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【マニアックすぎる】パリ・オペラ座ヒストリー〈第10回〉パリ・オペラ座“妄想”ハローワーク[19世紀初頭版]

永井 玉藻

パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。

「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」

そんなあなたのために、マニアックすぎる連載を始めます。

  • 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
  • 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
  • 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…

……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!

イラスト:丸山裕子

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今から19世紀初頭のパリにタイムスリップし、パリ・オペラ座に就職できるとしたら……みなさんはどのような職種を選びますか? 人気のダンサーになって、パリ中の話題を独占するもよし。はたまたオーケストラ奏者として、美しいバレエ音楽を奏でるもよし。公演で使われる衣裳や靴、アクセサリーなどを作るのも興味深いですね。

「総合芸術」と言われるとおり、バレエやオペラの公演にはじつに多くの人々が関わっており、舞台上と舞台裏、双方の仕事がないと成立しません。では、19世紀初頭のオペラ座には、どのような仕事があったのでしょうか? 今回は、1805年に発行された『帝国音楽アカデミーの規則Règlement pour l’Académie inpériale de Musique』を参照しながら、19世紀初頭のオペラ座の様子をご紹介します。

基本企業データ:従業員数と職種

現代でも、会社の規模を知るためのデータとして、従業員数や社員数が注目されることがあります。では、19世紀初頭のオペラ座では、どのくらいの人数が雇用されていたのでしょうか? 答えは、「476人以上で、おそらく500人くらい」

……この、正確なのかあいまいなのかよく分からない数字には、ちょっと解説が必要ですね。「476人」というのは、規則書の記述から確実に数えられる必要人員数。それに対して、「おそらく500人くらい」というのは、必要な人数までははっきり書いていないけれど、史料で存在が確認できる職種を入れると、およそこのくらい、と考えられる数です。1800年のパリの人口は54万7756人とされていますので、大雑把に計算すると、当時のパリ市民の1100人に1人はオペラ座関係者だったことになります。

官庁や宮殿のような場所は例外として、19世紀初頭に数百人規模の雇用者を持つ職場は、まだ一般的ではなかったでしょう。ですので、ある程度まとまった数の人員を必要とする劇場は、パリの人々からも「大企業」のイメージを持たれていたかもしれません。しかもオペラ座の職種は、1805年の時点でかなりバラエティに富んでいました。下記はその内訳です。

  • 管理部門・・・14名以上
  • 歌唱部門・・・85名、うち4名は付属歌唱学校関係者
  • ダンス部門・・・100名、うち5名は付属バレエ学校関係者
  • オーケストラ部門・・・79名
  • 衣裳部門・・・59名
  • 装置アトリエ・・・10名以上
  • 劇場と舞台の部門・・・77名以上
  • 建物管理部門・・・4名
  • ホール内担当部門・・・48名

では、ここからは各部門について、くわしく見ていきましょう。みなさんの妄想就職活動にお役立てください!

管理部門

管理部門の主たる役割は、オペラ座の管理と経営に関するものごとの取りまとめを行うことです。部門の中心メンバーは、アーティストや作品のこと、劇場の規則のことなどすべてに責任を持つ監督Directeur、会計全般を担当する会計管理官Administrateur comptable、劇場の建物と内部の設備(大道具や衣裳なども含む)の保全責任者である監察官Inspecteur、事務局長Secrétaire général、公演の売上管理や費用の支払いを行う出納係Cassierの5人で、事務局長の下には9人の事務局スタッフがいました。

この管理部門は、宮廷の担当部門と連携しており、さらに運営に関するアドバイスを与える「名誉顧問」として、法律家Jurisconsultes2名と、公証人Notaire(さまざまな契約の際に、作成された証書の公正さを認証する専門職)1名が加わったようです。

歌唱部門

歌唱部門の所属メンバーは、大きくは①公演に出演する歌手たち、②その歌手たちに関わる人員、そして③付属歌唱学校の関係者、に分かれていました。①の歌手は、ソリスト・準ソリスト級と合唱団員にさらに分かれ、ソリストたち(プルミエ、ランプラスモン、ドゥーブル)が男女合わせて21名、合唱団員が男性28名、女性24名でした。②に当てはまるのは、歌唱部門のトップで歌手たちの指導を行うメートル・ド・シャン、伴奏者、調律師、出番の呼び出し係です。一方、③のメンバーとしては学校専属の伴奏者、呼び出し係のほか、音楽の基礎教育の一つである「ソルフェージュ」の教師と、歌唱の基礎教育を行う歌唱準備教師が、それぞれ1名ずつ配属されていました。

ダンス部門

ダンス部門の基本構成は、歌唱部門と似ています。ただし上記のとおり、ダンス部門は1805年のオペラ座で最も大所帯の部門でした。その中心的なメンバーは、全部で86名のダンサーたち。1805年の規則集では、ソリスト級ダンサーが26名、フィギュラン(コール・ド・バレエ)が男女それぞれ30名ずつ、と記されています。現在の新国立劇場バレエ団のダンサー数が90名(シーズン契約ダンサーおよび登録ダンサーの数)ですので、それとほぼ同じ、とするとイメージしやすいでしょうか。

また、歌唱部門と異なるのは、部門のトップであるメートル・ド・バレエについて、首席と次席の2名がいたこと、ダンス部門専属の管理官がいたこと、ダンサーの稽古のための教師(レペティトゥールRépétiteurs)が3名いたこと、が挙げられます。付属バレエ学校にも、メートル2人と稽古教師2人、呼び出し係が1人いました。1805年当時、バレエ団のメートル・ド・バレエを務めていたのはピエール・ガルデル(1758-1840)。人気のダンサーには、ガルデルの妻マリー・ミエ(マリー・ガルデル)、極めて優れた技巧の持ち主だったオーギュスト・ヴェストリス(1760-1842)などがいました。

ピエール・ガルデル

オーギュスト・ヴェストリス

オーケストラ部門

1669年に「オペラのアカデミー」が創設されたとき、オーケストラにはたった13人の楽器奏者しかいませんでした。それから130年あまりが過ぎた1805年に、オペラ座オーケストラに所属していた団員数はなんと74名。もちろん、その全員が一度にピットに入っていたわけではないですが、管楽器奏者の人数が充実していること(フルート3、オーボエ4、クラリネット3、バソン3、ホルン5、トランペット2、トロンボーン3)と、ハープ奏者が2名も所属する点は、とくに目を引きます。また、指揮者2名のほか、楽譜の管理・製作を担当するライブラリアンがいるのも、オーケストラ部門の特徴でしょう。

ちなみに、この時代のオーケストラ奏者は全員男性でした。19世紀に女性がプロのオーケストラ奏者として公の場で演奏することはなく、オペラ座オーケストラに初めて女性奏者が入団したのは、1909年になってからだったのです(若干16歳で入団した、天才ハープ奏者のリリー・ラスキーヌです)。

衣裳部門

衣裳部門には、デザイナーや衣裳の製作を担当する仕立て職人さんはもちろん、現在で言うところのヘアメイクさんCoëffuriers、かつらの担当さんPerruquières、衣裳の着付け係Habilleurs / Habilleusesなどが所属しています。仕立ての職人さんは、男性服担当27人(タイユールTailleurs)と女性服担当6人(クチュリエールCouturières)に分かれていました。タイユールの数がやたらと多いのは、ここに楽屋係や衣裳管理庫の責任者などを含むためですが、タイユールが常勤10名+1年契約17名だったのに対し、クチュリエールには常勤職がおらず、6名はみな1年契約でした(*)。また、出演者に衣裳を着せる着付け係にも男性と女性がおり、彼らは公演ごとに雇われる形態でした。

*上述の通りダンサーの数は男女同じくらいなのに、男性服担当(タイユール)と女性服担当(クチュリエール)の人数や雇用条件はなぜこれほど違っていたのでしょうか。その正確な理由はわかりませんが、当時は普通服の仕立て職人業界でも、男性服仕立て人のほうが多かったそうです。そして男性は男性服仕立て人、女性は女性服仕立て人にしかなれませんでした。当時のフランスは父権社会。女性の社会的地位が低かったことも、こうした人数や雇用条件に関係しているのかもしれません。

装置アトリエ

舞台装置関係の部門に所属するのは10名、と少人数に見えますが、実際にはもっと多くの人々が働いていたと思われます。というのも、この部門には舞台背景や装飾を担当する人々が所属しているのですが、装飾担当の人数は記載されていません。また、背景画を製作する画家の補助をするお弟子さんたちについて、わざわざ「給与を支払われる者」の記述があり、ということはつまり無給のお弟子さんもいた可能性もあります。

この部門の特徴は、舞台背景の画家さんたちが専門化されていることでしょう。建物を描く担当、雲や幕の担当、風景画の担当、などがおり、おそらくはそれぞれの得意な分野に分かれて活動していたと考えられます。

劇場と舞台の部門、建物管理部門

こちらの部門は、劇場の中でも舞台周辺に関わるものごとを担当しています。現在でいうと、「舞台課」や「技術部」と呼ばれるところにあたるでしょうか。

トップとして部門を取り仕切るのは、大道具や舞台機構の操作を行う「機械操作担当のリーダーMachiniste en chef」。その下に、一般の機械担当たちや、照明(当時はろうそくでした)の点灯係、ゆか磨き職人、掃除人、シンバル奏者(!?)、太鼓奏者(!!??)などがいます。

興味深いのは、この舞台部門に「外科医Chirugien」が所属していることです。19世紀後半になると、オペラ座には医務部門が設置されたことが確認できるのですが、外科医の所属はそのはしりだったのかもしれません。いっぽう、建物管理部門には、守衛さんと門番さんが2人ずつ配属されていました。

ホール部門

舞台を専門に担当する部門があるのと同様、オペラ座には観客のための空間であるホール内を専門に担当する部門もあります。現在の劇場で、観客の私たちを案内してくださる「レセプショニスト」は、その時々で座席案内、チケットのもぎり、荷物の預かりなど、多様なお仕事をこなしていますが、19世紀初頭のオペラ座では、各人が担当する仕事内容はそれぞれ固定していたようです。例えば、チケット売り場担当、ドア口でのチケット確認担当、劇場1階平土間席である「パーテール」への案内担当……などです。

また、それぞれのボックス席には「鍵開け係Ouvreuse」と呼ばれる専属の担当者がついていました。鍵開け係は上級顧客の定期会員、つまり「アボネAbonnés」に接する仕事ですので、常に清潔な服装をすることが求められていました。勤務中は同僚とも会話をしてはいけないなど、鍵開け係が守るべき規則はとても厳しかったのですが、志願者も多い人気の職種だったようです。

たくさんの人がいて、舞台が成り立つ

オペラ座に関わる人員数は、その後、時が進むにつれてどんどん増えていきます。社会学者のフレデリック・パチュロによると、19世紀末以降のパリ・オペラ座は「常に1100〜1200人ほどを雇用する超巨大企業」になったのだとか。2つの劇場をもつ現在のパリ・オペラ座も、一つひとつ確認する気が失せるほどの数の人々が、日々のステージをさまざまな面から支えています。

……と書いていて、ふと思い出したことがあります。それは、昨年(2021年)10月にテレビで放送された、第49回ローザンヌ国際バレエコンクール決選の番組の終わりに、解説を担当された山本康介さんがおっしゃった言葉です。

「今は人と人との接触が難しい時期ですので、どうしても個人個人で頑張る、っていうような毎日にちょっとなっているとは思うんですけれども、バレエって本来は絶対、一人ではできないものなんです。
必ず、教えてくれる先生がいて、振付けてくれる人たちがいて、舞台を作ってくれる人たちがいて、本来ならばオーケストラの方がいて、衣裳を作ってくれる人たちがいて、自分一人で踊るわけでもなく、パートナーがいて、一緒に踊る同僚がいて、初めてバレエの公演って成立することなので」

山本さんのお話は、これからプロを目指す10代のダンサーたちに向けられたものでしたが、観客の私たちも、とくにこの2年間は、「公演の開催には、さまざまな人が必要になる」ということをあらためて感じる機会が多かったのではないでしょうか。その舞台を支える誰か一人でも欠けると、無事に成立させることがとたんに難しくなってしまう昨今の舞台。でもそれは、19世紀初頭のオペラ座でも、あるいはそのずっと昔から、すべての舞台芸術・音楽芸術の現場に言えることなのです。

★次回は2022年4月5日(火)更新予定です

参考資料

Archives Nationales. AN/13/1186, Règlement pour l’Académie impériale de Musique, du 1er Vendémiaire an 14, (23 Sept. 1805).

Patureau, Frédérique. 1991. Le Palais Garnier dans la société parisienne 1875-1914. Liège, Pierre Mardaga.

Terrier, Agnès. 2000. Le Billet d’Opéra petit guide. Paris, Edition Flammarion / Opéra national de Paris.

—–. 2003. L’Orchestre de l’Opéra de Paris de 1669 à nos jours. Paris, Éditions de la Martinière.

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

1984年生まれ。桐朋学園大学卒業、慶應義塾大学大学院を経て、パリ第4大学博士課程修了(音楽および音楽学博士)。2012年度フランス政府給費生。専門は西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)。現在、20世紀のフランス音楽と、パリ・オペラ座のバレエの稽古伴奏者の歴史研究を行っている。

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