ウィーン国立バレエ専属ピアニスト滝澤志野の新譜レッスンCD「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」(ディア・ショパン〜ミュージック・フォー・バレエ・クラス)が、2022年12月9日より全国のバレエショップ、CD取扱店にて発売になりました!
発売を記念して、本CDのライナーノーツに掲載されている読売新聞編集委員・祐成秀樹(すけなりひでき)さんによる解説文(*)を特別公開します。
同紙でも舞踊関連の取材記事を数多く執筆し、バレエファンにはおなじみの名物記者(!)である祐成さんは、“ウィーンのバレエピアニスト”になる前の志野さんをよく知る人のひとり。
祐成さんならではの「滝澤志野」論と、その音色の特徴と魅力ーーどうぞお楽しみください。
*CD「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」添付ブックレットにご寄稿いただいたものを転載しています
滝澤志野の夜明け前と現在地
文/祐成秀樹(読売新聞編集委員)
「志野のピアノで踊れることは僕らの毎日の幸せです」。これは滝澤志野さんの2作目のアルバム「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス2」に対して、彼女の才能を見いだした当時のウィーン国立バレエ芸術監督マニュエル・ルグリさんが寄せた言葉です。実は私、リスナーとして似た感想を持っています。「滝澤さんのピアノを聞けることは僕の毎日の幸せです」という。
コロナ禍により在宅勤務が増えた頃から、原稿を書く際に滝澤さんのCDを流すことが増えました。理由は、執筆がはかどるからです。もともとバレエのウォームアップ用に小気味良く編曲された曲ですから、いいテンポでパソコンがたたけます。そして、時折、「おやっ」と耳を傾けずにはいられなくなる瞬間がある。聞き慣れているはずの傑作バレエに使われた名曲が、違う聞こえ方をするのです。例えば、2作目の2曲目に収められたマーラーの「アダージェット」。本来なら冒頭の3つの音はヴァイオリン奏者がたっぷり感情を込めて奏でますが、滝澤さんは驚くほどあっさりと弾いているのです。とはいえ、物足りなくありません。柔らかな陶酔感がある。終始、繊細なタッチで、時に、ため息をつくように流れを止めながら、寄せては返すメロディーを頂点に向けて紡いでいくのです。このほかの曲にも、それぞれ豊かな感情が流れているため、驚いたり、感動したりするので、疲れた頭が癒やされるのです。
私が滝澤さんと知り合ったのは2008年のことでした。その頃、私は読売新聞文化部の舞踊担当記者になって9年目。ようやく、自分なりの「バレエ観」を持てるようになっていたので、仕事抜きでディープなバレエ談議ができる存在と知り合えたのは喜ばしいことでした。当時の彼女は、バレエピアニストとして頭角を現し始めていた。新国立劇場バレエ団では、クラスレッスンのみならず本番演目のリハーサルを任せられるようになっていたほか、全国各地のバレエ教室やセミナーで演奏をするために全国各地を飛び回っていました。
初めて滝澤さんのピアノを聞いたのは、品川の駅ビル内にあったレストランだったと思います。まだ滝澤さんはバレエ一本で生活できていなかったのです。今思えばもったいないことですが、そこでの仕事はBGM係。お客さんの興味は料理と会話にあって終始ざわついています。それでも、滝澤さんは気を抜かずに心からの演奏を続けていました。印象に残っているのは、ドビュッシーの「月の光」を弾いた瞬間です。柔らかい音、穏やかな和音を紡いでいく曲ですが、滝澤さんの音はくっきり響くので、喧騒の中でもよく通るのです。演奏が進んで音が店内に広がるにつれて、一人、また一人とお客さんの視線がピアノに集まっていくのが分かりました。
CD「Dear Chopin」レコーディング風景より ©️Ballet Channel
ソプラノ歌手の大場恭子さんと定期的に開いてきたコンサートにも何回か行きました。お二人のパフォーマンスはいつも息がぴったりで面白く、滝澤さんはコラボレーションが本当に好きなのだと分かりました。その会の目玉は、滝澤さん時々の心境をつづる即興ソロのコーナーでしたが、特に11年8月のコンサートでの演奏が心に残っています。冒頭では深い悲しみと祈りを込めた重く深い和音が続きましたが、次第に曲想が変わり前に進もうとする思いや希望が感じられるようになる。恐らくは、その年の3月に起きた東日本大震災で心を痛めたことと復興への祈り、そしてウィーンへ旅立つ心境が音に現れていたのでしょう。
また、滝澤さんの書く文章に感心していました。ブログ「こころの音色」には、音楽やバレエへの思いや時々の心境がみずみずしく豊かな言葉でつづられていました。中村紘子さん、青柳いづみこさんらピアニストには、すてきな文を書く人が多いですが、その系譜に滝澤さんも連なるものと私は信じています。ウィーンに向かう時、私が送った言葉はただ一つでした。日々見たことや感じたことを書きためておくようにということです。その助言は、バレエ専門サイト「バレエチャンネル」の連載「ウィーンのバレエピアニスト」で結実しています。
楽譜から感情を読み取る力、豊かな感受性とそれを咀嚼して言語化できる知性、繊細ながら様々な人の心に届く立体的な音、どんな人の懐にもスッと飛び込めるコミュニケーション能力、そしてバレエや音楽、人々への愛。正直、11年前に滝澤さんの現在の活躍は想像していませんでした。ただ、今、思い出すと、元々これだけのものを持っていたからこそ、国境を超えて活躍できているのだと思います。そして、今なお壁にぶつかって悩み、乗り越えるために懸命な努力を続けています。そんな格闘を積み重ねた成果が、今回リリースした5枚目のアルバム「Dear Chopin」に現れています。
レコーディングに先立って滝澤さんが敢行したのは、ショパンの気持ちを実感することでした。彼女は旅行が趣味です。まず、ショパンが暮らしたワルシャワ、ウィーン、パリ、マヨルカ島を自身が旅した時の記憶を書き出し、連載で発表しています。その上で、ショパンが多くの時間を過ごしたパリでスタジオを借りて彼の作品を心ゆくまで演奏し、空いた時間にゆかりの場所を訪ね歩きました。先日、帰国した時、「ショパンってパリピだったのよ!」と感想を語っていましたが、当時のパリの社交界で名を馳せたショパンが、どんな環境で演奏していたのかをつかんだのがうれしかったのでしょう。
レコーディング中は、ショパンの気持ちになりきれたことが音からうかがえます。例えば、風光明媚なマヨルカ島で作曲されたとされる「プレリュード」。全24曲中4曲を収録しましたが、いずれも色彩感豊かで地中海の陽光が感じられるようです。しかも、第4番はタンゴ風アレンジで遊び心が楽しい。
「Dear Chopin」収録時、「プレリュード第4番」を演奏する滝澤志野さん(連載第40回より)
ジョン・ノイマイヤーの『椿姫』を彩った「ピアノ協奏曲2番第2楽章」などは名場面が思い浮かぶほど鮮烈に弾いています。元々がパリを舞台にした小説ですから、パリ滞在の経験はここでも生きたはずです。そして圧巻は、ボーナス・トラックとして収録された「バラード第1番」。第3幕「黒のパ・ド・ドゥ」で使われた傑作です。穏やかながら波乱を感じさせる幕開け。中間部で解き放たれる感情の奔流から悲劇的な結末に至る劇的な構成は見事で心を揺さぶります。ここまで高められたのは、ウィーンの稽古場や舞台で数多くのドラマチックな作品群に全力で向き合い続けてきたからに違いありません。
ショパンの楽曲はピアニストにとってバイブル。滝澤さんも幼少時から親しみ続けてきましたが、今、敢えてリリースするのは、心身ともに充実していて最高のものを送り出せる自信があるからでしょう。「Dear Chopin」から、これまで以上に踊る幸せ、聞く幸せが感じられることは間違いありません。
- 祐成秀樹(すけなり・ひでき)
- 1989年読売新聞社に入社。盛岡支局などを経て95年より文化部に配属。2000年より舞踊担当、02年より演劇担当。07年から4年間は若者向き紙面「popstyle」の編集長。文化部デスクを経て、20年5月から現職。21年6月から「popstyle」編集長に復帰。
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Dear Chopin(ディア・ショパン)〜Music for Ballet Class
滝澤志野(ウィーン国立バレエ専属ピアニスト)
●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●企画・制作協力:阿部さや子(バレエチャンネル)
●製作・販売:新書館
●価格:3,960円(税込)
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