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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第5回〉オペラ座の就活事情、18世紀末の場合。

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのために、マニアックすぎる連載を始めます。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

🇫🇷

多くのヨーロッパの国では、9月といえば新学期。音楽や舞台芸術界でも、新しいシーズンが始まります。そのため、7月から8月にかけての夏休み期間には、今年もダンサーの移籍や新規加入のニュースが飛び交っていました。パリ・オペラ座バレエ団でも、この秋からデビューする正団員が6名いるとのこと。日本の私たちがその姿を見るのはもう少し先になりそうですが、新しい才能の活躍が楽しみですね。

ところで、カンパニー所属のバレエダンサーとして仕事をしていくとき、多くの場合は、入団のために何らかのオーディションを突破する必要がありますよね。じつは18世紀末のパリ・オペラ座でも、アーティストは才能がありさえすれば無条件で出演! というわけではなかったのです。今回は、18世紀の王立音楽アカデミーの運営に関する資料を参照しながら、当時のオペラ座にアーティストとして就職したい人々がたどる道のりについて、ご紹介します。

18世紀初頭は、いきなり現場で入団コンクール(オーディション)

現代のパリ・オペラ座バレエ団の入団試験では、書類審査を通過した候補者たちが、クラスレッスン審査とヴァリエーション審査を受ける、という流れになっています。いっぽう、18世紀の王立音楽アカデミー(下記【コラム】参照)の入団試験は、まだ現代のような方式ではありませんでした。そもそも、オペラ座におけるアーティストの採用について、最初に具体的な決まりごとが記されたのは、1714年にルイ14世が発行した王令の規則集。その第18条には、次のような記述があります。

「俳優や女優(注:この場合は歌手たちのこと)、男性ダンサーと女性ダンサー、オーケストラの人員は、その才能を数回の公演において示し、またそこで観客の支持を得るに値したのちにのみ、オペラ座に受け入れられうる」

この1714年の規則集では、アーティストの各部門、つまり歌手、ダンサー、オーケストラ奏者の人数も固定することが決められています(第20条)。ということは、何らかの理由で空きポストが出た場合、オペラ座に入団を希望するアーティストは、その専門が何であれ、いきなり本番で実力を試された、と考えられます。現代の私たちからすると、なんと過激なオーディション形式でしょうか……。もっとも、当時のオペラ座は新作の上演がメインだったので、入団希望のアーティストは正規団員たちに混じって何度か練習に参加し、その上で舞台に立ったのでしょう。とはいえ、周りはすでにオペラ座でのキャリアがあり、しかもその実力はヨーロッパでもトップクラスの人材ばかり。相当の実力と自信がないと、新人さんは舞台に上がる前に心が折れてしまいそうです。

また、この1714年の規則には、もうひとつ注目したい特徴があります。それは、候補者がオペラ座への入団を認められるためには、観客の支持も得る必要がある、とされていること。つまり、本人の実力や運営側の判断だけでなく、観客からの評価も入団の際に重要なポイントのひとつ、と考えられていたのです。実際に、18世紀後半のオペラ座に関するソルヴェイグ・セールの著書では、2人の優れたバソン(フランス式ファゴット)奏者が、聴衆からの高評価を受けて、オペラ座オーケストラへの入団を決めた例が紹介されています。

しかしこれを言い換えれば、18世紀の観客には、王立音楽アカデミーの名にふさわしいアーティストを見極める審美眼と、音楽・舞台芸術に対する理解が求められていた、ということでもあります。入団候補者がオペラ座に出演する公演は、舞台上も客席も、さぞかし緊張感が漂っていたことでしょう……!

【コラム:「音楽アカデミー」と「舞踊アカデミー」はどう違う?】
「王立音楽アカデミー」は1669年創設。もうひとつ、それより少し前の1661年に創設された「王立舞踊アカデミー」という機関があるのですが、みなさんはこのふたつの違いをご存じでしょうか?

ごく簡単に違いを説明すると、まず1661年創設の「王立舞踊アカデミー」はバレエの研究団体です。そしてそこで研究された“正しいバレエの踊り方”を普及する役割を担っています。研究団体ですから、興行(つまり観客に向けた公演)は行いません。

それに対して、1669年創設の「王立音楽アカデミー」は劇場であり興行団体です。音楽アカデミーでは(オペラ)公演を行なっていたわけですが、ドイツやイタリアと違ってフランスのオペラにはバレエが入るため、音楽アカデミーは独自にダンサーたちを雇っていました。

現在のパリ・オペラ座バレエの直接的なご先祖は、この「王立音楽アカデミー」のバレエ部門のほう。そしてさらに音楽アカデミーのダンサーたちを鍛える場として、Ecole de danse(パリ・オペラ座バレエ学校)ができた、という流れになります。

就活アーティストの平均的な人物像は?

では、このいろいろな意味で厳しい入団コンクール(オーディション)を受けるアーティストたちは、どのような人々だったのでしょうか。18世紀当時、パリの王立音楽アカデミーに就職するルートは様々で、「これが王道」というものはないのですが、よくあるパターンは下記の4通りだったようです。

①地方やパリですでに華々しい活躍をしていた結果、オペラ座に呼ばれる。または歌・ダンス・オーケストラの各部門の長が、リクルーターとして地方へ視察に行き、良いアーティストを見つけてくる

②地元の貴族や地方劇場の監督などの有力者から、オペラ座に推薦してもらう

③オペラ座以外のパリの劇場でデビューして経験を積み、空きポストができたときにオペラ座に移籍

④コネ・前評判なしで、入団コンクールを行ってくれるようオペラ座に求める

①と③は、現代なら招待オーディションや、プライベートオーディションと呼ばれるものに相当するでしょうか。18世紀半ばには、パリだけでなくフランスの地方都市(ボルドーやリヨン、マルセイユなど)にも音楽アカデミーが作られていましたので、こうした土地で目覚ましい活動を行っているアーティストを、首都に呼ぶことが可能でした。②はコネ採用なので、推薦者の影響力があればあるほど、候補者にとっては力強い後押しになります。とはいえ、前出のセールの著書によると、最も伝統的で頻繁に行われていたのは④のガチコンクールだったとのこと。宮廷の音楽グループの職が、基本的には父親から息子へと受け継がれる世襲制だったのとは対照的に、オペラ座のアーティストの職を得るのは、現代の就活方法により近いですね。

ただ、1714年の規則集に記された採用方法を見る限り、パリの王立音楽アカデミーに就職する場合、それ以前にプロとしてキャリアを積んでいる(しかもパリでも噂が聞こえるくらいの)アーティストが有利であることは明らかです。では、当時のオペラ座に就職した時のアーティストの平均年齢は、何歳くらいだったのでしょうか。これは、ダンサーや歌手の場合、女性なら18歳になる前、男性なら20歳になる前あたりで雇用される、というのがおおよそのところだったようです。中には「舞踊の神」と呼ばれたオーギュスト・ヴェストリス(1760–1842)のように、13歳でオペラ座の舞台に初登場し、16歳で正式に入団した猛者もいました。いっぽう、オーケストラの奏者についてはちょっと年齢が上がり、30歳前後で入団するのが一般的だったようです。

審査方法も、時とともに進化する

さて、1714年の規則集におけるアーティストの採用審査の手法は、時の流れとともに少しずつ変化を見せていきます。1778年に発行された「王立音楽アカデミーのための規則に関する国務院裁決 Arrêt du Conseil d’État du roi contenant règlement pour l’Académie royale de musiqueの第11条には、新人アーティストが監督あるいはその代行者による審査を受け、雇用証明書に記された契約上の義務を理解し署名したのちに、オペラ座に雇用される、という内容の記述があり、若干、傾向の違いが生じていますね。

さらに、フランス革命やナポレオンの登場・失脚を経て、復古王政の時代となった1821年になると、オペラ座の舞台に立ちたいアーティストが、どのような手続きを経て採用試験を受けるのか、詳細な記述が「規則集 ダンス Réglement Danseに現れています。例えば……

●王立音楽アカデミーにデビューするために来るすべてのアーティストは、劇場運営委員会に対して、書面で申し出を行わなければいけない。劇場運営委員会は試験の日にちを指定する(以下略、第160条)

●試験は劇場運営委員会のメンバー、ダンス部門の長、監督に指名された2名の主役級ダンサー、あるいはその代役クラスのダンサー立ち会いのもと、劇場で行われる。試験終了後、審査員は委員会で受験者の資質に関する意見を述べる。(第161条)

●新人のデビューは3つの役、あるいはパで構成され(略)、役柄1つ、あるいはパ1つは、本人の選択とする。3つ目は、メートル・ド・バレエとの合意ののちに、監督から指定される(以下略、第163条)

1821年発行「規則集 ダンス Réglement Danse」の表紙。フランス国立公文書館(Archives Nationales)所蔵 ©︎Tamamo Nagai

このように、19世紀前半になると、より現代の審査に近い手順が取られるようになっていたことが分かります。応募者が実際にどのような役柄や踊りを踊って見せたのか、審査員はどのようなコメントをしていたのか、その詳細は記録が存在しない限り歴史の闇の中ですが、厳しい審査を経た者だけが世界最高の舞台に立てる、というのは、今も昔も変わらないことなのでした。

★次回は2021年10月5日(火)更新予定です

参考資料

Archives Nationales. AJ/13/1186, Réglement (sic) Danse daté du 5 mai 1821.

Giroud, Vincent et Serre, Solveig (dir.). 2019. La Réglementation de l’Opéra de Paris 1669-2019, Édition des principaux textes normatifs. Paris, École des Chartes.

Serre, Solveig. 2011. L’Opéra de Paris (1749-1790) Politique culturelle au temps des Lumières. Paris, CNRS Éditions.

Terrier, Agnès. 2003. L’Orchestre de l’Opéra de Paris de 1669 à nos jours. Paris, Éditions de la Martinière.

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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