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ステージ交差点〜ようこそ、多彩なる舞台の世界へ〈第7回〉「悪の魅力」前編

高橋 彩子

ダンス、バレエ、オペラ、演劇、文楽、歌舞伎、ミュージカル……〈舞台芸術〉のあらゆるジャンルを縦横無尽に鑑賞し、独自の切り口で世界を見わたす舞踊・演劇ライターの高橋彩子さん。

「いろんなジャンルを横断的に観ると、舞台はもっとおもしろい!」ーー毎回ひとつのキーワード(テーマ)をピックアップして、それぞれの舞台芸術の特徴やおもしろさ、共通するところや異なるところに光を当てていただきます。

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悪の魅力〈前編〉

人間は矛盾した生き物だ。悪は排除したい、悪人は消え去ればいいと願っていても、ある種の悪・悪人に惹きつけられてしまう。かの大悪党、石川五右衛門は「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」という辞世の句を遺したと伝えられるが、実際、いつの世も、悪人がいなくなることはないだろう。そもそも、ある人から見れば悪い行いでも、他の人にとっては善あるいは次善の策だったり“必要悪”だったりするし、逆に自分たちを正当化するために敵対する存在を悪に仕立てる人もあるから、ややこしい。そうした諸相が、舞台芸術にも反映され、魅力あふれるキャラクターとなって表現されている。そのいくつかを、前編・後編に分けてご紹介していこう。

意中の女性を我が物に!〜オペラ『トスカ』スカルピア、文楽&歌舞伎『祇園祭礼信仰記』松永大膳、バレエ『ライモンダ』アブデラクマン〜

金と権力を手にした男が、その力でもって無理やり女を手に入れようとするーー。男の欲望を凝縮したような悪人の代表格は、プッチーニのオペラ『トスカ』スカルピア。物語の舞台・ローマを牛耳る悪徳警視総監だ。

歌姫トスカは画家のカヴァラドッシと恋人同士だが、時の権力者と言うべき警視総監スカルピアから横恋慕されている。ある日、カヴァラドッシが脱獄した政治犯の友人アンジェロッティをかくまうと、スカルピアはカヴァラドッシを捕らえ、彼の釈放と引き換えにトスカの体を要求。トスカは承諾したふりをし、カヴァラドッシと2人で出国するための通行許可書をもらった上でスカルピアを刺し殺す。しかし、見せかけの処刑をしてカヴァラドッシを逃がすというスカルピアの説明は偽りで、カヴァラドッシは死亡してしまい、トスカは後を追って自殺する。

スカルピアは、カヴァラドッシが女性と密会していると仄めかすことでトスカの嫉妬心を煽り、アンジェロッティの居所を探るべく彼女を泳がせる知略派。信仰心の厚いトスカは嘘がつけず秘密を話してしまうから、と、カヴァラドッシがアンジェロッティの話をしなかったことも仇となった。まんまと策略にはまって、教会からカヴァラドッシの別荘へと向かうトスカに、スカルピア役のバリトンが低音を響かせながら歌う「行け、トスカ」は、教会の荘厳な空気と相まってゾクゾクするほど刺激的。その後、カヴァラドッシを人質にとってトスカを口説くのは、ファルネーゼ宮殿にある自室で、豪華な食事と共に。貴族的な威厳を放ちながら、冷酷無比な要求を女性につきつける男なのである。

ぜひその悪の魅力を、来年1月の新国立劇場『トスカ』で確認していただきたい。ファルネーゼ宮殿含め、実際の19世紀ローマの景色を写した重厚なプロダクションとなっている。

新国立劇場「トスカ」2018年公演より スカルピア:クラウディオ・スグーラ 撮影:寺司正彦

そんなスカルピアによく似ているのが、文楽や歌舞伎の『祇園祭礼信仰記』(通称『金閣寺』)松永大膳。モデルは実在した戦国大名・松永久秀で、「国崩し」と呼ばれる、スケールの大きな大悪人の役だ。

足利十三代将軍義輝を暗殺して天下を狙う松永大膳は、金閣寺の楼上に将軍の母・慶寿院を幽閉して立てこもっている。慶寿院に金閣寺の天井に雲竜を描くことを所望された大膳は、絵師・雪舟の孫であり狩野雪村の娘である雪姫とその婿の直信を捕らえるが、直信は描くのを拒否。雪姫の美しさに心を奪われた大膳は、直信を死なせたくなければ代わって描くか、あるいは自分に抱かれて寝るかと雪姫に迫る。姫は大膳こそ探していた父の敵と知って斬りかかり、縛られて桜の木に繋がれてしまうが、祖父の逸話に倣い、足を使って桜の花びらで鼠を描くと、その鼠が縄を食いちぎって姫を解放。姫は処刑されようとしている夫を救出すべく走り出すのだった。

雪舟、雪村ら実在の人物の名が虚構の設定で表されるので少々ややこしいが、ここでの大膳は、スカルピアと同じく、好色な支配者として造形されている。

さて、スカルピアや横山大膳ほど悪質ではないが、バレエにも似たところのある人物がいないだろうか。相手のいる女性に横恋慕し強引な行動を取る、身分の高い人物といえば、バレエ『ライモンダ』のサラセンの首領アブデラクマンだろう。ライモンダの婚約者ジャン・ド・ブリエンヌが十字軍遠征に参加して留守のすきに、彼女に求愛するアブデラクマン。はじめから力づくというわけではないものの、その気のないライモンダに情熱的にアプローチし、果てはさらおうとする彼は、作品の中では強烈な悪役キャラクターだ。

イスラム教国に対するキリスト教国の戦いである十字軍遠征に参加していたジャンがサラセン=イスラムのアブデラクマンを最後に退治する辺り、現代の視点で見るとポリティカル・コレクトネス(政治的公正さ)に欠けるが、新国立劇場バレエ団が来年6月に再演する牧阿佐美改定振付版では、アブデラクマンを略奪者ではなく紳士的に描き、ライモンダを巡る2人の男性の恋愛模様としている。実際、優等生的なジャンに対して、アブデラクマンはセクシーで危険な魅力いっぱい。ライモンダ自身は迷わないものの、観客としてはどちらのタイプが好きか、意見が分かれるところかも?

新国立劇場バレエ団「ライモンダ」2006年公演より アブデラクマン:山本隆之 撮影:瀬戸秀美

悪をもって悪を制す〜歌舞伎『天衣紛上野初花』河内山宗俊

 さて、悪人を倒すのは正義漢とは限らない。河竹黙阿弥が二代目松林伯円の講談をもとに書いた歌舞伎『天衣紛上野初花』の主人公・河内山宗俊は、スカルピアや横山大膳のような悪人を見事に退治する悪人だ。

 金を借りようと質屋の上州屋を訪れた御数寄屋坊主の河内山宗俊は、松江出雲守の屋敷へ腰元奉公に上がった上州屋の一人娘・お藤が松江候から妾になるよう求められ、断ったため屋敷に閉じ込められてしまったことを知る。河内山は2百両で娘を取り返してやると上州屋に請け負うと、寛永寺の高僧に化け、門主の使いと称して松江侯のもとに乗り込む。折しも自分になびかないお藤を手討ちにしようとしていた松江侯だったが、高僧に言葉巧みに脅しをかけられ、しぶしぶ娘を返すことを承知する。さらに金も巻き上げた河内山は、帰り際、松江家の家臣・北村大膳に正体を見破られるが、家老・高木小左衛門の判断で、松江家の家名に傷をつけないため、あくまで高僧として河内山を送り出すことになる。悔しがる大膳と屋敷奥にいる松江候に「馬鹿め!」と言い放ち、河内山は悠然と帰っていくのだった。

河内山の目的は、正義の遂行ではなく金にほかならないのだが、結果的には理不尽な状況にあるお藤を救って松江侯を懲らしめることに成功する。一介の御数寄屋坊主が権力者を出し抜くさまは、痛快そのもの。

国立劇場では今月、この河内山を当たり役とする松本白鸚が演じる。溜飲が下がるラストに至るまでのドラマを、とくと味わいたい。

国立劇場提供『天衣紛上野初花』2020年12月国立劇場
河内山宗俊:松本白鸚

目的のためには手段は選ばず?〜演劇『リチャード三世』リチャード三世、『藪原検校』杉の市、『メディア』メディア

 自身の目的を達成するために、悪逆無道の限りを尽くすーー。これぞ、悪役の王道だ。普通の人間にはなかなかできないことだからこそ、驚きや恐怖、時には憧憬や羨望の対象ですらあるかもしれない。

シェイクスピア『リチャード三世』の主人公は、まさにそうした人物。劇は、そのリチャード三世が、“醜い容姿に生まれついた自分は二枚目として楽しく暮らすことができない以上、大悪党として生きてやる!”と宣言するところから始まる。

 先王ヘンリー六世から王冠を奪ったものの病に臥せっている、国王エドワード四世。その末弟リチャードは、狡猾に立ち回って次兄を死に追い込み、自らが殺したヘンリー六世とその皇太子の遺族である元皇太子妃アンと結婚。その後も自らの野望の妨げとなる人物を次々と陥れ、兄エドワードが病死すると、王位継承権を持つ幼い王子二人の摂政となって、王子たちに関する根も葉もない噂を流した上で彼らを暗殺する。数々の陰謀を重ねて、ついに王位に就いたリチャードは、さらにエドワード4世の娘と再婚して王位を盤石にするために妻アンも殺害するなど非道を重ねるが、これまでの所業ゆえ部下に裏切られ、被害者たちの亡霊にも悩まされ、最後は政敵の刃にかかるのだった。

リチャードの最大の武器は、言葉。巧みに言葉を弄して周囲を騙し、目的を果たしていく。だからシェイクスピアの芝居としてこの上なく面白いわけだ。例えば、彼に義父と夫を殺されたばかりのアンに、自分がそのようなことをしたのはアンの美しさゆえだと捨て身(に見せかけた)の告白をして、彼女を落とす場面は、劇の前半の大きな見せ場。恨みを抱くアンの心を動かすリチャードの不思議な魅力をどう表現するか、演じ手の力量が問われる場面でもある。そうやって全力で悪事を重ねてやっと王国を手に入れたのに、最後、戦場で窮地に陥ると、馬を持ってきた者に王国をやる、とやけっぱちで叫んでしまうのは大きな皮肉なのだが……。

作家・井上ひさしは、この『リチャード三世』を江戸に置き換えた名戯曲『藪原検校』を書いている。置き換えたといっても、ストーリー展開は井上のオリジナル。東北の片田舎に生まれた盲人・杉の市が、殺人、姦淫、盗み、強姦など幾多の悪事を重ねてのし上がり、当時、盲人にとって最高の地位と言うべき“検校”になりながら、やがて三段斬りの極刑に処せられるまでが、コミカルに華やかに描かれる。杉の市が社会の底辺に生まれ、這い上がるには悪に手を染めるしかなかったのが、リチャードと異なる点だ。それゆえに、悪辣さと共に愛嬌や悲哀も一層感じられるこの人物を、来年2月にはPARCO劇場で、市川猿之助が演じる。演出の杉原邦生は今回の公演に寄せて「都合の悪い歴史や事実がうやむやにされ、汚いものが排除される一方、見せかけの新しさとクリーンさで豊かな国家/都市をアピールする。そんな現代社会では、僕たち皆が〈盲人〉扱いされているように錯覚する」とコメント。果たしてどのような人物造形となるのだろうか。

市川猿之助

一方、目的のために手段を選ばない女性といえば、思い浮かぶのが、ギリシャ神話の王女メディア。ただしこちらは、権力欲のためではなく、愛ゆえに、悪行を重ねる。幾つかの説があるが、おおよそ以下のような内容だ。

 イオルコスの王子イアソンは、父から王位を奪った叔父ペリアスに、もともとイオルコスのものであった金羊毛皮を持ち帰れば王位を譲ると言われ、今やコルキスの国の宝である金羊毛皮を取りに来た。イアソンを応援する美と愛の女神アフロディテの差金でイアソンに恋をしたコルキスの王女メディアは、父王を裏切り、伯母である魔女キルケから教わった魔法を駆使してイアソンを助け、弟まで殺害しながら、金羊毛皮を持ってイアソンと共にイオルコスへ。しかしペリアスが王位を譲らなかったため、メディアはペリアスの娘たちを騙し、ペリアスを殺させる。メディアの魔法の力を人々が怖れたためイオルコスにいられなくなったイアソンとメディアは、コリントスに移り住んで二人の子供をもうけて暮らす。ところが、コリントス王クレオンがイアソンを娘グラウケーの婿にと望み、イアソンはメディアを離縁して再婚すると決める。メディアは復讐のため、魔法を使ってグラウケーとその父を殺害し、イアソンとの間にもうけた子供二人をも殺して、イオルコスを去る。

愛のために肉親殺害をも厭わず、最後には実子まで手にかけるメディアは多くの絵画や戯曲の題材となっているが、エウリピデスの戯曲『メディア』は、イアソンの再婚が決まったところから始まり、メディアの嘆きや怒りを描いているのが特長的。紀元前431年に作られた作品だが、人間の心の動きに焦点を当てた見事なドラマとなっている。

なお、このメディアの物語は、鬼才ピエル・パオロ・パゾリーニ監督によって映画化されている。パゾリーニ独特の美的世界は圧倒的だ。メディア役は、20世紀最高のオペラ歌手と言われるマリア・カラス。この映画では歌わないが、強烈な存在感を放っている。

藪原検校は貧しい盲目の男、メディアは女。どちらも物語の時代にあっては虐げられてきた社会的弱者が、悪人・悪女として描かれていると言える。来月の後編ではその辺りを含め、悪役についてさらに考えていくことにしよう。

★次回は2021年1月1日(金)更新予定です

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舞踊・演劇ライター。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材・執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、バレエ雑誌『SWAN MAGAZINE』で「バレエファンに贈る オペラ万華鏡」を連載中。撮影=中村悠希

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