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【第8回】英国バレエ通信 英国ロイヤル・バレエ 「オネーギン」

實川 絢子

鑑賞ファンにも、バレエ留学を志す若いダンサーたちにも、圧倒的に人気のある国ーー英国。
現地で話題の公演や、街の人々の”バレエ事情”などについて、ロンドン在住の舞踊ライター・實川絢子さんに月1回レポートしていただきます。

英国ロイヤル・バレエ 「オネーギン」

インタビューで若手男性ダンサーに「いつか踊りたい役は?」と質問すると、かなりの確率で『オネーギン』という答えが返ってくる。オネーギンといえば、オペラ版の『エフゲニー・オネーギン』の作曲をしたチャイコフスキーでさえ、タチヤーナには共感しても、心ない気取り屋のオネーギンには強い憤りを感じると言ったほど、なかなか共感しにくいアンチヒーロー。しかし、ジョン・クランコ振付の『オネーギン』(1965年初演、現在の版は1967年の改訂版)は、演じるダンサーによってさまざまな解釈の余地を与える独創的な振付と演出で、登場人物の内部に渦巻く複雑な感情や人間としての成長・変化の過程を巧みに描き出し、原作やオペラ版とはまた違う、独自の物語を紡ぎ出してくれる。

A scene from Onegin by The Royal Ballet @ ROH. Choreography by John Cranko. Conducted by Valery Ovsyanikov ©Tristram Kenton

2020年1月21日、そんな数多くのダンサーの憧れの役で、円熟期を迎えますますの充実をみせる英国ロイヤル・バレエのプリンシパル、平野亮一が満を持しての主役デビューを果たした。平野は1幕の登場から、カリスマ性に満ちた歩き方で、田舎の素朴な人々とは明らかに異質な存在であることを物語ってみせた。タイトルロールデビューのプレッシャーや硬さなどは微塵も感じさせない自信に満ち満ちた振る舞いは、まさにオネーギンが平野の身体に憑依したかのよう。1幕の最大の見せ場であり、クランコの独創的な振付のセンスが冴え渡る〈鏡のパ・ド・ドゥ〉では、定評あるサポート技術の巧みさが際立ち、タチヤーナの初恋の高揚が表現されるダイナミックなリフトを紳士的にこなして、彼女の理想的な恋人像を体現してみせた。2幕、受け取った恋文を書いた当人のタチヤーナに丁寧に返そうとし、最終的に破り捨てる場面では、恋愛にうつつを抜かすことの愚かしさを教えてやろうとでもいうような厭世的な価値観と、タチヤーナに苛立つ彼自身の若さゆえの性急さが伝わって来る、絶妙な演技だった。

A scene from Onegin by The Royal Ballet @ ROH. Choreography by John Cranko. Conducted by Valery Ovsyanikov ©Tristram Kenton

オネーギン役の難しさのひとつは、そんな自信に満ちていたはずのオネーギンが、親友レンスキーを決闘で射ち殺した後、良心の呵責に苛まれて一気に老け込み、再会したタチヤーナに体裁も気にせず愛を乞うまでになるその劇的な変貌に、いかに説得力を持たせられるかということにあるだろう。平野といえば、2014年に観たリアム・スカーレット振付の『ヘンゼルとグレーテル』における小児性愛者的な魔女役でみせた、グロテスクで歪んだ演技が衝撃的すぎて忘れられないのだが、彼はこうしたいびつな人間を演じると、エドワード・ワトソンにも引けを取らないほどの迫力で、観客をぐいぐいと物語の中に引っ張り込む力がある。アンチヒーローの多面的な心情をありありと描き出してみせた平野のオネーギンには、真の人間味を感じさせる凄みがあった。

Onegin. Marianela Nuñez as Tatiana and Ryoichi Hirano as Prince Gremin in Onegin.©ROH Bill Cooper, 2013 ※この写真は2013年上演時のもの。マリアネラ・ヌニェス(タチヤーナ)、平野亮一(グレーミン公爵)

この日タチヤーナを踊ったのは、マリアネラ・ヌニェス。『オネーギン』は元夫であるティアゴ・ソアレスとの共演で高い評価を得た作品だ。前回2015年に同役を踊った際は、じつはソアレスとの離婚の話し合いの真っ只中だったという最近のインタビュー記事を読んで、彼女のプロフェッショナル精神にただただ感じ入ったのだが、今回の舞台でも、そんな彼女の卓越した技術と深みの増した演技が崇高な芸術へと昇華する瞬間の連続を目撃することができた。中でも2幕のソロの完成度の高さは特筆すべきもので、軽率に拙い恋文を出したことへの後悔、手紙を破られたことに対する恥と怒り、それでもなおどうしようもなくオネーギンに惹かれる恋心、といったタチヤーナの中で渦巻くあらゆる感情が、完璧なまでにコントロールされたステップとなって立ち現れるさまは、これぞドラマティック・バレエの真骨頂と思わせてくれるものだった。そんな円熟期のプリンシパル同士による3幕の〈手紙のパ・ド・ドゥ〉は、彼らだからこそ表現しうる、〈決して手に入らない真実の愛への絶望〉に、涙せずにはいられない場面。終幕、今ある幸せを守るために、今なお愛するオネーギンを拒絶したタチヤーナの、声にならない心の叫びが劇場中にこだましたようだった。カーテンコールでは、ヌニェスが放心したように涙を流しており、ドラマティックな舞台の余韻がいつまでも続いた。

タチヤーナの妹オリガを演じた高田茜は、自由闊達な雰囲気の裏に女性の持つしたたかさも感じさせる巧みな役作りで、タチヤーナの鏡のような存在を好演。とくに、1幕でのレンスキーとの相思相愛の喜びをそのまま表現したかのような高いア・ラ・スゴンドのラインの美しさが、いつまでも脳裏に焼き付いて離れなかった。レンスキー役のニコル・エドモンズは、ロマンティックな容貌が役にぴったりで情熱的な演技を見せたが、この日は2幕のソロでピルエットの軸足が安定しておらず、ステップの難度を忘れさせるほどの高い水準の踊りを見せた他の主役3人に比べると、残念ながら実力が十分に発揮できていないようだった。

この日渾身のタチヤーナ役を踊ったヌニェスは、一期一会の奇跡的な芸術とはこういうことかと思わせる名演を見せ、筆者がこれまでに観たドラマティック・バレエの中で、最も心揺さぶられた舞台のひとつとなった。そしてそんな芸術の高みに到達したヌニェスの横で、まったく引けを取らない名演をみせた平野と高田の活躍には、どうしても同じ日本人として興奮を覚えざるをえないのだが、〈英国的〉なドラマティック・バレエの難役を自分のものとして踊れるふたりはすでに、日本が誇るプリンシパルというだけではなく、英国ロイヤルが誇るプリンシパルになったのだなと実感した一夜だった。

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東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。2009年より舞踊ライターとしての活動を始め、シルヴィ・ギエム、タマラ・ロホ、ジョン・ノイマイヤーをはじめとするダンサーや振付家のインタビューを数多く手がけるほか、公演プログラムやウェブ媒体、本、雑誌などにバレエ関連の記事を執筆、大学シンポジウムにて研究発表も行う。長年会社員としてマーケティング職に従事したのち、現在は一児の母として育児にも奮闘している。

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