バレエを楽しむ バレエとつながる

  • 観る
  • 知る
  • 考える

【第6回】英国バレエ通信 英国ロイヤル・バレエ 「眠れる森の美女」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国ロイヤル・バレエ 「眠れる森の美女」

The Sleeping Beauty. Reece Clarke as Prince Florimund and Fumi Kaneko as Princess Aurora. ©ROH, 2019. Photo by Helen Maybanks.

英国ロイヤル・バレエにとって、『眠れる森の美女』は特別な作品だ。それは、第二次世界大戦中閉鎖していたオペラハウスを、1946年に文字どおり長い眠りから目覚めさせた戦後初の公演であり、これを機にニネット・ド・ヴァロワ率いる私立バレエ団がオペラハウスの専属カンパニーとなったことは、ロシアバレエに負けない、上質な自国のバレエ団が誕生したことの高らかな宣言となった。英国バレエの夜明けを象徴するこの作品は、以来英国のバレエファンに愛され続け、上演回数は今季でなんと900回以上。ロイヤル・バレエの歴史とともにある、まさにそのアイデンティティの一部と言っていい作品と言えるだろう。とくに現在上演されているモニカ・メイソンとクリストファー・ニュートンによる版(※)は、1946年初演のド・ヴァロワ/セルゲイエフ版を復刻したもので、マーゴ・フォンテインが初代オーロラ姫役としてオペラハウスに登場した当時を偲ばせるロココ風の絢爛豪華な衣裳、舞台装置だけでも一見の価値がある。

オリバー・メッセルデザインによる『眠れる森の美女』第2幕オーロラ姫の衣裳(マーゴ・フォンテイン着用) ©Ayako Jitsukawa

1960年代に使用された、『眠れる森の美女』オリバー・メッセルデザインによるFairy of the Enchanted Gardenの衣裳(モニカ・メイソン着用) ©Ayako Jitsukawa

今年5月に行われた今シーズンのプログラム発表記者会見では、「『眠れる森の美女』は新人に挑戦させる場にしたい」と語っていたケヴィン・オヘア芸術監督。個性あふれるソロやパ・ド・ドゥがふんだんに散りばめられたこの作品ほど、世代交代が進んだ現在のロイヤル・バレエの層の厚さを見せつけるのにふさわしい作品はない。中でも、若手ダンサー中心となった11月9日昼公演は、非常に興味深いキャスティングで、オーロラ姫役に抜擢されたのは、ファースト・ソリストの金子扶生。プライベートでのパートナーでもあるファースト・ソリスト、リース・クラークを相手役にしてのロマンティックな主演デビューに、英国メディアの注目も集まった。

The Sleeping Beauty. Fumi Kaneko as Princess Aurora. ©ROH, 2019. Photo by Helen Maybanks.

第1幕、金子は登場するなりその圧倒的な華やかさで舞台を支配した。コール・ド・バレエにいた時からその四肢の長さで目を引いていた金子だが、まるで観客をその魅力の渦にのみこんでいくかのように、長い腕、長い指が空間を大きく使って表情豊かに開かれていくさまは、<プリンシパルの華>とでもいうべき貫禄に満ちたものだった。ローズ・アダージオでは、恥じらいを見せつつもよくコントロールされたバランスで魅せ、終盤には大輪の花が咲き誇ったかような輝きを発揮。そして2幕では、理想的な王子像を体現するような容貌のクラークが、伸びやかなジャンプとしなやかな着地で魅了した。長身の金子は、バレエ団一背の高いクラークと並ぶととにかく舞台映えし、ダーシー・バッセルとジョナサン・コープの引退以来、オペラハウスであまり見る機会のなかった長身同士のダイナミックなデュエットがとても新鮮だった。そして圧巻はやはり3幕の結婚式のパ・ド・ドゥ。ふたりの幸せそうな踊りは 、デビューとは思えない高貴な風格が漂い、客席が大型カップルの誕生に大いに沸いた。

The Sleeping Beauty. Reece Clarke as Prince Florimund and Fumi Kaneko as Princess Aurora. ©ROH, 2019. Photo by Helen Maybank.

この日は、主役以外もほとんどが役デビューとなるフレッシュな顔ぶれで、ファースト・ソリストのマヤラ・マグリは、完璧にコントロールされた回転とスケールな大きな踊りで、慈愛と温かみに溢れるリラの精を好演。とくに、プロローグのコーダ最後のシルクのように滑らかなイタリアン・フェッテが見事だった。フロリナ王女を踊った別の日にオーロラ姫役でデビューするアナ=ローズ・オサリバンは、メリハリの効いたシャープな踊りが小気味良い。滞空時間の長いブリゼ・ボレで魅せたジョセフ・シセンズは、その柔軟な身体と両性具有的な雰囲気が青い鳥によく似合い、おとぎ話の登場人物を見事に体現していた。そして中でも目を引いたのは、歌鳥の妖精のソロに正式入団から2年目で大抜擢された前田紗江。滑らかなアームスと優美な首のラインが美しく、クラシック・チュチュが似合う華やかな存在感、オーロラ姫も似合いそうな気品溢れる踊りがひときわ輝いていた。

いっぽう、ロンドンに住む一日本人としてはぜひ見届けなければ、と足を運んだのが、高田茜/平野亮一主演の11月11日夜公演。残念ながら当日の午後に平野の負傷による降板が発表され、フロリモンド王子役はアレクサンダー・キャンベルが急遽代役で踊ることになった。1幕に登場した高田は端正な踊りで魅了し、ローズ・アダージオでも一つひとつ丁寧なバランスを披露。金子を太陽のような輝きと力強い有機的なエネルギーに例えるなら、高田の月のように艶やかな煌めきと、ポーズとポーズの間のどの一瞬を切り取っても美しい繊細な造形は、これから花開いていくであろう16歳の王女の内面を表現しているようでもあった。

ところが、この日は平野の降板だけにとどまらないドラマが待っていた。休憩時間が終わって観客が着席しても、一向に2幕が始まらない。再びオヘア芸術監督が舞台に登場し、1幕を見事踊りきった高田が、出演中に負傷し2幕以降継続できないこと、そして代役のダンサーが現在劇場に向かっている途中であることを告げた。いつ舞台が再開するかわからないということもあって、この時点で劇場を後にした人もかなりの数いたが、ようやく2幕開始のベルが鳴り、代役はヤスミン・ナグディで、2幕の王子が城に着くシーンから再開することが発表された。

幕が上がってもさらにサプライズがあり、舞台後方のベッドで眠っていたのは、ナグディではなくなんと前田紗江。王子がオーロラ姫にキスをして、2幕は正味5分ほどで幕となったが、先日前田の妖精のソロを見て「オーロラが似合いそう」と思った数日後にオーロラ姫として100年の眠りから目覚める前田を見たので、なんだか夢を見ているような心地がした。

3幕に登場したナグディは、風格漂う自信に満ち満ちた姫。波乱万丈の舞台でダンサーたちも集中力をそがれたのか、珍しく踊りに乱れが見える部分が多々あったが、ナグディは完璧な技術と落ち着きで舞台を引き締めた。キャンベルも、今回初めての相手と思えないパートナリングで、フィッシュダイヴをタイミングよく決めて見せ、プロ根性を発揮。終演したのは23時近くとなり、ドラマに次ぐドラマで観客も手に汗握る鑑賞だったが、カーテンコールでは、演じきったダンサーをねぎらうような温かな拍手に満ちていた。

この日のような事態には以前にも何度か経験したことがあるが、芸術監督が一晩に3度も舞台に登場する公演に居合わせたのはさすがに今回が初めて。世界のバレエ団の中でも特に公演数の多いロイヤル・バレエでは、自己管理を徹底することが求められ、高田も以前インタビューで、リハーサルでの力配分と、怪我に負けない強い身体づくりの大切さを力説してくれたが、そんな人一倍コントロールに厳しい彼女でさえ、このようなことがあるのは本当にシビアな世界だと改めて感じざるをえない。そして、今回のように主演ふたりが降板するような事態になっても、公演をなんとか最後まで終わらせようとしたバレエ団のチームワークそのものに、世界の第一線を行くロイヤル・バレエの意地と誇りを感じずにはいられなかった。

マーゴ・フォンテインの時代から、英国で愛され続けてきた『眠れる森の美女』。今回対照的なふたつの公演を観て、900回以上上演されてきたその長い歴史の中で(記録には残らなくとも)起こったであろう様々なドラマや、その舞台裏に関わるたくさんの人の努力に想いを馳せずにはいられず、だからこそ書き留めておきたいと思ったのだった。

The Sleeping Beauty. Reece Clarke as Prince Florimund and Fumi Kaneko as Princess Aurora. ©ROH, 2019. Photo by Helen Maybank.

※ロイヤル・バレエでは、オリバー・ヴェッセルがデザインしたニネット・ド・ヴァロワ/ニコラス・セルゲイエフ版(1946年)ののち、ゴシック風デザインを採用したピーター・ライト版(1968年、 現在はバーミンガム・ロイヤル・バレエ団のレパートリー)、ケネス・マクミラン版(1973年、現在イングリッシュ・ナショナル・バレエのレパートリー)、デヴィッド・ウォーカーによるデザインを採用したニネット・ド・ヴァロワ版(1977年)、アンソニー・ダウエル版(1994年)、マリインスキー・バレエのバージョンに近いナタリア・マカロワ版(2003年)など、たくさんの版の『眠れる森の美女』を上演してきたが、2005/06年シーズンにバレエ団の創立75年を記念して、当時の芸術監督モニカ・メイソンとクリストファー・ニュートンがド・ヴァロワ/ニコラス・セルゲイエフ版に基づきオリバー・ヴェッセルによるオリジナルデザインを復刻した。

1960年代に使用された、『眠れる森の美女』のオリバー・メッセルデザインによるFairy of the Woodland Gladesの衣裳 ©Ayako Jitsukawa

Column
11月に入って、一気にクリスマスらしいムードになったコヴェントガーデン。 個性あふれるクリスマスツリーが並ぶ中、ひときわ目立っているのが、ロイヤル・オペラハウスのツリーだ。ポアントシューズが飾られ、前で写真撮影をする人が後を絶えない。

ロイヤルオペラハウスによるクリスマスツリー ©Ayako Jitsukawa

今年はさらに、このところグッズ販売に力を入れているロイヤル・オペラハウスが、クリスマスイブまでの期間限定ポップアップストアをジェームズ・ ストリートに初出店。バレエ作品をテーマにしたツリーデコレーションや、 くるみ割り人形のジンジャーブレッドクッキー、Cambridge Satchel Company社とのコラボバッグ、子供用のチュチュ風スカート、ロイヤル・バレエのオリジナルクロージングラインなど、クリスマスプレゼントに喜ばれそうなアイテムを豊富に揃えている。私もついつい、過去のポスターをモチーフにしたオリジナルトートバッグを購入してしまった。

ロイヤルオペラハウスのクリスマス限定ポップアップショップ ©Ayako Jitsukawa

コヴェントガーデンを模したジンジャーブレッドクッキー ©Ayako Jitsukawa

 

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

もっとみる

NEWS

NEWS

最新記事一覧へ