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【第10回】英国バレエ通信 Kidd Pivot(キッド・ピボット)「Revisor(リバイザー)」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

Kidd Pivot(キッド・ピボット)「Revisor(リバイザー)

「作品を作る際には、たとえ観客の目に抽象的に映る作品であったとしても、私の中では、常に何かしらのストーリーを必要としています」——そう語る振付家クリスタル・パイトが最新作『Revisor』(2019年初演)の出発点に選んだのは、1836年に発表されたゴーゴリ作『検察官』(ロシア語で「Revizor」)。腐敗政治のはびこるロシアの小さな町を舞台に、査察に来た高官に間違えられた通りすがりの男が、それを逆手にとって汚れきった役人たちを散々利用するという全5幕の風刺喜劇だ。一般的に、言葉を用いないダンス、とくにコンテンポラリーダンスにおいては複雑なプロットは避けられることも多いが、パイトは3度目となる劇作家ジョナサン・ヤングとのコラボレーションによって、そんな難題にまたひとつ新たなアプローチの仕方を提示してみせた。

「Rivisor」©Michael Slobodian

作品の前半では、家具が置かれた空間に19世紀ロシア風の衣裳に身を包んだダンサーが登場し、一見自然主義演劇のような舞台が展開する。普通の演劇と違うのは、あらかじめ俳優たちが録音したセリフがサウンドトラック代わりに流れる点。それに合わせて表情豊かなダンサーたちがリップシンクしながら、そのリズムやイントネーションに合わせて、誇張されたマイム的な動きや、マリオネットのような不自然さを残しつつも驚くほどスピード感あふれるダイナミックな動きを見せていく。

「Rivisor」©Michael Slobodian

セリフが語るドラマに、身体が操られているかのようにも見えるこの手法は、オリビエ賞を受賞した『Betroffenheit』(2015年初演)や昨年のNDT来日公演で話題になった『The Statement』(2016年初演)でも見られるもの。そして、人違いされた主人公の職業を、ロシア語の原題の綴りにかけて“Revisor”(法律文書の校正者)と設定した点がヤングのオリジナルだ。“Revisor”は、高官に間違えられたことを利用して、市長の妻にちょっかいを出したり酔っ払ったりやりたい放題。そのドタバタぶりに客席は終始笑いに包まれていたが、セリフと動きの両方がここまで精巧に作り込まれた舞台を観るのは、観客にとってもなかなかの重労働。耳はセリフを漏らさず聞き取ろうと集中しながら、同時に目でダンサー同士の身体で交わされるダイナミックな対話を追ってその両者を頭で結びつけるという、知覚を総動員しての刺激的な鑑賞体験となった。

「Rivisor」©Michael Slobodian

しかし中盤で、その喜劇的なムードは予測もつかない方向へ一変する。エラ・ロスチャイルド演じるデスーザ牧師のセリフが、同じところで何度もつっかえるようになると、不穏な電子音楽とともにいつの間にか伝統的な衣裳や家具は姿を消し、ダンサーも観客も、まったくの別世界へと入り込んでいく。不気味に枝分かれしたプロジェクションライトが舞台後方に登場して、特徴のないシンプルな衣裳に着替えたダンサーたちが、前半部のデジャヴュのような場面を展開していくが、それは前半で観た笑劇と同じようでいて同じでない、パラレルワールドのような世界だ。

前半部よりマイム色が弱まり、より流動的でダイナミックなダンスが展開するなか、「左、右へ2歩」、「人物2、振り返って指差し、詳しく説明する」といったダンサーの動きやト書きが機械的なトーンで読み上げられていく。俳優たちが朗読するセリフに身体が操られていたかのように見えた前半部と対照的に、今度はダンサーたちの身体の動きそのものが、言葉を内包し、支配していくのだ。

「Rivisor」©Michael Slobodian

どこかデイヴィッド・リンチ監督の『ツイン・ピークス』を彷彿とさせる、不気味で不条理な世界は、汚職や収賄で汚れきった役人たちの心の奥底にある不安を暴いているかのよう。そして、そんな彼らの不安を象徴するかのような〈モンスター〉が登場して、不穏な空気がクライマックスに達すると、突如、ダンサーたちは再び伝統衣裳をつけて、もとの笑劇の世界へと戻る。しかし、その裏にある闇の世界に触れた観客はもはや、同じように無邪気に笑うことはできない。

「Rivisor」©Michael Slobodian

終演後のポストパフォーマンストークでは、言語に焦点が当てられたマイム的な前半部を〈笑劇〉のパート、身体に焦点が当てられた後半部を〈未知〉あるいは〈脱構築〉のパートと呼んでいたパイトとヤング。前半部のセリフは、リハーサルの始まるかなり前に録音してほとんど変更がきかず、そんな〈固定された〉言語をもとに振付が進んでいったという。

興味深かったのは、パイトが説明してくれた、後半部の振付プロセスだ。「まず、前半の〈笑劇〉における身体の動きのみを、セリフなしで見直したんです。音量オフで演劇を見ているみたいに。そしてその動きそのものを言葉で描写し直して(例:「人物2、振り返って指差し、詳しく説明する」)、そのテキストを、ダンスでより極端な形へと膨らませていきました。例えば、“詳しく説明する”という言語による描写は、身体を使ってどこまで表現できるだろうか、というように。私にとっては、テキストがあることで、どんな振付にすればいいかは明確でした」。

ポストパフォーマンストークに登場したクリスタル・パイト(写真中央)©️Ayako Jitsukawa

舞踊とは言葉によらない芸術である、という一般的な定義をやすやすと超越してみせるパイト。「言語のあるダンスを生み出すプロセスは、あらゆる可能性に満ちた刺激的な体験で、私にとっては、スクリプトがあることが、ある種の安心感や心地よさをもたらしてくれました」、と興奮気味に語る姿が印象的だった。唐突に始まった後半部の〈脱構築〉のパートもまた、ゴーゴリの『検察官』を、パイトの身体言語によって“revise”したひとつの解釈なのだ。

前半部で使用された俳優たちが読み上げるテキストは、身体を操り、時に縛り付けもするが、それをひとたび“revise”して読み直せば、身体を解放することもできるし、身体の中にテキストを閉じ込めることもできる。言語の持つリズムと複雑性が引き出した、身体の新たな可能性に思わず鳥肌が立った。

パイト率いるカンパニーKidd Pivotの8人のダンサーたちは役者ぞろいという言葉が陳腐に聞こえるほど、一人ひとりが強烈な個性と身体、そして表現力を持ち合わせた真のパフォーマーたち。中でも、終盤で“kill the comedy”と繰り返し流れるセリフに合わせて、正気を失ったかのように激しい踊りを見せた郵便局長役のジャメイン・スピベイ、時に暴力性さえ感じさせる切れ味鋭い踊りを見せたクラック取調官役の鳴海令那が目を引いた。

「Rivisor」鳴海令那 ©Michael Slobodian

(2020年3月3日 サドラーズ・ウェルズ劇場)

 

Column
2020年3月16日、新型コロナウィルス感染症の感染拡大を受けて、ロンドンのほとんどすべての劇場もついに閉鎖になった。23日にはいよいよ不要不急の外出が禁じられるロックダウンとなり、英国の住民は少なくとも3週間、自宅から出られない状態となった。食料調達は認められているので久しぶりに外に出ると、筆者の住むエリアも、数週間前の活気が嘘のように、街全体が静まり返っている。

ロイヤル・オペラハウスではスカーレット版『白鳥の湖』(※)が3月5日に初日を迎えたばかりで、今季はフランチェスカ・ヘイワードとセザール・コラレス、そして金子扶生の主演デビューに注目が集まっていたが、残念ながらそれは先送りになりそうだ。また、4月1日には今季のイングリッシュ・ナショナル・バレエの目玉作品であるアクラム・カーン振付『Creature』のプレミアも予定されていたが、サドラーズ・ウェルズ劇場は今後12週間の公演をすべてキャンセル。そんな前代未聞の非常事態に、これからの舞台芸術界の存続のため、チケット代は払い戻しでなく寄付してほしいという呼びかけが広がっている。また、「バレエチャンネル」の記事にもあったように、英国でもタマラ・ロホなどのダンサーがレッスンをSNS発信したり、過去の公演の動画を無料で配信したりと、外出禁止令でストレスフルな時を乗り切るためのオンラインコンテンツも充実してきた。1日1回までエクササイズで外に出ることは認められているので、筆者も庭でバー・レッスンをするのがささやかな楽しみだ。

扉の閉まったロンドン・コロシアム劇場には現在、「只今、短い休憩中です。まもなく開演いたします」という張り紙が貼られているそうだ。第二次世界大戦後に ロイヤル・オペラハウスが『眠れる森の美女』の上演で目を覚ました時、当時の英国の人々はどんな思いでいたのだろうか。長い英国の冬がようやく終わり、人々が心待ちにしていた春の日差しを窓越しに見やりながら、 当時の人々の思いが、ようやく確かな重みをもって胸に迫ってくるのを感じた。

(※)2020年3月23日、ロイヤル・オペラハウスはロイヤル・バレエ学校の生徒に対するセクハラ疑惑で取調中だったリアム・スカーレットと今後一切仕事をしないと発表した。次にロイヤル・バレエの『白鳥の湖』が見られるのはいつになるのだろうか。

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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