「キエフ・バレエ・ガラ2022」のオープニングは『ゴパック』。ゴパックとはウクライナの民族舞踊の意味。ダイナミックな跳躍やアクロバティックな超絶技巧が次つぎ飛び出す力強い作品 ©︎Hidemi Seto
2022年7月15日(金)〜8月9日(火)まで全国16都市で計20公演が上演される「キエフ・バレエ・ガラ 2022」。ウクライナの名門、キエフ・バレエのメンバーを中心とした28人のダンサーたちが名作バレエのハイライトシーン等を披露して、連日各地で熱い喝采を浴びています。
今年2月24日に始まった戦争により、今なお深刻な状況が続いているウクライナ危機。同国の首都キーウ(キエフ)に劇場を構えるキエフ・バレエも甚大な影響を受け、120人ほどもいる団員のほとんどが、現在は戦禍を逃れて国外に避難しています。
そうして各国に散らばっているダンサーたちの一部が、ここ日本に集まって実現した今回のガラ公演。
バレエチャンネルでは、その出演者の1人、カテリーナ・ミクルーハにインタビューしました。
ミクルーハは現在17歳。2021年にキエフ国立バレエ学校を卒業し、キエフ・バレエに入団しました。まだ在学中だった16歳の時にキエフ・バレエの『くるみ割り人形』に主演。今回の来日公演でも『海賊』第2幕より“花園の場”のメドーラや『サタネラ』のグラン・パ・ド・ドゥを踊り、注目を集めています。
カテリーナ・ミクルーハ Kateryna Myklukha ©️Ballet Channel
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2度目の来日。日本各地で喝采を浴びて
- 今回の来日公演「キエフ・バレエ・ガラ2022」、連日のご盛況おめでとうございます。日本各地の劇場でバレエファンから本当に熱い喝采を浴びていらっしゃいますね。
- 今回は私にとって2回目の来日になります。初来日の時にも「日本のお客様って本当に素晴らしいのよ」という話はいろんな人から聞いていたのですが、実際に初めて日本に来てみて、それが本当のことだったんだと大感動したのを覚えています。そして今こうして再び日本を訪れて、その気持ちはもっともっと強くなっています。ステージに出て踊るたび、お客様からの反応に私自身が感動しています。客席のみなさんと感情の交換ができていることに、毎回心を動かされながら踊っています。
- 今回初めてミクルーハさんを認識して、若き新星の登場を喜ぶ声も非常に多く聞かれます。その反響はあなたにも届いていますか?
- はい、日本のバレエファンのみなさんがそのように受け止めてくださっていることを私もすごく感じていて、とても感謝しています。ただ、そこが目的にならないように……とは思っています。私の目的は、毎回の舞台でどんどん感情表現を豊かにして、日々成長していくことです。
- ミクルーハさんが今回の公演で披露しているのは『海賊』第2幕より“花園の場”のメドーラと、『サタネラ』のグラン・パ・ド・ドゥ。チャイコフスキーなどロシアの作曲家の音楽は使えないため、演目の選択肢はどうしても限られているかと思いますが、これらの作品を選んだ理由を聞かせてください。
- まず『サタネラ』は過去に一度踊ったことがあって、その時にとても面白いパ・ド・ドゥだなと思ったので選びました。逆に『海賊』のメドーラは今回が初挑戦で、とても緊張しましたけれど、この役もとても興味深くてすごく好きになりました。自分にとってこれからもっともっと磨いていかなくてはいけない大事な役だと感じています。
「キエフ・バレエ・ガラ2022」より 『海賊』第2幕より“花園の場” カテリーナ・ミクルーハ ©︎Hidemi Seto
- 『サタネラ』のヴァリエーションの部分は、日本ではバレエスクールに通う女の子たちが発表会やコンクールでもよく踊る人気演目でもありますが、ウクライナではどうですか?
- このヴァリエーションは確かにコンクール向きですよね。回転などテクニック的な要素もたくさん入っていますし。挑戦しがいのある難しい作品だと思います。私自身もキエフ国立バレエ学校時代に北京のコンクールに出場することになり、そこで踊る演目として先生から勧めていただき、練習するようになったんですよ。そのコンクールではおかげさまで1位を獲ることができました。
「キエフ・バレエ・ガラ2022」より 『サタネラ』のグラン・パ・ド・ドゥ カテリーナ・ミクルーハ、マクシム・パラマルチューク ©︎Hidemi Seto
美しいスタジオとトウシューズに憧れて
- 学校時代のお話が出ましたが、ミクルーハさんは何歳から、どのようなきっかけでバレエを始めたのですか?
- バレエを始めたのは5〜6歳の頃です。それまではフィギュアスケートをやっていて、ゆくゆくは選手になってオリンピックで活躍したいと思っていました。それでフィギュアの技術や表現力を向上させるために母がバレエ教室に連れていってくれたのですが、その時、口が開いてしまうくらい大きな衝撃を受けたんです。扉を開けると、目の前に一面鏡張りの美しいスタジオが広がっていました。その中で女の子たちがトウシューズを履いている姿が本当にきれいで、「私もバレエがやりたい!」と思いました。
- つまりミクルーハさんは6歳にして、自分の意志でバレエを選んだのですね?
- はい、6歳だった私が自分の意志で決断し、その決断を父も母も心から応援してくれました。母はその後、キエフ国立バレエ学校の入学オーディションを目指す私のために、追加で受けられるレッスンも見つけてきてくれました。またクラシック・バレエだけでなく、モダンのクラスも受けられるように先生を探してくれたりもしました。本当に家族全員が、私の夢が実現するようにサポートしてくれたんです。そのことには本当に感謝しています。
- 最初に通ったのは大きなバレエ学校ではなく、街のお教室だったわけですね。
- はい、最初に通ったのは個人の先生が経営するプライベートのスクールです。その後8歳になってからキエフ国立バレエ学校のオーディションを受けて入学しました。
- その当時のキエフ国立バレエ学校の芸術監督だったのが、現在キエフ・バレエの副芸術監督を務める寺田宜弘さんですね?
- そうです。ですから私は寺田先生のことを8歳の時から知っているのですが、先生のほうはまだ私のことを認識はしていなかったと思います。というのもバレエ学校に入学してくる女の子たちはみんな細くて小さくて、全員似たような感じですので(笑)。でも高学年になって、コンクールなどにも出るようになった頃から、寺田先生が私の踊りを評価してくださるようになりました。レッスンを見てくださったり、さまざまなコンクールへの出場を助けてくださったりと、本当にたくさんのサポートをしてくださったおかげで、ミュンヘンのコンクールなどでも1位を受賞することができました。
「キエフ・バレエ・ガラ2022」初日前日の公開レッスン(前橋)のひとコマ ©︎Hidemi Seto
- 学校時代のミクルーハさんは、どんなことが得意で、どんなことが苦手な生徒でしたか?
- バレエのレッスンというのは、好きでなければ続けられないものだと思います。毎日一生懸命練習して、どんなに疲れても、次の朝にはまた同じようにお稽古が始まります。でも、ひとたび好きになったらもう誰にも止められないくらい夢中になれるものでもあります。その意味で私自身は小さな頃からずっとバレエが大好きだったので、どんなに厳しいお稽古も苦になったことはありません。
ただ、私は腕や脚が長くて身長も高いので、身体をまとめるのが難しくて。その点は子どもの頃から苦労してきました。手足をしっかりコントロールしないと踊りがバタバタして見えるので、全身の動きをきちんとまとめられるだけの筋肉が人並み以上に必要なんですね。そのために、例えば他の人が10回練習すればできることを、100回やらなくてはできないということだってありました。でも、私の母はいつもこう言って励ましてくれました。「10回やってできなければ、100回やりなさい。100回やってもできなければ、1000回やりなさい。そうすれば、1001回目にはできるかもしれないから」って。その言葉は今でも心に留めて努力するようにしています。
- 天賦の才能に加えて、人一倍の努力を続けてきたミクルーハさんは、昨年まだ学校の生徒だったにも関わらず、16歳でキエフ・バレエの『くるみ割り人形』で主役デビューを果たします。
- 「本当にこんなことが起きるのかしら?」と思うくらい、自分でも信じられないような出来事でした。子どもの頃から憧れてきた大好きな作品で、パートナーはニキータ・スハルコフさんで。もちろんとても緊張しましたし、主演が決まったことを誰かに話したら上手くいかなくなってしまうんじゃないか……って、怖くて家族以外の誰にも言えませんでした。実際にリハーサルが始まってからも、何もかもが初めての経験で大変でしたけれど、でもすべてが貴重な体験でもありました。本番の舞台もうまく成功できたと思います。
- キエフ・バレエは120人の団員を擁するウクライナ最大のバレエ団であり、伝統のある名門バレエ団です。ミクルーハさんはその『くるみ割り人形』のみならず、入団後もさっそく主要な役を次々と踊っているわけですが、まだ10代の若さでカンパニーの真ん中を踊るというのは、大きな喜びと共にプレッシャーもあるのではないでしょうか?
- 私は劇場で一緒に踊ってくださる先輩方をとても尊敬しています。踊りのポイントとか、メイクや衣裳のちょっとしたコツとか、いろいろなアドバイスをくださったりもするんですよ。もちろん最初は少し遠慮していたところもありましたけれど、今はもうそんなこともありません。舞台の上ではそれぞれのダンサーにそれぞれの役割があり、私も自分に与えられた役割をきちんと果たすことに集中しています。
©︎Hidemi Seto
- 先ほど「子どもの頃からバレエが大好きで、どんな努力も苦にならなかった」というお話がありました。でもバレエを頑張っている子どもたちを見ていると、バレエが好きであればあるほど、あるいは一生懸命であればあるほど、バレエがつらくなることもあるんだな……と感じます。
- そうですね。私も「やめよう」と思ったことは一度もありませんけれど、でもつらいことや大変なことは何度もありました。例えば14歳の時に足を疲労骨折してしまった時。その後のキャリアを考えれば絶対に舞台もお稽古も休んで治療に専念すべきなのに、その時ちょうどマラーホフ版の『コッペリア』の主役をいただいていたのと、日本公演も控えていたので、強い痛みを抱えたまま半年間踊り続けてしまいました。また、2020年に新型コロナウイルスの感染拡大が始まった時。劇場もバレエ学校もすべてが閉鎖されて、「これからどうなるの? 私はどうするべきなの?」と、自分を見失いそうになった時期もあります。そしてこれまでのバレエ人生で最もつらい出来事は、まさに今。この戦争が始まってしまったことです。一時は恐怖のためにバレエのことを考える余裕すらなくなってしまいましたが、今回こうして日本に来ることができて、ようやくまた踊る幸せを取り戻しています。
戦禍を逃れてオランダへ
- 2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が起こったあの日から、ミクルーハさんの身にどんなことが起こったのかを少し聞かせていただけますか。
- 戦争が始まった時、最初の一撃を受けたのはハルキウでした。そこには私の母が住んでいたので、慌てて電話をしたら、「あなたのところに避難するわ」と。母がキエフに到着するのを待つ間に、私は食料の買い出しをしておこうとスーパーマーケットへ急ぎました。でもすでに人々が大勢詰めかけていて、食べ物を手に入れるのも大変な状況でした。
母が無事に到着してから2週間弱ほどふたりで暮らしていたのですが、攻撃が怖くて家から出ることもできませんでした。それでも最初は国外に避難することは考えていなかったんです。やはり、家や故郷を捨てることになってしまうので。けれどもある日、私が「このままじっとしていたら、もうバレエを続けることはできなくなると思う」と言ったひと言で、母が決断しました。それで、私たちはオランダへ避難することになりました。
- ウクライナを出る時、ミクルーハさんが持っていけたのは愛犬とテディベアひとつだったと聞きました。
- なぜなら、国外へ避難する電車にひとりでも多くの人を乗せるために、大きな荷物は持ち込めなかったんです。スーツケースなどを持ってきていた人たちも、みんな駅のプラットホームに置いていかなくてはいけませんでした。もちろん私にも避難先に持って行きたい大切なものはたくさんありましたけれど、そのなかでもいちばん小さいものを選びました。
- 昨年バレエ学校を卒業してキエフ・バレエに入団。いよいよここからプロとしての輝かしいキャリアが始まるという時にこのようなことが起こって、今どのようなことを感じていますか?
- 私がキエフの劇場でプロとして仕事をすることができたのは、たった6ヵ月でした。戦争が始まった時、私は自分にとって2つ目の主役となる『フィガロの結婚』という作品のリハーサルに取り組んでいたところだったんです。私はきっとこれから、少なくとも数年間はこうして素敵な作品や時には主役もいただきながら、ここでキャリアを積んでいくんだ……そんなふうに将来のことを思い描いていました。だけどこの戦争で、想像していた未来はすべて失いました。『フィガロの結婚』のために準備していた髪飾りもイヤリングも、作りかけのままキエフの家に残してきました。明日の自分がどうなっているかもわからない。そんな状況に突然陥ってしまい、怖くてたまりませんでした。
- キエフ・バレエは、ミクルーハさんにとってどのような場所ですか?
- 私の故郷そのものです。キエフで生まれ育ちましたので、バレエ団の公演はいつも観ていましたし、学生の頃から舞台に立たせていただいた思い出の場所でもあり、初めて仕事を得た職場でもあります。私の人生のすべてと言える場所です。
©︎Hidemi Seto
- 現在はオランダ国立バレエのジュニアカンパニーに身を寄せていらっしゃいますが、キエフ・バレエとは踊りのスタイルもレパートリーもかなり違うのではと思います。その点で戸惑ったりしたことは?
- はじめはもちろん戸惑いました。とくに最初の1ヵ月はまだ霧の中にいるようで、すべてを喜ぶことができない状態だったので。でもそれ以上に、そこは私にとっての光になりました。これでやっとバレエができるんだ……と。オランダは現代作品も多くてそれには苦戦していますが、せっかく新しいチャレンジができるのですから、楽しもうと思っています。
- 7月22日(金)の夜に放送された報道番組「報道ステーション」(テレビ朝日)で、ミクルーハさんは侵攻が始まってからここまでに体験したことや感じた気持ちを自分で振付けたオリジナル作品を披露。ミクルーハさんは、過去にも振付をしたことがあったのですか?
- じつは……それを「作品」と呼べるのかはわかりませんが、7歳の時に自分で作ったダンスをコンクールで踊ったことがあります。でも、何しろバレエを習い始めてまだ1〜2年の頃だったので、覚えたばかりのステップをとにかく全部詰め込んだだけの作品でした(笑)。ですから、本格的に振付を作ったと言えるのは今回が初めてです。あの作品は、稽古場に入って「シンドラーのリスト」のテーマ曲を聴きながら踊ってみたら、あっという間に出来上がりました。それはきっと、あの振付がすべて自分の内面や真の感情から出てきたものだからではないでしょうか。
- ミクルーハさんのバレエ人生はまだ始まったばかり。これからどんなダンサーになっていきたいですか?
- ひと言で言うなら、つねに「最高バージョンの自分」を目指していきたいです。私は自分の踊りに満足できることはほとんどなくて、いつも反省することばかりです。それでもいつか、自分も心から満足できてお客様にも喜んでいただける、そんな舞台をお見せできるバレリーナになりたいです。
©︎Ballet Channel
公演情報
キエフ・バレエ・ガラ2022
【日時・会場等】
2022.7.15(金)
18:30開演(17:45開場)
ベイシア文化ホール(群馬県民会館)大ホール
2022.7.16 (土)
15:00開演(14:00開場)
東京国際フォーラム ホールC
2022.7.16 (土)
19:00開演(18:00開場)
東京国際フォーラム ホールC
2022.7.17 (日)
12:00開演(11:00開場)
東京国際フォーラム ホールC
2022.7.17 (日)
16:00開演(15:00開場)
東京国際フォーラム ホールC
2022.7.18 (月・祝)
14:00開演(13:15開場)
J:COMホール八王子
2022.7.21(木)
18:30開演(17:45開場)
静岡市清水文化会館マリナート 大ホール
2022.7.22(金)
18:30開演(17:45開場)
アイプラザ豊橋
2022.7.23(土)
12:30開演(11:30開場)
NHK大阪ホール
2022.7.23 (土)
17:00開演(16:00開場)
NHK大阪ホール
2022.7.24(日)
14:00開演(13:15開場)
ロームシアター京都 メインホール
2022.7.26(火)
18:30開演(17:45開場)
愛知県芸術劇場 大ホール
2022.7.30(土)
14:00開演(13:15開場)
結城市民文化センターアクロス 大ホール
2022.8.2(火)
14:00開演(13:15開場)
山形市民会館 大ホール
2022.8.3(水)
14:00開演(13:15開場)
岩手県民会館 大ホール
2022.8.5(金)
14:00開演(13:15開場)
八戸市公会堂 大ホール
2022.8.6(土)
14:00開演(13:15開場)
函館市民会館 大ホール
2022.8.7(日)
14:00開演(13:15開場)
札幌文化芸術劇場 hitaru
2022.8.8(月)
14:00開演(13:15開場)
帯広市民文化ホール 大ホール
2022.8.9(火)
14:00開演(13:15開場)
コーチャンフォー釧路文化ホール 大ホール
【詳細・問合】
光藍社WEBサイト