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【SPOTLIGHT】ダンサーズ・ファイル〈7〉中村淳之介〜成長を信じて踊り続けたい〜

曽根 可穂里

みなさま、現在クラウドファンディング実施中「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」配信プロジェクトを応援してくださり、本当にありがとうございます。

このステージ&ドキュメンタリーに登場する全11名のダンサーたちを一人ひとり紹介するインタビューをお届けしていきます。

しなやかな柔軟性、すらりと伸びた長い脚。軽やかな跳躍と美しいシルエットの回転が魅力のダンサー、中村淳之介(なかむら・じゅんのすけ)さん。

中村さんは6歳でバレエを始め、2016年にローザンヌ国際バレエコンクールに出場。同年カナダ・ナショナル・バレエ・スクールへ入学し、2019年からはアメリカのタルサ・バレエ Ⅱ で活躍していました。今シーズンよりカンザス・シティ・バレエに移籍予定でしたが、コロナの影響で契約が取り消しに。それでも立ち止まることなくチャンスを探し続け、みごとハンガリー国立バレエのオンライン・オーディションに合格。2021年1月から入団の予定です。

「小さい頃から表現することが好きだった」という中村さん。一つひとつの質問に対して誠実に言葉を選びながら、インタビューに答えてくれました。

バレエを始めた理由~日本で学んでいた頃のこと

淳之介さんがバレエを始めたきっかけを教えてください。
中村 趣味でバレエを習っていた母に連れられて、僕も小さい頃からバレエ教室へ遊びに行くことが多く、気づいたらバレエを始めていました。3歳上の兄も一度はバレエを習ったのですが、性格的に合わなかったようで、1ヶ月でやめたそうです。代わりに兄はサッカーに夢中だったけど、僕は対照的に、サッカーが向いていなかった。センスもなかったし、「競争する」というのが好きではなくて、すぐに辞めてしまいました。

幼少期の発表会にて

バレエは最初から好きになったのですか?
中村 バレエを始める前にジャズダンスを習っていたのですが、そのときから「踊るってすごく楽しい!」と感じていました。僕は「表現すること」が好きだったし、できないことがどんどんできるようになっていくのが嬉しかった。バレエは基本のポジションが決められているけど、だからこそ、その中で自分なりの表現を見つけていくことができます。その奥深さに引き込まれて、最終的にバレエを選びました。
コンクールに出場するようになったのはいつ頃からですか?
中村 小学校4年生の頃からです。最初は結果が奮わず、悔し泣きすることも少なくありませんでした。コンクールって、上位に入賞すると、審査の映像がホームページに掲載されることがありますよね。僕はもともとその映像を見るのが好きで、「僕も上位に入ってホームページに載りたい!」と思っていました(笑)。
「バレエをやめたい」と思ったことはありませんでしたか?
中村 小さい頃は、何回もありましたね。疲れていたりやる気の出ない日には、もう辞めようかな……と。だけどそのたびに、「もう1回、練習に行ってから決めよう」と思ってレッスンに行くと、やっぱりバレエが楽しくて、続けることにしました。
通っていたバレエ教室には僕の他に男の子がいなかったのですが、小学校6年生のときに参加したワークショップで、五十嵐脩くんに出会ったんです。僕は静かであまり話さない子どもだったけど、脩くんはたくさん話しかけてきてくれました。同じようにバレエを頑張っている男の子の友達ができたことがすごく嬉しかったし、モチベーションにも繋がりましたね。
初めてバレエで海外に行ったのはいつですか?
中村 中学1年生のときです。ジャパン・グランプリでスカラシップをいただいて、カナダ・ナショナル・バレエ・スクールの1ヵ月間のサマースクールに参加しました。そのときは、とにかく日本が恋しくて……本当に、ずっとホームシックだった記憶があります(笑)。レッスンでは、テクニックよりも基礎がすごく重視されているのを感じました。現地のみんなが、バー・レッスンではすごく綺麗に動いていたのですが、センター・レッスンに移ると、それほどテクニックができるわけではなくて。当時は「あれ?」と少し拍子抜けしてしまったけど、いま考えたら、テクニックを綺麗な形で身につけるためには、しっかりとした基礎が必要ということだな、と思いますね。

13歳でカナダ・ナショナル・バレエ・スクールのサマースクールに行ったとき

その頃にはもう「バレエダンサーになりたい」と思っていたのですか?
中村 いえ、まだ将来のことは決めていませんでした。僕は高校受験をしたのですが、高校に入学したら、「勉強かバレエか」、そろそろ決めなければならない年齢になってきて。そこで結構、迷いました。勉強は嫌いではなかったし、将来のことを考えたら、本当に必要なことだと思ったから。ダンサーという職業は現役でいられる時間がどうしても短くて、引退後のことを考えると不安に感じたり。それに僕自身が、まだバレエだけでやっていく自信があまりなかった、ということもありますね。「勉強はしておいたほうがいいだろうな」という考えは、いまでもいつも頭の片隅にあります。

ローザンヌ国際バレエコンクール出場~カナダ・ナショナル・バレエ・スクール時代

プロを目指すようになったのにはどんなきっかけがあったのですか?
中村 高校1年生でローザンヌ国際バレエコンクールに出場して、思いがけず良い結果がもらえたことをきっかけに、「バレエの世界で頑張ろうかな」と考えるようになりました。将来のことを考えるためにも、ローザンヌにはいつか挑戦してみたいと思っていました。ビデオ審査が通ったときの気持ちは、「やった、いける!」。通過できるかどうか、自信は50%くらいだったから、本当に嬉しかったですね。ローザンヌの舞台では、とにかく自分の踊りに集中するようにしていました。そのおかげか、自分の実力をしっかり出すことができて、ホッとしたのを覚えています。

ローザンヌ国際バレエコンクールの表彰式の直後。先生のサポートのおかげもあり、伸び伸びと踊ることができました

コンクールの結果は6位入賞。留学先はどちらに決めましたか?
中村 カナダ・ナショナル・バレエ・スクールです。サマースクールで一度お世話になり安心感があったことと、学校の雰囲気の良さから選びました。11年生から12年生まで2年間在学して、指導していただいたロシアの先生からは、バレエの基礎の形をみっちり教わりました。ただ、僕は舞台で踊らせてもらえることがあまりなくて。もともと公演の機会じたいが少ない上に、生徒数がすごく多かったので、出演できるダンサーがかなり限られていた、ということもあるのですが。あのときは、「なんで役をもらえないんだろう?」と、不満に思いながらレッスンをしていました。
当時のことを、いまどのように振り返りますか?
中村 変な自信を持っていたんですよね。「役をもらっている子たちより、自分のほうが上手いのに。僕はもっと踊ってもいいはずだ」と。でもいま思うと、なかなか役をいただけなかった理由はすごくよくわかります。身体が本当に細くて、力がなかったし、謙虚な姿勢も足りなかった。理由は自分自身の中にあるのに、それを探そうとしなかったのは、まだ若かったな、と思います。もっと頭を使って過ごしていれば、まだまだ学べることがたくさんあったのではないか、と、少し後悔もしています。とにかくあの頃の僕は、「もっと、もっと踊りたい!」と、ずっと思っていました。

年に一度のショーケースでブルノンヴィルの「A Folk Tale」を踊らせていただいたとき。舞台で踊る機会があまりない中で出演させていただけたので、とても嬉しかったです

卒業学年のエバリュエーションの終了後に。エバリュエーションとは、レッスンのようすを審査して、進級・卒業できるかを判断する試験です

タルサ・バレエ Ⅱ 時代

卒業後の進路はどのように決めましたか?
中村 カナダ・ナショナル・バレエのオーディションを受けたのですが、ご縁がなく、それ以外はとくに受けずに帰国しました。ひとつ、バレエスクールのトレイニープログラムが決まっていたのですが、学校側の都合で契約が解消となってしまったんです。それで日本に戻ってから、アメリカにあるタルサ・バレエのセカンドカンパニーのオーディションを受けたら、ありがたいことに合格をいただけて。タイミングも良かったし、知っている日本人のダンサーから話を聞いて、「パフォーマンスの機会がたくさんあるこのカンパニーで、挑戦してみたいな」と思ったので、入団を決めました。
そして2019年、タルサ・バレエ Ⅱ に入団されますが、どのような環境でしたか?
中村 ダンサーはみな身体がしっかりしていて、テクニックを持っている人ばかり。レベルが高く、とても刺激を受けました。思い出に残っているのは、「くるみ割り人形」でチャイニーズを踊らせていただいたとき。もともと本役ではなかったのですが、僕が練習しているところを見たディレクターが、本番の1週間ほど前にキャストを入れ替えてくださって。僕が本番の舞台で踊らせてもらえることになったんです。頑張っていれば見てくれている人はいるのだな……と、嬉しくて泣きそうでした。

「くるみ割り人形」で兵隊を演じたとき。隣にいるのはイタリア人の友達です。明るくてポジティブな彼のおかげもあり、長い期間の公演を無事に終えることができました

忘れられない舞台となった、「くるみ割り人形」でチャイニーズを踊らせていただいたとき。これからもどんなときも一生懸命に練習していきたいです

タルサ・バレエを離れようと思ったのはなぜですか?
中村 若いうちはいろんなところを経験してみたい、環境を変えてまた新たな刺激がほしい――そう思っていて。ヨーロッパなど各地を回り、オーディションを受けました。最終的にアメリカのカンザス・シティ・バレエから契約をいただけて、今年の春から入団することになっていました。

タルサを離れる前、最後に撮ったセカンドカンパニーの仲間たちとの一枚。オーディションがなかなかうまくいかない中、友達がいちばんの心の拠りどころでした

コロナで何が起こったか

その矢先に、新型コロナウイルスの世界的流行が起こったわけですね。
中村 5月中旬までを予定していたタルサ・バレエ Ⅱ のシーズンが早く終わることになり、4月には日本に帰ってきました。来シーズン以降もカンパニーに残らない人は、帰国してもいいし何でも自由にしていいよ、ということだったので。アメリカは外出制限が厳しく、スタジオで練習することもできない状態。「日本に帰ったほうが、広い場所で練習もできるし良いかな」と思い、帰国することにしました。
そして、カンザス・シティ・バレエとの契約が取り消しに。
中村 カンザス・シティ・バレエとはメールでやり取りをしていたのですが、急に、「ごめんなさい、やはり契約をあげることができません」という連絡がきて。でも、覚悟していたことではあったので、「またオーディションをやり直すだけだ」とすぐに気持ちを切り替えられました。そのあと、ハンガリー国立バレエのオーディションを受けたら、契約をいただけて、2021年1月から入団予定となっています。この先もまだ、なにがあるかわからないけど……。
ハンガリー国立バレエとはどのようにオーディションをしたのですか?
中村 オーディションの募集を見つけて応募し、ディレクターと1対1のオーディションをオンラインで行ないました。スタジオからZoomを繋いで、審査内容はバー・レッスンとセンター・レッスン、ヴァリエーションとコンテンポラリーも見ていただきました。ハンガリー国立バレエは、じつは一度オーディションを受けに行ったことがあって。その時はダメだったけど、今回は良い結果がもらえて、すごく嬉しく思っています。
自粛期間に気持ちが落ちてしまうことはありましたか。
中村 「せっかく時間があるのだから、その時間を自分のために有意義に使おう」と思えたので、そんなに落ち込むことはありませんでした。日本に帰国後の2週間の自主隔離期間中も、「何かできることはないかな」と考えて……家にジムを作りました! 僕は身体の線が細いし、筋力が全然足りないので、1年ほど前から、本格的な筋トレを始めたんです。肩、胸、背中、下半身、と全体的に鍛えていて、最近は、できなかったリフトもできるようになったりと、成果を実感しているところです。今日は何キロ持ち上げられた、とか、楽しみながら取り組んでいます。

自宅ジム。Amazonでダンベルや懸垂バーなど一式揃えました

筋トレノート。毎日、その日のメニューを書いてその通りに鍛えています。トレーニングの仕方を指導してくれたタルサ・バレエの先輩には、感謝でいっぱいです

コロナ禍にあっても、前向きにバレエのことを考えていたのですね。
中村 それは、そうとも言い切れなくて……。いつもより時間ができて、冷静に考えたときに、ダンサーって本当に不安定な職業だな、と思ったんです。今回みたいに急に契約が取り消しになることも、よくあるし。僕の兄は今年、大学を卒業して会社に就職したのですが、兄を見ていたら、「安定していていいな」と。会社員が羨ましく思えて、僕も一時期、大学受験をしてみようかと考えたこともありました。
それでもやはり、またオーディションを受けて、「バレエダンサーとして頑張ってみよう」と思ったのですね。
中村 はい。僕にはまだ伸びしろがあるかな、と思って。筋トレを通しても感じたことですが、まだ成長できる部分が残っているし、もう少し頑張ってみようかな、と。そうしたらオーディションで良い結果が出て、本当にラッキーでした。将来のことは、コロナが収束しても、これからもずっと考えつづけていくことだと思いますけどね。
最後に、「SPOTLIGHT」プロジェクトへの意気込みをお聞かせください!
中村 コロナ禍で目標を見失いかけている時に、脩くんが声をかけてくれて、このプロジェクトに参加することを決めました。ダンサーをはじめとする「SPOTLIGHT」チーム全員の、「この舞台を成功させたい」という熱い思いがひしひしと伝わってきて、僕自身、たくさんのパワーをもらっています。まだまだ未熟で、至らないところも多い僕ですが、それでも応援してくれている家族や先生、みんなのために、誠心誠意、気持ちを込めて踊ります。最高のチームで、一丸となってつくりあげる舞台をぜひご覧いただきたいです。

一度目のハンガリー国立バレエのオーディションの帰り。この時は合格できなかったけど、綺麗な街並みをバックに記念撮影。またこの美しい街に戻れることが決まり、本当に嬉しいです

\中村淳之介さんに質問!今回のステージでは何を踊る?!/
僕は、昔から憧れていた演目のひとつ、『パキータ』を踊ります。

『パキータ』のような男らしさの溢れる役柄はあまり踊ったことがないのですが、目線や腕の使い方など、細かなニュアンスまで研究して、踊りを磨いていきたいと思います。派手になりすぎない、上品な表現の仕方を見つけたいです。

先日お亡くなりになった偉大なダンサー、深川秀夫さんがこのヴァリエーションを踊られている映像を見つけました。男らしく力強い中にも、洗練された気品がある。その雰囲気が役柄に本当に合っていて、とても感銘を受けました。僕もこんな風に踊れたら……と、勉強させていただいています。

\SPOTLIGHTダンサーズに質問! 中村淳之介さんの魅力とは?!/

淳之介くんは手脚がすらっと長く、素晴らしいプロポーションの持ち主。伸びやかかつ安定感のある踊りが魅力のダンサーです(中島映理子)
淳之介くんはとにかく安定感が抜群のダンサー。だから、褒め言葉の意味で、あまり一緒に踊りたくありません(笑)。身長が高くてスタイルも良く、綺麗で的確な踊りは本当に憧れです(森本晃介)

配信情報

「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」

●配信期間:2020年10月18日(日)20時 〜 2020年12月31日(木)23時59分
※配信される映像はアーカイブ視聴が可能です。視聴券の購入により、いつでも、何回でもご覧いただけます。

●視聴チケット発売日(有料 1,500円):2020年10月8日(木)
購入はこちら

●主催・制作・お問合せ:〈バレエチャンネル〉編集部
Email:info@balletchannel.jp
Tel:070-4035-1905

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