
オーストラリア・バレエ「ドン・キホーテ」ジル・オオガイ(キトリ)、マーカス・モレリ(バジル)©Christopher Rodgers-Wilson
2025年5月30日(金)、オーストラリア・バレエの日本公演が開幕。15年ぶりの来日となる今回は、同団の代表的レパートリーのひとつであるヌレエフ版『ドン・キホーテ』を上演します。
オーストラリア・バレエの設立は1962年。日本には1968年に初来日し、これまで計6回の来日公演を実施しています。2021年には、アメリカン・バレエ・シアターやボリショイ・バレエ等で活躍したデヴィッド・ホールバーグが8代目の芸術監督に就任して大きな話題に。その歴史は60年あまりと比較的新しいバレエ団ながら、年間公演数や観客動員数、充実したレパートリーや優れた組織運営などにおいて、今や世界屈指のレベルを誇っています。
4月中旬、日本公演を前に来日したデヴィッド・ホールバーグ芸術監督に単独インタビュー。
ダンサー時代のこと、引退を決意した時のこと、芸術監督としての仕事ぶり、ヌレエフ版『ドン・キホーテ』の見どころ等について話を聞きました。

デヴィッド・ホールバーグ David Hallberg 1982年、米国サウスダコタ州生まれ。9歳でタップダンス、13歳でバレエを始める。17歳よりパリ・オペラ座バレエ学校に1年間留学。アメリカン・バレエ・シアター(ABT)スタジオカンパニーを経て、2001年、ABT入団。2005年プリンシパルに昇格。2011年、アメリカ人として初めてボリショイ・バレエのプリンシパルとなる。マリインスキー・バレエ、パリ・オペラ座バレエ、ミラノ・スカラ座バレエ、東京バレエ団、ウクライナ国立バレエ、スウェーデン王立バレエ、バイエルン国立歌劇場バレエ、ローマ歌劇場バレエ、ジョージア国立バレエなど、数々のバレエ団に客演。2021年、オーストラリア・バレエ芸術監督に就任。 ©Ballet Channel
2021年に現役を引退。
心残りはある。だけど素晴らしいダンサー人生だった
- 2021年にオーストラリア・バレエの芸術監督に就任して4年。ここまでの道のりを振り返っての感想は?
- この4年間は凄まじい忙しさでした。しかしそれと同じだけの充実と興奮、そして多くの学びがありました。もちろん初めての仕事ばかりで芸術監督としては未熟だったと思いますが、バレエという素晴らしい芸術への情熱が僕のエンジンになってくれました。ダンサーたちを成長させ、観客に新たな世界をお見せするために、大きな変化に挑んだ4年間でした。
- ホールバーグさんは、芸術監督を務めながら自身も踊り続ける“ダンシング・ディレクター”の道は選ばず、2021年に現役ダンサーとしてのキャリアに終止符を打ちました。それは、芸術監督に就任することになったから引退したのでしょうか? それとも、もともと「このあたりで現役は引退しよう」と考えていたのでしょうか?
- 良い質問ですね。じつは、オーストラリア・バレエの芸術監督職に応募した時点では、具体的に引退を考えてはいませんでした。しかし同団の理事会と面談して、正式に採用された時、直感的に「今がその時だ」と感じました。自分自身の本能が、「次のステージに進むべき時が来た」と告げたのです。
当時はコロナ・パンデミック直前。まだ次々と出演依頼もあり表舞台から追いやられるような状況ではなかったけれど、それでも自分の中には「そろそろ潮時かもしれない」という思いがあった。あの頃の僕は、とても複雑な心情を抱えていました。
- ダンサーを引退するという決断は、難しいことでしたか?
- いいえ、難しくはありませんでした。なぜなら当時、僕はすでに自分の能力に疑いをもっていたから。「観客が期待しているものを、自分はまだ維持できているのだろうか?」。その不安とプレッシャーに押し潰され、もはや舞台を楽しめなくなっていました。また、「再び大ケガをしてしまうのではないか」という恐怖もありました。ご存じの方も多いと思いますが、僕はかつて深刻なケガをして、苦しい時期を経験しました。不安、恐怖、プレッシャーに苛まれる日々。そんな時に「オーストラリア・バレエの芸術監督に」とオファーをいただいたわけです。だから現役引退は難しい決断ではなかったし、後悔もしていません。
実際、今の僕は心身共にとても調子がいい。スコッチを飲んでも、チョコレートを食べても、まったく罪悪感を感じなくてすむんですから(笑)。つい先日、母親にも「踊ることをやめてから、あなたは本当に幸せそうだわ」と言われました。自分の選択は正しかった。僕は自由になれたんだーーそう言い切れるのは、自分にとってベストなタイミングで引退したからだと思います。
- ホールバーグさんほどのダンサーでも、そうした不安や恐怖と闘っていたのですね。
- キャリアを重ねれば重ねるほど、不安や恐れは強くなります。踊り続けることが苦しくなるのは、人々が期待するものと自分が見せられるもののギャップを自覚するからです。終演後、誰かが「良かったよ。おめでとう」と声をかけてくれるその口調や、自分自身の体感から、「僕はもう以前のようには踊れていない」と思い知らされる。だから「引き際が来た」と悟りました。
とはいえ、今となっては、現役生活を終える間際の瞬間をもう少し楽しんでもよかったかもしれない……とも思います。僕は自分に厳しすぎて、最後の最後まで、自分の舞台に満足できませんでした。でも、すべてはもう過去のこと。人生は続きます。大変だったし、つらいこともたくさんあったけれど、僕は素晴らしいダンサー人生を送らせてもらいました。

©Ballet Channel
- ホールバーグさんは2001年にアメリカン・バレエ・シアター(ABT)に入団し、プロとしてのキャリアをスタートさせました。そのちょうど20年後の2021年に、今度は芸術監督としてスタートを切ったわけですが、約20年前のあなたはこのような未来を想像していましたか?
- あの頃の僕は、ただただ、ABTのプリンシパルになりたいと思っていました。その夢に向かってまっしぐらに突き進み、20代半ばで念願のプリンシパルに昇格。しかし喜びも束の間、「次は何を目指せばいいんだろう?」と、僕は自分を見失ってしまいました。そんな時、「しかるべき時が来たら芸術監督に」という考えが、ふと脳裏に浮かんだんです。ダンサーとして踊りきった後は、カンパニーを運営する側に回る。それが自然なキャリアパスだと、多くのダンサーが考えています。彼らと同じように僕も「もしかしたらその道に」と思ったわけですが、それを口に出したことはありませんでした。
- しかしバレエマスターや副芸術監督のような仕事を経ることもなく、いきなりオーストラリア・バレエのように大きなバレエ団の芸術監督になって、戸惑うことはなかったのでしょうか?
- 僕はダンサーとして踊った20年をかけて、ごく自然に、指導の仕方や作品の選び方、バレエを見る目、パフォーマンスを見る目など、さまざまなことを吸収していました。だから芸術監督に就任した時にはすでに、自分はダンサーに何を求めたいのか、どんな作品を上演したいのか、どんなカンパニーにしたいのか、自分は何をなすべきか等、この仕事に必要なことはちゃんと理解していたように思います。
- ダンサーとしての20年間を振り返り、最も満足していることは何ですか? もし心残りがあるとしたら、それはどんなことでしょうか?
- 正直に答えたいので、少し時間をください。(しばらく考えて)……そうですね、“心残り”についてのほうが、簡単に答えられるかもしれません。ひとつは、長い間ケガに苦しんだことです。自分のキャリアの絶頂期に、2年半も舞台から離れなくてはならなかったこと。僕は限界を超えるまで身体を酷使して、壊してしまいました。誰のせいでもない、自分自身の責任です。でも、悔やんではいません。なぜなら踊れなかったあの2年半が、僕に謙虚さを教えてくれたから。そしてリハビリのためにオーストラリアに渡ったことが、僕の未来を変えました。今があるのは、あの時のケガのおかげでもあるんです。
もうひとつ、これは後悔していることです。僕は舞台の上で、いつも“安全第一な踊り”をしていました。転ぶのが怖かったし、リフトを失敗するのが怖かったし、ミスをして何かを台無しにするのが怖かった。だからいつもどこか守りの姿勢で踊っていて、自分のすべてを出して踊りきったと思えたことは、ほんの数回しかありません。いっぽう何度もパートナーを組んだナタリア・オシポワは、恐れ知らずのダンサーでした。怖いものなど何もない動物のように踊り、そんな彼女に向けられる観客の大喝采を、僕は隣で聞いてきました。僕も怖がったり自分を疑ったりせずに、もっと思いきり踊ればよかった。だから今、ダンサーたちにこう伝えたいのです。「リスクを取れ。恐怖を捨てろ」と。
そして、ひとつだけ誇りに思っていること。それは、矛盾して聞こえるかもしれませんが、ダンス人生において多くのリスクを取ってきたことです。17歳で母国を飛び出し、たった一人でフランスに渡った。ABTのプリンシパルという地位に安住せず、ロシアに拠点を移した。そしてオーストラリアに渡り、芸術監督という新たな挑戦を選んだ。例えばボリショイ・バレエに入団をオファーされた時、本当は怖くてたまりませんでした。アメリカ人ダンサーがボリショイにプリンシパルとして入団するなんて、前例がなかったから。でも、何が起こるかわからなくて怖かったからこそ、僕はその道を選びました。舞台の上ではリスクを取れなかったけど、人生においてはリスクを取ってきた。そんな自分を誇りに思っています。

©Ballet Channel
温かく、大らかで、情熱的。
多様なダンサーたちがひしめくエネルギッシュなバレエ団
- ABT、ロイヤル・バレエ、パリ・オペラ座バレエ、ボリショイ・バレエなど、世界中のバレエ団と仕事をしてきたホールバーグさんが、「オーストラリア・バレエのここが特別だ」と思うところは?
- 温かさ、熱心さ、大らかさです。世界には非常に閉鎖的なカンパニーもあります。例えばバレエの起源であるバレエ団や、『白鳥の湖』が生まれたバレエ団など由緒あるカンパニーには、その歴史と伝統ゆえに、どうしても閉鎖的にならざるを得ない面があります。しかしオーストラリア・バレエの歴史はまだ60年。新しいスタイル、新しい振付家、古典バレエへの新しいアプローチなど、新しいものを何でも受け入れてみようという気風に満ちています。
また、オーストラリア・バレエの舞台の温かさは、オーストラリアの国柄そのものだと思います。僕はオーストラリアにいると、ハッピーな人間になるんですよ。なぜならカンパニーも、街の人々も、みんなが温かいから。温かく大らかな踊り、作品に対する真摯な姿勢、舞台にかける情熱。それらがオーストラリア・バレエの特徴であり、僕が愛してやまないところです。
- そうした印象に加えて、オーストラリア・バレエのダンサーたちの身体の強靭さやエネルギーにも驚かされます。
- その強靭さは、団員たちの身体の多様性から来ていると思います。僕たちのカンパニーには、じつに様々な体型のダンサーがいます。例えばロシアのバレエ団では、ダンサーたちがみんな同じような体型をしています。それはそれで美しく、全体的にとてもまとまって見えるので、とくに『白鳥の湖』のようなバレエを上演すると格別に素晴らしい。いっぽうオーストラリア・バレエには、長身の人、小柄な人、頑丈な人、いろいろな身体の持ち主がいます。最近では「太っている」「痩せている」などの言葉も使いません。なぜなら、そういった言葉は誰の心にも良くないからです。
多様であることは、バレエ芸術の新時代の方向性だと思います。そして身体の多様性こそが、オーストラリア・バレエの強さの根源です。それゆえに「洗練さに欠ける」と評されることもあるかもしれませんが、力強いステップや勢いのあるジャンプなど、多様性から生まれるエネルギーもまた、ダンスの大きな魅力だと考えています。

オーストラリア・バレエ「ドン・キホーテ」より ©Christopher Rodgers-Wilson
- オーストラリア・バレエは年間の公演数が非常に多いことも知られています。ダンサーたちの身体の強化や怪我の防止のために、特別なトレーニングを導入していますか?
- 「ストレングス&コンディショニング・プログラム」というものを導入しています。これは僕自身が怪我をした際にリハビリとして行ったプログラムでもあります。オーストラリア・バレエは年間で170回ほど公演を行っていますが、それだけの回数を踊りこなせるだけのレジリエンス(耐久力)を身につけるのに、このプログラムは非常に有効です。しかしそれだけでなく、公演回数が多いこと自体、あるいはシーズン中にさまざまなタイプの作品を踊ること自体も、ダンサーのレジリエンス向上につながっていると思います。
- シーズン毎に上演するプログラムを決める際、ホールバーグさんがとくに重視していることは何ですか?
- どの年も、レパートリーの全体像を網羅するようなラインナップにしなくてはいけない、ということです。オーストラリア・バレエが有しているレパートリーの弧をなぞるように、クラシック、ネオクラシック、コンテンポラリー、そして新作まで、幅広く展開するよう心がけています。
僕は、一緒に仕事をしたい振付家や、カンパニーで再演したい作品、改訂が必要な作品、新しい衣裳が必要な作品、何も修正する必要のない素晴らしい作品など、様々なリストを作っています。それらも鑑みながら、バラエティに富み、しかもダンサーたちとお客様の両方が満足できるプログラムを組んでいく。しかし時には、「このバレエとこのバレエを組み合わせるべきではなかった」「今シーズンは少しコンテンポラリー作品に偏りすぎたかもしれない」「メルボルンの観客はもう18ヵ月も古典の全幕作品を観ていないじゃないか」等と、後になって気づくこともあります。シーズンのプログラム構成を考えることは、自分の責務の中で最も難しい仕事のひとつです。
- オーストラリアの観客は、どんな作品を好む傾向にありますか?
- 最も人気があるのは、いつだって古典作品です。オーストラリアだけでなく、日本でも、パリでも、ロンドンでも、ニューヨークでも、最も集客力があるのは『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』といった古典全幕です。
ただしオーストラリア・バレエには強みがあります。それは、競合するバレエ団がいないこと。ロイヤル・バレエにはイングリッシュ・ナショナル・バレエやバーミンガム・ロイヤル・バレエといった競合カンパニーが存在し、ニューヨークではABTとニューヨーク・シティ・バレエという二大カンパニーが活動しています。しかしオーストラリアの場合、僕らのように規模の大きいバレエ団は他にない。例えば人々がナイキのシューズを買うのは「ナイキなら間違いない」とそのブランドを信じているからですが、それと同じように、オーストラリアの観客は「オーストラリア・バレエ」というブランドを信頼してくれています。ですから昨秋上演したクリストファー・ウィールドン振付の新作『オスカー』であれ、今シーズンに上演するヨハン・インゲル振付の現代版『カルメン』であれ、観客はちゃんと劇場に来てくれます。これは決して僕の手柄ではなく、以前からずっとそうでした。

©Ballet Channel
ヌレエフが振付けた、僕たちの「ドン・キホーテ」。
プロローグやファンダンゴにも注目を!
- 2025年5月末から6月にかけて、いよいよ15年ぶりの来日公演が開幕します。スターダンサーとして何度もその舞台に立ってきた東京文化会館に、今回は芸術監督として戻ってきますね。
- JR上野駅から東京文化会館までの道を歩き、楽屋口に入っていくーーあのガラス張りのドアの中へ、ダンサーとしてではなく芸術監督として入っていく瞬間、僕はきっと不思議な気持ちになるでしょうね。オーストラリア・バレエにとって15年ぶりとなる日本公演のために選んだ演目は『ドン・キホーテ』。これは、僕の芸術監督としての手腕を示す作品です。日本の観客のみなさんはきっとオーストラリア・バレエの温かさ、大らかさ、そして情熱を感じ取ってくださると思いますし、僕はその時あらためて、このカンパニーを誇らしく思うことでしょう。そして舞台が無事に成功し、ダンサーたちが楽屋口を出ていく時に、サインを求める日本の観客のみなさんが彼らを迎えてくださったらいいな……と思います。これはちょっと、父親みたいな気持ちです(笑)。
- オーストラリア・バレエが上演する『ドン・キホーテ』の魅力や見どころを教えてください。
- 『ドン・キホーテ』と言えば、世界中のあらゆるバレエ団が東京で上演してきた演目です。その中でも僕らの『ドン・キ』が際立ってユニークなのは、伝説のダンサー・振付家のルドルフ・ヌレエフが、オーストラリア・バレエのために振付けたバージョンだということです。初演は1970年。そして1973年にヌレエフ自身の主演で映画化されたことは、僕たちの大きな誇りです。
2023年、オーストラリア・バレエ創立60周年イヤーの開幕作品として、僕たちはこのヌレエフ版『ドン・キホーテ』を上演しました。その際にリニューアルした巨大な舞台装置は、1973年の映画でバリー・ケイがデザインしたセットを忠実に再現したもの。他にも見どころはいくつもありますが、まずは冒頭、映画へのオマージュとなっているプロローグにぜひご注目ください!
- ホールバーグさんがとくに気に入っているシーンは?
- 僕のお気に入りは、第3幕のファンダンゴです。4分ほどのスピーディなダンスですが、音楽といい、雰囲気といい、ヴィジュアルといい、本当に素晴らしい。僕は自分も練習したいと思ったくらいこのダンスが大好きで、いつも第3幕が待ち遠しくてたまりません(笑)。

オーストラリア・バレエ「ドン・キホーテ」より ©Rainee Lantry
- 『ドン・キホーテ』上演にあたり、シルヴィ・ギエムをゲストコーチに招いたそうですね。
- シルヴィを招いたのは、「彼女はきっと素晴らしいコーチになってくれる。ダンサーたちは間違いなく、彼女から大いに刺激を受けるはず」と直感したからです。ただし、実際に彼女がコーチとしてどのように振る舞うのかは、スタジオでコーチングを見るまでわかりませんでした。
シルヴィはバレエ界においてあまりにも大きな存在です。バレエに対して独自の定義をもっていて、彼女のようなダンサーは後にも先にも誰もいない。だからこそ、コーチとしては適さない場合もあり得ます。ダンサーたちを見て、「なぜあんなふうに踊るのかしら? 私はそうは踊らなかったのに」と思う可能性があるからです。しかし実際のシルヴィは、その真逆でした。彼女は決して「自分はこう踊ってきた」というものを押し付けません。目の前のダンサーを見て、「そのやり方はあなたに合っていないから、少し変えてみたほうがいいかもね」と優しく提案し、「あなたはその動きで何を伝えようとしているの?」と問いかける。僕の直感は正しかった。シルヴィは素晴らしい指導者です。彼女はどんな作品でも指導を引き受けるわけではありませんが、例えば『マノン』など、シルヴィ自身も「その作品なら教えたい」と思ってくれるレパートリーについては、ぜひこれからもコーチングをお願いしたいと考えています。
- 今回の日本公演の初日は、日本人プリンシパルの近藤亜香が主役のキトリを踊りますね。
- 亜香は僕が芸術監督になる前からの友達で、大好きなダンサーのひとりです。彼女はとても勇敢で、リスクを恐れない。ミスしたり転んだりすることを恐れずに、いつだって攻めの姿勢でスケールの大きな踊りを見せてくれます。あるいは幕が上がる直前、僕がいきなり「亜香、ヴァリエーションのジャンプのタイミングを少し遅らせてほしい」「音楽より先に動いてほしい」等々と指示を出したとしても、亜香はうろたえるどころか、まるで飢えた動物のような目で指示に反応し、見事なパフォーマンスで応えてくれます。だからキトリのような役は彼女によく似合う。そしてもうひとつ、彼女は自分の意思で踊れるダンサーです。僕が芸術監督として絶対に避けたいのは、ダンサーたちに「監督に気に入られるように踊らなくては」と思わせてしまうことです。ダンサーたちには主体性をもって踊ってほしい。自分はどう踊るのか、自分の意思で選択してほしい。亜香は、それができるダンサーです。

オーストラリア・バレエ「ドン・キホーテ」近藤亜香 ©Rainee Lantry
- 芸術監督として、これからのオーストラリア・バレエをどう導いていきたいと考えていますか?
- 僕は、自分たちが“世界一のバレエ団になる必要はないと考えています。よく「オーストラリア・バレエは世界第何位のバレエ団ですか?」という質問を受けますが、そんなことを気にする必要がどこにあるのでしょうか。自分たちと他団体を比べる必要はまったくない。ただ、自分たち自身として最高の状態でありたいし、団員たちに最高のダンサーになってほしい。そして僕は今、このバレエ団を最高の状態、最高のパフォーマンス、最高のレパートリーに導いていると信じています。
公演情報
オーストラリア・バレエ 2025 日本公演
『ドン・キホーテ』プロローグ付き全3幕
振付:ルドルフ・ヌレエフ(マリウス・プティパに基づく)
音楽:ルドヴィク・ミンクス
【日程・出演者】
5月30日(金) 18:30
キトリ:近藤亜香
バジル:チェンウ・グオ
5月31日(土)12:30
キトリ:山田悠未
バジル:ブレット・シノウェス
5月31日(土)18:30
キトリ:ジル・オオガイ
バジル:マーカス・モレリ
6月1日(日)12:00
キトリ:近藤亜香
バジル:チェンウ・グオ
【会場】
東京文化会館(上野)
指揮:ジョナサン・ロー
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
芸術監督:デヴィッド・ホールバーグ
主催:NBS 公益財団法人日本舞台芸術振興会
後援:オーストラリア大使館
※公演詳細はこちら