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【SPOTLIGHT】ダンサーズ・ファイル〈4〉竹嶋梨沙~感謝の気持ちを踊りに託して~

若松 圭子 Keiko WAKAMATSU

みなさま、現在クラウドファンディング実施中「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」配信プロジェクトを応援してくださり、本当にありがとうございます。

このステージ&ドキュメンタリーに登場する全11名のダンサーたちを一人ひとり紹介するインタビューをお届けしていきます。

溌剌とした語り口と愛らしい笑顔が印象的な竹嶋梨沙(たけしま・りさ)さんは愛知県出身。3歳からバレエを始め、2017年にオーストラリアン・コンサヴァトリー・オブ・バレエへ留学。2019年に卒業しました。ドイツ・チューリンゲン州立劇場バレエ団のインターンシップを経て入団許可を得たものの、コロナのため強制帰国。後日契約は取り消されました。

それでも、プロになる夢を諦めなかった竹嶋さん。このSPOTLIGHTプロジェクトのメンバーとして立ち上がりながら就職活動を続け、ついに先頃、東京シティ・バレエ団への入団が決まりました。すでにファーストアーティストとして活動を開始しています。

バレエを始めた理由~留学を決意するまで

バレエを始めた年齢ときっかけを教えてください。
竹嶋 バレエを始めたのは3歳の時です。2歳で「踊りを習いたい」と言い出した私のために、両親がいろいろな踊りを見せてくれました。そこでバレエにひとめぼれ。「これをやる!」と宣言したそうです。あまりにも幼い頃のことで、もう自分では覚えていないんですけど(笑)。

3歳。念願のバレエをはじめたころ

本格的にプロを目指したいと思ったきっかけは?
竹嶋 小さなころから「バレリーナになりたい」という夢はもっていましたが、具体的にどうすればよいか分かりませんでした。きっかけは小学校6年生のときです。小学校に入ってからずっと自宅近くにある小さなお教室に通っていたのですが、そこにゲストでいらした先生に夢をお話したところ「せっかくバレリーナを目指したいと思っているのだから、都市部のお教室に行って、いろいろなことを学んだ方がいいよ」とアドバイスしてくださったんです。そこで名古屋の岩越千晴バレエスタジオへ移籍しましたが、まさに先生のお言葉どおりでした。プロになるための知識や留学情報も豊富でしたし、そこにいる子たちのバレエの技術も違いました。
そこでレッスンをされて、オーストラリアへ留学されるのですね。
竹嶋 いえ、じつは最初は進学を選び、大学に通っていました。大学では少しだけでもバレエに近いものを学びたいと、フランス語を専攻していたんです。でも学校生活が進むにつれて、少しずつ「なにかが違う」と感じるようになりました。大学の友だちは就職に向けて、だんだんと現実味のある話を始めるようになっていきます。でも私はその話に入ることができませんでした。頭のすみに、バレリーナになるという夢がまだあったからです。けれどバレエって、怪我をしてしまえばおしまいというような、将来の見えない職業です。大学の友だちにその思いを話しても「いつまで夢を見ているの?」という目で見られてしまう。それでもバレエがあきらめきれなくなっていることに気づいて、休学しようと決めました。休学期間に入って、たくさん考えました。もし今、自分を変えるために行動を起こすのなら何がいいか。どうしてもあきらめきれなかったことをやりたい!……それがバレエ留学でした。その時期にたまたま見つけたのが、オーストラリアン・コンサヴァトリー・オブ・バレエスクール(ACB)のオーディション情報で、ここを受けてみよう、と。結果、2年間の正規留学をいただけました。大学は中退し、オーストラリアへ行くことを決めました。

2016年、バレエスタジオの発表会で「眠れる森の美女」の宝石を踊ったときのもの

大学在学中に最初の転機を迎えたのですね。中退してバレエ留学することに、迷いや不安はありませんでしたか?
竹嶋 正直なところ迷いはありました。しかも、留学は若いうちに経験する子が多いなかで、私はこの時すでに20歳(はたち)目前。ちょっと遅いかな……と、悩みながらの決断でした。

オーストラリア留学時代のこと

オーストラリア留学では、言語の不安はありませんでしたか?
竹嶋 通っていた高校が「国際教養科」というコースで、6時間授業のうち4時間は英語に関係する教科を学ぶ環境だったので、日常会話で困ることはありませんでした。でもオーストラリア英語は、イギリス英語やアメリカ英語と少し違うんです。それでときどき「この単語はなに?」と、戸惑うこともありました。とくに困ったのは“筋肉の名前”。すべて一から覚えなおさなくてはいけなくて大変でした!
寮生活をされていたのでしょうか?
竹嶋 留学先には専用の寮がなくて、シェアハウスにお世話になりました。オーストラリア在住の日本人のご家族がオーナーをしているところで、入居者のうちバレエで留学しているのは私ひとりでした。
スクールでは友達はできましたか?
竹嶋 はい!たくさんできました。みんなとは今でもSNSを通じてやり取りをしています。

2017年、留学1年目の学校公演「白鳥の湖」のお稽古の合間に

スクールでは、舞台に立つ機会もありましたか?
竹嶋 はい、ありました。忘れられないのは、卒業公演にあたる2年目の『くるみ割り人形』です。私はクララ役を頂いていました。校長先生がいろいろ演出を工夫してくださった作品で、振付も新しくて、クララもたくさん踊るところがあったんですね。それでみんなとすごく楽しくお稽古していたのですが、本番当日に疲労骨折だったことが分かって……それも、かなり危険な状況で。家族も日本から見に来ていたのですが、クララを踊ることはできなくなってしまいました。でも、そのことがあって、校長先生が私の留学期間を、もう1年延ばしてくださったんです。それで私は2年間だけだったはずのところを3年間学ぶことができて、卒業公演は『眠れる森の美女』で、ソングバード(カナリヤの精)とフロリナ王女を踊らせていただきました。

学校公演「くるみ割り人形」の情報が、メルボルンの新聞に掲載されたときのもの。左のピンクの衣装を着ているのが、クララ役の竹嶋さん。「オーストラリアは真夏がクリスマス。海の前で撮影しました」

2018年、留学2年目の学校公演「くるみ割り人形」のリハーサル

2019年、留学3年目の学校公演では「眠れる森の美女」のフロリナ王女を踊りました

ドイツのバレエ団へ

3年間の留学を終え、竹嶋さんはドイツのバレエ団に入団されます。チューリンゲン州立バレエ団を選んだ理由は?
竹嶋 韓国で開催された第2回アジア・ダンス・オーディションを受けたんです。グランドオーディションというスタイルで、一度のオーディションでいくつかのバレエ団のディレクターに見ていただくことができます。この時は7つのバレエ団が来ていて、チューリンゲン州立バレエ団のディレクターから、インターンシップでドイツに来てみないか、というお話をいただきました。

アジア・ダンス・オーディションにて

どのような特徴のあるバレエ団なのですか?
竹嶋 コンテンポラリー作品を中心に上演しています。私はそれまでクラシック・バレエだけを続けてきて、コンテンポラリーは一切経験がなかったので、どう踊ればよいのかもわからないまま行ったのですが、やってみると面白くて!
例えばどのようなところが?
竹嶋 毎回新しいものを発見できるところです。振付家によって作品がまったく違うことにも魅力を感じました。でも……本音を言えば、やっぱりクラシック・バレエがいちばん好きですね(笑)。

コロナで何が起こったか

インターンシップの期間を経てこのまま本契約を……と進むはずだった2020年の冬~春に、世界をコロナウイルスが襲いました。ドイツはこのとき、どのような状況になったのでしょうか。
竹嶋 ドイツは国をどんどん狭めていきました。ヨーロッパは陸続きなので国境を封鎖し、他国の人が簡単に入ってこられないようにしたんです。そのあと劇場も封鎖になりました。寮にいたのですが、買い物以外は外出できませんでした。そうしている間に実家の両親から、日本行きの飛行機が飛ばなくなるかもしれない、という連絡が入りました。
当時、バレエ団はどうなっていましたか?
竹嶋 ある日突然、ディレクターからメールが届いたんです。「もう劇場は閉じるから、とりあえず外国人の子たちは自分の国に帰るように」と。私はインターンシップ中で収入はゼロでしたし、9月になったらバレエ団に戻って仕事ができるように、ジュニアカンパニーのコントラクト(契約)をあげますと言われたので、秋に入団するつもりで帰国しました。
しかし最終的に、コロナがおさまらないために契約を取り消されてしまったのですね。
竹嶋 そうです。私のところには、「コロナ終息の目途が立たず、財政的にも困難なため契約を解除する」という連絡がありました。
オーストラリアの学校で怪我をして3年目の留学期間を与えていただいたとき、就職活動のために必死でリハビリをしたんですね。あの時に支えてくださった仲間たちや、校長先生をはじめとする先生方に申し訳ないという気持ちにもなりました。

オーストラリアン・コンサヴァトリー・オブ・バレエの卒業式。お世話になった先生方と大切な仲間たち

たくさんのつらい出来事を経験してきたのですね。
竹嶋 心がぽっきり折れちゃうようなことは、たくさんありました。とくに契約が解消になったときは、本当にいろいろなことを考えたんですね。周りを見れば大学時代の同世代はみんな就職し、貯金もできて、家庭を持つ子たちもいる。そのなかで私は「まだ踊りたい」一心でバレエを続けている。でも、結局うまくいかなくて……もう、やめようかな。そう思いました。
けれど、「やめよう」と決心するたびに、オーストラリアでの思い出とか、両親の顔が浮かんでくる。今まで出会ったたくさんの方の支えがあって、私は踊っているんです。やっぱり、今ここでやめるのは違うかもしれない――そう思いとどまった、まさにそのタイミングで、五十嵐脩くんから今回のプロジェクトに参加しないか、という連絡をもらいました。だから五十嵐くんにも、私を思いとどまらせてくれた大好きな方たちへも感謝の気持ちでいっぱい。いまはもう、「笑顔でいるしかない!」という気持ちで、日々を過ごしています。
今回のプロジェクトにかける思いを聞かせてください。
竹嶋 バレエを踊るために海外へ出ていった若いダンサーたちが、このコロナでどういう状況に陥っているのかを知るきっかけになって欲しいです。留学していた話をすると、「順風満帆な人生でいいですね」と言われます。でも、そうじゃない。海外に出ること=成功、のように見えても、実際の壁は大きいということを少しでも知っていただきたいと思います。
そして若い日本人のなかにもこれだけ素敵なダンサーがいるんだよ、ということも伝えたいですね。まだまだ学歴社会と言われる日本ですが、バレエが好きで、高校を中退してでも留学を選んだ子や、大学進学や就職を選ばずに海外に出て行った子たちがいて、みんな一生懸命頑張っている。今回は映像として形になるので、海外の仲間にも届けてつながりたいですね。
梨沙さん自身は、このステージ&ドキュメンタリーを誰に観てほしいですか?
竹嶋 一番観てもらいたいのは両親です。とくに母とはずっと、二人三脚で頑張ってきました。今回、私たちダンサーが踊ることで、それぞれの両親や家族など、大切な人たちに感謝の気持ちを伝えられると思います。海外で踊っていると、どうしても簡単には親に来てもらえなかったけど、自分が舞台で踊っている姿を両親に見せることが、私からのいちばんの親孝行だと思っています。

いつでも母と二人三脚です!

\竹嶋梨沙さんに質問!今回のステージでは何を踊る?/
竹嶋 『海賊』からオダリスクの第2ヴァリエーションと、『パキータ』の女性ヴァリエーションを踊ります。
私は全幕ものを踊った経験がほとんどなくて、今回の2作品も衣裳を着て踊るのは初めて。『パキータ』はみんなで一緒に踊るところもあるので、リモートでお稽古をしています。今回オンライン・バレエミストレスをしてくださっている玉村都さん(元香港バレエ)にご指導いただき、自主レッスンでは気づかなかったことを知ることができ、とても勉強になっています。

\SPOTLIGHTダンサーズに質問!竹嶋梨沙さんの魅力とは?!/

今回、オンラインでしかお会いしていませんが、とても努力家だと思います。ZOOMを使ってのミーティングのときも積極的に意見を言ってくれる人。一緒の舞台に立てるのがとても楽しみです!(玉井千容)
基礎がとても綺麗で、テクニックが強くて動きも俊敏。そして華奢な体からびっくりするほどのエネルギーが溢れてくるダンサーです。メリハリの効いた音楽性のある踊りをぜひみなさんに観ていただきたいです!(五十嵐脩)

 

配信情報

「SPOTLIGHT 私たちは踊りたい〜若きバレエダンサーたちのステージ&ドキュメンタリー」

●配信期間:2020年10月18日(日)20時 〜 2020年12月31日(木)23時59分
※配信される映像はアーカイブ視聴が可能です。視聴券の購入により、いつでも、何回でもご覧いただけます。

●視聴チケット発売日(有料 1,500円):2020年10月8日(木)
購入はこちら

●主催・制作・お問合せ:〈バレエチャンネル〉編集部
Email:info@balletchannel.jp
Tel:070-4035-1905

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