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【第12回】ウィーンのバレエピアニスト 〜滝澤志野の音楽日記〜「封鎖された街で、音楽とともに」

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

日々、世界が変わっていく

コロナ禍により世界が様変わりしてしまった2020年春。みなさまいかがお過ごしですか……。

ここオーストリアでは、唐突に思えた3月10日の劇場公演中止からあっという間に国全体がロックダウンされ、1ヵ月がたちました。いま、世界中の人が同じ状況にあり、同じ想いを共有していると思います。ウィーンでこの1ヵ月何を感じどう過ごしてきたか、写真日記でご報告したいと思います。

刻々と迫りくるコロナ禍

2月下旬
中国、そしてダイヤモンドプリンセスで猛威を奮っていたコロナウイルス、欧州にとってはまだ遠い国の出来事でした。いま思えば、奇跡的に開催された2月20日のオペラ座舞踏会は夢のような時間でした。

3月に入り、イタリアの感染状況の深刻さやロックダウンの様子が報道されるようになり、もう対岸の火事ではなくなってきました。ウィーン国立バレエでは、3月4日『ルカーチ・リドバーグ・ドゥアト』のトリプルビルの初演を迎えました。この公演では、私はストラヴィンスキーの「プルチネッラ」をチェロとデュオ、そして小さなピアノソロも弾かせていただいていました。

ナチョ・ドゥアト振付「ホワイトダークネス」初日カーテンコール

突然舞い込んできた公演中止の知らせ

3月10日
この日の午後、オーストリア政府が初めてコロナウイルスに関する記者会見を行い、屋内100人・野外500人以上の催しの禁止と大学の休講が発表されました。この日はトリプルビル公演があり、公演の準備をして劇場に向かおうとした30分後、劇場事務局から公演中止の旨の電話がかかってきました……。毎公演慈しんで本番を弾いていたので、突然のキャンセルに気持ちの持って行き場がなく。それ以上にその日初日を迎えるはずだったセカンドキャストのダンサーたちのことを思うとやりきれず。この日の時点で、オーストリアの感染者数178名、死者0名。イタリアからの入国が禁止されます。

そしてこの日を境に、毎日状況が変わっていくことになります。

3月11日
「劇場の各セクションは3月24日まで休み、ただしバレエの稽古と食堂だけは続行」という知らせを受けて、ダンサーたちがボイコット。ボイコットを知らされていないピアニストだけが次の日劇場に行ってしまいました……。

3月13日
クルツ首相記者会見。3月16日から、スーパーやドラッグストア、郵便局や銀行など、生活必需品店や物流・金融以外の閉店、外出規制を発表。国立歌劇場の公演も4/2まで中止されることになりました。この日は、ポーランド国立バレエの『海賊』公演が中止になり、ウィーンに戻ってきたボスたちと食事することになっていて、現状を嘆きながらも、それでも今後の前向きな話をする余裕がありました。「ヌレエフ・ガラ」の準備にも取り掛かろうとしていました。スペイン、フランス、スイスに対して「渡航中止・避難」発令。感染者504名、死者0名。

3月16日
ロックダウン初日。自宅で練習できるよう、劇場に楽譜を取りにいく。劇場は従業員には解放されていて自由に自主練できる状態だったのですが、その日、守衛さんと話すと、今後4/2まで劇場は閉鎖されるという。劇場から閉鎖の連絡はなかったので困った人はたくさんいると思います。春めいてきた空気のなか、平和なウィーンがいきなり戦時中のような静寂に包まれて悲しみも覚えます。英国、オランダ、ロシアおよびウクライナからのフライトの停止。オーストリア航空定期便休止。感染者1018名、死者3名。

コールマルクト通り

王宮前

公演が突然中止になり、ロックダウンが始まってからの1週間、無力感や不安、孤独が大きく、正直とてもピアノを触れる心境にありませんでした。時間だけは果てしなくあるので、断捨離に精を出したり気晴らしできる何かを毎日模索していました。

ミシンを出してきてスカートを縫ったり

うどんを打ってみたり

苺大福を作ってみたり

新しいムーブメント、オンラインレッスン

3月23日
依然としてあまり良い精神状態でなかった私のもとに1本の電話がかかってきます。元パリ・オペラ座ダンサーのステファン・ファヴォランさんでした。彼は欧州ロックダウン当初から自宅軟禁中のダンサー向けにインスタライブでフロアバーのレッスンをしていました。CDでのレッスンはやりにくいので、パリとウィーンから一緒にレッスンを中継しないかとのことでした。ファヴォランさんはゲストティーチャーとして何度もウィーン国立バレエにいらしていて、ちょうどこの期間もコロナ禍がなければ、ウィーンで一緒に仕事するはずでした。私は彼のクラスが大好きなので、オンラインでご一緒できること、そしてこんな時でも自分が誰かの役にたてるモチベーションをもらえたことで、心に灯りがともったようでした。

ステファン・ファボランさんとのインスタライブ

いまも試行錯誤ではありますが、オンラインレッスンは、コロナ禍で生まれた新しい希望と言えるでしょう。その後、ハンブルク・バレエのシルヴィア・アッツォーニさんともインスタライブでご一緒したり、ウィーンのダンサー向けにZoomでレッスンしたり、現在は週4回ほどオンラインで弾いています。

シルヴィア・アッツォーニさんとのインスタライブ

活動の場をコロナに奪われた音楽家たちも、みなさん自宅での演奏動画をネットにあげるように。以前コンサートで共演したヴァイオリニスト郷古廉(ごうこ・すなお)さんの美しい無伴奏動画にいたく感動し、気づいたらピアノに向かって一緒に弾いていました。テレワークで多重録音という新たな楽しみも一気に浸透しましたね。

郷古廉さんが弾く「白鳥の湖」第2幕ヴァイオリンソロに伴奏をつける。東京とウィーンで共演です

自宅軟禁が続き、誰にも会えないなか音楽で繋がれることが嬉しく、一時ピアノに向かう気が起きなかった私が、最近は子どものように純粋に音楽を楽しんでいます。毎日起きるたびに、今日は何して(音楽で)遊ぼうかとワクワクする、そんな日々がやってきました。

オーケストラスコアで作品を弾いてみたり

子どもの頃に習っていたヴァイオリンを何十年ぶりに弾きたくなったり

母に譲り受けたハープの弦を張り替えたり!

ウィーン国立歌劇場、今シーズンの公演全公演中止

4月6日
恐れていた事態が起こりました。政府のお達しにより、ウィーン国立歌劇場、今シーズンの公演がすべて中止になりました。ああ、なぜ今年なのでしょう! ルグリ監督ウィーン10年間の最後の花道がこんな形で途切れてしまうなんて本当に受け入れ難いです。今シーズン限りでここを去るダンサーもたくさんいます。私たちにとっては、これが最後の、大切な「ヌレエフ・ガラ」になる予定でした……。

ウィーン国立歌劇場は、1公演中止すると1日1,500万円の赤字が発生するそうです。今シーズン4ヵ月間、そして来シーズンもウイルスの影響から免れることはできないでしょう。いまは国と劇場が、減収とはいえ労働者を守ってくれていますが、それもいつまで続くかわかりません。もう元の世界には戻れない……。

この先世界がどうなっていくかは分からないけれど、一日一日を乗り越えていくしかない。そして、停滞でもなく後退でもなく、何か希望を見つけることができたら。暗闇から光が生まれると信じて。

【追記】
オーストリアでは規制緩和が開始されました。400平米以下の小さな商店は先週から営業再開、5月半ばにはレストランが再開、劇場での稽古は6月から開始される予定です。ただし、音楽祭などの催しは8月末まで禁止されることも発表されました。
4月18日現在 感染者数14637名、死亡数443名、治癒数10214名

今月の1曲

今シーズン、ウィーンで初演したバランシン振付『ジュエルズ』より、ダイヤモンドのパ・ド・ドゥを。

4人いるピアニストのなか、チャイコフスキーは私が担当することが多いのですが、一年前、同僚から無言でダイヤモンドの楽譜を手渡された時は、天に昇る気持ちでした。そしていま3ヵ月ぶりに弾いたら、当たり前にバレエを上演できていたこと、こんな美しい演目とともに在れたことが、遠く輝かしい日々のように感じ、涙がにじみました。皆笑顔で、芸術を分かちあえる日が1日も早く戻ってきますよう、願いをこめて。

2020年4月20日 滝澤志野

★次回更新は2020年5月20日(水)の予定です

New Release!

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス3
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ドラマティック・バレエの名曲に加え、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲や、ひたむきに稽古するダンサーたちにインスパイアされた曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわりました。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

★詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。バー、センター、ポアント、アレグロなど、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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