みなさま、現在クラウドファンディング実施中の「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」配信プロジェクトを応援してくださり、本当にありがとうございます。
このステージ&ドキュメンタリーに登場する全11名のダンサーたちを一人ひとり紹介するインタビューをお届けしていきます。
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Zoomの画面越しでもしっかりと目を見ながら、取材に応じてくれた中島映理子(なかじま・えりこ)さん。コロナ禍でも「できるだけポジティブに」と、目を輝かせながら明るく話を聞かせてくれました。
中島さんは埼玉のエプリバレエスタジオでバレエを学び、16歳からパリ・コンセルヴァトワールに留学。卒業後は2年間パリ・オペラ座の契約ダンサーとして踊りを磨き、2019年からはオーストラリアのクイーンズランド・バレエに所属しています。コロナのため日本に帰国し、その後カンパニーは活動を再開したものの、オーストラリアの厳しい入国制限により現地へ戻ることができず、現在は日本で過ごしています。
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バレエを始めた理由~中学時代のこと
- 映理子さんがバレエを始めたきっかけを教えてください。
- 中島 4歳のとき、母がバレエの舞台に連れて行ってくれて、そこで私がバレエにすごく興味を示したそうです。もともと3歳からヤマハ音楽教室でエレクトーンなどを習っていたのですが、母が言うには、「音感が良いから、バレエにも向いているのではないか」と思ったらしく、バレエスタジオの見学にも連れて行ってくれました。エレクトーンは続かなかったけど、バレエはずっと続けていられたので、最初からバレエは好きだったのかな、と思います。
- 本格的に取り組むようになったのは、いつごろからですか?
- 中島 小学校3年生のとき、トウシューズを履いて踊るようになってからですね。「ああ、私はバレエを踊っているんだ!」という感じがして(笑)。その頃から、私のいちばんのモチベーションは、「舞台に立つこと」。最初は脚も身体もとても弱く、レッスンではよく注意されていましたが、発表会やコンクールのためなら、いつも頑張ることができました。
初めてトウシューズを履いて踊った発表会
- 映理子さんはこれまで海外で研鑽を積まれていますが、初めてバレエで海外へ行ったのはいつですか?
- 中島 小学校5年生でユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)に出場した時です。日本予選の直前に体調を崩してしまって大変だったのですが、結果は3位をいただいて、ニューヨーク・ファイナルへ行けることとなりました。最終的に2つのスカラシップをいただき、アメリカン・バレエ・シアター(ABT)の「ヤング・ダンス・サマー・ワークショップ」と、オーストラリアン・バレエ・スクールのサマースクールに参加させていただきました。
- そのABTの「ヤング・ダンス・サマー・ワークショップ」が、初めて海外でバレエを学ぶ機会になったのですね。
- 中島 ABTのヤング・サマーは、夏に開催される2週間のワークショップで、クラシック・バレエのレッスンのほか、コンテンポラリーや演技のクラスもありました。いちばん苦労したのは、英語ですね。当時まだ小学校6年生で、英語はきちんと勉強したこともなく、ほとんど話せない状態でした。でも、このとき言語の壁に戸惑った半面、「失敗してもいいから、自分から伝えようとしなければ何も伝わらない」ということも学びました。びっくりしたのは、現地のクラスメイトたちが、みんなすごく明るい性格だったこと。英語がわからない私にも、身振り手振りを交えながらたくさん話しかけてくれて、何かを伝えようとしてくれるんです。私は最初、失敗するのが嫌で、自分の殻に閉じこもっていました。だけど、優しくてフレンドリーなクラスメイトたちを見て、「自分からどんどん発さないといけないな」と気づきました。
- その後、オーストラリア・バレエ・スクールで1週間のサマースクールに参加されたあとも、またすぐに海外へ?
- 中島 オーストラリアから帰ってきて翌年のYAGPにも出場し、1位をいただいたのですが、ニューヨーク・ファイナルには行かなかったんです。ちょうど中学生になる年の春で、両親は「義務教育はしっかり受けなさい」という教育方針だったので。私自身、「ニューヨーク・ファイナルは去年1度経験できたし、また大きくなってから挑戦するのでもいいかな」と考えて、辞退することにしました。そして中学時代の3年間は一度も海外には行かず、日本のコンクールにたくさん挑戦していましたね。
憧れのローザンヌ国際バレエコンクール
- これまでのバレエ人生で“転機”になったことは?
- 中島 高校1年生のときに出場した、ローザンヌ国際バレエコンクールです。ローザンヌはずっとテレビで見ていた憧れのコンクール。中学生の間は国内だけで頑張っていたこともあり、一度は挑戦したいな、と思っていました。ビデオ審査が通ったことを知ったときは、本当に……震えましたね。「行けるんだ、ローザンヌに!」って。夢のようで、最初は現実味がありませんでした。
2015年、憧れのローザンヌ国際バレエコンクールへ
- コンクールの結果はいかがでしたか?
- 中島 ファイナルには進めなかったのですが、5つの学校からスカラシップをいただきました。じつは、いま所属しているクイーンズランド・バレエのプログラムもいただいていたのですが、そのときは選ばなくて。当時は「バレエの本場で学びたい」という気持ちが強く、ヨーロッパの学校に行きたいと思っていたんです。5つのスカラシップの中でヨーロッパの学校は1つだけで、それはドイツのバレエ学校でした。でも、ドイツに行くことはあまり考えたことがなかったので……進路に迷いながら一度そのまま帰国して、1週間後くらいに、パリのコンセルヴァトワールのオーディションも受けることにしました。
- それはどのような経緯で受けることに?
- 中島 コンセルヴァトワールの先生のワークショップを受けたときに、「学校のオーディションを受けてみない?」と声をかけていただいて、申し込んでいたんです。迷ったのですが、フランスのバレエは幼い頃からの憧れだったし、「もうパリに行くことはないかもしれない」と思って受けに行きました。結果は合格。6つの選択肢を前にとても悩んだのですが、コンセルヴァトワールへ入学することを決めました。オーディションのときにレッスンを指導してくださったのが元オペラ座エトワールのイザベル・シアラヴォラさんで、彼女のような偉大なダンサーに教えていただけるなんて、本当に貴重なことだと感じたんです。
コンセルヴァトワールの学校公演で踊った「La chant du cygne」。イザベル・シアラヴォラ先生が振付けた作品です
パリ時代~クイーンズランド・バレエへ
- コンセルヴァトワールには何年間、通ったのですか?
- 中島 1年間です。16歳の9月に、最終学年へ入学しました。私のクラスはイザベル先生が担任だったのですが、生徒はたったの10人で、私の他にフランス人の女の子が4人、男の子が5人いました。毎日のクラシックのクラスは、男女分かれて行われていたので、イザベル先生は一人ひとりをじっくり見て指導してくださいました。もともと私は踊っているときに上半身が硬くなってしまうことが多かったのですが、イザベル先生からは、上半身をたっぷりと使った、フランスらしい上品な踊り方を教えていただきました。
学校公演ではジョージ・バランシン振付「テーマとヴァリエーション」も上演。ソリストを踊らせていただきました
一緒に踊ったクラスの仲間たちと
- 卒業後の進路はどのように決めたのですか?
- 中島 最終学年の課程が終わって、バレエ団のオーディションを探し始める時期に、ちょうどパリ・オペラ座バレエの外部オーディションの募集がありました。「経験として受けてみよう」とクラスのみんなで受けたのですが、そこでまさか、短期の契約をいただくことができて。「本当に私? これは夢なのかな?」と、しばらく信じられませんでした。オペラ座は私にとって、「DVDの中の世界」だったので(笑)。オーディションのときには、オペラ座でレッスンができただけで幸せだな、と思っていました。
- オペラ座ではどのようなキャリアを積まれましたか?
- 中島 公演には基本的に正団員のダンサーが出演するので、短期契約のダンサーは、代役での配役が多くなります。本役にはなかなか入れなかったのですが、『白鳥の湖』や『ラ・シルフィード』のような女性キャストの多い作品には出演できて、コール・ド・バレエの勉強をすることができました。
毎年、パリ・オペラ座バレエのシーズンの初めに行われる「デフィレ」。初めて参加させていただく舞台の開演直前に撮影した写真です
- オペラ座から、現在所属しているクイーンズランド・バレエに移籍したのはなぜですか?
- 中島 他の国や他のバレエ団にも行ってみたいな、もっとチャレンジしてみたいな、という気持ちがありました。オペラ座での2年目のシーズンが終わって、夏休みのため日本に帰国したとき、9月にクイーンズランド・バレエのオーディションがあると知って。「ローザンヌのときに一度スカラシップをいただいたカンパニーだし、受けてみようかな」と思い、現地まで受けに行きました。審査はバー・レッスンとセンター・レッスンのみで、手応えがなく不安だったのですが、帰国後1週間ほどしてディレクターから電話があり、「ぜひ来シーズンから来てほしい」と。ローザンヌのときのことを覚えていてくださったのかどうかはわからないけど、またこうして呼んでいただけたことがすごく嬉しくて、入団を決めました。自分のことを気に入ってもらえるところに行きたいな、というのはいつも思っていましたから。
コロナで何が起こったか
- 新型コロナウイルスの世界的流行により、映理子さんにはどのようなことが起こりましたか。
- 今年の3月にシーズン最初の公演が予定されていたのですが、コロナの影響で中止となり、そして8月までカンパニーが閉鎖することになりました。私はオーストラリアでは一人暮らしなので、8月までずっとひとりで自粛生活を送るのは、心身ともにつらいだろうな……と感じて。カンパニーのマネージャーと相談して、「家族といるほうが安全だと思うならそうしたらいいし、帰ることにはなにも問題ない」と言ってもらえたので、帰国することにしました。日本の家族や恩師ともよく話し合って、帰国すればスタジオを使わせていただけるということもあり、「日本にいるほうが、心も身体も健康でいられるかな」と思ったので。結局、カンパニーのレッスンは6月末に再開したのですが、オーストラリアはいまも厳しい入国制限をしています。他の団員たちはスタジオに戻りレッスンを受けているのですが、私だけオンラインで参加していて、すこし寂しいです。
- 他の日本人ダンサーたちはどうされているのですか?
- 団員どうしで暮らしている子が多くて、他のみんなはオーストラリアに残っていたんです。いま入国が許されているのは、オーストラリア人とオーストラリアに永住権を持っている人、そしてオーストラリア在住のニュージーランド人だけ(2020年10月4日現在)。クイーンズランド・バレエの団員はオーストラリア人とニュージーランド人がほとんどなので、同僚たちはみなカンパニーに戻れているなか、私はいつ戻れるか、目処も立っていません。
- バレエ団が閉鎖されたときは、どのように感じましたか?
- このような状況はまったく初めてのことだったので、今後どうなってしまうのか、本当に心配になりました。バレエはグループで踊るものも多いですし、お客さんに劇場へ来ていただいて、公演を上演するのが日常です。「密」になってしまう場面が多いので、もし今後しばらく舞台ができなかったらどうなってしまうのだろう、と……それはすごく不安でした。
クイーンズランド・バレエの「シンデレラ」の公演で、冬の精を踊らせていただきました
「くるみ割り人形」花のワルツ
- バレエ団は公演も再開したのでしょうか?
- 先日、小規模なものは上演することができたみたいです。私はリハーサルにも出られないし、もちろん公演にも参加できません。でもいまは、日本でできることをやるしかない。だからなるべくポジティブにいよう、この状況でもできることを頑張ろう、と考えるようにしています。もちろん、そうは言っても、気持ちには波があります。毎朝オンラインでカンパニーのクラスを受けているのですが、自分だけ戻れていないという焦りから、「私の選択は間違っていたのかな」と自分を責めてしまうことも。でも、そんなことをくよくよ考えていても仕方がない。「いま日本でしかできないこと」にフォーカスするようにしています。
- そのような状況のなかで立ち上がった今回の「SPOTLIGHT」プロジェクト、映理子さんはどんな思いで取り組んでいますか?
- 今回は五十嵐脩くんから連絡をもらって、私より年下の子たちが、自分たちの力で行動しようとしていることにとても感銘を受けました。私もできることがあれば協力したいと思ったし、自分自身にとっても、舞台という目標は何よりもモチベーションに繋がります。みんなと一緒に頑張りたいと思います!
- 最後に、将来の夢を教えていただけますか。
- 夢ですか。そうですね……漠然とですが、私は最終的には、日本で踊りたいという気持ちがあります。でも、いままだ若いうちは、海外で経験とキャリアをたくさん積みたい。挑戦できる年齢のうちに、海外でいろんなことを学んで吸収して、その学んできたことを日本のお客さんに届けたい――ということを考えています。
- \中島映理子さんに質問!今回のステージでは何を踊る?!/
- 私は『エスメラルダ』のヴァリエーションと、『パキータ』でエトワールを踊ります。
『エスメラルダ』は、8月に「SHIVER」の公演で初めて踊らせていただいた作品です。これまでプリンセスの役柄を踊ることが多かった私にとって、エスメラルダのように力強くセクシーな女性を演じるのは、自分の表現の幅を広げられる新しい挑戦。すこし民族的なエッセンスも織り交ぜまがら、本番ギリギリまで研究したいと思っています。
『パキータ』のエトワールは、中学生の頃にコンクールでよく踊っていた思い出の作品。当時より大人になったいまだからこそできる、エレガントで凛とした表現ができたらと思っています。
中学生当時の「パキータ」エトワールの写真。今回もこのときと同じ衣裳で踊ります!
\SPOTLIGHTダンサーズに質問! 中島映理子さんの魅力とは?!/
- 映理子さんは小さい頃から教室のスターで、僕にとってもずっと憧れの先輩。今回一緒にパ・ド・ドゥを踊れることが夢のように感じるくらい、雲の上の存在です(中村淳之介)
- すでにプロのダンサーとしてキャリアのある映理子さんについて僕が語るのもおこがましいのですが……日本人離れした完璧なプロポーションで、どんなテクニックもこなせてしまう。非の打ちどころがないオールマイティーなダンサー。とても尊敬しています!(五十嵐脩)
配信情報
「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」
●配信期間:2020年10月18日(日)20時 〜 2020年12月31日(木)23時59分
※配信される映像はアーカイブ視聴が可能です。視聴券の購入により、いつでも、何回でもご覧いただけます。
●視聴チケット発売日(有料 1,500円):2020年10月8日(木)
※購入はこちら
●主催・制作・お問合せ:〈バレエチャンネル〉編集部
Email:info@balletchannel.jp
Tel:070-4035-1905
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