パリ・オペラ座――それは世界最古にして最高峰のバレエの殿堂。バレエを愛する私たちの聖地!
1661年に太陽王ルイ14世が創立した王立舞踊アカデミーを起源とし、360年の歴史を誇るオペラ座は、いわばバレエの歴史そのものと言えます。
「オペラ座のことなら、バレエのことなら、なんでも知りたい!」
そんなあなたのために、マニアックすぎる連載を始めます。
- 「太陽王ルイ14世の時代のオペラ座には、どんな仕事があったの?」
- 「ロマンティック・バレエで盛り上がっていた時代の、ダンサーや裏方スタッフたちのお給料は?」
- 「パリ・オペラ座バレエの舞台を初めて観た日本人は誰?」 etc…
……あまりにもマニアックな知識を授けてくださるのは、西洋音楽史(特に19〜20世紀のフランス音楽)がご専門の若き研究者、永井玉藻(ながい・たまも)さん。
ディープだからこそおもしろい、オペラ座&バレエの歴史の旅。みなさま、ぜひご一緒に!
イラスト:丸山裕子
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バレエ団の華はなんといってもダンサー。舞台上でのベストパフォーマンスのために、日々、鍛錬を重ねるアーティストの姿には、心を洗われる美しさがありますね。いっぽう、バレエ団の「代表」として、カンパニーの方向性を定め、舵取りを行うのが芸術監督です。現在、パリ・オペラ座バレエの芸術監督(Directrice)を務めているのは、オーレリ・デュポン。2015年まで同団のエトワールとして人気を博した彼女は、よりすぐりのダンサーたちに勝るとも劣らぬ華やかな存在感とともに、同バレエ団を芸術面・管理面において力強く牽引しています。
しかし、オペラ座にこの「芸術監督」という職が置かれたのは、じつはたった50年前のことなのです。では、それ以前のバレエ団を率いる立場にあったのは、どのような役職だったのでしょうか? 今回は、ルイ14世が亡くなる直前の1714年に発行されたオペラ座の規則集を参照しながら、18世紀のパリ・オペラ座に所属するアーティスト以外の人々のうち、超重要役職の一つだった「メートル・ド・バレエ Maître de ballet」についてご紹介します。
「メートル・ド・バレエ」とは?
今回取り上げる「メートル・ド・バレエ」という役職、日本では、英語の「バレエ・マスター」「バレエ・ミストレス」という語のほうが、より親しまれているかと思います。その主な仕事内容は、ごく大雑把に言うと、バレエ団や公演の技術的水準に対する責任者として、クラスレッスンや公演リハーサルでダンサーの指導を行うこと。今日のパリ・オペラ座では、元ダンサーのファブリス・ブルジョワ、リオネル・ドラノエ、サブリナ・マレムらが、メートル/メトレス・ド・バレエとして、公演リハーサルでの指導を担当しています(オペラ座の場合、クラスレッスンの指導者はprofesseurs de balletと呼ばれ、仕事内容も区別されています)。しかし、18世紀のオペラ座における「メートル・ド・バレエ」の役割は、現在のものとはちょっと違いがありました。
この役職の仕事内容がオペラ座の規則集などの書類に初めて記されたのは、1714年のこと。本連載の第3回でご紹介したように、当時、グダグダ経営のオペラ座に喝を入れるため、ルイ14世は1713年にオペラ座の運営に関する初の規則集を作りました。王はさらに、翌年の1714年、追加の補足規則集として、「公演に関する内規および対外的規則についての王令 Ordonnance du roi concernant la police intérieure et extérieure du spectacle」を発令します。ここで明文化されたのが、アーティストの各部門の責任者の役割。すなわち、公演でオーケストラの指揮を担当し、主としてオーケストラ奏者の管理に責任を持つ「バトゥール・ド・ムズュール batteur de mesure」、ソリストの歌手と合唱の指導を担当する「メートル・ド・ミュジック maître de musique」、そして「メートル・ド・バレエ」の役割です。では、18世紀初頭のメートル・ド・バレエは、どのような仕事をこなしていたのでしょうか?
振付けて踊って練習させて! 多忙な中間管理職
当時、王立音楽アカデミー全体の頂点に立ち、日々の興行の全責任を負っていたのは、監督(Directeur)でした。この役職は、現在でいうところのオペラ座総裁(2021年現在はアレクサンダー・ネーフが務めていますね)。そしてこの監督の下には実務をこなす監督官(Inspecteur)がおり、さらにその下に、舞台装置や衣裳制作などの、いわゆる「裏方」の各部門と、オペラ座で上演する公演を構成する3要素、つまり歌・バレエ・音楽の部門がありました。
さて、1714年の規則集の第29条によると、18世紀のオペラ座におけるメートル・ド・バレエの位置づけは、「公演を構成する要素のうち、ダンスに関わるものごとの総責任者」。つまり、劇場の中間管理職の一つであり、バレエ部門のボスを務めるのがメートル・ド・バレエだったのです。この役職には、上演されるオペラにダンスやバレエのシーンを配置し、それぞれのダンサーにふさわしい踊りを割り当てること、そしてどのように踊るか自分自身でダンサーたちに示しながら、彼らに練習させることが求められました。すなわちメートル・ド・バレエとは、自分自身がダンサーであり、かつ振付家でもあったのですね。規則集には記載されていませんが、新作オペラのバレエ部分の振付を構成するのは、当時のメートル・ド・バレエの重要な仕事でした。
なお、メートル・ド・バレエには、「メートル・ド・サル Maître de salle」という補佐役がいて、彼らに日々の稽古指導を手伝ってもらうことができました。メートル・ド・サルは、週のうち最低3回、朝9時には練習場にやってきて、ダンサーや振付が必要な歌手に稽古をつけることになっていました。ちなみに、当時のオペラ座に所属するアーティストが練習に遅刻した場合、「1回目は6リーヴル(おおよそ6000円)の罰金、2回目は1ヶ月の登録抹消、3回目は解雇」(第30条)とのこと。早起きの習慣がつきそうです。
また、稽古だけでなくすべての本番に出席し、構成どおりにダンサーたちを踊らせ、彼らを監督するのも、もちろんメートル・ド・バレエの役割です。1714年当時、オペラ座での公演は、夕方の5時15分に始まるきまりになっており、そのために、作品冒頭から出演する歌手、ダンサー、オーケストラ奏者は、「5時きっかり、鐘の音の直後」には劇場に集合していなければいけませんでした(第33条)。1704年の記録によると、その当時のオペラ座バレエは今とは比べ物にならないほど小規模で、男女合わせて22名のダンサーしか所属していませんでしたが、メートル・ド・バレエは彼らのまとめ役にもならないといけないわけで、常にドタバタの大忙しだったことでしょう。
ペクール、そしてその後のメートル・ド・バレエ
そんな役職を1714年に務めていたのは、「彼の時代では最も軽やかなダンサー」と言われた、ルイ・ペクール(1653–1729)です。他のメートル・ド・バレエの場合と同じく、彼も元々はダンサーで、ルイ14世のバレエ教師だったピエール・ボーシャンに師事していました。ペクールがオペラ座にデビューしたのは1674年のことと考えられており、非常にエレガントで才能豊かなダンサーとして、すぐに頭角を表します。同時代の著名なダンス教師の一人だったピエール・ラモー(1674–1748)も、ペクールについては「どのような種類の役柄も、優雅さ、正確さ、軽やかさ」に満ちた踊りを見せた、と評価しています。師のボーシャンがオペラ座の初代メートル・ド・バレエを引退すると、ペクールはその職を引き継ぎ、亡くなる1729年まで仕事をしました。
1714年当時のパリ・オペラ座でメートル・ド・バレエを務めていたルイ・ペクール(図版所蔵:フランス国立図書館 Source gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France)
その後のオペラ座でも、メートル・ド・バレエの職は途切れることなく受け継がれていきました。仕事の内容は時代によって多少の差があるのですが、とくに19世紀のパリ・オペラ座においては、ジャン・コラリ、アルチュール・サン=レオン、ジョゼフ・マジリエ、リュシアン・プティパ、といった名メートル・ド・バレエが続々と現れ、重要なレパートリーを提供し、オペラ座の公演の質を支えました。そして1971年、オペラ座バレエ団に「舞踊監督 directeur de la danse」のポストが作られたことによって、メートル・ド・バレエはバレエ団の事務的な管理責任関係の仕事から外れ、公演リハーサルの指導に集中することになり、現在に至ります。
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「オペラ座」というと、喝采を浴びるアーティストや華麗な劇場の建物が注目され、公演活動を支えるために仕事をしている多くの人がいることは、忘れられがちです。過去のオペラ座について語る際にはなおさらで、実際、18世紀のオペラ座に関わっていただろう、たくさんの人々は、ごく一部の有名人を除いて、今日では歴史の影に消えました。しかし、観客が見る「完成されたもの」の裏側には、たくさんの人々の日々の仕事が積み重なっています。こうした様々なプロの仕事の結晶である点にも、「総合芸術」たるバレエの美しさの源がある、と言えるのではないでしょうか。
★次回は2021年12月5日(日)更新予定です
参考資料
Auclair, Mathias et Ghristi, Christophe (dir.) 2013. Le Ballet de l’Opéra, Trois siècles de suprématie depuis Louis XIV. Paris, Albin Michel.
La Gorge, Jérôme de. 1979. « L’Académie Royale de Musique en 1704, d’après des documents inédits conservés dans les archives notariales » dans Revue de Musicologie, T.65, No.2. Paris, Société Française de Musicologie, 160-191.
Lemaigre-Gaffier, Pauline et Serre, Solveig. 2019. ”L’Académie royale de musique sous l’Ancien Régime”. Vincent Giroud, Solveig Serre. La règlementation de l’Opéra de Paris (1669-2019): édition critique des principaux textes normatifs. Paris, École nationale des chartes, pp.19-87.
Lecomte, Nathalie. 2003. « Pecour [Pecourt, Pecoul], Guillaume Louis ». Dictionnaire de la musique en France au XIXe siècle. dir. par Joël-Marie Fauquet. Paris, Fayard : 544.