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【SPOTLIGHT】ダンサーズ・ファイル〈8〉川上環〜「たまちゃんみたいになりたい!」子どもたちの言葉を力にして〜

阿部さや子 Sayako ABE

みなさま、現在クラウドファンディング実施中「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」配信プロジェクトを応援してくださり、本当にありがとうございます。

2020年10月18日(日)20時〜の配信開始にさきがけて、このステージ&ドキュメンタリーに登場する全11名のダンサーたちを一人ひとり紹介するインタビュー連載。今回はスイスのチューリッヒ・ダンス・アカデミー卒業の川上環さんです。

川上環(かわかみ・たまき)さんの踊りを初めて観たのは、今年2月、スイス・モントルーで開催された第48回ローザンヌ国際バレエコンクールの本選会場でした。

美しく長い脚、張りのあるステップ。何より、『コッペリア』よりスワニルダのヴァリエーションを踊る川上さんが大きなグラン・パ・ド・シャで袖幕から跳び出してきた瞬間、パッと明かりが灯ったかのように舞台が華やいだのが忘れられません。

川上さんは3歳でバレエを始め、地元・福岡で加藤由紀子先生に師事。スイス国立チューリッヒ・ダンス・アカデミー(taZ)に留学し、今年卒業したばかりというタイミングでコロナ禍に。就職活動もほとんどできないまま、帰国を余儀なくされました。現在は再び加藤先生のもとで稽古を続けながら、同教室で「たまちゃんみたいになる!」とがんばってレッスンしている子どもたちの指導にもあたっています。

執筆協力:堀尾真理

目標を立てて、着実に

川上さんがバレエを始めたきっかけは?
川上 私、生まれつき脚がX脚なんです。それもターンアウトした状態じゃなくて、膝が前を向いたパラレルの状態でのX脚。そのために歩き始めた頃から膝の内側の骨どうしが当たって、いつもアザとか擦り傷ができていたそうなんですね。それを見かねた母が病院に連れて行ったところ、お医者様に「これは脚の形のせいかもしれない。まだ骨格が柔らかい今のうちからバレエや新体操をしたら改善するかもしれないよ」とアドバイスされたと。それで3歳くらいからバレエを始めました。だから、もともとバレリーナになりたいと思って始めた、というわけではないんです。

それが「本格的にバレエを頑張りたい」という気持ちになったのはいつ頃ですか?
川上 小学3年生の時にトウシューズを見て、初めて「バレリーナになりたい」っていう気持ちが芽生えました。
その憧れのトウシューズを初めて履いたのはいつですか?
川上 小学4年生の終わり頃だったと思います。普通は、初めてトウシューズを履いたら「痛い」という人が多いと思うのですが、私、全然痛くなかったんですよ。むしろ「もっともっと練習したい!」と思いました。でも、当時通っていたお教室では、レッスン量が物足りなくて……。それで両親に相談して、いまもお世話になっている加藤由紀子先生の教室に移りました。移籍してからほんの3ヵ月くらいでヴァリエーションを踊れるくらいにまで上達して、コンクールにも初めて挑戦しました。
たった3ヵ月ほどでヴァリエーションが踊れるまでになるなんて、すごいですね! 加藤先生のご指導は、なぜ川上さんをそこまで一気に成長させたのだと思いますか?
川上 私はひとつのことを注意されると、それを守るのに必死で、他のことは全然できなくなるタイプなんです。だけど由紀子先生は、粘り強く何度も注意してくださる。頭から離れないくらい言ってくださるので、体に染み込んでいきやすいのではないかと思います。“ここを意識して”と、実際に体に触れながら指導してくださるのも、すごくわかりやすい。あと、動きのイメージを物にたとえるのもうまいんです。例えば「体を引き上げる」でも、「開いたハサミを閉じるように、シューッと内ももから集めて引き上げるのよ」とか。

その頃の川上さんの目標は、「ローザンヌ国際バレエコンクールに出場すること」だったそうですね。
川上 はい。そこにたどり着くためにはどうするかということを、由紀子先生と話し合いました。まずは地元のコンクールに出る→それをクリアしたら、次は地元のコンクールで入賞する→地元のコンクールで優勝する→YAGPに出る→YAGPで入賞する→留学する→留学先からローザンヌに出る……というふうに、一連の目標を設定して。結局YAGPで入賞するという目標はクリアできなかったのですが、それ以外は達成できました!
着実ですね! 川上さんはそのように物事を計画的に実行していくタイプなのでしょうか?
川上 ふだんの生活では大雑把なところもあるんですけど、バレエは自分の人生がかかっていることなので。絶対に譲れない目標については、自分の決めたように進みたい、というところはあるかもしれません。

チューリッヒ・ダンス・アカデミーへの留学

そうして川上さんは14歳でスイスのチューリッヒ・ダンス・アカデミー(taZ)に留学しましたが、そのきっかけは?
川上 もともとは、ずっとワガノワ・バレエ・アカデミーに留学したいと思っていたんです。11歳くらいの頃から福岡で開催されるワガノワのワークショップに毎年参加していましたし、他県で行われる時にはひとりで受講しにいったことも。先生たちにも徐々に名前を覚えていただけるほどワガノワ一筋で進んでいました。でも、もう少し視野を広げたほうがいいのかな、と思った時期があって。そんな時にたまたま訪れたバレエショップの店先で、taZのオーディション募集のチラシが目に入り、手に取って、応募してみようかな……と、ふと思ったんですね。それで実際にオーディションを受けてみたら、入学許可をいただけました。
じつはこの年もワガノワのワークショップを受けていて、そちらの先生からも「もう少し体重を落とすか、そのままキープできるんだったら入学をオファーする」って言われて。「えー! どっちにしよう!?」と迷ったのですが、なぜかtaZを選びました。本当に、なぜその時その選択をしたのか、いまだに自分でも分からないのですが(笑)。たった1枚のチラシからここにたどり着いた、という感じです。
物語みたいなエピソードですね! でも、taZも基本はワガノワ・メソッドですよね。
川上 はい。だからスタイルも合っていたと思います。

taZでの学校生活はどのようなスケジュールでしたか?
川上 朝から夕方までバレエだけの日もあれば、バレエ、ポワント、パ・ド・ドゥ、モダン、ボディコンディショニングなどのクラスがずらっと入っている日もありました。あと、午前中に解剖学や音楽史、ダンス史など、午後に英語のクラスやスイスの一般知識に関する授業が入っている日も。日によってさまざまでしたね。
「スイスの一般知識」とはどんなことを勉強するのですか?
川上 スイスの保険制度や法律、家を購入するために必要なこと、スイスでは何を大事にしているか、等です。でも、日本語でも理解するのが大変なのに、英語なのですごく難しかったです。
留学した時点で、英語はどのくらいできたのですか?
川上 まったくできませんでした。スイスに渡る時に母が英会話の本を持たせてくれたんですけど、開封すらしてなくて(笑)。でも頭で勉強するよりも、実際に聞いて話していくのがいちばんの早道ですね。taZに入学して1〜2ヵ月もすると相手の言っていることはだいたい理解できるようになりましたし、1年経つ頃には会話で苦労することがなくなりました。

留学で得たもの、留学して良かったと思うことは?
川上 生活面では、自炊や洗濯、あと当たり前のことですが朝きちんと自分で起きる、といった“自分でするべきこと”が身についたこと。バレエ面では、自分自身に厳しくなったことです。周りのレベルが高いので自分から食いついていかないといけないし、基礎も徹底的に鍛えられました。
ただ、14歳で日本を出たのは少し早かったかな、という気持ちもあります。
どうして「早かったかな」と思うのですか?
川上 スイスでの生活がつらかったわけではまったくないんです。ただ、朝起きて「おはよう」、寝るときに「おやすみ」って言える人、自分に異変を感じたときに支えてくれる人……そんな家族がすぐそばにいるってやっぱりあったかいなあと、帰国するたびに感じていました。家族旅行も14歳からいっさいしていないので、そういう思い出をもっと作れたら良かったな、とか。
バレエ面でつらかったことはありますか?
川上 これはいまだに弱い部分でもあるのですが、留学中は体重の問題に頭をかかえることが多かったです。私はテクニック面では認めていただいていましたが、体のラインが課題で、先生によくプレッシャーをかけられていました。私の場合、「〇〇キロを目標にしなさい」という目標体重が、同じ身長のお友達よりも軽いんです。でも鏡を見ると、先生が言っている意味がわかるんですよね。
同じ体重でも、体型や筋肉の付き方などで見え方が違うということは確かにありますよね。
川上 そうなんです。私は筋肉がつきやすい体ではないので誰よりも筋トレをしないとダメだし、落ちるのもすごく早いんです。それが見た目にもすぐに表れちゃうのかなと思います。それに、自分自身も細くてラインがきれいなロシアタイプのダンサーが好き。そういうダンサーになるためにも、先生たちがおっしゃっていることは間違いないと思っています。

コロナ禍に見舞われて

そして川上さんは初志貫徹、今年2月に開催された第48回ローザンヌ国際バレエコンクールに18歳で出場を果たしました。しかしまさにその頃、新型コロナウイルスが世界的流行のきざしを見せ始めていました。
川上 もともと、ローザンヌ出場の許可を校長先生にいただいた時から、「ただしローザンヌに出るということは、就職活動に影響が出るリスクもあるよ」と告げられていました。つまり、普通なら卒業学年の10月頃から就活を始めるのですが、ローザンヌは2月なので、それが終わるまで就活には取り組めない。だから就活のスタートが遅れる上、ローザンヌ後からがんばったとしても仕事を得るのは難しいかもしれない、と。だけど、私にとってローザンヌは、子どもの頃からの一番の夢。やっぱり出たい。でも、もしローザンヌで何も得られなかったら?……それでもやはり、最後には「出場したい」という気持ちが勝ちました。

ローザンヌで川上さんは、ファイナル進出とはなりませんでしたが、本当に素晴らしいパフォーマンスを見せました。でも、その後あっという間にコロナの流行が拡大し、世界中の劇場やバレエ団も扉を閉ざしてしまった。オーディションじたいが絶対的に少なくなってしまいましたよね。
川上 そうなんです。カンパニーのオーディションもどんどんキャンセルになり、最終的にほとんどなくなりました。かろうじて5つだけオーディションを開催したカンパニーがあったので、私は3つ受けました。結果、すべてのカンパニーから声はかかったのですが、コロナのために契約数が減ってしまって。ウェイティングリストに入れられたまま先行きが見えない状態が続き、最終的には「ビザの関係で、EUの人たちを優先的に採用します」と言われてしまいました。いまもまだ、この状況は変わっていないと思います。
採用が見送られてしまった時、どんな気持ちになりましたか?
川上 精神的にかなり落ち込みました。由紀子先生にも電話して泣き崩れて、母にも「バレエやめたい」って泣きながら漏らしたこともあります。卒業の2週間くらい前からは先生の顔すら見られなくなり、学校にも行けなくなって。うつ病みたいな状態に陥って、何をしても「生きている意味がない」としか感じられなくなってしまいました。
本当につらかったですね。
川上 由紀子先生がいつもおっしゃるのは、バレエを観に来る人たちは、楽しそうに踊る姿を観たいのであって、真剣な顔で死ぬほどがんばっている姿を見たいわけじゃない、ということ。でもその「楽しい」という気持ちが、自分の中で見えなくなってしまったんです。「バレエをしている意味ってあるのかな」って。別にバレエの道に進まなくてもいいんじゃないかとすら思って、高校に行き直すことも考えました。とにかく、バレエから逃れようとばかりしていました。
そのような状態にあった川上さんに対して、バレエ学校の先生方からは何かアドバイスがありましたか?
川上 校長のステフィ・シェルツァー先生もオリバー・マッツ先生も私に寄り添って、最後の最後まで相談にのってくださいました。カンパニーのオーディション情報も、入手したらすぐ教えてくださいましたし。それでも、私は「もうバレエをやりたくない」と打ち明けました。先生方は「ローザンヌにも出たのに、どうしてあきらめるの? 私たちはあなたの才能を認めたから許可を出したのよ」「まだ若いから可能性はある。がんばれば絶対にこの先チャンスはやってくるから」と励ましてくださったけど、その「がんばれ」という言葉が、当時の私にはすごくきつかった。「いままでこんなに頑張ってきたのに、私はまだ苦しまなくちゃいけないの?」と。

本当に、ずっとずっとがんばってきたからこそ、つらかったわけですよね。ご両親はどんな反応でしたか?
川上 スイスから帰国した時、両親が車で福岡から関西空港まで迎えに来てくれたんですね。というのも、海外から帰国したらPCR検査を受けるのですが、結果が陰性と出るまで公共交通機関が使えないので。関西から福岡まで長距離移動する車の中で、私は後部座席に座り、ずっと泣いていました。でも両親は何も言わず、そっとしておいてくれました。福岡に帰ったあとも、「好きなことをしてみたら?」と。私を焦らせることなく、ゆっくり考えさせてくれました。そしてバレエスタジオでは、毎日由紀子先生が励ましてくださって。そうしたサポートのおかげで、気持ち的には少しずつ落ち着いてきています。まだ完全に戻ってはいませんが、今年いっぱいはもう少しがんばってみようかなと思えるようにもなりました。
もう一度バレエをがんばろうと思えるようになった、大きなきっかけはありますか?
川上 はい、2つあります。私のスマートフォンには、本当にバレエをやっている動画しか入ってないんですね。それを飛行機の中とかでずっと見ていて。プリエから始まって、「ああ、何とかここまでは上手になったんだなあ」という成長の経過を眺めていたら、「このビデオの続きを、こんな形で止めてしまっていいのかな」と。
もうひとつは、由紀子先生から小さい子のクラスを教えるチャンスをいただいたことです。子どもたちがバレエを楽しんでいる笑顔を見ていたら、「私も負けちゃいけないな」と思えた。それにその子たちは、いつも「たまちゃんみたいになる!」って言ってくれるんです。そんなふうに思ってくれている、その言葉を裏切りたくない。そしてできることならちびっ子たちには、留学で学んできたものだけじゃなくて、プロのダンサーとして経験したことも伝えてあげられるようになりたい。そう考えるうちに、「いまバレエをやめるのは、自分にとって良いことなのかな?」と思うようになりました。

先ほど「完全に戻ってはいない」という言葉がありましたが、それは踊りのコンディション面のことですか? それとも気持ちの面?
川上 気持ちです。踊るコンディションは、毎日レッスンをしているので戻ってきてはいると思います。でも将来のことを考えると、また「EUのダンサーを優先します」って言われるんじゃないかとか、またコロナのせいで何か起こるんじゃないかとか、チャンスっていつくるんだろう?とか、思ってしまいます。心配や不安が、拭いきれないんです。でもこれはみんなが思っていること。少し前に比べると、いまはずいぶんポジティブに考えることができています。

これからの夢、プロジェクトにかける思い

今後について、何か思い描いていることや目標があれば聞かせてください。
川上 バレエをやめようかと悩んだ時期に、日本のバレエ団を目指してみるのはどうだろうと考えたこともありました。14歳という年齢で留学したこともあって、これからは家族のそばにいたい、という気持ちもあって。でも、日本ではバレエダンサーという仕事だけで生活していくのは難しいですよね。だから、やはりプロになるなら海外のカンパニーに就職したいです。具体的には、ドイツのミュンヘン・バレエ(バイエルン国立バレエ)に入ることが私の夢。スイスに留学して初めて訪れた外国がドイツで、バイエルン国立歌劇場で『ライモンダ』を観たのが、ものすごく印象的だったんです。これこそまさに「美」という文字がふさわしいと感じたし、プロのダンサーの生の踊りってこんなにもすごいんだと、映像ではかなわない立体感に圧倒されました。そして入団できたら、カンパニーの中で良いポジションにつけるまでがんばりたいです。

川上さんはいまもう一度前を向いて、バレエの道を歩き出そうとしているのですね。
川上 バレエの先生になるのもいいのかな、と思うこともあります。うつ状態だった時は、方向転換してキャビンアテンダントを目指そうかなと思ったことも。私、小さい頃の夢がバレリーナかキャビンアテンダントだったので。でもいまから高校に入り直して……と想像したら、ペンを握るのも嫌いなのに絶対に無理だ! と思って(笑)。結局、バレエから離れることはできないと思います。それに、いまこの時期に思いきり成長できたら、きっとまた次のチャンスを手に入れることができるんじゃないかな? そんなふうに考えるようにしています。
最後に、今回の「SPOTLIGHT」プロジェクトにかける意気込みを聞かせてください!
川上 携帯とかパソコンで観る舞台は、やっぱり生とは違っていて、臨場感、立体感には欠けるところがあると思います。それでも、画面に見入ってしまうくらいの感動や楽しさが伝わるような踊りをしたいです。また、このコロナという状況の中でバレエの舞台に触れる機会は少なくなっているのも事実ですけれど、少しでもたくさんの人たちがバレエに興味を持ってくれて、バレエファンを増やせる機会になったら嬉しいです!

\川上環さんに質問!今回のステージでは何を踊る?!/
私は『海賊』よりオダリスクのパ・ド・トロワの第3ヴァリエーションと、『パキータ』のソロを踊ります。

オダリスクのVaは、留学した時にドイツのコンクールに出るため、ステフィ先生が与えてくださったソロです。結局コンクールには出なかったのですが、いつか本当の舞台の上で踊りたいと思ってきました。最初からジャンプも回転も入っていて、音楽もすごくダイナミックで大きな踊り。自分のプロポーションを生かして、舞台全体に広がるような、大きな踊りができるようにがんばります。

いっぽう『パキータ』のソロは、オダリスクとは対照的な、大人っぽく優雅でゆったりした曲です。細かいステップが多いので、スイスで学んだ一つひとつの基礎をおろそかにせず、丁寧に踊りたい。そして日本人にしか出せない繊細さと、豊かな表現力をお見せしたいと思います。

\SPOTLIGHTダンサーズに質問! 川上環さんの踊りの魅力とは?!/

環ちゃんを初めて見た時の印象は「脚、長っ!」(笑)。あれだけスタイルが良いと普通は体をコントロールしづらいものだと思うのですが、環ちゃんは技術もしっかりしているし動きもきれい。本当にバレリーナらしい、美しいダンサーです。(玉井千容)
環ちゃんはとにかくスタイルが素晴らしい。脚がすごく長くて、上半身が何もないんじゃないか?!というくらいです(笑)。それでいて身体をしっかりコントロールできて、回転やジャンプのテクニックもバッチリ決まる。初めて踊りを見たときは驚きました!(伊藤杏珠)

配信情報

「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」

●配信期間:2020年10月18日(日)20時 〜 2020年12月31日(木)23時59分
※配信される映像はアーカイブ視聴が可能です。視聴券の購入により、いつでも、何回でもご覧いただけます。

●視聴チケット発売日(有料 1,500円):2020年10月8日(木)
購入はこちら

●主催・制作・お問合せ:〈バレエチャンネル〉編集部
Email:info@balletchannel.jp
Tel:070-4035-1905

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