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【第59回】鑑賞のためのバレエ・テクニック大研究!ー1列で進む(2)

海野 敏

文/海野 敏(舞踊評論家)

第59回 1列で進む(2)

■コール・ド・バレエの傑作「影の王国」

前回は『白鳥の湖』第2幕で、白鳥たちが1列縦隊で登場するシーンを取り上げました。今回も1列縦隊での登場シーンですが、趣きがすっかり異なります。今回取り上げる『ラ・バヤデール』第3幕、「影の王国」のコール・ド・バレエは、巨匠マリウス・プティパ振付のバレエ・ブランの中でも、傑作中の傑作と言ってよいでしょう。

『ラ・バヤデール』の主人公は、古代インドの寺院に使える舞姫(バヤデール)のニキヤと戦士のソロル。第3幕冒頭、自分の裏切りでニキヤを失ったソロルは、その苦しみと悲しみを紛らわせるために阿片を吸います。すると、彼の幻覚として、毒殺されて死んだニキヤの姿が山の中腹に浮かび上がります。舞台奥は絶壁に囲まれた山奥の風景で、そこに坂道があり、その坂の上からニキヤの幻影が1人ずつ現れて、だんだんと増えてゆくシーンです。死者が増殖してゆくのですからおどろおどろしい気がしますが、実際には妖しくも美しい名場面です。

舞姫たちの登場は、白鳥たちの登場と比べてテンポが全く異なります。白鳥たちはアレグロ(=快速に)の音楽に合わせて進むので、先頭が入場してから全員が整列するまで約35秒です。いっぽう、舞姫たちの登場シーンの音楽は、楽譜に記載されている速度標語がラルゴ(=幅広くゆるやかに)またはグラーヴェ(=重々しくゆるやかに)で、最もゆっくりした演奏が指定されています。先頭が坂の上に登場してから全員が坂を下りて整列するまで約5分、白鳥たちの10倍の時間がかかります(注1)

この5分間を長く感じ、退屈してしまう観客がいるかもしれません。しかし、バレエファンにとっては、永遠に続く美しい幻を見るような陶酔感が味わえる時間です。前回、コール・ド・バレエの鑑賞のポイントを4点あげましたが、この振付の最大のポイントは「リピートの効果」です。白いチュチュを身に着けた女性ダンサーたちが、同じ動作を丁寧に繰り返し、ゆっくりと人数を増やしていく情景。反復と漸増による見事な視聴覚効果です。

■難度の高い坂道での演技

音楽は、「①タリラー・ラン、タリラー・ラン、②タリラー・ラン、タリララン」の4小節のフレーズが延々と繰り返されます(注2)。①も②も前半の1小節ではアラベスクをして、軸脚を曲げます(=プリエ)(注3)。後半の1小節では上げた脚を下ろして、軸脚だったほうの脚を前に伸ばしたポワント・タンデュ・ア・テールのポーズになり、その後すばやく2歩進みます。ポワント・タンデュのポーズのとき、上体は両腕を上げて楕円を作り(=アン・オー)後ろに反らせます。

坂道は上手奥から始まっており、先頭のダンサーが2歩進むと2番目のダンサーが登場し、その2人が同時に2歩進むと3番目のダンサーが登場し、3人が同時に2歩進むと4番目のダンサーが登場します。こうして登場したダンサー全員が、アラベスクとタンデュという2つの決めポーズと2歩の前進をシンクロさせて繰り返す振付です。

この一連の動きは坂道で行われるため、プロのダンサーでもたいへん緊張するそうです。とりわけ足元が傾斜している場所でのアラベスクのプリエは難度が高く、ぐらつかずにバランスを保つ技術が必要です。その上で全員の動きをぴったり揃えなければなりませんし、前後のダンサーとの位置も等間隔にしなければなりません。

さらに坂道が終わったところでは、折り返さなければなりません(注4)。折り返し地点のダンサーは身体の向きを90度変え、舞台正面を向いてアラベスクとタンデュのポーズをします。坂道を下り終わっても、音楽の反復が終わるまで前進と折り返しは続きます。

★動画でチェック!★
英国ロイヤル・バレエの『ラ・バヤデール』の紹介映像より。「影の王国」がいかに難度の高いコール・ド・バレエか、ミストレスやダンサーたちが語っています。本番やリハーサルのようすを捉えた映像にも注目です。

■振付による差異を味わう

白鳥たちの登場と同様、ニキヤの幻影たちが坂を下りる振付にもいろいろなパターンがあります。今回は(A)先頭の登場の仕方、(B)ポワント・タンデュの腕の上げ方、(C)アラベスクの脚の上げ方のパターンを紹介しましょう。

(A)先頭の登場の仕方は、照明の入り方にも関係します。①照明が入ったときには坂の上に誰もおらず、直後に「タリラー・ラン」の音楽が始まると上手袖から先頭が2歩進んで姿を現してアラベスクをするパターン、②照明が入ったときに坂の上に先頭が立っていて、「タリラー・ラン」の音楽でアラベスクをするパターン、③照明が入るのと「タリラー・ラン」の音楽が同時で、先頭がアラベスクをする姿が闇から浮かび上がるパターンなどがあります。

★動画でチェック!★
ボリショイ・バレエ『ラ・バヤデール』より「影の王国」の映像です。➂のパターンの先頭の登場の仕方を確認することができます。

(B)ポワント・タンデュの腕の上げ方は、両腕をアン・オーにして上体を後ろに反らせるのが標準的ですが、片腕を上げて反るパターンもあります。例えばパリ・オペラ座バレエのヌレエフ版では片腕だけを上げます。

★動画でチェック!★
パリ・オペラ座バレエの『ラ・バヤデール』より。「影の王国」のコール・ド・バレエを映像の冒頭から観ることができます。アームスの違いにも注目です。

(C)アラベスクの脚の上げ方は、①全員が右軸脚を変えず、左脚を上げ続けるパターン、②折り返したときに軸脚を変えて、常に客席側の脚を上げるパターン、③1人ずつ軸脚を左右変えるパターンなどがあります。

③は、先頭のダンサーは右、2番目のダンサーは左、3番目は右、4番目は左と、列の奇数番と偶数番で軸脚の左右が異なり、それぞれのダンサーは同じ軸脚で演技し続けます。このパターンでは、ポワント・タンデュの身体の向きが奇数番と偶数番で90度ずれるポーズとなり、合わせ鏡の像が並んでいるのを見ているような不思議な感触が加わります。

私の確認した映像では、パリ・オペラ座バレエは③のパターンでした。いっぽう、英国ロイヤル・バレエは①と③の組み合わせでした。すなわち、坂では全員が右軸脚で左脚を上げてアラベスクをし、下手の端で坂が終わって折り返したところから、1人ずつ軸脚の左右を交替しています。マリインスキー・バレエは②と③の組み合わせでした。つづら折りの坂を下りきるまでは常に客席側の脚を上げ、坂を下りた後は1人ずつ軸脚を交替しています(注5)

★動画でチェック!★
オランダ国立バレエの『ラ・バヤデール』より、「影の王国」の映像です。こちらの振付では➀と➂を組み合わせたパターンを観ることができます。

(注1)「影の王国」のコール・ド・バレエは24人が標準的ですが、32人の場合もあります。

(注2)①と②の「タリ」の部分は16分音符の装飾音(複前打音)です。なお、音楽は途中から「③ターラーラ、ラーラー、④ターラーラ、ラー」に変わりますが、反復する振付は変わりません。

(注3)このアラベスクの動作を「アラベスク・アロンジェ」と呼ぶこともあります。「アロンジェ」(allongé)は「引き伸ばされた」という意味で、ここではアラベスクのポーズからさらに全身を引き伸ばすように動くからでしょう。しかし用語は統一されておらず、この動きを「アロンジェ」と呼ばないバレエ教師もいらっしゃいます。

(注4)坂の長さはさまざまで、4、5人で折り返す場合も、8、9人で折り返す場合もあります。また折り返しが2回あるつづら折りの坂を下りる場合もあります。例えば新国立劇場バレエ団の『ラ・バヤデール』のセットは逆Z形のつづら折りで、一番高い坂は3人、次の坂は4人、坂を下りてからは5人で折り返していました。なお、坂道の傾斜角度もバレエ団によって異なります。

(注5)今回取り上げた「影の王国」のコール・ド・バレエについては、東京バレエ団のダンサーたちに取材した次の記事がとても面白いのでお読みください。セットの坂のことを「死刑台」と呼ぶなど、この場面の演技がプロでもいかにむずかしいかがよく分かります。
【特集】東京バレエ団「ラ・バヤデール」vol.4〜コール・ド・バレエ座談会「群舞が生み出す美しさの秘密」『バレエチャンネル』2022.10.11.

(発行日:2024年6月25日)

次回は…

第60回は、さまざまな古典全幕で見ることができる「1列で進む」コール・ド・バレエから、筆者のお薦めの場面を紹介します。発行予定日は2024年7月25日です。

【鑑賞のためのバレエ・テクニック大研究!-総目次】
http://bibliognost.net/umino/ballet_tech_contents.html

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この記事を書いた人 このライターの記事一覧

うみのびん。東洋大学社会学部メディアコミュニケーション学科教授、情報学研究者、舞踊評論家。早稲田大学、立教大学でも講師を務める。バレエ、コンテンポラリーダンスの舞台評・解説を『ダンスマガジン』、『クララ』などのマスコミ紙誌や公演パンフレットに執筆。研究としてコンテンポラリーダンスの三次元振付シミュレーションソフトを開発中。著書に『バレエとダンスの歴史:欧米劇場舞踊史』、『バレエ パーフェクト・ガイド』、『電子書籍と電子ジャーナル』(以上全て共著)など。

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