ロンドンのコヴェント・ガーデンにある歌劇場「ロイヤル・オペラ・ハウス」で上演されたバレエとオペラを映画館で鑑賞できる「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン」。臨場感のある舞台映像はもちろん、開演前や幕間にはリハーサルの特別映像や舞台裏でのスペシャル・インタビューを楽しめるのも、“映画館で観るバレエ&オペラ”ならではの魅力です。
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2024年4月5日(金)〜11日(木)の1週間、TOHOシネマズ日本橋ほか全国の劇場で公開されるのは、ケネス・マクミランが振付けたドラマティック・バレエの傑作『マノン』です。
18世紀フランスの退廃と貧困のはざまで愛し合い、堕ちていく恋人たちの運命のドラマ。タイトルロールを演じるのは、並外れた身体能力とテクニックを幹にして無二の演劇性を開花させたドラマティック・バレリーナ、ナタリア・オシポワ。そしてマノンを一途に愛する恋人デ・グリュー役は、約190cmの長身と映画俳優のような容姿、2022年にプリンシパルに昇格してますますダイナミックに躍動するリース・クラークが演じています。
「いちばん好きな役はデ・グリュー」と語るリース・クラーク。日本での公開に先がけて、自身の役どころや重要だと思う場面、踊りの特徴などについて話を聞きました。
リース・クラーク REECE CLARKE
スコットランド、ノース・ラナークシャー出身。英国ロイヤル・バレエ・スクールで学び、2013/14シーズンよりロイヤル・バレエ入団。2022年プリンシパルに昇格。「僕には3人の兄がいて、4人の兄弟全員がロイヤル・バレエ・スクールに通ったんですよ」というクラーク。「子どもの頃はいつも家で兄たちとピルエット競争をしていて、兄のひとりがクリスマスツリーを倒してしまったことも。僕たちが練習熱心(?)であることを、両親はあまり歓迎していませんでした(笑)」。今回の『マノン』がシネマ上映されて嬉しかったことのひとつは「アメリカに住んでいる2人の兄が、映画館で僕の舞台を観てくれたこと」と、心温まるエピソードを聞かせてくれました ©Royal Opera House 2024
- 【Story】
- 18世紀パリ。美しく衝動的な少女マノンは、若くハンサムだが貧しい学生デ・グリューと出会って恋に落ちる。だが、兄レスコーの手引きにより富豪ムッシュG.M.から愛人にならないかと誘われたマノンは、デ・グリューとの愛と、G.M.との豪奢な生活の間で引き裂かれる。
裏社交界のマダムの邸宅での宴にて華やかに着飾り、その美しさで男たちを魅了するマノン。「ここを出て行こう」というデ・グリューに、彼女は「もっとお金を手に入れてから」といかさま賭博をそそのかす。だがいかさまがG.M.に見破られた上、レスコーは殺され、マノンは逮捕される。
アメリカのニューオーリーンズに追放されたマノン。デ・グリューは夫と身分を偽り同行するが、マノンは好色な看守に目を付けられる。マノンを慰み者にした看守を殺した二人はルイジアナの沼地へと逃げ込むが、デ・グリューの腕の中でマノンは息絶える。
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- リース・クラークさんは以前から「好きな作品/役は?」と質問されるたびに「『マノン』のデ・グリュー」と答えていますね。あらためて、あなたにとって『マノン』やデ・グリュー役の魅力とは?
- マクミランの振付とマスネの音楽、ジョージアディスの美術、衣裳……『マノン』は真の傑作であり、出演できるのは光栄なこと。間違いなく、僕にとって最愛の作品です。初めてデ・グリューを演じたのは23歳の時で、自分のキャリアにおいてかなり早い段階でマクミランの大作に挑めたのは幸運なことでした。そして今回シネマ上演される舞台は3度目のデ・グリュー役だったわけですが、踊りながら湧き上がってくる感情が、過去2回とはまったく違っていたんですよ。最初に踊った時から年齢を重ね、たくさんの新しいことを経験し、人間的にも成熟した。人生には良いことも悪いこともあって、そのたびに様々な感情を体験してきました。それらのすべてが役を演じるための糧になる、そこがバレエという芸術のスペシャルなところであり、まさに『マノン』のような作品に求められていることでしょう。なぜならマクミランはどこまでも人間的で自然な表現に心血を注いだ振付家だから。人生経験を重ねれば重ねるほど、表現が多層的になり、感情の引き出しが増え、より真実味のある演技ができるようになる。自分自身の人生やあらゆる経験を役と結びつけることができた時、ダンサーは次のレベルに到達することができます。今回の『マノン』は、僕にとってまさにそういう演技ができた舞台でした。これまでステージ上で感じたことのないほど、エモーショナルでドラマティックな体験をしました。
- マクミラン作品は振付じたいがすべてを雄弁に物語っていますが、いっぽうでダンサーが自分の解釈で演じられる自由さもあると聞いています。その意味で、リースさん自身はデ・グリューの人物像をどのように解釈して演じていますか?
- 僕とデ・グリューには似たところがあると思っています。例えば、自分の心に従って行動する人間であるところ。全3幕を通して、デ・グリューは愛する人のためなら何でもやるし、どんな危険でも冒しますよね。たとえその人に裏切られ、拒絶され、心変わりをされようとも。彼は強い性格で、ただ自分の心と本能に従い、わが道を貫きます。そして僕も、自分の人生や経験を振り返ると、どこか似たようなところがあると思う。役と自分に共通点を感じられると、より力強く、リアルに、真実の感情で演じることができます。もちろん僕は『マノン』のストーリーとまったく同じ経験をしたことはないけれど、それでも今回デ・グリューとして舞台に立っていた時、いくつかの記憶や感情が脳裏に浮かんできました。その感覚がとても強烈で、舞台が終わってからもずっと頭から離れなかったし、いまだによく思い出すんですよ。舞台上で生きる数時間、僕は完全にその人物になり、物語世界に入り込み、素晴らしいアーティストたちに囲まれ、そのひとときを観客と分かち合う。しかも今回はシネマ上映を通して、世界中のみなさんとつながれるのです。こんなことができる自分は本当に幸せです。バレエダンサーであることを誇りに思います。
英国ロイヤル・バレエ「マノン」第1幕より リース・クラーク(デ・グリュー) ©2024 ROH. Photographed by Andrej Uspenski
- デ・グリューを演じるうえでとくに重要だと考えている場面はどこですか?
- やはり、パ・ド・ドゥの場面だと思います。最初にリハーサルを始めたのもパ・ド・ドゥの場面でしたし、マクミラン自身、作品を作る時はいつもパ・ド・ドゥから作り始めたそうです。最初にパ・ド・ドゥを作って、それを中心にして前後や他の部分を作っていく、というふうに。ですから『マノン』に関しても、作品の核となる場面はパ・ド・ドゥだと思いますし、僕らはパ・ド・ドゥを通して相手役と密なパートナーシップを築いていきます。今回は、素晴らしいマノンであり素晴らしいマクミラン・パフォーマーであるナタリア・オシポワと共演することができました。ナタリアとはお互いに深く信頼し合っていて、僕たちなりのやり方で『マノン』を作り上げることができました。
もちろん、重要な場面は他にもたくさんあります。まず、デ・グリューにとって肉体的に最もハードなのは第1幕です。ソロがあって、美しいパ・ド・ドゥもありますからね。そして最初のソロが始まったら、そこからはもうノンストップ。舞台にほぼ出ずっぱりで、ひと息つく間もなく第1幕の最後まで踊り続けることになります。ですから1幕が終わった時にはもう身体が疲れきっていますが、逆に第2幕の前半は演技が中心。細かい演技や表情がクローズアップで見られるシネマにはうってつけの場面ですね。そこでもナタリアの演技は輝いていますから、ぜひ注目してください! 僕も彼女を見ているだけで、自然にデ・グリューとしての感情が湧き上がってきます。
そして第3幕は、何といっても「沼地のパ・ド・ドゥ」。これも非常にパワフルな場面です。瀕死のマノンを抱えたデ・グリューは、舞台のいちばん手前の位置まで出てきます。目の前はオーケストラ・ピット。そこからパ・ド・ドゥの始まりを知らせる和音が響くと、身体に鳥肌が立ち、エネルギーが湧いてくる。その力が僕を最後まで踊りきらせてくれます。デ・グリューを演じるうえで決定的に重要な場面というのをひとつ選ぶのは難しいけれど、とにかく『マノン』は全編の構成が完璧で、振付と音楽の一体感も素晴らしい。やはり、傑作としか言いようがありません。
英国ロイヤル・バレエ「マノン」第1幕より ナタリア・オシポワ(マノン)、リース・クラーク(デ・グリュー) ©2024 ROH. Photographed by Andrej Uspenski
- パ・ド・ドゥについてさらに話を聞かせてください。同じくマクミランが振付けた『ロミオとジュリエット』と比較すると、例えば『マノン』第1幕の「寝室のパ・ド・ドゥ」は『ロミオとジュリエット』の「バルコニーのパ・ド・ドゥ」と、「沼地のパ・ド・ドゥ」は、ロミオが仮死状態のジュリエットと踊る「墓所のパ・ド・ドゥ」と、それぞれ対比して考えられると思います。それぞれを比較して、技術面や表現面にどんな違いを感じますか?
- マクミラン作品のすべてのパ・ド・ドゥに共通して言えるのは、踊るふたりの間に信頼関係がなければ絶対に踊れないということです。パートナリングが非常に複雑で、ただ身体をスクエアに保ってバランスを真っ直ぐにしておけばいいわけではありません。時には大きくオフバランスにしたり、首の周りで女性の身体をぐるりと回したり、それこそ「沼地のパ・ド・ドゥ」みたいに女性を空中でくるくるっとダブル・フリップさせてフィッシュ・ダイヴに入ったりもする。僕がこれまで挑戦してきたパ・ド・ドゥの中で、技術的に最も難しいのがマクミランの振付です。ところがひとたび音楽と身体がひとつになり、パートナーと深く信頼し合えれば、その最高難度の振付がこの上なく美しい瞬間を紡ぎ出すのです。
ですから『ロミオとジュリエット』と『マノン』を比較するなら、技術面よりも表現面のほうに違いを感じます。そしてその違いが何かといえば、「登場人物の成熟度」だと僕は思う。ロミオとジュリエットの間にあるのは若い恋。すべてが初めての経験で、エネルギーに満ちあふれ、それでいてとても繊細で壊れやすい。マノンとデ・グリューのほうはもう少し大人で、大胆で、官能的です。
英国ロイヤル・バレエ「マノン」第3幕より ナタリア・オシポワ(マノン)、リース・クラーク(デ・グリュー) ©2024 ROH. Photographed by Andrej Uspenski
- ソロについても聞かせてください。デ・グリューには2つの重要なソロがあります。ひとつは第1幕でマノンに出会った時の自己紹介のソロ。もうひとつは第2幕の娼館で、マノンと再会した時に踊るソロ。それぞれのソロを踊る時、クラークさんが大事にしていること(技術面と表現面)を教えてください。
- 第1幕の最初のソロは、デ・グリューがマノンに自己紹介する場面です。マノンを目にした瞬間、デ・グリューの中で何かがひらめき、どうにかして彼女に自分を知ってもらいたいと思う。このソロはとても叙情的で音楽的です。デ・グリューの気持ちをマスネの音楽がすべて表現してくれているので、踊るのが本当に楽しいんですよ。そして技術的なことが身体に入ったら、あとはステップと音楽が完全になるように集中しています。ちなみにこのヴァリエーションについては、もうひとつ大好きなポイントがあって。それは直前までカンパニーのみんなが舞台上をざわざわと動き回っているのに、ふっと静けさが訪れて、マノンとデ・グリューの間にとても親密な空気が流れるところ。とても美しい場面だと思います。
いっぽう、この1幕のソロとまさに対照的なのが第2幕のソロです。第2幕のほうのデ・グリューはとても気弱になっていて、マノンにすがるようにして愛を訴えますが、彼女はムッシュG.M.と一緒にいることを選びます。このヴァリエーションの音楽も背筋がぞくぞくするほど素晴らしく、振付そのものがデ・グリューの葛藤と絶望を切々と伝えてくれる。僕はマノンへの恋慕や絶望がどれほどのものかを示すために、一つひとつの動きにできるだけ熱を込めて、大きく見せることを心がけています。
英国ロイヤル・バレエ「マノン」第2幕より リース・クラーク(デ・グリュー) ©2024 ROH. Photographed by Andrej Uspenski
- その音楽についてですが、『マノン』では作中の要所要所でマスネの「エレジー(哀歌)」が繰り返し用いられていますね。まずは第1幕、マノンと出会って恋が始まるパ・ド・ドゥに用いられ、以降も第2幕、第3幕の沼地と、マノンとデ・グリューの重要な場面で繰り返されます。あの音楽を聴くと、クラークさんはどんなふうに感じますか? あの曲で踊る時、どんな感情が湧き上がるのでしょうか?
- 本当に、「エレジー」を作品中の様々な場面で、あるいはマノンとデ・グリューの様々な関係性の中で繰り返すというのは、天才的なアイディアとしか言いようがありません。そして僕にとっては、デ・グリューの気持ちを映し出す重要な曲でもあります。この音楽が流れる時、彼はマノンとの最初の出会いを思い出し、自分の中に燃える炎を、踊りを通してマノンに伝えようとします。僕自身もこの音楽を聴くたびに、そこまでの場面で感じてきた感情を思い出し、演技に新たなドラマを加えることができます。
- 先ほどナタリア・オシポワについてのお話がありましたが、クラークさんの思う、オシポワの魅力とは?
- ナタリアは卓越した技術の持ち主であるだけでなく、とてもドラマティックなバレリーナ。アーティストとして最高の存在です。僕は彼女のおかげで演劇性を身につけることができたと思う。稽古場でも、ナタリアの芸術に対するひたむきな姿勢にはいつも胸を打たれています。
- 最後にもうひとつだけ質問を。マノンは、デ・グリューを本当に愛していたと思いますか? ひとときでも真実の愛があったとしたら、それは全幕中のどの場面だと思いますか?
- 僕は、「イエス」と答えたいと思います。彼女は、デ・グリューを愛してはいたと思う。ただ、この作品が描いている時代のことを忘れてはいけません。女性が男性と平等な立場で生きられず、貧困に堕ちることは死に等しい。そんな社会において、マノンは生き残るための選択をしたのです。この作品を観て、登場人物たちの決断に疑問を感じる人もいるでしょう。でもこうした時代背景についても心に留めておくことが大切だと思います。
英国ロイヤル・バレエ「マノン」第3幕より ナタリア・オシポワ(マノン)、リース・クラーク(デ・グリュー) ©2024 ROH. Photographed by Andrej Uspenski
上映情報
英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24
ロイヤル・バレエ『マノン』
4/5(金)~4/11(木) TOHOシネマズ 日本橋 ほか1週間限定公開
★上映館、スケジュールなど詳細は公式サイトをご確認ください
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ジュール・マスネ
編曲:マーティン・イェーツ
(選曲:レイトン・ルーカス、協力 ヒルダ・ゴーント)
美術:ニコラス・ジョージアディス
照明デザイン:ジャコポ・パンターニ
ステージング:ラウラ・モレ―ラ
リハーサル監督:クリストファー・サウンダース
レペティトゥール:ディアドラ・チャップマン、ヘレン・クローフォード
プリンシパル指導:アレクサンドル・アグジャノフ、リアン・ベンジャミン、アレッサンドラ・フェリ、エドワード・ワトソン、ゼナイダ・ヤノウスキー
ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団
コンサートマスター:セルゲィ・レヴィティン
指揮:クン・ケッセルズ
【キャスト】
マノン:ナタリア・オシポワ
デ・グリュー:リース・クラーク
レスコー:アレクサンダー・キャンベル
ムッシュG.M.:ギャリー・エイヴィス
レスコーの愛人:マヤラ・マグリ
マダム:エリザベス・マクゴリアン
看守:ルーカス・ビヨルンボー・ブレンツロド
ベガー・チーフ(物乞いの頭):中尾太亮
高級娼婦:崔由姫、メリッサ・ハミルトン、前田紗江、アメリア・タウンゼント
三人の紳士:アクリ瑠嘉、カルヴィン・リチャードソン、ジョセフ・シセンズ
娼館の客:ハリー・チャーチス、デヴィッド・ドネリー、ジャコモ・ロヴェロ、クリストファー・サウンダース、トーマス・ホワイトヘッド
老紳士:フィリップ・モーズリー
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