バレエを楽しむ バレエとつながる

  • 観る
  • 知る
  • 考える

【新連載】ステージ交差点〜ようこそ、多彩なる舞台の世界へ〈第2回〉「祈り」

高橋 彩子

 

ダンス、バレエ、オペラ、演劇、文楽、歌舞伎、ミュージカル……〈舞台芸術〉のあらゆるジャンルを縦横無尽に鑑賞し、独自の切り口で世界を見わたす舞踊・演劇ライターの高橋彩子さん。

「いろんなジャンルを横断的に観ると、舞台はもっとおもしろい!」ーー毎回ひとつのキーワード(テーマ)をピックアップして、それぞれの舞台芸術の特徴やおもしろさ、共通するところや異なるところに光を当てていただきます。

***

舞台芸術は「祈り」を表現してきた

新型コロナウイルス「COVID-19」での“自粛”生活がひとまず終わって1ヵ月。感染者は増え、まだまだ予断を許さない状況にある。世界中の人々の願いは、この脅威が消え、安心して暮らせる日が来ること。そして舞台人や舞台ファンにとっては、その結果として無事に公演が行われること。現時点で再開できていない舞台ジャンルもあり、また一部の団体は、舞台や客席の配置に手を入れたりオンラインを積極的に取り入れたりして動き始めた。漠然としたソーシャルディスタンスのイメージが先行する中、明確な根拠もないまま、各団体が、客席数を減らす、表現を変えるといった努力をしている現状には胸が痛む。観客同士が喋ることなく一方向を見て座る客席は本当に危険なのか、満員電車と何が違うのかなど、今後、具体的なデータに基づいた対処法が提示されることを望みたい。

閑話休題。人々が今、切望する世の安寧や再生は、舞台芸術が昔から表現してきたことでもある。今回はその一部をご紹介しよう。

能「翁」の神聖なる世界

天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈る能『翁』は、今の私たちの気持ちと合致する舞台のひとつだろう。歴史が古く、能が成立する以前の翁猿楽の様式を持ち、「能にして能にあらず」と言われる特別な曲だ。

この作品には、物語らしきものはほぼない。登場するのは、千歳(せんざい)、三番叟(三番三とも書く/さんばそう)の三者。このうち、翁と三番叟は面をつけるのだが、通常の能と異なり、舞台上でその着脱を行うのもかなりレアだ。舞台が始まると、翁を演じるシテ方能楽師、千歳を演じる狂言師、三番叟を演じる狂言師らが静かに登場し、シテは舞台中央で深々と頭を下げる。これは神に対する礼なので、間違っても観客は自分達への礼と思って拍手などしてはいけない(というか、拍手は舞台の最後までせず、静かに観てほしい)。笛、小鼓……と囃子方(音楽)の演奏が始まる中、シテが「とうとうたらりたらりら」と謡い出す。この言葉の意味は諸説あってはっきりしないが、聞いているだけで呪術的な力を感じることだろう。ここから、国土や人々の安寧を祈る謡が展開。やがて千歳が舞い初め、その間にシテが翁の面(白色尉)をつける。翁は千歳の舞が終わると祈りの謡を謡い、そして祝の舞を舞う。この翁の謡と舞の荘重さは格別で、観ていてとても有難い気分になるはず。舞い終わると翁の面を外して再び一礼し、退場。続いて、三番叟が掛け声を発しながら舞い、次に面(黒色尉)をつけて鈴を振りながら舞い終えると、やはり面を外して去り、終わる。

この曲はいわば、演者が面をつけることで聖なる存在に近づく“神事”だ。このため、能楽堂のこけら落としや周年行事、あるいは1年の初めなど、特別な時、最初に上演されることが多い。神聖な演目だけに、『翁』を演じる能楽師は昔から、食事や風呂の火を家人とは別にし、獣畜を食べないなどの”精進潔斎”をして臨むことになっており、生活環境が変わった今も可能な形で行われていると聞く。観客も途中入場できないことがあるので要注意。

さほど頻繁に上演されるわけでもない『翁』だが、なんとこの7月〜8月、10日間にわたって開催される「能楽公演2020 ~新型コロナウイルス終息祈願~」では、初日と、後半の初日にあたる6日目に観ることができる。

「翁」観世清和 ©︎公益社団法人能楽協会

歌舞伎・日本舞踊・文楽による「翁」のヴァリエーション

さて、この『翁』からは、歌舞伎・日本舞踊文楽で様々なヴァリエーションが生まれている。

歌舞伎や日本舞踊で上演されるものに、能の荘厳さを受け継いだ『翁千歳三番叟』、翁の舞に続いて2人の三番叟が生き生きと踊るのが特徴の『寿式三番叟』(『二人三番叟』とも言う)、三番叟が操り人形のように踊る『操り三番叟』、文字通り途中で三番叟が舌を出す『舌だし三番叟』、傾城が翁、新造が千歳、太鼓持が三番叟を演じる『廓三番叟』など。ちなみに先ごろ、宗家藤間流宗家・藤間勘十郎がyoutubeチャンネルにて3日連続でさまざまな「三番叟」を配信。『神歌十二月往来〜三番叟』『二人三番叟』『種蒔三番叟』の3作で、すべてアーカイブ化されている。

★『神歌十二月往来』

★『二人三番叟』

★『種蒔三番叟』

文楽でも『寿式三番叟』が上演される。三番叟の1人が途中で疲れてサボるともう1人が励ますなどのコミカルなやり取りも歌舞伎と同じだ。

★文楽『寿式三番叟』の抜粋動画をこちらで楽しめます

さらに国立劇場や国立文楽劇場の文楽公演の場合、昼の部の開演前に簡易な「幕開き三番叟」が上演される。これは正式な演目ではなく、公演の始まりにあたって観客や舞台関係者を祝福し、一日の平安を祈る意味合いが強いだろう。従って拍手は不要のはずだが、今では大抵、拍手が起きる。

なお、今年の9月文楽公演では、第一部の最初に『寿二人三番叟』を上演(7月3日発表)。要チェックだ。

作品によっては別物へと発展を遂げてはいるが、そもそも『翁』が持つ祈りの意味合いを考えながら、いにしえより伝わる儀礼的な世界に身を浸してみたい

ちなみに、『翁』とは関係ないが、歌舞伎の市川團十郎家(成田屋)に伝わる「にらみ」は、邪を祓うお不動さまの霊徳を表したという、成田不動尊に縁の深い成田屋ならではのもの。にらまれた人は無病息災で過ごせるとか。現市川海老蔵の團十郎襲名披露興行自体、新型コロナの影響で来年に延期されたが、今こそぜひ、全世界に向けてにらんでもらいたいものだ

平和を取り戻し、再生へ向かう“ロマンス劇”ーー『冬物語』『テンペスト』

儀式的というわけではないが、個人的に平和・和解や再生への祈りを感じる演劇には、シェイクスピアの戯曲のうち、“ロマンス劇”に分類される『冬物語』『テンペスト』などがある。

『冬物語』は、自分の妻ハーマイオニが客人であるボヘミア王ポリクニシーズと不義を働いているという疑いにとりつかれたシチリア王レオンティーズの物語。彼は忠臣カミローに命じてポリクニシーズを殺そうとするが、カミローはこれをポリクニシーズに伝え、自らもボヘミアに逃亡。レオンティーズはハーマイオニを幽閉し、彼女が生んだ王女も自分の子ではないとして、部下アンティゴナスに殺害を命じるが、アンティゴナスは、彼女をボヘミアの海岸に捨てる。この状況を嘆いた王子マミリアスは死亡。やがてハーマイオニの自害も侍女ポーリーナを通して伝えられ、レオンティーズは後悔の念にさいなまれる。16年後。羊飼いの娘パーディタは、ボヘミア王子フロリゼルと身分違いの恋をしているが、このパーディタこそ、ハーマイオニが生んだ王女だった。ポリクニシーズは息子と羊飼いの娘の恋に激怒するが、恋人たちはカミローの助言でシチリアへ行き、懺悔の日々を送るレオンティーズに、父へとりなしてくれないかと頼む。そこへ、ポリクニシーズが現れ、同道した羊飼いによって、パーディタがレオンティーズの娘だということが判明。身分も釣り合い障害が消えた二人の婚約が認められた時、侍女が亡き王妃ハーマイオニの彫像を見せる。人々がハーマイオニへの思いを募らせる中、彫像が動き出す。じつは、ハーマイオニはポーリーナに匿われており、彫像こそ生きた王妃だったのだ。こうして人々は16年ぶりに再会・和解を果たし、大団円を迎える。絶望の淵から歓喜へと移る場面は感動的だ。

バレエの世界では、シェイクスピアの同国人であるクリストファー・ウィールドンが英国ロイヤル・バレエに振付けたことでおなじみだろう。フランスの著名な映画監督エリック・ロメールがこの題材で撮った同名の映画も名作。

★映画「冬物語」トレイラー

『テンペスト』もやはり、因縁ある者同士が12年ぶりに再会して赦し合い、次世代が結ばれて絆を深める物語。ルドルフ・ヌレエフモーリス・べジャール『リア王−プロスペロー』のタイトル)、デヴィッド・ビントレーアレクセイ・ラトマンスキーらがバレエ化している。嵐(テンペスト)を通過してハッピーエンドにたどり着くあたりも、コロナ禍の今、いっそう胸に響くのではないだろうか。

傷ついた心身を癒やし、新時代の扉を開くオペラ『パルジファル』

今回のテーマには欠かせないと思うオペラは、作曲したリヒャルト・ワーグナーによって「舞台神聖祝典劇」と名付けられた『パルジファル』。キリストが最後の晩餐でワインを飲み、処刑された際にはその血を受けたとされる杯=“聖杯”が絡む物語で少々難解なのだが、あらすじは以下の通り。

聖杯を守っている王アムフォルタスは、持っていた聖槍を魔法使いのクリングゾルに奪われて負傷し、傷を完治させるには「清らかな愚者」が必要だという聖杯の神託を受ける。自分の名前すらわからない若者と出会い、彼の生い立ちを、城で騎士らの世話をする女性クンドリーから聞いた老騎士グルネマンツは、彼こそその愚者かもしれないと考えて城に連れていく。さて、クンドリーは普段は信心深い静かな女性だが、じつはかつてキリストを笑った罪により呪われており、クリングゾルに操られると拒むことができず、男たちを破滅させている。アムフォルタスの怪我も、クンドリーの誘惑が原因だった。彼女の誘惑に負けない男だけが、呪いを解くことができる。クリングゾルの命を受けたクンドリーが「パルジファル」と若者を呼び、口づけをした瞬間、彼はアムフォルタスの怪我の原因と自身の使命を悟り、クンドリーに救いを約束して押しのける。クリングゾルが投げた槍もパルジファルの頭上で静止し、彼の手許に落下。数年後、パルジファルは聖槍を持ってアムフォルタスの前に現れて傷を直し、アムフォルタスとグルネマンツを従えて聖杯守護の新たな王となる。クンドリーの魂は救われ、天に召されるのだった。

第1幕終盤には聖杯の儀式のシーンがあり、この幕が終わった後には拍手やカーテンコールをしないなど、どこか能『翁』に通じなくもない『パルジファル』。ここには完全無欠のヒーローやヒロインも、高らかに歌い上げられる恋愛もない。それでいて、ワーグナーの音楽は、聖杯についての説明といい血の描写といい、この上なく甘美で、聴いていて恍惚とせずにはいられないだろう。傷を癒やし、魂を救済し、輝かしい新たな時代への扉が開いたところで終わる本作もまた、今こそ観たい作品だ。メトロポリタン歌劇場のオンデマンドで$4.99で視聴可能。7日間の無料体験もある。

古来の人々は、悲惨な状況にあっても、平和や幸福への思いを舞台に託して表現してきた。私たちも引き続き、希望を胸に灯しながら、舞台と共に歩んでいこうではないか。

★次回は2020年8月1日(土)更新予定です

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

舞踊・演劇ライター。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材・執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、バレエ雑誌『SWAN MAGAZINE』で「バレエファンに贈る オペラ万華鏡」を連載中。撮影=中村悠希

もっとみる

NEWS

NEWS

最新記事一覧へ