。ピサロに渡辺謙、アタウアルパに宮沢氷魚。昨年、コロナ禍により公演途中で中止となった舞台の再演だ。

『ピサロ』ピサロの渡辺謙(右)とアタウルパの宮沢氷魚 撮影:阿部章仁

なお、ラモー作曲のオペラ『優雅なインドの国々』では、このピサロの恋も描かれている。ここで言われている「インド」とはヨーロッパ人にとっての異国のこと。第1話はトルコ、第2話はペルー、第3話はペルシア、第4話は未開時代のアメリカが舞台のオムニバス作品だ。振付家のシディ・ラルビ・シェルカウイもバイエルン国立歌劇場のプロダクションで演出を手掛けたことがあり、湯浅永麻、上月一臣、大植真太郎含め、シェルカウイが率いるカンパニー“イーストマン”のメンバーも出演。

『カルメン』のホセとカルメンも、恋愛ではあるが、出会わないほうが幸せだった二人かもしれない。とくにホセにとってカルメンはあまりにも奔放で、理解の域を超えた別世界の人間であり、完全に人生を狂わされてしまう。その結果として、カルメンを刺殺してしまうのだから、カルメンにとっても同様だろう。

メリメの小説として生まれ、ビゼー作曲のオペラとしても知られる本作は、バレエ化も数多くされている。そのうち、アルベルト・アロンソ振付の『カルメン』は、40分に凝縮された象徴的な世界。闘牛場を模した美術の中、カルメン、ホセ、闘牛士エスカミリオら登場人物たちのほかに女性ダンサーが踊る“牛”が登場するのも特長。牛は宿命を表しており、宿命と人間との相克のドラマとして描かれている。ホセとカルメンの出会いの場面では、兵士然と仁王立ちするホセの周りを、カルメンが動き回り、あの手この手で誘惑する。東京バレエ団がレパートリーとする本作は、「上野の森バレエホリデイ」最終日である5月2日に1回だけ上演される。

東京バレエ団「カルメン」©︎Kiyonori Hasegawa

東京バレエ団「カルメン」上野水香 ©︎Kiyonori Hasegawa

ストーリーは全く異なるものの、鶴屋南北の歌舞伎『桜姫東文章』の主要人物、桜姫と清玄の関係性にも、どこか『カルメン』に通じる宿命的なところがある。

〈あらすじ〉
稚児・白菊丸と心中し、一人生き残った僧・清玄は、吉田家の息女・桜姫と出会うや、白菊丸の生まれ変わりだと確信し、破戒する。一方、桜姫は、盗賊・権助に犯されて子供を産み落とすが、権助の刺青が忘れられず自らの腕にも同じ絵柄を彫りつける。剃髪するはずの桜姫は権助と再会し、再び身を任せる。しかしコトが露見するというその時に権助は逃亡し、清玄が桜姫の相手だとされ、桜姫と清玄は不義の罪で追放されてしまう。罪を引き受けて姫と結ばれようとする清玄だったが、権助を想う姫は応じない。落ちぶれた清玄はやがて命を落とし、権助と再会し夫婦となった桜姫のもとに霊となって現れ……。

登場人物たちの運命は激しく流転するが、最後には桜姫が、家の敵だとわかった権太を討ち取り、お家再興してもとの身分に戻り、大団円を迎える。

歌舞伎座の四月大歌舞伎では、清玄/釣鐘権助を片岡仁左衛門、白菊丸/桜姫を坂東玉三郎が演じる。名コンビが演じる宿命の物語は必見だ。

束の間の出会い〜能『西行桜』〜

能ではしばしば、旅などをするワキが霊などのシテと出会う。そして多くの場合、両者が共有する時間は短く、それでいて強烈なものだ。

折しも今、全国各地で桜が見頃を迎えているが、「願わくば花のしたにて春死なむ その如月の望月のころ」と詠むなど(ご存知の通り、この“花”とは桜のこと)桜を愛した歌人・西行を主人公とする能『西行桜』は、そんな西行が桜の精と束の間出会う物語だ。

〈あらすじ〉
京都西山の西行の庵室は花の盛り。一人でゆっくりと過ごしたい世捨て人の西行は花見を禁じようとするが、それを知らない花見客たちに案内を乞われ、無下に断ることもできず、その不満を「花見んと群れつつ人の来るのみぞ、あたら桜のとがにはありける(花見をしようと人々が訪れるのは桜のせいだ)」と歌に詠む。

すると白髪の老人が現れ、その場を花見客の俗世間と見るか隠遁する山と見るかは人の心次第なのであって、心がない草木に罪はない、と反論する。相手が桜の精であることを察した西行と桜の精は、ここからほんのひととき、春への愛に満ちた幸せな会話を交わす。春の宵の一時は千金に値すると語り、舞を舞う花の精。やがて、夜明けが訪れると、引き止める西行を残して、花の精は消えていくのだった。

コロナ禍にあって、人々が桜のもとに集まることを否定されがちな昨今だが、桜にはもちろん罪がなく、ただ美しく咲き誇っている。

この『西行桜』は5月、国立能楽堂で上演される。シテは、古典はもちろん、様々な新作にも挑み続ける人間国宝、梅若実。『ジゼル』を新作能にしたり、サンフランシスコ・バレエのプリンシパルのヤンヤン・タンや森山開次、パリ・オペラ座バレエ団のマチュー・ガニオやマリーヌ・ガニオと共演したりと、バレエとの縁も深い。Kバレエカンパニー『マダム・バタフライ』初演時には稽古場を訪れてダンサーたちに助言した。公演時には桜の季節は終わっているが、ぜひその至芸が咲かせる花を味わいたい。

『西行桜 素囃子』梅若実 撮影=吉越研

コラボレーションという出会い〜ミュージカル『消えちゃう病とタイムバンカー』、「二つの小宇宙―めぐりあう今―」、オペラ『Only the Sound Remains -余韻-』、演劇『未練の幽霊と怪物』

異なるジャンルや文化の出会い=コラボレーションも、舞台の楽しみの一つ。

まず、ミュージカル『消えちゃう病とタイムバンカー The Vanishing Girl&The Time Banker』。これは、梅田芸術劇場が英国・オフウエストエンドのチャリングクロス劇場と共同で舞台作品を発表する日英共同プロジェクトの第二弾。今回はコロナ禍により英国での公演の見通しは立っていないが、今月、まずは東京から幕を開ける。

本作は日英ということだけではなく、様々な人材の出会いの場でもある。まず、作・演出の長久允はCMプランナー、映画監督、映像作家。昨秋、梅田劇場が企画した「三島由紀夫没後50周年企画『MISHIMA2020』」で初の舞台作品『(死なない)憂国』を発表し、そのユニークな切り口が話題に。そして出演は歌舞伎俳優の坂東巳之助に、映画「新聞記者」など日本でも活躍するシム・ウンギョンほか、小劇場からダンスまで幅広いジャンルの出身者が揃う。

『消えちゃう病とタイムバンカー』は、『モモ』の時間泥棒よろしく人の時間を搾取する男・灰原と、悲しい気持ちになると体の一部が消えてしまう病を患う女・Mが出会う、風変わりなラブストーリー。長久は、旧約聖書の引用やオペラ『道化師』のモチーフをも絡ませながら、独自の視点でAIや労働問題、心の病や自殺など現代の社会問題をシニカルに描いていく。物語的にも演出的にも型破りなミュージカルになりそうで、観客としても新鮮な驚きをもって舞台に出会うに違いない。

次に、国立劇場の5月特別企画公演「二つの小宇宙―めぐりあう今―」。“出会い”をテーマに、2作の新作を上演する企画となっている。1作目は、大和田文雄の作・演出、日本舞踊の花柳源九郎の振付、雅楽器・笙の奏者である東野珠実の音楽、雅楽グループの神々楽伎座の演奏で、歌舞伎の中村雀右衛門と文楽の吉田玉男が共演する『変化(へんげ)と人間とー羽衣伝説―』。羽衣伝説とは、天女が自身の羽衣を奪った漁師・伯龍の妻となって子供をもうけるがやがて羽衣を取り戻して天に帰っていくというもの。雀右衛門の天女と、玉男が遣う人形の伯龍の出会いが、異ジャンルの出会いとも重なる趣向だ。2作目は、コンテンポラリーダンスの振付家・山田うんの演出・振付による『Bridge』。こちらは、山田のカンパニー“Co. 山田うん”のダンサーたちと、宗派を越えて結成された声明の会・千年の聲の共演で送る。タイトルは、異ジャンルの橋渡しなどの意味で名付けられたそう。Co. 山田うんの研ぎ澄まされた身体の動きと、仏教儀式として発展した声の響きで、どのような世界が創り上げられるのだろうか。

中村雀右衛門

吉田玉男

山田うん 撮影=HAL KUZUYA

さらに6月には、フィンランド出身の作曲家カイヤ・サーリアホが2016年に発表したオペラ『Only the Sound Remains-余韻-』の日本初演も予定されている。羽衣伝説に基づいた能『羽衣』と、一の谷の合戦で討ち死にした平経政を管弦楽器で弔う法事・管弦講に経政の霊が現れて昔を懐かしみ、やがて消えていく能『経政』を題材にした2部構成の本作。出演者は男性歌手2名(能で言うところのシテとワキを演じるカウンターテノールとバス・バリトン)、合唱、フィンランドの楽器カンテレを含む楽器の奏者のみの、小編成だが詩情豊かな作品だ。

今回は、演出をサーリアホの子息であるアレクシ・バリエール、振付・出演を森山開次が手掛け、ヴェネツィア・ビエンナーレほかとの国際共同制作として創作され、東京文化会館で初演される。

カイヤ・サーリアホ

アレクシ・バリエール

森山開次 ©︎石塚定人

そして最後にご紹介するのは、劇作家・岡田利規作・演出『未練の幽霊と怪物』。近年、能に触発された作品を発表している岡田のオリジナル作品『挫波(ザハ)』と『敦賀(つるが)』の二本立てからなる公演だ。もともと東京五輪の開催年であった2020年に初演される予定だった本作。『挫波(ザハ)』のシテは新国立競技場のデザインに決まりながら廃案にされた世界的建築家ザハ・ハディドの霊、『敦賀(つるが)』のシテは2016年に廃炉が決定した高速増殖炉「もんじゅ」の霊という、実に刺激的かつ示唆に富む内容を、森山未來、片桐はいり、栗原類、石橋静河、太田信吾という俳優/ダンサーの5名とシンガー・ソングライターの七尾旅人の出演で上演する。能の形式に見事なまでに則って作られ、旅の者であるワキがシテに出会う形で展開する2作が、2021年の日本にどう立ち現れ、私達の胸に何を刻むのか。その結果をしかと見届けよう。

岡田利規

4月の出会いがその後の1年を左右するように、一期一会の舞台も人生を決定づけかねない。心して出会ってほしい。

★次回は2021年5月1日(土)更新予定です

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舞踊・演劇ライター。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材・執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、バレエ雑誌『SWAN MAGAZINE』で「バレエファンに贈る オペラ万華鏡」を連載中。撮影=中村悠希

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