みなさま、現在クラウドファンディング実施中の「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」配信プロジェクトを応援してくださり、本当にありがとうございます。
本日より不定期で、このステージ&ドキュメンタリーに登場する全11名のダンサーたちを一人ひとり紹介するインタビューを掲載していきます。
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「SPOTLIGHT」プロジェクトは、この夏、ひとりの若者がかけてきた1本の電話から始まりました。
「僕も含めて、たくさんの若いダンサー仲間たちが、コロナのために入団取り消しになったり、留学先から強制帰国させられたりしているんです。だから、自分たちで目標になるような公演を企画しようと思っているので、雑誌で取り上げてもらえませんか?」
若者の名は五十嵐脩(いがらし・しゅう)、19歳。
彼のことを、2014年に英国ロイヤル・バレエのプリンシパルらが中心となって上演された「ロイヤル・エレガンスの夕べ」で『ベアトリクス・ポター物語~ピーター・ラビットと仲間たち~』より「まちねずみジョニー」を踊った少年、として記憶している方もいらっしゃるかもしれません。
五十嵐さんは埼玉の志村昌宏・有子バレエスタジオで学び、15才よりオーストラリア・バレエ・スクールに留学。同校を優秀な成績で卒業し、ドイツのバレエ団の契約をつかんだ矢先に、コロナ禍に見舞われました。入団契約は取り消され、帰国。現在は埼玉の自宅に戻り、恩師のもとで稽古を続けながら、フリーで活動をしています。
「SPOTLIGHT」というプロジェクト名は、その五十嵐さんが最初に聞かせてくれた企画案にあった公演タイトルから名付けたものです。
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バレエを始めた理由〜スクール時代のこと
- バレエを始めた年齢ときっかけを教えてください。
- 五十嵐 バレエは3歳で始めました。先にバレエを習っていた姉がキラキラしたチュチュを着ているのを見て、「僕もあんなキレイなのを着てみたい!」と憧れたのがきっかけです。
- 実際にバレエを習ってみてどうでしたか?
- 五十嵐 すごく楽しくて、すぐに大好きになりました。ストレッチとかバー・レッスンは正直あんまり……だったのですが(笑)、舞台に立って光を浴びることがとにかく好きで。「できることならずーっと舞台に立っていたい」と、いつも思っていましたね。そして、ジャンプや回転などのテクニックよりも、どちらかというと「表現したい!」という気持ちのほうが強い子どもでした。
発表会が大好きな子どもでした
- 五十嵐さんは2014年「ロイヤル・エレガンスの夕べ」公演で英国ロイヤル・バレエ プリンシパルのスティーヴン・マクレイ等と共演し、大きな話題を呼びました。そして2015年に出場したユース・アメリカ・グランプリ(YAGP)2016日本予選でスカラシップを得て、オーストラリア・バレエ・スクールに留学。留学生活はどうでしたか?
- 五十嵐 僕は15歳(5年生)から18歳(8年生)まで4年間在学したのですが、「ずっとこのまま学校にいたい!」と思うくらい、最高でした。カリキュラムが充実していたことや、素晴らしい先生方と出会えたこともあるけど、何と言っても友達に恵まれました。同じ学年には男子が9人いて、僕以外はみんなオーストラリア人もしくはニュージーランド人だったのですが、日本人であり少し個性的なところがある僕を、最初から自然に受け入れてくれました。お互いをライバル視するようなピリピリした空気もいっさいなくて、毎日がとても幸せでした。
- 言語の問題はありませんでしたか?
- 五十嵐 英語なんてひと言も話せない状態で留学したのですが、それほど「困った!」とは感じませんでした。僕はもともとおしゃべり好きで、積極的にどんどん話すので、何となくコミュニケーションが取れていたというか。寮生活をしていたのもよかったです。5年生の時は10人部屋、6〜7年生の時は5人部屋、8年生の時は2人部屋と、つねに英語で会話をする生活だったので。最終的にはほぼバイリンガル・レベルで話せるようになりました。
オーストラリア・バレエ・スクール留学1年目(15歳・5年生)
- それはすごいですね! バレエのほうも、スクール・パフォーマンスで主役級の役を任されたり、進級試験に首席で合格したりと、優秀な成績だったそうですね。
- 五十嵐 空いた時間を利用してトレーニングしたり、クラスを余計に受けたりして、努力はしました。でも頑張りすぎて故障してしまったりして、「頑張りすぎもいけないんだな」ということも学びました(笑)。全体的にとても順調な学校生活だったと思いますが、卒業学年の1年間だけは、苦しかったですね。
- というと……?
- 五十嵐 僕はトップの成績で最終学年に進級したので、卒業までの1年は明るいな……と思っていたんです。ところがいざ学期が始まってみると、日本人である僕だけ、明らかに待遇がよくなかった。例えば、最終学年の子って海外に派遣される機会がいろいろとあるんですね。ローザンヌ国際バレエコンクールに新設されたコレオグラフィック・プロジェクト(*)とか、カナダのスクールへの交換留学とか、海外で開催されるスクールフェスティバルとか。あるいは僕の時は、オーストラリア・バレエの『不思議の国のアリス』(クリストファー・ウィールドン振付)公演に出演できる機会があったりもしました。そうしたチャンスが同級生たちには次々と与えられるのに、トップの成績だったはずの僕だけ、本当に何ひとつ選ばれませんでした。決まっていたはずの主役が、本番2週間前になっていきなりキャストチェンジになったこともありましたし。
*編集部注:2018年にスタートしたプロジェクト。ローザンヌ・コンクールのパートナー校から優秀な生徒が2名ずつ派遣され、第一線で活躍する振付家が彼ら・彼女らのために作る新作をみんなで踊る。
- それはつらかったですね……。
- 五十嵐 その時は本当につらくて悔しかった。でも考えてみれば、海外に1回行けるかどうか、その1回にキャスティングされるかどうかなんて、自分のダンサー人生の中ではちっぽけなことです。例えばみんながカンパニーの公演にエキストラで出ている間に、僕は一生懸命練習して、もっと上手くなることができる。この経験から、僕は「あらゆることには良い面と悪い面の両方がある。結局すべてはプラスマイナスゼロなんだ」と思えるようになりました。精神的にひとつ強く成長できたことは、よかったと思っています。
留学3年目(7年生)。学校の友達とストリートシュートをした時にバレエポーズでパチリ!
最終学年(8年生)の時の地方巡業公演。この時は3週間で14公演ほど『コッペリア』を踊りました
コロナで何が起こったか
- そして2019年12月にオーストラリア・バレエ・スクールを卒業。コロナの影が世界中を覆い始めたのは、それから間もなくのことですね。
- 五十嵐 少し遡りますが、僕は卒業半年前の2019年6月くらいから就職活動をしていました。でも身長が170センチに満たないので、それを理由に断られることが多くて……。卒業時には、同級生の男の子たちはもうみんな入団先が決まっていて、僕だけが取り残されている状態でした。それでもあきらめずにオーディションを受け続けて、12月に学校を卒業してからはカナダやドイツへ。それでついに、ドイツのキール州立劇場バレエから短期契約をいただけたんです。1年近くにもわたる就活の末に、やっとつかんだ契約でした。ところがその直後に、ヨーロッパでコロナの感染が爆発的に広がってしまい……。劇場が次々と閉鎖されるなか、キール州立劇場から「今シーズンのプログラムはすべてキャンセルになったので、今回の契約は解消させてください」という連絡がきてしまいました。
- その知らせを受けた時、どのように感じましたか?
- 五十嵐 先ほどお話ししたように、僕は卒業学年の1年間だって、つらいことならたくさんあった。だからこんなことでくじけてはいけない、あきらめちゃいけないと、何度も考えました。それでも、4月頃だったか……東京に緊急事態宣言が出されて、外にも出られず家の中でしか練習できなくなった時、「もうバレエをやめよう」と思いました。
- 「もうやめよう」と思うほどつらかったのは、具体的にどんなことだったのでしょうか。
- 五十嵐 やっとつかんだものが、もぎ取られてしまったことです。本当に、「今から」だったんです。真新しい飛行機でやっと飛び立とうとしていたところだったのに、その翼を折られてしまった。「いままで頑張ってきたことは何だったんだろう?」と、生きる気力を失いました。もちろん、コロナ禍に苦しめられているのは僕たちだけじゃなくて、もっと大変な人や、生きるのに精一杯という人もたくさんいらっしゃる。だからそんなことを言ってはいけないのですが。
バレエはもうやめて、まったく新しい挑戦をしてみようとも考えました。そうすれば何かが変わるかもしれない、と。僕は小学生の頃から、バレエダンサーでなければパイロットになりたいという夢を持っていました。だから航空大学校を目指してみるのはどうだろうと、1ヵ月間くらい真剣に考えて、資料を集めたり、詳細を調べたりもしていました。
- それでもやはり、バレエに戻ってきたのですね。
- 五十嵐 やっぱり、「逃げ」だと思ったので。だって、今までやってきたこと、積み重ねてきたものをすべて捨てるわけですから。今は確かにすごくつらい思いをしているけど、次の道に進んだとしても、またきっとつらいことはある。そしたら自分は、また逃げるのかな? って。
バレエを始めた時から、僕はただただ踊ることが大好きで、少しでも上手く踊れるようになりたくて、一生懸命練習してきました。その日々が「もったいない」のではなく、「譲れない」と思った。「やめようか」と考えていたら、逆に「やっぱりバレエが大好きだ」という気持ちが大きくなっていきました。
- 周りのお友達や同世代のダンサーたちも、同じような状況なのでしょうか?
- 五十嵐 はい。このコロナで契約を失ったり、入国制限のために渡航できずにいたり、留学先の学校が再開しているのに自分だけ復学できずにいる、みたいな子がたくさんいます。僕らのような若いダンサーにとって、「バレエ団との契約がある」とか、「バレエ学校でプロになるための道を確かに歩んでいる」いうことの安心感は、とても大きな支えになります。でも、それが失われてしまった。なかには心が折れて、「もうバレエをやめる」と連絡してきた子もいました。やめてしまいたいほどの気持ちになるのも、やっぱり本当に努力してがんばってきたからこそなんです。
- そういった若いみなさんが、心折れることなくバレエを続けていくためには、何が必要だと思いますか?
- 五十嵐 「目標」だと思います。つまり、舞台に立つこと。僕たちが踊るのは、舞台に立ち、お客様に喜んでいただくためです。「次はあの公演に出る」という目標があれば、それに向かってどんな努力だってできるんです。
「自分たちで公演を作ろう!」
- それで五十嵐さんは「自分たちの手で公演を打とう!」と考えるに至り、この「SPOTLIGHTプロジェクト」の原型が生まれました。
- 五十嵐 まずはその少し前、緊急事態宣言が出されていた頃に、40〜50人のグループを作りました。そして僕の先輩にあたるダンサーのみなさんに無償で講師をお願いして、1ヵ月間、ほぼ毎日オンライン・レッスンを開講していただいたんです。でも、先ほど言ったように、心が挫けかけているダンサーたちの支えになるのは、やっぱり舞台なんですね。だからそのグループのなかの4〜5人を中心にして、「自分たちで公演をやろう!」と動き出しました。それが7月のことでした。
ただ……企画書を作り、実現までに何をしなくてはいけないかを一つひとつ考え始めると、自分たちがいかに未熟で無力なのか、ということをすぐに思い知らされました。まだ無名の僕たちが公演を立ち上げたからといって、誰が観に来てくれる? まだ何の信用もないのに、劇場を借りたりスタッフさんにお願いしたりするための資金はどうやって用意する? しかも、もしかしたら秋以降には劇場が再開したり入国制限が解除されたりして、また状況が一変するかもしれません。そうなればもちろん嬉しいけど、そのためには秋口までには舞台をやり遂げる必要がある。それはあまりにも時間もないよね……と。
それでもダメ元で、僕はいくつかの会社に「僕たちのプロジェクトを取り上げてもらえませんか?」と連絡をしていました。そのなかで話を聞いてくれたのが、〈バレエチャンネル〉さんだったんです。
- そこから五十嵐さんたちダンサーと、私たちバレエチャンネルが力を合わせ、「SPOTLIGHTプロジェクト」が始動しました。五十嵐くんはダンサーチームをまとめるリーダー的存在ですが、いまプロジェクトを進めているなかで大変なことはありますか?
- 五十嵐 僕も含めて11人もダンサーがいて、それぞれが違う場所に住み、違う活動をしているので、みんなと連絡を取り合うだけでもなかなか大変です! そして今回の上演演目のひとつに『パキータ』があるのですが、地方在住の人が多いのと、指導をしてくれているダンサーも海外在住なので、Zoomでリハーサルをしているんですね。すると、まず画面がミラーリングして上手・下手が逆になったり、音楽と動きがどうしてもずれて見えてしまったり……。みんなの動きが合っているのかどうかがわからず、苦戦しています。
- 五十嵐さんたちが自力で立ち上がったところから始まった今回のステージ。いま、どんな「舞台」にしたいと思っていますか?
- 五十嵐 コロナ禍によって大変なこともたくさんあったけど、でもそれがなかったらこの企画は生まれなかったし、自分たちの踊りや声をみなさんに届けることはできなかったかもしれません。だから、このステージでは若者らしく、元気よく、ポジティブなエネルギーを思いきり発揮したいと思います!
- 最後に、これからの目標や夢を聞かせてください。
- 五十嵐 日本のバレエ団に所属する道を選ぼうと思っています。ずっと「海外で踊ること」しか考えてこなかったけど、あらためて見渡すと、日本には素晴らしいダンサーが数多くいらっしゃいますし、「いつか踊れたらどんなにいいだろう」と思うようなレパートリーを豊富に揃えたバレエ団も、いっぱいあるんですよね。だから、とにかく今は、踊れる環境と携わりたい作品のあるバレエ団に就職して、プロとしての経験を積みたいです。そしてプロフェッショナルのダンサーたちと一緒に稽古させていただいて、たくさん吸収したい。もちろんどのカンパニーも狭き門ですし、厳しい道であることに変わりはないのですが。
- \五十嵐脩さんに質問!今回のステージでは何を踊る?!/
- 僕は『アルレキナーダ』のヴァリエーションと、『ラ・シルフィード』(ブルノンヴィル版)のパ・ド・ドゥを踊ります。
『アルレキナーダ』はコンクールによく出ていた頃の思い出の作品。結果が出なくて「僕に合う作品って何だろう?」と自分自身を見つめ直して選んだのがこのソロでした。今回、久しぶりに踊ることで、あの頃の気持ちや笑顔を取り戻せたら……と思っています。
14歳。コンクールで「アルレキナーダ」を踊った時の1枚
『ラ・シルフィード』は玉井千容さんと踊ります。パ・ド・ドゥですがあまりパートナーと触れ合わずに踊れるので、いまの時世に合っているかな、と。この作品はテクニックよりも演技の部分が難しい。古い作品ですが、だからこそ本家本元のデンマーク・ロイヤル・バレエが上演している振付を忠実に踊るべく、恩師の志村昌宏先生にご指導いただいています。
\SPOTLIGHTダンサーズに質問! 五十嵐脩さんの踊りの魅力とは?!/
- 基礎がとても丁寧で、表現力もあって、お客様に心が伝わるダンサー。熱いハートを秘めた脩くんなので、今回も素晴らしいパフォーマンスを見せてくれると思います!(田中玲奈)
- 脩くんの踊りは誰にも真似できない、脩くんだけの踊りです。個性が強くて表情ゆたか。音楽の使い方も独特で、気持ちがはっきりと伝わってきます(池田紗弥)
- 「踊ることが楽しくて仕方ない!」という思いがものすごく伝わってくる。つま先・手先で物語れるダンサーです。どれだけストイックに努力をしてきたのかが分かる、綺麗でしなやかな肉体美を持っています(竹嶋梨沙)
- 五十嵐くんの踊りにはパーソナリティー(人間性)がにじみ出ている。素晴らしいつま先の持ち主。でも僕が彼の踊りでいちばん好きなところは、表情も含めた上半身の表現力です(栗原柊)
配信情報
「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」
●配信期間:2020年10月18日(日)20時 〜 2020年12月31日(木)23時59分
※配信される映像はアーカイブ視聴が可能です。視聴券の購入により、いつでも、何回でもご覧いただけます。
●視聴チケット発売日(有料 1,500円):2020年10月8日(木)
※購入はこちら
●主催・制作・お問合せ:〈バレエチャンネル〉編集部
Email:info@balletchannel.jp
Tel:070-4035-1905
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