みなさま、現在クラウドファンディング実施中の「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」配信プロジェクトを応援してくださり、本当にありがとうございます。
このステージ&ドキュメンタリーに登場する全11名のダンサーたちを一人ひとり紹介するインタビューをお届けしていきます。
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コロナで何が起ころうとも、「あまり落ち込むことはなかった」という森本晃介(もりもと・こうすけ)さん。教室の稽古場からZoomを繋ぎ、少しずつ、自身のことを話してくれました。
森本さんは大阪府の田中バレエアートでバレエを学び、13歳からハンブルク・バレエ・スクールへ留学。最終学年の期中にコロナのため帰国し、そのまま卒業となりました。ドイツのバレエ団との契約は取り消しになり、いまは恩師のもとで稽古を続けています。
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バレエを始めた理由~日本で学んでいた頃のこと
- バレエを始めた年齢ときっかけを教えてください。
- 森本 バレエは8歳で始めました。もともと姉と兄がバレエを習っていて、母は僕にも習わせたかったようです。でも、僕自身はバレエが嫌でたまらなくて……。体験レッスンに連れて行かれても先生の言うことを聞かず、泣いて暴れ回るような状態でした。だけどある日、母におもちゃで釣られたんですね。「バレエを始めたら、おもちゃを買ってあげるから」と言われて、レッスンに通うことになりました。
バレエを始めて少し経った頃
- お兄さんはバレエにすんなり馴染んでいたのですか?
- 森本 そうですね。兄は「バレエってウルトラマンみたいだ」と言って、楽しんでいるようでした。彼もバレエダンサーになり、いまはハンガリー国立バレエで踊っています。森本亮介(もりもと・りょうすけ)という名前です。
- 晃介さんもすぐにバレエを好きなったのですか?
- 森本 うーん……日本にいるあいだは、ずっと嫌なままでした(笑)。ですが、ユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)などのコンクールに出場したとき、同世代の上手な人たちを見て、すごく刺激を受けました。みんなすごいな、自分ももっと頑張ろう、と思いましたね。
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12歳のとき、YAGPのニューヨーク・ファイナルへ
ハンブルク・バレエ・スクール時代
- どのような経緯で留学することになったのですか?
- 森本 13歳のとき、兄に勧められて、ハンブルク・バレエ・スクールのオーディションを現地まで受けに行きました。そこで運良く合格をいただけて、「じゃあ、行ってみようかな」と。5年生から入学しました。
- バレエ学校に入学して、どんなことを感じましたか?
- 森本 スクールでは毎日レッスンがあると知って、「毎日やるの?!」と驚きました(笑)。日本にいたときは、週に1回しかレッスンに通っていなかったので。それと、最初の頃はとにかく、言葉がわからないのがつらかった。英語を覚えるだけでも精一杯なのに、ドイツ語学校にも通っていて。2つの言語を同時に勉強するのは大変だったけど、クラスメイトたちがたくさん話しかけてきてくれたおかげで、少しずつ理解できるようになりました。学校生活の最初の3年間は寮に住んでいたから、生活面での苦労はほとんど感じず、友達と一緒に過ごせるのが楽しかったです。
ジョン・ノイマイヤー振付「ニジンスキー」をガラ公演で踊らせていただきました
卒業試験のために1人1作品ずつ創作するプロジェクトがあり、上級生の友達の作品に出演させてもらいました。 リハーサルもすべて自分達で行い、とても楽しかったです
- スクールで学んでいるうちに、「将来はバレエダンサーになろう」と思うようになったのですか?
- 森本 そうですね。毎日バレエばかりしていたら、ダンサーになろうかな、と思うようになりました。日本にいたときとは違って、バレエ以外のことをやる時間がなかったから。だけど、いまでも僕は、バレエを「楽しい」とはあまり感じなくて……これからダンサーとして踊っていくうちに、何か見つかるかもしれないですね。
コロナで何が起こったか
- 新型コロナウイルスが世界的に流行し、晃介さんの身にはどのようなことが起こりましたか。
- 森本 2月の半ばぐらいから、ドイツでもすこしずつ感染者が出始めて、3月に入った頃には、学校が閉鎖することになりました。それから2週間くらいは、アパートの部屋にひとりでこもっていたのですが、3月末にドイツの感染状況が深刻化してきて。親から「帰ってきなさい」と心配されていたこともあって、急いで飛行機のチケットを取り、日本に帰国しました。
- 学校が閉鎖することになったときは、どのように感じましたか?
- 森本 僕は、あまり何も思わなかったんですよ。「ああ、閉じるんだ」というくらいで。今年は最終学年で、6月に卒業予定だったのですが、卒業試験も卒業公演もできないまま、「卒業」ということになりました。この1年間はずっと卒業公演の練習をしていたし、周りのみんなは悔しがったり悲しんだり、泣いている子もいましたね。でも僕は、「仕方ないな」という気持ちが強くて、落ち込むこともなかったです。
- 卒業後の進路も考え始めていたのですか?
- 森本 はい。コロナが起こる前、ドイツのバレエ団を中心にオーディションをいくつか受けていたのですが、どこも決まらなくて。日本に帰ってきたあと、5月にスクールの先生が連絡をくれて、「チューリンゲン・バレエにメールを送ってみたら?」と。チューリンゲンもドイツにあるバレエ団で、入団させてもらえないか連絡をしてみたところ、今シーズンから契約をいただけることになりました。ですが、シーズン開始1ヵ月前の8月に、再びドイツでコロナの状況が悪化。「合流するのを少し遅らせてもらえないか」とカンパニーにメールをしたら、契約が取り消しになってしまいました。このときは、さすがに落ち込みましたね……少しだけ、ですけど(笑)。いまは、行き先が決まっていない状態です。
今年の2月、ドイツのバレエ団のオーディション終わりに。尊敬している中村淳之介くんに会えて、とても嬉しかったです
- いまはお兄さんも一緒に日本でレッスンしているのですか?
- 森本 兄も同じ時期に日本に帰ってきたのですが、7月にはカンパニーが再開したので、ハンガリーに戻りました。今年の夏は、おとなになって初めて兄と一緒にレッスンをしたのが、すごく新鮮でしたね。僕がまだ小さいときから、兄はすでに海外へ留学していたから、一緒にバレエをしたことがあまりなくて。いままではその偉大さがわからなかったけど、兄をダンサーとして「すごいな」と尊敬するようになり、見る目が変わりました。将来は僕もやっぱり、海外でバレエダンサーとして踊りたい。それがいまの目標です。
- 最後に、今回の「SPOTLIGHT」プロジェクトへの意気込みをお聞かせください。
- 森本 五十嵐脩くんから声をかけてもらったときは、このプロジェクトがどういうものになるのか、未知の部分も多かったけど……いまはちょっとずつ形になってきて、参加させてもらえることへの嬉しさもどんどん増しています。みんなに感謝しながら、楽しみたいと思います!
- \森本晃介さんに質問!今回のステージでは何を踊る?!/
- 僕は『ジゼル』第2幕のアルブレヒトのヴァリエーションを踊ります。
この踊りは、もともとハンブルク・バレエ・スクールの卒業試験のために練習していたものです。アルブレヒトのように感情表現が求められる役柄は、これまで踊ったことがなかったので、だからこそ挑戦したくて選びました。スクールの先生からも、ずっと注意されていたのは「気持ち」の部分。このヴァリエーションが踊られるシーンや、アルブレヒトの気持ちをよく考えて、心を込めて踊りたいです。
日本に帰国してから、発表会やコンクールでもアルブレヒトを踊りました
\SPOTLIGHTダンサーズに質問! 森本晃介さんの魅力とは?!/
- 晃介くんは、長身を生かしたダイナミックな踊りが魅力的。まだ18歳の若さで、悲しみに打ちひしがれるアルブレヒトの心情をとてもうまく表現していて、驚きました(中村淳之介)
- 晃介くんはとても優しい人。その優しさが、踊りによく表れています。ハンブルク・バレエ・スクールで学んでいただけに、やはり体の使い方のスケールが大きくてドラマティック。ほのかにノイマイヤーのスタイルが感じられる、アーティスティックなダンサーです(五十嵐脩)
配信情報
「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」
●配信期間:2020年10月18日(日)20時 〜 2020年12月31日(木)23時59分
※配信される映像はアーカイブ視聴が可能です。視聴券の購入により、いつでも、何回でもご覧いただけます。
●視聴チケット発売日(有料 1,500円):2020年10月8日(木)
※購入はこちら
●主催・制作・お問合せ:〈バレエチャンネル〉編集部
Email:info@balletchannel.jp
Tel:070-4035-1905
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