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【第11回】ウィーンのバレエピアニスト 〜滝澤志野の音楽日記〜「欧州就職活動の旅 ウィーン編」

滝澤 志野

ウィーン国立バレエ専属ピアニストとして、バレエダンサーを音楽の力で支えている滝澤志野さん。
彼女は日々の稽古場で、どんな思いを込め、どんな音楽を奏でているのでしょうか。

“バレエピアニスト”というプロフェッショナルから見たヨーロッパのバレエやダンサーの“いま”について、志野さん自身の言葉で綴っていただく月1連載。
日記の最後には、志野さんがバレエ団で弾いている曲の中から“今月の1曲”を選び、バレエチャンネルをご覧のみなさんのためだけに演奏した動画も掲載します。

美しいピアノの音色とともに、ぜひお楽しみください。

「欧州就職活動の旅〜ウィーン編」

2011年2月14日。
いまから9年前、私は初めてウィーン国立バレエの稽古場を訪れました。

真っ白な稽古場の外には雪が降っていて、視線の先にはマニュエル・ルグリが透明なピアノの音色とともに踊っている。いままでに見たどんなバレエの情景よりも美しいその光景に、私はただただ見惚れていました。「ここ 」に来たかったのだと。極寒ヨーロッパの就活旅の終着地がここであることを、その時なんとなく理解したのです。

運命の街、ウィーン

私にとって、ウィーンはもともと格別に思い入れのある街でした。6歳の夏、初めて訪れた外国の街がウィーンだったのです。オーストリアとスイスの夏の美しさや豊かさ、そこで触れたもの、それらは私の中で核となっていった気がします。

6歳の時のウィーン旅行。ベートーヴェン博物館にて

時は巡って2010年春。欧州中を周遊した旅の最後に訪れたウィーン。私は人生2度目のウィーンに恋におちてしまったのです。
ガイドツアーで訪れた国立歌劇場では特別な想いが胸に込み上げてくるのを感じ、ツアーの列から少し離れてその想いに耳を傾けていました。舞台から稽古場に繋がる青い階段、オーケストラピット、楽屋口、それらが私に語りかけてくる気がして。写真は撮らなくていい、と思いました。「またいつかここに来るから」。

その頃ウィーンでは、パリ・オペラ座の大スターだったマニュエル・ルグリがウィーン国立バレエ団の芸術監督に就任する変革の時でした。就職活動に行くにはなかなか難しいタイミング。ウィーンでは1日だけ朝のクラスを見学させてもらえるアポイントメントをいただき、私は次の冬、欧州就活旅にでかけました。

マニュエル・ルグリとの出逢い

いよいよウィーンの稽古場に初めて足を踏み入れる朝。日本人ダンサーの仙頭由貴さんが、クラスの前にルグリ監督を紹介してくださいました。
「今日のクラスを見せて頂く約束で日本から来ました。ウィーンにいる三日間、クラスを見せて頂くことは可能ですか」と伺ったところ、快く承諾してくれたルグリ監督。
その後のウィーン生活で私を導き、芸術の全てを与えてくれた人との出逢いでした。

そして、冒頭の情景に続きます。雪降るウィーンの白い稽古場で踊るダンサーたちのバレエシューズの音や、窓辺で踊るルグリ監督のなんと美しかったことか。ピアノ演奏も素晴らしく、私を魅了しました。もうすぐ初演を迎える『ドン・キホーテ』公演の衣裳付き通し稽古も見せてもらいました。一緒に並んで座ったピアニストさんたちとは初めて会うのに、なぜか家族のようにしっくり馴染む。すべてがしっくりいくのでした。

自動ドアがスーッと開く

さて、ウィーン2日目。機嫌よく稽古場に見学に向かった私は、昨日会ったピアニストのイルジに「話がある」と劇場裏のカフェに呼び出されました。
「実は、今シーズン限りでピアニストがひとり辞めることが先々週決まって、新しいピアニストを探さなきゃいけないんだ。君の日本での契約はどうなってる?ウィーンに来る気はない? 日本の知り合いに聞いたら、君はいいピアニストだと言っていた」と! こんなことってあるのでしょうか。神様は人生で2度チャンスをくれるといいます。そのうちの1回は間違いなくこの瞬間だったでしょう。もちろん、私は二つ返事でYESと言い、その場でオーディションしてもらえることになりました。劇場に戻る私の足取りは浮かれに浮かれていて、劇場内の角ごとでスキップして、イルジに笑われました。

即席オーディション

私たちはピアニスト部屋に戻り、さっそくオーディション。イルジはひと通りバー・レッスンのお題を出して、私に即興で弾かせます。次に初見。いろんなスコアをランダムに弾いていきます。『ライモンダ』や『スパルタクス』……。「これ難しいおもしろい」と弾いているうちに、なぜかイルジも参戦してきて、挙句の果てには即興で連弾のセッションに! オーディションというより、もはやふたりで音楽で遊んでいるような状況(笑)。劇場で働くということは同僚同士のチームワークも大事ですからね!

翌日は二次試験として朝のクラスを弾くことに。ルグリ監督も踊っています。自分なりにベストは尽くせたと思う。思わぬタイミングで拍手が鳴り止まなくて困ったことも覚えています。ですが、当時の私の音楽は未熟で稚拙だったことでしょう。クラスの後、イルジはいろいろ細かいアドバイスもしてくれた上で、「もう少し他の人も見たいから、少し待ってほしい 」と言われました。本当に学びの多いウィーン滞在で、もしここに来ることができたなら、どれだけ素晴らしい芸術の日々を生きられるのだろうと、もうウィーン以外の選択肢は考えられなくなってしまいました。

芸術の神様に導かれた旅

ウィーンで出逢った方々。ルグリ、そしてハイレベルのピアニストたち。鑑賞したオペラ『フィガロの結婚』『ロメオとジュリエット』のきらめき。来る前はウィーンの街や劇場に運命を感じていたけれど、私が求めていたものは、「素晴らしい芸術に触れたい。そこに身を置きたい」という一点だったのだと思います。先月のドイツ編で、私はこの欧州就活旅のことを「芸術の神様がついてきてくれた」と書きましたが、そうではなく、芸術の神様がリラの精のように私を導いてくれたのではないでしょうか。

このウィーンでの出来事は、採用が決まるまでほとんど誰にも話しませんでした。人に話したら魔法が消えてしまうような気がして……。

東日本大震災、そしてウィーンへ。

日本が変わってしまったのは、ウィーンから帰国した翌月のことでした。
東日本大震災。東京での芸術の仕事も壊滅状態。日本中が傷つき、自分の生活も苦しいなか、「海外ではなく日本で、社会の為にできることを追求したい」と、気持ちに変化が起こりました。

5月になり、ウィーンから採用の連絡をいただいた時、あんなに行きたかったウィーンなのに戸惑いを感じました。その日、ふらっと本屋に行き、目に入ったのはマニュエル・ルグリの写真集でした。書かれてあった言葉、「バレエを通して得た哲学は、すべては儚いということ。だから一瞬を大切にする」。その言葉を見た瞬間、ウィーンに行くことを決意していました。ルグリ監督が間接的に私の背中を押してくれた。これもまたリラの精の贈り物だったのでしょうか。結果的には、いろんな劇場を巡ったなかで、どうしても行きたかったウィーンだけ、自動ドアがスーッと開いて夢が叶ったのです。

今月の1曲

かくして2011年8月、晴れてウィーンに引っ越してきて、劇場に来た初日。ここにたどり着いた気持ちを音でつぶやきたくなって、即興で弾いて録音しました。今回は9年前のその演奏をお届けします。

現在、ウィーン国立歌劇場は新型コロナの影響で公演が中止され、劇場が閉鎖されてしまいました。外出も禁止されていて、欧州全体が試練の時を過ごしています。こんなことが起こるなんて……。この先どうなるかも分からないトンネルの中にいます。東日本大震災の時と同じような不安のなか生きています。でも、芸術は人生に必要なもの。また芸術に満たされた日々に戻れるよう、そして新しい希望が生まれますよう、祈りをこめて。

2020年3月20日 滝澤志野

★次回更新は2020年4月20日(月)の予定です

New Release!

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス3
ウィーン国立バレエ専属ピアニスト 滝澤志野

ドラマティック・バレエの名曲に加え、ウィーンのダンサーたちのお気に入りの曲や、ひたむきに稽古するダンサーたちにインスパイアされた曲をセレクト。ピアノの生演奏でレッスンしているかのような臨場感あふれるサウンドにこだわりました。

●ピアノ演奏:滝澤志野
●監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

★詳細はこちらをご覧ください

 

ドラマティック・ミュージック・フォー・バレエ・クラス1&2 滝澤志野  Dramatic Music for Ballet Class Shino Takizawa (CD)
バレエショップを中心にベストセラーとなっている、滝澤志野さんのレッスンCD。Vol.1では「椿姫」「オネーギン」「ロミオとジュリエット」「マノン」「マイヤリング」など、ドラマティック・バレエ作品の曲を中心にアレンジ。Vol.2には「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「オネーギン」「シルヴィア」「アザー・ダンス」などを収録。バー、センター、ポアント、アレグロなど、初・中級からプロフェッショナル・レベルまで使用可能なレッスン曲集です。
●ピアノ演奏:滝澤志野
●Vol.2監修:永橋あゆみ(谷桃子バレエ団 プリンシパル)
●発売元:新書館
●価格:各3,960円(税込)

この記事を書いた人 このライターの記事一覧

大阪府出身。桐朋学園大学短期大学部ピアノ専攻卒業、同学部専攻科修了。2004年より新国立劇場バレエ団のピアニスト。2011年よりウィーン国立バレエ専属ピアニストに就任。 レッスンCD「Dramatic Music for Ballet Class」Vol.1、2、3、「Dear Tchaikovsky~Music for Ballet Class」、「Dear Chopin〜Music for Ballet Class」をリリース(共に新書館)。国内のバレエショップを中心にベストセラーとなっている。2023年7月大阪・東京で初のピアノソロリサイタルを開催。初のピアノソロアルバム「Brilliance of Ballet Music~バレエ音楽の輝き」も同時発売。

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