ダンス、バレエ、オペラ、演劇、文楽、歌舞伎、ミュージカル……〈舞台芸術〉のあらゆるジャンルを縦横無尽に鑑賞し、独自の切り口で世界を見わたす舞踊・演劇ライターの高橋彩子さん。
「いろんなジャンルを横断的に観ると、舞台はもっとおもしろい!」ーー毎回ひとつのキーワード(テーマ)をピックアップして、それぞれの舞台芸術の特徴やおもしろさ、共通するところや異なるところに光を当てていただきます。
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熱(フィーバー)
新型コロナウイルスCOVID-19が流行して早9ヶ月。ここまで誰もが至るところで体温を測られる日々は、いまだかつてあっただろうか。舞台業界では、関係者に一人でも発熱者が出れば、PCR検査で陰性が分かるまで公演中止。今や38度線ならぬ37.5度の境界線で明暗が分かれる世の中だ。しかしそもそも舞台とは、観客の熱を上げるものにほかならない。
会場がじわじわと(!?)熱くなる「じわ」〜十月大歌舞伎『楊貴妃』『京人形』〜
「じわ」という言葉がある。素晴らしい演技を観た観客から一斉に起きる、どよめきやざわめきを指す。歌舞伎でよく使われる言葉だが、それ以外の舞台でも覚えのある人はいるだろう。最近の観客は何かあるとすぐ拍手をするが、本当に凄いものを観た時、人は息を呑み、集中し、興奮のるつぼにただ身を浸すのではないだろうか。その興奮が言葉にならない声やため息として人々から漏れ出づる時、「じわ」が生まれるのだ。個人的には、至芸を前に、誰もが声にもため息にもせず静まり返りながら集中している時にも、じわに似た特別な熱のようなものが客席に共有されていると感じる。
さて、このじわをしばしば作ってきたのが、歌舞伎俳優の坂東玉三郎だ。持って生まれた端麗な容姿に加え、計算し尽くした所作、役作りから作品全体にまでおよぶ独自の解釈、自前で準備することも多いという衣裳に至るまで、美学が貫かれた舞台はとにかく見応えがある。先程、「言葉にならない〜」などと書いたが、玉三郎が出演する舞台、殊に舞踊公演ではざわめきどころか、上演中に「きれいねえ……!」というため息混じりの声がそこここで上がるのをしばしば耳にしてきた。近年、舞踊作品を順次踊り納めている玉三郎だが、歌舞伎座の十月大歌舞伎では、舞台映像と共に一部を踊る「映像×舞踊 特別公演」として『楊貴妃』を上演。中国・唐の玄宗皇帝に寵愛された美女・楊貴妃の物語は唐の詩人・白楽天による長編詩「長恨歌」に詠われ、能の題材にもなっている。今回の『楊貴妃』はそうした物語をもとに夢枕獏が玉三郎のために書き下ろした舞踊劇だ。
死んだ楊貴妃への思いが忘れられない玄宗皇帝は、仙術を会得した方士に、楊貴妃の魂を探すよう命じる。聖なる山である蓬莱山にたどり着いた方士が呼び出すと、楊貴妃が在りし日の姿で現れて舞い、やがて消えていく。 |
玉三郎は能や京劇の要素を取り入れながら、絶世の美女を再現。2枚の扇を持って舞う場面などじつに美しい。夢幻の世界に誘われることうけあいだ。
もう1演目、同じ十月大歌舞伎でバレエ好きにぜひ観てほしいのは『京人形』。物語の前半、彫工の名人・左甚五郎が美しい傾城・小車太夫に似せて人形を彫ると、その人形が動き出す。しかし、魂を入れた甚五郎が男性なのでその動きは男性的。そこで甚五郎が廓で拾った太夫の鏡を人形の懐に入れると、今度は太夫の女性らしい動きになる。後半はまた違う展開になるのだが、人形に魂を入れようとする人形師の物語は、古くはギリシャ神話のピグマリオン、そしてご存知、バレエ『コッペリア』にも描かれている。京人形の精には、中村七之助。まず男性的、次に女性的に踊るその“人形振り”を楽しもう。
熱く深い、名人の舞台〜友枝昭世の能『天鼓』〜
「静か」「動かない」「眠い」などのイメージを持つ人も多い能。しかし、能ほど情熱的で激しい芸能はそうない。そのことを筆者に教えてくれた一人が、能楽師の友枝昭世(人間国宝)だ。きっかけは2001年、NHK能楽鑑賞会で観た友枝昭世の能『天鼓』。この舞台で能の魅力に本格的に開眼し、以来毎年欠かさず「友枝昭世の会」と「友枝会」に足を運んできた。
『天鼓』の物語とは、こうだ。
中国に、王伯・王母という夫婦がいた。王母は、天から鼓が降って胎内に宿るという夢を見たのち、子を授かり、“天鼓”と名づける。その後、見事な音色の鼓が実際に天から降ってきて、天鼓のものとなる。鼓の音の素晴らしさが人々の話題となり、帝の耳にも入った。帝は鼓を得ようとするが天鼓は嫌がり、鼓を持って山に隠れるが、捕らえられて呂水に沈められてしまう。しかし、そうまでして取り上げた鼓は、誰に打たせても音が出ない。帝は、天鼓の父・王伯(前シテ ※前半の主役)に鼓を打たせることにする。王伯が我が子を思いながら打つと、美しい音色が鳴り響く。帝は王伯に褒美を与えて帰し、天鼓の成仏を祈るため、呂水のほとりで“管弦講”を行う。すると帝の前に天鼓の霊(後シテ)が現れ、鼓を打ち、喜びの舞を舞って消えてゆく――。 |
前シテ、後シテともに友枝が演じたわけだが、息子を失った父親の筆舌に尽くし難い悲しみと、音楽の喜びそのものを体現するかのような輝きを放つ天鼓の霊に圧倒された。その10年後、やはり友枝の『天鼓』を観た際には、前シテの悄然とした佇まいは一層深まり、後シテは凄絶な美しさを放っていたように感じた。少々恥ずかしいが、この時の舞台を観た直後に書いた拙ブログのリンクも貼っておこう。熱狂のあまり妄想を爆発させているさまをご笑覧いただきたい。
そんな友枝昭世の『天鼓』が、11月1日の友枝会にて再び観られる。チケットは完売だが、新型コロナウイルス感染拡大予防のために行っている入場者制限を緩和する可能性があり、現在はキャンセル待ちの受付をしているそうなので、問い合わせてみてほしい(友枝会チケット担当:TEL.03-5950-4543)。
友枝昭世
なお、去る7〜8月に行われた「新型コロナウイルス終息祈願 能楽公演2020」の一部演目が10月10日〜24日にオンラインで配信され、友枝昭世の能『清経』も観ることができる。 悲劇の若武者・平清経を美しく瑞々しく演じるさまをご堪能されたい。
あなたもワグネリアンに!? METの無料オンライン配信
この世には、異様なほど熱を上げるワーグナー信奉者たちがおり、半ば揶揄するように世界中で「ワグネリアン」と呼ばれている。もちろん、作曲家ごとにファンはいるわけだが、確かにワグネリアンの心酔ぶりやこだわり、面倒臭さは一頭地を抜く。遡ればバイエルン王ルートヴィヒ2世もその一人で、ワーグナーのパトロンとなり、その創作のために湯水のように資金を投じた。合計15時間にも及ぶワーグナーの大作オペラ、『ニーベルングの指環』四部作も、ルートヴィヒ2世の援助により創作されたものだ。また、ルートヴィヒ2世が建設し、のちにディズニーランドのシンデレラ城のモデルになったと言われるノイシュヴァンシュタイン城にも、彼が憧れてやまないワーグナーの世界が再現されている。そうした浪費や奇行がもとで彼は政治から遠ざけられ、謎の死を遂げてしまった。まあこれは極端過ぎる例だが、ワーグナーがルートヴィヒ2世の支援を受けて作った専用劇場、バイロイト祝祭劇場を聖地として詣で、ワーグナーの話題となれば口角泡を飛ばして語らずにはいられないフィーバーぶりを見せるワグネリアンは、カミングアウトはしていなくても、あなたの周りにもきっといるはず。
では、こんなにも人々に熱を上げさせるワーグナーの魅力とは、何なのか。一つには、劇と音楽が一体化した“楽劇”を提唱したワーグナーの作品では、歌もオーケストラの演奏も途切れなく続き、壮大なうねりを作り出すことが挙げられるだろう。彼が編み出した“ライトモチーフ”も見事だ。簡単に言えば、キャラクターや状況を表すテーマのような旋律で、それが作品の中で様々に絡み合い、展開していく。ワーグナーならではの雄弁で官能的、情動的な音楽を聴いていると、ふと「ここには全てがある!」「他には何も要らない!!」という気持ちになってしまう。
さて、メトロポリタン歌劇場では、新型コロナウイルスのため劇場を閉鎖している間、毎日、無料で過去の舞台映像をオンライン配信しているのだが(※)、10月5日から始まる第30週が「ワーグナーウィーク」となっており、日替わりで、『トリスタンとイゾルデ』『タンホイザー』、そして『ニーベルングの指環』四部作を1作ずつ、さらに連載第2回でご紹介した『パルジファル』を視聴することができる。バレエに使われることも多いワーグナーの音楽。振付家モーリス・ベジャールは『ニーベルングの指環』そのものをバレエ化したし、今月開幕する東京バレエ団『M』では『トリスタンとイゾルデ』の有名な音楽「愛の死」のピアノバージョンを印象的に使っている。ぜひ、オペラの映像も観てみてほしい。
※配信日にhttps://www.metopera.org/ から視聴可能。日本とは時差があるので要注意。
現代を照射する舞台に高熱必至〜東京芸術祭2020 野外劇『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』と地点『君の庭』
ここまで19世紀以前に作られた演目をご紹介してきたが、今を鋭く照射する現代劇には、また違った興奮がある。
演出家・三浦基率いる地点が現在上演中の演劇『君の庭』は、三浦のリクエストを受けて岸田國士戯曲賞受賞作家・松原俊太郎が書いた新作だ。本作で描かれるのは、リアリティーショーのように全国民にリアルタイムで公開される、日本で特権的な地位にある一族の娘と恋人、侍従、父王の会話や、視聴者とのやりとり。そこでは、日本国憲法、新日本建設に関する詔書、聖書、ニーチェ、ボリス・ジョンソン、ディック・チェイニーなど様々な言葉が引用され、社会のからくりや日本特有の空気や価値観を暴き出していく。であるからして必然的に、ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、ミナマタ、フクシマといった地名も登場。新型コロナウイルスによる“自粛”期間中に書かれたというだけあり、他にもドキリとする言葉が頻出する。
現代社会を痛烈に批判する松原の直截的なテキストを、三浦の演出は独自の手法で解体・再構成し、多層的に肉化していく。赤いひな壇の上に座り、様々な方言を交えて台詞を発する白衣の出演者たち。ひな壇はまるで操縦の術か目的地かを失った船のように漂流する。果たして彼らは、そして彼らを観る人々の行き着く場所とは?? まさに“今・ここ”ならではの表現を前に、とても平熱ではいられないはず。
本作は公演場所である京都、豊橋、神奈川それぞれオンライン配信されるのだが、舞台に映像演出を加えた「オンライン版」と「劇場版」は相互補完的なものとして存在し、地域毎にオリジナルのシーンも加わるという。現在、京都公演、豊橋公演を終えて映像配信中であり、10月1日からは神奈川の劇場版とオンライン版が展開される。
「君の庭」京都公演より 撮影:山口紘司
さて、 「熱(フィーバー)」とういことでいうなら、世界中で最も多くの人々が熱狂する大規模なイベントはスポーツだろう。その狂騒や暴力性については多くの指摘がなされ、舞台でも描かれてきた。オーストリア出身のノーベル文学賞作家エルフリーデ・イェリネクが1998年に書いた『スポーツ劇』ではギリシャ悲劇の世界を織り込みながら、大衆が熱狂するスポーツのあり様を戦争に重ねて表現。日本では2016年、先程紹介した地点が上演して話題を呼んだ。また、劇作家の野田秀樹は2012年に、1940年の幻の東京五輪と1965年の東京五輪を扱いながら731部隊の物語へとつなげる『エッグ』を発表した。
彼らに先んじて1988年、オリンピックに鋭い眼差しを向ける作品『NIPPON・CHA! CHA! CHA!』を上梓したのが、44歳の若さで2000年に急逝した劇作家・如月小春だ。
1964年、東京五輪直前の東京下町を思わせる場所。靴工場「天下一靴店」は経営難に陥っており、職人達は給料の不払いが続く中で運動靴を作っている。やがて10代の若者カズオが姉アキコと共に、雇ってほしいと店を訪れる。店主の娘ハナコは長距離走の才能があるカズオに天下一靴店の靴を履かせ、マラソンランナーとしての活動を始める。カズオはメキメキと頭角を現し、その成績も靴の売上も急上昇。やがて、オリンピック代表選考会を兼ねた極東大マラソンに出場することになったカズオだが、じつは負傷していて……。 |
この作品が今月、「東京芸術祭2020」の一環として、GLOBAL RING THEATRE(池袋西口公園野外劇場)での野外劇として上演される。もともとこの時期に上演が決まっていたのだが、オリンピックの延期により、図らずも作品と同じ東京五輪直前の時期での公演に。鳥取の「鳥の劇場」で芸術監督を務める演出家・中島諒人の演出の下、オーディションで選ばれた14名の俳優は、来年に予定される五輪をどう見据え、どのような世界を構築するのか? こちらも目が離せそうにない。
如月小春
中島諒人
個性はそれぞれだが、いずれもホットでスリリングな舞台ばかり。観劇に際してはくれぐれも体調を整えて検温をパスし、観ながら静かにヒートアップしようではないか。
★次回は2020年11月1日(日)更新予定です