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ステージ交差点〜ようこそ、多彩なる舞台の世界へ〈第18回〉「人形」

高橋 彩子

ダンス、バレエ、オペラ、演劇、文楽、歌舞伎、ミュージカル……〈舞台芸術〉のあらゆるジャンルを縦横無尽に鑑賞し、独自の切り口で世界を見わたす舞踊・演劇ライターの高橋彩子さん。

「いろんなジャンルを横断的に観ると、舞台はもっとおもしろい!」ーー毎回ひとつのキーワード(テーマ)をピックアップして、それぞれの舞台芸術の特徴やおもしろさ、共通するところや異なるところに光を当てていただきます。

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人形

子どもの頃、飾られていた雛人形や五月人形。買ってもらった着せ替え人形やフィギュア。人形を身近に感じながら育った人は多いだろう。子ども用の愛玩品にとどまらず、それは時として大人の鑑賞物であり芸術であり、歴史を紐解けば、祭礼や呪術の重要な道具でもあった。聖書には人間は神に似せて作られたとあるが、人間は自分たちに似せた人形に、多くのものを託してきたのだ。同じように、古くは祭儀であり、そして今は娯楽や芸術である舞台にも、人形は様々な形で登場する。

理想の女性を作るという夢〜バレエ『コッペリア』、オペラ『ホフマン物語』、アニメーション『ホフマニアダ ホフマンの物語』、演劇『ピグマリオン』、ミュージカル『マイ・フェア・レディ』〜

理想を具現化した人形に命を吹き込みたいというのは、古今東西、人間が抱いてきた普遍的な願望。ギリシャ神話のピグマリオンは、自分が彫った理想の女性に恋をするあまり衰弱。見かねた神が彫刻に命を吹き込んで、妻にしてやった。第5回で紹介した『京人形』の人形師も、ピグマリオンの同類だ。

バレエファンにお馴染みの人形師といえば、なんといっても『コッペリア』のコッペリウス。自分の作った人形に生身の男子が夢中になり、しかも彼を使って人形に命が宿るかもしれないとあらば、有頂天にもなるというもの。この『コッペリア』の原作はドイツの作家E.T.A.ホフマンの小説『砂男』なのだが、その『砂男』と『クレスペル顧問官』『大晦日の夜の冒険』の3つの小説をもとに、ホフマン自身の恋物語として構成したのが、オッフェンバック作曲のオペラ『ホフマン物語』だ。

〈『ホフマン物語』あらすじ〉
詩人のホフマンは酒場で恋しい歌姫ステラを待っている。ステラが彼に宛てた手紙は恋敵のリンドルフに奪われたのだが、そうと知らないホフマンは待つ間に周囲にこれまでに経験した失恋話を語り始める。(第1幕)
恋の相手の1人目はオランピア。しかし彼女は実は科学者スパランツァーニと人形師コッペリウスが作った自動人形で、やがてホフマンの眼の前で壊れてしまう。(第2幕)
2人目は顧問官クレスペルの娘アントニア。亡き母譲りの美声の持ち主ながら、歌うと命にかかわるため、歌をあきらめてホフマンと生きようとしている。ところが現れた医師ミラクル博士が母の幻を見せて彼女を歌わせ、絶命に追い込む。(第3幕)
3人目の相手は、娼婦ジュリエッタ。ホフマンは彼女にせがまれるままに自身の鏡像を渡してしまうが、実は船長ダペルトゥットが後ろで糸を引いており、ジュリエッタは彼と共に姿をくらます。(第4幕)
語り終えたホフマンは酔いつぶれる。その前を、リンドルフと連れ立ったステラが通ってゆく……。

未完のままオッフェンバックが逝去したため幾つかバージョンがあり、上演の順番や結末の解釈は様々あるが、通常、リンドルフ、コッペリウス、ミラクル、ダペルトゥットは同じ歌手が演じる。本作のうち第2幕が、『コッペリア』と同じ『砂男』から作られた物語。バレエではスワニルダ役のダンサーがぎくしゃくした人形の動きを再現してみせるが、このオペラではオランピア役の歌手が高音連発の装飾的、超人的な歌声でもって、人形らしさを表現する。

『ホフマン物語』といえばもうひとつ紹介したいのが、ロシアのソユーズムリトフィルムが15年かけて制作したという長編パペットアニメーション『ホフマニアダ ホフマンの物語』。ホフマンの日記や『砂男』『くるみ割り人形とネズミの王様』を含む小説から独自の世界を構成している。細部までこだわり抜かれた、壮麗で幻想的な映像美に圧倒されることだろう。ホフマンおよび彼が貢献した芸術への讃歌にも感じられる内容だけに、バレエチャンネルの読者にはぜひ見てもらいたい作品だ。DVD化の話もありながら進展がないが、時々上映会も開かれるので、ウェブサイトをチェック。

『ホフマニアダ』

さて、ここまでご紹介してきたギリシャ神話のピグマリオンも、京人形も、コッペリアも、作り手はすべて男性で、人形は女性だ。『源氏物語』の若紫の例を待つまでもなく、女性を自分の理想通りに育て上げるという夢は、人間に対しても抱かれ続けてきた。フェミニズムの観点からも大いに問題のあるこの事象を、アメリカの劇作家バーナード・ショーは、その名も『ピグマリオン』というタイトルで風刺たっぷりの喜劇として描いた。

〈『ピグマリオン』あらすじ〉
発音を聞くだけでどこの出身かわかってしまう言語学者のヒギンズ教授は、ひょんなことからスラム街出身の花売り娘のイライザと出会う。ヒギンズはイライザのなまりの酷さや態度の粗暴さに呆れ、そのままでは一生どん底の生活から這い上がれない、自分なら上流階級の婦人のように仕立てられるとからかう。
翌日、イライザがヒギンズを訪問。言葉を教えてくれと頼んできた。ヒギンズと友人のピッカリング大佐は、イライザを家に住み込ませて言葉やマナーを仕込み、社交界にデビューさせ、その出自を誤魔化せるかどうか賭けをすることに。
めきめきと上達し、見事なレディとなったイライザ。ヒギンズは彼女に惹かれていく。果たして、舞踏会での彼女は大成功。しかし、イライザは自分に対してねぎらいの言葉もないヒギンズの態度に怒り、彼の家を出る。
驚いて彼女を捜索したヒギンズとピッカリングは、なんとヒギンズの母の家でイライザを発見。母は息子の態度を叱る。自分のところに戻らなければ元の生活に戻るしかないと言うヒギンズに対し、イライザは学んだ英語を生かして社会で独立して生きると言い返す。ヒギンズはそんなイライザに目を見張り、ますます魅力を感じるが、イライザは彼を一人残して去る。

バーナード・ショーがこだわったこの結末は、ハッピーエンドを求める観客には喜ばれず、作者の死後、本作をもとに作られたミュージカル『マイ・フェア・レディ』では、イライザが最後にヒギンズのもとに戻る結末へと変えられた。それでも、ヒギンズから人形のように扱われていたイライザが対等な人間となり、二人が向き合うプロセスには変わりなく、「踊り明かそう」などの名曲と共に今も愛されており、今月(2021年11月)帝国劇場でも上演される。

多様なる日本の人形劇〜文楽『仮名手本忠臣蔵』、乙女文楽『二人三番叟』『戻り橋』『新口村』ほか〜

さて、人形劇は世界中で行われているが、日本は人形劇大国と言っていいほど、盛ん。380年の歴史を持つ結城座、テレビ「ひょっこりひょうたん島」にも携わった人形劇団ひとみ座、日本初の人形劇専門劇場を持つ人形劇団プーク、多彩なレパートリーの人形劇団クラルテ、人形浄瑠璃発祥の地の淡路人形座……。ここで主要な劇団の名をすべて挙げることはしないが、目覚ましい活動を展開する人形劇団はまだまだある。個人的には昨年、唐十郎の戯曲天野天街演出で上演する​という一糸座の公演『少女仮面』を楽しみにしていたが、コロナで中止になってしまった。密な空間での上演が多い人形劇団はいずれもパンデミック下で苦境にあるが、それぞれ独自の魅力がある。機会があれば観に行ってみてほしい。

さて、そんな人形劇の中でも、本連載で何度も紹介している文楽は、歴史的にも芸術的にも最高峰のひとつに位置づけられるだろう。三人で一体の人形を操るからこそ実現できる精緻な動きは比類なく、今では文楽に倣って三人遣いを取り入れる海外の人形劇も少なくない。その文楽で2021年12月、師走の風物詩とも言うべき“忠臣蔵”が上演される。名作『仮名手本忠臣蔵』だ。すべて上演する1日がかりの演目なのだが、今回は、物語の発端に近い「桃井館本蔵松切(もものいやかた ほんぞうまつきり)の段」「下馬先進物(げばさきしんもつ)の段」「殿中刃傷(でんちゅうにんじょう)の段」「塩谷判官切腹(えんやはんがんせっぷく)の段」「城明渡し(しろあけわたし)の段」と、中盤の「道行旅路の嫁入(みちゆきたびじのよめいり)を披露。かいつまんでご紹介しておこう。なお、この作品では、大石内蔵助は大星由良之助、吉良上野介義央は高師直、浅野内匠頭長矩は塩冶判官となっている。

〈『仮名手本忠臣蔵』(抜粋)あらすじ〉
高師直は、塩冶判官の妻・顔世御前を口説いているのを、以前から自分と意見の合わなかった桃井若狭之助にたしなめられたことに腹を立て、若狭之助を散々に侮辱する。正義感が強く一本気な若狭之助は、家老・加古川本蔵に、「明日、城中で師直を斬る」と決意を打ち明ける。本蔵は主君には、松の枝を切って賛同してみせるが、密かに師直の館へ向かう。(桃井館本蔵松切の段)
本蔵は登城しようとする師直に、主人・若狭之助が無事にその日の大事な仕事を勤められるよう力添えをしてほしいと挨拶し、様々な金品を贈る。師直はそれを見て機嫌よく城内に入っていく。(下馬先進物の段)
何も知らない若狭之助は師直を討とうとするが、師直が詫びてきたため、肩透かしを食らう。いっぽう、師直の矛先は、顔世から振られたこともあり、塩冶判官へ向かう。耐えかねた判官が刀を抜いて師直に斬りかかるが、本蔵が後ろから抱きとめたため、判官は師直にとどめを刺すことができずに終わる。(殿中刃傷の段)
殿中での刃傷沙汰はご法度のため、切腹、領地は没収を言い渡された判官。せめて一目、家老の大星由良之助に会いたいと望むが、もはや刻限。やむなく刀を突き立てたところへ、由良之助が駆けつける。無念の意を由良之助に伝えて、判官は落命する。(塩谷判官切腹の段)
そして城明け渡しの日。判官の家臣らは離れ離れとなる。由良之助は討ち入りの覚悟を決める。(城明渡しの段)
判官の死の遠因とも言うべき本蔵は、娘・小浪を由良之助の息子・力弥に嫁がせるはずだった。本蔵の後妻・戸無瀬は力哉を慕う小浪を嫁入りさせるため、二人して、大星一家が暮らす京都の山科へと旅に出る。(道行旅路の嫁入)

城明渡しまでは家と誇りを巡る男性たちの緊迫感あふれるドラマが展開するいっぽう、道行では着飾った乙女とまだ色気のある義母という女性二人の美しい旅が描かれる。討ち入りの場面はないが、『仮名手本忠臣蔵』においてはそこに至るまでの人々のドラマこそが見どころ。文楽屈指の名作を、ぜひ。

『仮名手本忠臣蔵』塩谷判官切腹の段 提供:国立劇場

『仮名手本忠臣蔵』道行旅路の嫁入 提供:国立劇場

さて、文楽の技芸員になれるのは男性だけだが、女性のみで行う、乙女文楽というものもある。こちらの歴史は新しく、大正末期〜昭和初期。少女歌劇のような形で“乙女たち”による劇団が幾つか生まれ、文楽に学びながら公演を行っていたが、戦後は衰退。しかし、乙女文楽誕生の頃から活躍してきた故・桐竹智恵子に、前述の人形劇団ひとみ座の女性座員が45年以上師事し、現在、「ひとみ座乙女文楽」として芸を継承。先ごろ人間国宝になった文楽の桐竹勘十郎にも、かねてより指導を受けている。

乙女文楽『増補大江山酒吞童子 戻り橋の段』

乙女文楽の特徴は、三人遣いの文楽とは異なり、一人が一体の人形を操作すること。こう書くと珍しくないようだが、遣い手の頭と人形の首(かしら)を紐で連結させ、遣い手が左手で人形の左手、右手で人形の右手を持ち、遣い手の膝頭に人形の足を結びつけ、人形遣いの動きがそのまま人形の動きとイコールになるユニークなスタイルを取っており、人形遣いと人形の一体感は抜群。2022年1月には本拠地のある川崎で定期自主公演を行い、三番叟2人が賑やかに寿ぐ『二人三番叟』、源頼光の四天王の一人である渡辺綱が美しい女の姿をした鬼と戦う『増補大江山酒吞童子 戻り橋の段』、心中する男女と親との悲しい別れを描いた『傾城恋飛脚 新口村の段』を上演。演奏は『新口村』のみ生演奏で、連載第10回でご紹介した女流義太夫から、竹本越孝(浄瑠璃)と鶴澤寛也(三味線)を迎える。女性が伝える人形浄瑠璃の世界も、男性とは異なる強さと柔らかみがあってまた良いものだ。

乙女文楽『増補大江山酒吞童子 戻り橋の段』

乙女文楽『二人三番叟』

人間と人形が紡ぐ世界〜劇団四季『ロボット・イン・ザ・ガーデン』、Ongakuza Musical『7dolls』、平常『Hamlet ハムレット』、舞踏公演『もうひとつの眼 / もうひとつの身体』〜

ここからは、人間と人形が同じ舞台で対等に混じり合う舞台のうち、近々観られるものを挙げていこう。

まず、2015年にイギリスの作家デボラ・インストールが発表した同名小説をもとに、昨年、長田育恵台本・作詞、小山ゆうな演出でミュージカル化した劇団四季『ロボット・イン・ザ・ガーデン』。本作の中心的なキャラクターが、パペットとしてのロボット、タングだ。

〈『ロボット・イン・ザ・ガーデン』あらすじ〉
アンドロイドが人間に代わって様々な家事や仕事をこなすようになった近未来のイギリス。ベンは両親を事故で失ってから、獣医になる夢も果たすこと無く無気力に過ごしている。弁護士として多忙を極める妻エイミーとはすれ違いの毎日だ。
そんなある日、夫婦の家の庭先に、タングと名乗るポンコツのロボットが迷い込む。家事をきちんとこなすでもなく、エイミーをサポートするアンドロイドを買うのにも反対するベンがタングに夢中になっているのを見かねたエイミーは離婚をつきつけ、家を出る。
残されたベンはタングの修復と自らの人生の再生を期して、アメリカ、そして日本へと旅するのだが……。

タングは俳優2人によって操作され、その台詞も操作する俳優のうち1人が話すのだが、このタングがじつに愛くるしい。三等身のオンボロボディ、スムースさからはかけ離れたぎこちない動き、瞬きもできるつぶらな目。自らを重ねるかのようにタングを慈しみ、一緒に旅をするうち、ベンがみつけ出すものを、ぜひ劇場で見届けたい。谷桃子バレエ団を経て劇団四季に入団し、現在は演出部に所属する松島勇気の振付にも注目。2021年12月、東京公演が開幕する。

劇団四季『ロボット・イン・ザ・ガーデン』左:田邊真也(ベン) 撮影:阿部章仁

また、音楽座ミュージカルは2021年12月、『7dolls』を上演。ポール・ギャリコの小説『七つの人形の恋物語』を原作に、2008年に初演し、その後、手を加えながら再演を重ねてきた作品だが、今の時代を反映させる形でまた新たに生まれ変わるという。

〈『7dolls』あらすじ〉
戦争で孤児となったケルトの娘マレル・ギュイゼックは田舎からパリに出てきたが「ムーシュ(蠅)」と呼ばれて蔑まれている。働いていた場末のストリップ小屋をクビになったムーシュが川を覗き込んでいると、人形たちが次々に現れる。死のうとしていたことも忘れ、会話に没頭するムーシュ。彼女は人形たちに誘われ、一座に参加することに。こうして、ムーシュに懐く人形たちと、人形の生みの親であり操作しているはずの人形師でありながらムーシュに冷淡でぶっきらぼうなキャプテン・コックらとの、奇妙な旅が始まるーー。

ここでの人形たちはまるで生きているかのように話し、振る舞うという設定なので、ムーシュも彼らが人形であることに気づかない。従って舞台には、随所にパペットが登場するものの、大筋では人形役も俳優が、人間とほぼ変わらない様子で演じる。旅の過程で、ムーシュが、そして人形たちとコックが、どう変わっていくのかに注目したい。

音楽座ミュージカル『7dolls』

もうひとつ、ユニークな形態の人形劇の公演をご紹介しよう。人形劇俳優・演出家の平常(たいら・じょう)が人形操演・脚本・演出・美術を手がけ、チェリストの宮田大が演奏する、平常×宮田大『Hamlet ハムレット』だ。言うまでもなく、シェイクスピアの有名な悲劇作品だ。

〈『ハムレット』あらすじ〉
王が急死し、父の弟クローディアスが母である王妃と結婚してデンマーク王となることを憂う王子ハムレットは、父の亡霊が夜な夜な城壁に現れると聞き、忠実な臣下であり友人であるホレイショーと共に自ら赴き、父の亡霊に会う。亡霊からハムレットが聞いたのは、父の死がクローディアスによる毒殺だという衝撃的な話だった。亡霊から聞いた毒殺の場面を旅芝居の一行に芝居として再現させ、それを見たクローディアスの反応でそれが真実だと確信したハムレットは、狂気を装い、復讐の機会をうかがう。宰相のボローニアス、その娘オフィーリアはその犠牲になる。クローディアスはハムレットの存在に危険を感じ、彼に使節としてイギリスへ行くよう命じ、秘密裏に暗殺しようとするが、ハムレットはこの謀略に気づいて回避し、やがて帰国する。
いっぽう、オフィーリアの兄レアティーズは、父ボローニアスと妹オフィーリアの死の原因はハムレットにあるとして復讐心に燃えていた。クローディアスはそのレアティーズと結託し、レアティーズに毒入りの剣を渡し、ハムレットとの剣術試合で使うよう言い、さらに毒入りの酒も準備。だが、試合中に王妃が毒入りの酒を飲み、ハムレットとレアティーズは二人とも毒剣で傷を負う。死にゆくレアティーズから真相を聞かされたハムレットは、王を刺し、毒酒の残りを飲ませて殺害する。
こうして関係者のほとんどが死ぬ中、ハムレットはホレイショーに、ノルウェー王子フォーティンブラスにすべてを伝え、自分に代わってデンマーク王になってもらうよう言い残して落命する。

一人芝居と人形劇を融合させた独自の表現で様々な題材を上演している平常。劇の冒頭、平常はホレイシショー役として登場し、物語の概要を説明。劇が始まると、平はハムレットの人形を操りながら、みずからはホレイショー役として、人形のハムレットと会話をする。このように、人形、パネル、そして自身の存在のみで、劇は進行。宮田のチェロ演奏がこれを彩る。長い作品だが、見どころをコンパクトにまとめた舞台となっている。ちなみに、クローディアスに見せる劇中劇は、落語仕立て! 一風変わった人形劇『ハムレット』、こちらも2021年12月に上演される。

平常×宮田大『Hamlet ハムレット』 撮影:堀田力丸

そして最後に、「舞踏、人形、撮影、観客」の4要素によって成立する舞踏公演『もうひとつの眼 / もうひとつの身体』をご紹介しよう。この公演は、舞踏家の最上和子が人形作家・井桁裕子制作の球体関節人形と共演し、映像作家の飯田将茂が撮影した映像作品『double(ドゥーブル)』に基づいている。プラネタリウムで見る“ドーム映像”として、2020年に発表された本映像は、最上が神秘的・幻的な自然の情景の中で踊り、あるいは自分を模した人形と向き合う姿を収めたアート作品だ。
今回(2021年11月)の『もうひとつの眼 / もうひとつの身体』は、そのライブ版として自由学園明日館講堂にて有観客でパフォーマンスし、かつ、それを飯田がワンショットで撮影してライブ配信するというもの。観客は単なる鑑賞者ではなく、「撮影を媒介とした踊りの現場への参入(参加ではない)をもって、より踏み込んだ視点で踊りに立ち会う」のだという(オフィシャルサイトより)。人とは、人形とは、踊りとは何かを、私達も問われる企画と言えるだろう。配信を見るにしても、それ相応の心の準備をして臨みたいもの。詳細は、こちらのクラウドファンディングページから。

『もうひとつの眼 / もうひとつの身体』

精巧なミニチュアが好きな人間は、自分に似せて作った人形を身代わりにするのみならず、大事に愛でてきた。しかし、舞台での人形は、時として人以上に大きな存在感、豊かな表現力をもって、私達に迫ってくる。人に似ていながら、人ではないもの。人ではないけれど、人以上に人のようであるもの。舞台表現としての人形の魅力は尽きることを知らず、その可能性は果てしない。

★次回(最終回)は2021年12月1日(水)更新予定です

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舞踊・演劇ライター。早稲田大学大学院文学研究科(演劇学 舞踊)修士課程修了。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材・執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、バレエ雑誌『SWAN MAGAZINE』で「バレエファンに贈る オペラ万華鏡」を連載中。撮影=中村悠希

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