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ステージ交差点〜ようこそ、多彩なる舞台の世界へ〈第6回〉「夢」

高橋 彩子

ダンス、バレエ、オペラ、演劇、文楽、歌舞伎、ミュージカル……〈舞台芸術〉のあらゆるジャンルを縦横無尽に鑑賞し、独自の切り口で世界を見わたす舞踊・演劇ライターの高橋彩子さん。

「いろんなジャンルを横断的に観ると、舞台はもっとおもしろい!」ーー毎回ひとつのキーワード(テーマ)をピックアップして、それぞれの舞台芸術の特徴やおもしろさ、共通するところや異なるところに光を当てていただきます。

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夢を見ない人はいないと言う。古今東西、人類にとって夢は大きな意味を持ってきた。お告げや予言として、恐怖あるいは歓喜そのものとして、イメージの源泉として、または儚さの象徴として。いずれにせよ、当たり前のように続かないからこそ、その力は弱くもあり、逆に強くも感じられるのではないだろうか。そう、舞台芸術と同じだ。実際、舞台作品には様々な形で夢が描かれる。

栄耀栄華の夢は儚く… 〜能『邯鄲』、歌舞伎『邯鄲枕物語~艪清の夢』、三島由紀夫「近代能楽集」『邯鄲』〜

 「邯鄲(かんたん)の枕」という故事がある。人の繁栄は儚く、すぐに終わってしまうことを意味するものだ。出典は唐の小説『枕中記』(ちんちゅうき)で、以下のような物語となっている。

 故郷での現在の暮らしに不満を抱き、出世を求めて故郷を離れた若者・盧生(ろせい)は、邯鄲の町で、呂翁という道士から、夢が叶う枕を授けられる。盧生がその枕を使うと、みるみるうちに栄華を極め、やがて老齢となって死を迎える。と、ここで盧生は目を覚まし、今見ていたのは、寝る前に火に掛けた粟粥さえ煮上がる前の一瞬の夢だったと知る。盧生は人生を学んだとして呂翁に礼を言い、故郷へ帰って行く。

『枕中記』自体は800年ごろに書かれたものだが、日本人が中世以来培った無常観に通じるところがある。だからだろうか、様々な文学や芸能に派生した中でも、無常観を色濃く表す能との相性が良いように思う。
能『邯鄲』のおおまかな流れは『枕中記』とさして変わらないが、シテ盧生は、高僧から知を授かるべく旅をしている途中で立ち寄った宿屋の女主から枕を借り、夢の中で皇帝にまで上り詰める。そしてその絶頂で目覚め、求めていた知は枕にあったと悟る。
シンプルな空間であらゆるものを描く能だけあって、柱と屋根のついた小さな台(まるで能舞台のようだ!)が、場面によって宿にもなり王座にも見える。夢の場面で語られる美しい景色も山と積まれた財宝も、実際には登場しないのだが、それでいて舞台上が綺羅びやかに輝いて見えるから不思議だ。さらに、ぜひ見てほしいのが、すべてが夢だと知ったあとの盧生の姿。面をかけていて見えないはずの表情が、心情が、見えてくるさまは、いわば能マジック
国立能楽堂では12月にこの『邯鄲』が上演される。シテは観世銕之丞。その大きさのある芸で盧生をどのように造形するか、楽しみにしたい。

邯鄲 観世銕之丞 撮影=三宅晟介

さて、歌舞伎には、この物語のパロディーとも呼ぶべき『邯鄲枕物語~艪清の夢』という作品がある。こちらは、借金を抱えた職人・清吉が主人公。金欲しさに妻を使って美人局を仕組み、武士から金をだまし取ろうとする。武士が清吉の家のものと自分の荷物を取り違えて逃げてしまったため、それを枕に寝てしまう清吉。すると夢の中では世界があべこべになっており、清吉は金があり過ぎて困る状況に。傾城となった妻もまた同じ悩みを抱えており、心中を決意……、というところで夢が醒め、さらに枕にした荷物には盗まれた旧主のお宝が入っており、めでたしめでたし、となる。

一方、9曲の能を9つの近代劇に翻案した三島由紀夫作『近代能楽集』の一つ、『邯鄲』の主人公・次郎は、若くして出世欲を持つどころか人生はおしまいだと考えている厭世的な人物。かつての乳母・菊のもとを訪れて枕を手にし、眠りに就いた彼は、夢の中の世俗的な幸福を否定したまま目覚め、乳母と二人の世界に生きることを決意する。三島独自のその世界観に加え、能の地謡にあたる合唱を登場させるなど、能を強く意識した構成も特徴的で、上演機会は少ないが興味深い作品だ。

なお、三島はやはり夢がキーワードの『薔薇と海賊』という戯曲も書いている。これは、童話作家の女性と、その童話の世界と現実とを混同している知的発達障害の青年との恋物語で、作者自身があとがきで、現バーミンガム・ロイヤル・バレエがNYで上演した『眠れる森の美女』の終幕のディヴェルティスマンから着想したと記している。

あぶく銭の夢より、確かな現実を 〜落語『芝浜』、歌舞伎『芝浜革財布』

さて、どことなく『邯鄲』を彷彿とさせつつ、独自の教訓めいた人情噺になっているのが、落語の『芝浜』

 腕はいいのに酒浸りで貧乏な魚屋・勝五郎は、早朝の芝浜で大金の入った財布を拾う。これからは遊んで暮らせると喜び、祝い酒をした挙げ句、寝てしまう勝五郎。しかし翌朝、女房に財布などない、それは夢だと言われた勝五郎は、改心して真面目に働き、3年後には立派な店を構えるまでになる。そして大晦日。女房が勝五郎に、実は財布は実在しており、お上に届けたが落とし主不明で下げ渡されたと明かし、財布を差し出す。

つまり主人公は、拾った大金で楽をするという泡のような栄耀栄華(?)の代わりに、コツコツ働いて堅実な成功を手に入れる。真実を告げた女房の勧めるままに酒を飲もうとした勝五郎の「よそう、また夢になるといけねえ」という台詞が、お決まりのサゲ。年末によくかけられるので、これからの季節、寄席のトリや独演会で聴く機会が増えそうだ。ちなみに、今年生まれた山手線の新駅の名は一般公募1位の「高輪」に「ゲートウェイ」をつけたものだが、2位は「芝浦」、そして3位が「芝浜」だった。「芝浜駅」になっていれば歴史と趣きを感じさせる駅名になったのに、惜しいことである。

〈Stage Info.〉これから楽しめる落語『芝浜』

なお、この物語は『芝浜革財布』として歌舞伎にもなっている。大筋は同じだが、すべてを一人で語り時空間の飛躍も自由自在な落語に対し、登場人物一人ひとりを役者が演じる歌舞伎では、また違ったリアルなドラマを楽しむことができる。

現実の先を行く恐ろしい夢 〜新国立劇場 オペラ『アルマゲドンの夢』〜

 ここまで紹介してきた夢はどれも、絵に描いたような富や成功を見せるものだったが、現実を侵食するほど恐ろしい悪夢もある。H.G.ウェルズの短編小説『世界最終戦争の夢』で主人公が見るのは、そうしたゾッとする夢だ。

 「わたし」は、列車の中で見知らぬ男から話しかけられ、彼が毎夜見続けた、現実以上にリアルな夢について聞かされる。現代より先の時代になっているその夢の中では、男はクーパーという名であり、大国の指導者だったが、愛する女との生活を選んで権力も財産も名声も手放してしまう。その結果、男に次ぐポジションにいた人間が独裁者として台頭するのを許し、世界は戦争と無秩序へと陥り、男と彼が愛する妻も破滅してしまうのだった。

H.G.ウェルズがこの小説を書いたのは1901年だが、その後、実際に2つの世界大戦が起き、小説で描かれた全体主義や大量破壊兵器が世界を覆ったという点で、極めて予見的。

この物語が、作曲家・藤倉大の新作オペラ『アルマゲドンの夢』として、新国立劇場で世界初演される。かねてから、通勤電車の場面で始まるオペラを作りたいと話していたという藤倉と台本のハリー・ロス。今回、電車内の“現代”は1960年代と設定され、夢の中は近未来に。全体主義や軍国主義が横行し、メディアが威力を発揮するこの近未来は、2020年現在の私たちの世界と地続きになっていると言えそうだ。
一つ鍵になりそうなのが、女性の描かれ方。原作では夢の中でクーパーが愛する女性に名前はないが、オペラではベラという名がつけられ、悪化する世界に対してなす術のないクーパーとは違って、非凡で行動的な女性として描かれるという。何やら、新型コロナウイルスを巡る各国の男女のリーダーの違いを彷彿とさせるではないか。
演出はアメリカ出身のリディア・シュタイアー。指揮は新国立劇場オペラ芸術監督の大野和士。当初の予定通り、外国人スタッフ・キャストともに来日し、稽古に参加している。コロナ禍での画期的なオペラ公演となるに違いない。

上写真2点とも:新国立劇場オペラ「アルマゲドンの夢」の稽古風景

舞台で観る、ひとときの夢

 さて、最後に紹介するのは、眠っている間に見る夢とは少し趣の違う夢の話。赤川次郎の同名の絵本を原作にした劇団四季のミュージカル『夢から醒めた夢』だ。

 夢の配達人に出会った少女ピコは、「幽霊の世界をのぞいてみたい」という希望を叶えてもらい、閉園後の遊園地で幽霊の少女マコと知り合う。交通事故で亡くなり、母親にお別れが言えなかったマコと入れ替わって、死後の世界に行ったピコは、様々な人たちと出会い……。

原作ではまず、ピコがマコとの出会いは「夢を見た」のではなかった、という言い方で夢への言及がなされ、冒険を終えたピコには「いい夢が見られそうな、夜だった」という言葉が添えられるのだが、ミュージカルでは「夢の配達人」が登場することで、寝て見る夢と、舞台ならではのファンタジックな夢の世界が重ねられている。この作品は、浅利演出事務所によって今夏に上演されるはずだったが、新型コロナウイルスの影響で延期に。来年、この夢を多くの人々が観られるよう祈りたい。

人の数だけ生まれる夢。それは現実を鋭く照らし出し、私たちに様々な示唆を与える。だからこそ、今日も新たな夢を観に、劇場へ足を運ぶのだ。

★次回は2020年12月1日(火)更新予定です

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舞踊・演劇ライター。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材・執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、バレエ雑誌『SWAN MAGAZINE』で「バレエファンに贈る オペラ万華鏡」を連載中。撮影=中村悠希

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