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【第14回】ウィーンのバレエピアニスト 〜滝澤志野の音楽日記〜「ルグリ監督、最後の『ヌレエフ・ガラ』」

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

ルグリ監督、最後の「ヌレエフ・ガラ」

2020年6月25日。ついにこの日がやってきてしまいました。 ルグリ時代10年間を締めくくる、私たちのラストステージ「ヌレエフ・ガラ」の日。

人は……芸術家は、どんな状況であろうとも、その場に「留まって」いることはできない。 ウィーン国立歌劇場では、3月10日からすべての公演が中止になってしまったのですが、たとえ舞台が使えなくても、厳しい制約があったとしても、何かを届けたい、残したい。そんなことを4月半ばから話し始めて、ルグリ監督の想いが現実を動かしました。稽古場からお届けする「ライブストリーミング公演」という形で。

5月半ばから稽古場が使えるようになり、3月から失われていた時間を埋めるように、私たちは再集結、再始動しました。舞台は使えず、衣裳も照明もなし。そして同じく3月以来、私たちは短時間労働契約になっているので、リハーサル時間の制約もあります。人数規制もあり、ダンサーは毎日クラスを受けられるわけではありません。それでも、数ヵ月離れていたスタジオでの時間は、水のように心にしみわたりました。

私がライブストリーミングで担当することになったのは、ルグリ振付『シルヴィア』よりアダージオと、『ジゼル』のヴァリエーション。そして、ルグリ監督がこのラストステージのために振り付けた『for 4』の3作品。

『シルヴィア』の稽古にて

『シルヴィア』は、彼がウィーンで作った最後の全幕作品であり、その真骨頂のパ・ド・ドゥ。

いずれもルグリ監督が指導に当たったのですが、そのリハーサルを通して、私は彼の意図が分かる気がしたのです。

マディソン・ヤング ©️Ashley Taylor

例えば、ジゼルを踊ったマディソン・ヤング。彼女は入団当初から多くの振付家に注目されるホープで、コンテンポラリー作品やドラマティックな役どころ(『オネーギン』のオルガ役、ドゥアト振付『ホワイト・ダークネス』等)を得意としています。そんな彼女に監督が与えたのが、ジゼルのヴァリエーション。まだ21歳ながら演技派で成熟している彼女には、一見不釣り合いな演目にも思えました。ですが、稽古が始まって気づいたのです。ルグリはきっと、これから世界に飛翔していくであろう彼女に、『ジゼル』を通して伝えたいことがあったのでしょう。ーーフランス・バレエの真髄や、基本的なテクニックの秘訣や、音楽性といったことを。

『ジゼル』の稽古

ナヴリン・ターンビュルの『眠れる森の美女』の稽古

ヌレエフ版『眠れる森の美女』のデジレ王子のヴァリエーションを踊ったナヴリン・ターンビュルについてもそう。去年の「ヌレエフ・ガラ」に続いて彼に王子のソロを踊らせて、監督みずからがライフワークとして踊ってきたヌレエフの美意識を、懸命に伝えようとしていました。

そして、今回のガラのフィナーレには、彼が手塩にかけて育ててきた若きプリンシパルたち、ナターシャ・マイヤー、ニキーシャ・フォゴ、ヤコブ・ファイフェルリック、ダヴィデ・ダトの4名に、彼が新作を振付けました。

『for 4』

4人は来シーズンよりそれぞれ別のカンパニーで踊ることが決まっていて、バラバラになります。ルグリ監督も含めると、5人がバラバラになるのです。これまでずっと家族のようにそばにいた私たち。そんな彼らと最後の思い出づくりという意味もあったでしょう。またルグリはクラシックのパが詰め込まれたこの作品を情熱的に指導することで、彼らの将来に繋がるバトンを渡したかったのかもしれません。

そんな様子を目の当たりにしていて、彼のひと言ひと言を楽譜にメモしていて、わっと号泣したい思いにかられる瞬間が何度かありました。リハ中にいきなりピアニストが脈絡なく号泣したら、気がふれたと思われるので堪えましたが……。そんな、尊い、大切な日々でした。

収録風景

収録の日。稽古場での撮影で、衣裳も照明もないけれど、ウィーン国立バレエが誇るビデオチームの手にかかれば、素敵な動画になることは間違いありません!
演目の半分は、ピアノ生演奏での収録。もちろんバレエがメインなので、音楽のミスで撮り直しになるということは避けたい……。普段の劇場のライブストリーミング公演は、出たとこ勝負みたいなところがあって、ピアノ協奏曲であっても特別に緊張することはないのですが、こういう収録は、ダンサーのために何度撮り直したとしても毎回完璧に弾かなければいけないというプレッシャーがあって、意外と緊張するものです。(ちなみに『シルヴィア』のパ・ド・ドゥは踊りも映像もすべてが完璧で、一発OKでした!)

ピアニストチーム。同僚イゴールと

そして、その日がやってきました。 シーズン最後の日であり、ライブストリーミング放映の日。私たちは劇場に集まって、皆で鑑賞です。シーズン最後の晴れやかな日なのに、劇場へ向かう足取りは重い。今日で約半数の同僚とお別れしなければいけないからです。まるで、もう別れると決めている人との最後のデートに出かけるような心境です。こういう気持ちも味わい尽くすしかない。

ライブストリーミング観賞会

ライブストリーミングは休憩を入れて4時間半にもおよんだ上、仲間と観ているので異様に盛り上がり、1演目ずつ拍手するので、後半になると手が痛い(笑)。ルグリ監督が手がけるガラは熱くて長くて、いつもこうだった! と笑ってしまいます。

ガラのあとはバレエスタジオに移動して、シーズンエンディングパーティー。

ルグリ監督最後のスピーチは感動的で。

終わってほしくない。この時が終わってほしくない。ルグリ監督から辞任の意志が伝えられた時、私は心からよかったと思えたのですが、あれからの時間があっという間すぎて、もうその時が来たのかと。

去年、ルグリ監督の秘書の女性が辞めたとき、彼女は朝から夜までずっと泣き続けていましたが、彼女の気持ちがいまはわかります。悲しくて悲しくて寂しくて寂しくて……。卒業みたいなものだけれど、 大人になってからの別れというものは、本当に悲しい。今日だけは皆で号泣しよう。 約30人のダンサーとスタッフが辞めるので、その一人ひとりに、組合役員のダンサーたちがはなむけの言葉を贈ります。

ナターシャに向けてスピーチをするヤコブが、たまらず泣きだしてしまい……

涙をこぼしながら、ヤコブを見つめるナターシャ

子どもの頃からずっと一緒に踊ってきたふたり、一緒にプリンシパルになったふたりが、別々の道を歩む。

マディソンも。

ルグリ監督には赤いジャージがプレゼントされ。

夢なら醒めてほしい。永遠に続いて欲しかったような10年。でも、冒頭に書いたように、人はひとところに留まっていることはできない。皆にとってこれが最善なのです。去る人も残る人も、道が続いていく。別れがあれば、出逢いがあり、新しい道ができていく。私たちがここで共に過ごした日々は失われないし、またいつか再会して一緒に笑い合える日も来ると思う。それを楽しみに、未来へ!!

ルグリ監督から私たち全員に、写真集の贈り物が。(じつはこの写真集のうち30枚ほど、私の撮った写真も採用されました! ずっとカンパニーのそばにいたピアニスト目線の写真です)

今月の1曲

ルグリ監督10年の締めくくりに何を弾こうか考えた時、この曲がふさわしいなと思いました。『シルヴィア』の最終曲、フィナーレです。彼がウィーンで作った最後の全幕バレエ、そして彼の新天地ミラノでも上演した作品。フィナーレでありながら、力強く輝かしく、未来への希望を高らかに歌い上げ、その喜びを感じさせてくれる曲です。収録でもこの作品のなかから素敵なアダージオの曲を演奏させてもらったので、やはり『シルヴィア』で〆るとしましょう。抱え切れないほどの思い出と感謝の気持ちを持って未来へ歩きだそう。

2020年6月27日 滝澤志野

★次回更新は2020年7月20日(月)の予定です

New Release!

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス3
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ドラマティック・バレエの名曲に加え、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲や、ひたむきに稽古するダンサーたちにインスパイアされた曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわりました。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

★詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。バー、センター、ポアント、アレグロなど、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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