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【第39回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜パリでショパンを想う。

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

パリでショパンを想う

ウィーン国立歌劇場2021/22シーズンが終わり、夏休みがやってきました。
この夏、私にはしてみたいことがありました。それはパリに滞在してショパンを弾くこと。

ワルシャワに生まれ、ウィーンを経て、1831年、21歳でパリに渡り、その後の生涯をパリで過ごしたショパン。
私にとってショパンは幼い頃から心のいちばん近いところにいるような作曲家なのですが、パリで彼を想って過ごしたことは一度だけ。2014年の「ヌレエフ・ガラ」でショパンを弾くにあたって、お墓参りに訪れた時だけだったように思います。パリには毎年訪れていて、ウィーン国立バレエのパリ公演のために1ヵ月滞在したこともありましたが、いつもバレエと街の美しさ、友人との語らいに心奪われ、ショパンにフォーカスしたことはほとんどなかったのです。人生で一度はシンプルにパリでショパンを想ってピアノを弾く日々を過ごしてみたい。ウィーンでは飽き足らず、パリでショパンを想いたいとは、なんと贅沢な、ピアニスト冥利に尽きる休暇の過ごし方でしょうか。(ちなみに、以前書いた、ワルシャワ、マヨルカ、ウィーン、ショパン旅紀行はこちらからどうぞ)。

1年ぶりのパリ。いいお天気だけど、滞在中は涼しく、最高の気候でした。

パリ在住のピアニストさんが教えてくれたピアノスタジオでピアノが弾けることになりました。毎日、朝から約4時間、スタジオを予約します。

ピアノの向こうにパリの街並みが見えるだけで、感慨深い。

今回の滞在では、ひたすらショパンだけを弾きます。ウィーンのバレエ団に入ってからというもの、私はチャイコフスキーを担当することが多く、先月もマッチョなチャイコフスキーのピアノ協奏曲を弾いたばかり。そんななか、このようにショパンに向き合える時間は、私にとっては青春時代、学生時代に戻ったかのような、純粋な気持ちになれるものなのです。ピアニストにとってショパンは永遠のバイブル。

練習が終わったら、彼を感じるべく、パリのショパンゆかりの場所を歩きます。

市民の憩いの場、モンソー公園には、ショパンとミューズの彫像がありました。
柔らかな木漏れ日のなか、彼女にピアノを弾いてあげて幸せそうなふたり。あたたかなピアノの旋律が聴こえてくるようで。

ある日は、9区にあるロマン派美術館を訪れました。

ショパン、ジョルジュ・サンド、画家のドラクロワなど、19世紀のパリの芸術家が集った邸宅が、当時そのままの形で残されています。フランスの社交界が花開いた19世紀前半のパリにタイムスリップして、物語のなかにいるよう。

『椿姫』の舞台セットさながらのサロン。

ショパンの恋人だった、ジョルジュ・サンドの胸像。ここには彼女の手紙や遺品が多く遺されています。この場所で彼らが逢っていたと想像すると、なんだか胸が熱くなりますね。

『椿姫』黒のパ・ド・ドゥそのままのような絵画……。

ショパンが親しくしていた、フランツ・リスト、アレクサンドル・デュマ・フィス、プレイエル、ドラクロワたちが生みだした輝かしく魅力的な芸術は、サロンから拡がり、文化として成熟していったのでしょうね。

ある日、物思いに耽りながらあてもなく街を歩いていて、ふと通りの名前に目をやると……

ジョルジュ・サンド通り。呼ばれたのでしょうか。

そういえば、パリに来る前、ショパンとジョルジュ・サンドが訪れた、スペインのマヨルカ島にも行ってきました。
マヨルカ島の美しい海は彼の心に何を残したでしょう。

欧州のハワイのようなマヨルカで、ショパンは24曲のプレリュードを完成させました。

天国のようなマヨルカを想いながら24曲のプレリュードを重点的に弾いた日、ペール・ラシェーズ墓地にショパンのお墓参りに行きました。

ショパンのお墓は、遠目にも彼のお墓と分かるような繊細さとロマンティックさがあります。

お墓の造形に限った話ではないのですが、人は死してなお、その精神や印象を後世に残すものなのでしょうね。音楽も彼の内面そのものを映し出しているものであり、それを通して、ショパンがどんな想いで生きていたか、彼の心に触れることができるのです。

ショパンはどんな気持ちで日々を過ごしていたのだろう。何を想ってこの美しい街を歩いていたのだろう。ピアノに向かっていたのだろう。彼に共鳴し、立ち止まる……。

豊かな感受性と繊細な心

じつは、パリに来てからというもの、その時の自分の状況とショパンの繊細で感受性豊かな音楽がリンクし過ぎて、日を追うごとに辛くなってきたのです。頭のなかにはショパンの音楽が一日中ループしていて、彼の曲を弾いて足跡を辿ると切なくて泣きたくなる。胸が苦しくて、もうウィーンに帰りたいとさえ思いました……。パリでショパンを弾くと決めた時に、自分の人生がこんな風に動いていくのは、それはやっぱりピアニスト冥利に尽きるということなのでしょうか。私は、昔からどこか、幸せや安定というものと引き換えに、芸術や美の真髄にそっと触れる、という生き方を自分で選択してしまっている気がします。哀しくもあるし、幸せでもある。

この日、スタジオの方とお話ししていたら「スタジオではなく、どうぞギャラリーでご自由に演奏してください」とおっしゃっていただき、素晴らしい楽器を弾かせていただけることになりました。ショパンが弾いていたプレイエルではないけれど、とても素敵な音色で忘れられない。

ペール=ラシェーズ墓地の近くに咲いていたムクゲの色がとてもショパンらしくて。少し哀しくて美しくて、華があって。

1849年、ショパンは亡くなる1ヵ月前にヴァンドーム広場の家に引っ越しました。最後に住んでいた住まいがこちら。

今は、フランスが誇るジュエラー、CHAUMET(ショーメ)の本店になっています。この日は建物に植物のインスタレーションが飾られていて、華やかになっていました。

「1849年10月17日、この家でショパンが亡くなる」と記されています。

ヴァンドーム広場はパリのなかの超一等地ですし、建物のなかも中庭も宮殿のように美しく、作曲家、ピアニストとして大成していたショパンの豊かな暮らしが伺えます。が、この家に引っ越してきた時はもう末期の肺結核で、家から一度も出ることなく、その生涯を終えたそうです。

ショパンの葬儀が執り行われたマドレーヌ寺院。
3000人もの人が彼の死を悼み、集まったといいます。

親友のドラクロワは、彼の死に際し、「なんという損失だ。あのけがれのない素晴らしい魂は消失した。残されたのは下劣で汚れた世の中だけだ」と日記に記したそうです。

それから173年という月日が流れました。ショパンの魂は消失してしまったでしょうか。そうは思いません。彼の音楽は最高の芸術として今も世界中で愛され続けていて、その音楽に触れると、まるで隣で彼の話を聞いているように、想いが伝わってきます。繊細な感受性が饒舌に私たちに語りかけてきて、心を重ね合わせることができます。

この夏、私はパリでショパンと心を合わせてきたのだと思います。きっとそれは私の心の宝石となって残っていくでしょう。

今月の1曲

パリで弾いたものをお届けできたらと思い、撮ってみました。バラード1番。この曲は、ショパンがパリに来て間もない頃、1831年から35年にかけて作曲されました。また近いうちに全曲をお届けしたいと思うので、今回は少しだけの抜粋にさせていただきます。

2022年7月20日 滝澤志野

★次回更新は2022年8月20日(土)の予定です

【NEWS】 配信販売スタート!
滝澤志野さんのベストセラー・レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」(ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス)に続き、2021年にリリースしたCD「Dear Tchaikovsky〜Music for Ballet Class(ディア・チャイコフスキー〜ミュージック・フォー・バレエ・クラス)の配信販売もスタートしました!

♪Dear Tchaikovsky https://linkco.re/pEHd0G2A?lang=ja

「Dramatic Music for Ballet Class」シリーズはこちらから?
★滝澤志野さんのアーティスト情報ページはこちら

New Release!

Dear Tchaikovsky(ディア・チャイコフスキー)〜Music for Ballet Class
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ベストセラーCD「ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス」でおなじみ、ウィーン国立バレエ専属ピアニスト・滝澤志野の新シリーズ・レッスンCDが誕生!
バレエで最も重要な作曲家、チャイコフスキーの美しき名曲ばかりを集めてクラス用にアレンジ。
バレエ音楽はもちろん、オペラ、管弦楽、ピアノ小品etc….
心揺さぶられるメロディで踊る、幸福な時間(ひととき)を。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:3,960円(税込)

★収録曲など詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2&3 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。Vol.3ではおなじみのバレエ曲のほか「ミー&マイガール」や「シカゴ」といったミュージカルナンバーや「リベルタンゴ」など、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわった、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2、Vol.3監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

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大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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